無題
「ちょっとすぐそこの教会に寄っていくから。」
車がアパートの敷地から出て間もなく青柳さんは言った。
「はあ……。」
きょうかい………、と言われても、教会なのか協会なのか境界なのか分からない僕だったが、そこについてみればわかることなので、僕は車の窓を流れゆく外の景色を眺めながらそう曖昧に返事をするだけだった。………うん、境界はないな。
『きょうかい』はどうやら『教会』だったらしく、ぼくもまぁ、そうだろうな、とはなんとなく思っていた。いや本当に。その教会は「真心教会」と呼ばれる教会だ(なぜ名称を知っているかというと普通に気にその文字が彫られた看板が入口のところにかけられている)、「真心教会」といえば僕が一昨日酔った青柳さんに会う前に通り過ぎようとしていたあの『背に腹を替えても』の張り紙がしてあった教会だ、ちなみに今日はその張り紙は貼られていなかった。昼時なのでイルミネーションにも電気がともっていない、蔓のように教会の建物にまとわりついていた。
この教会は僕が青柳さんをおんぶして彼女のアパートまで連れて帰ることができたことから考えてもわかるように青柳さんのアパートからだいぶ近い位置にあった。車で行けば三分もかからなかった。
というわけでアパートから出て今がまさにその三分後。
僕は教会の前に停車された車の中で『ちょっと待ってろよ』と言い残して教会の中に入って行ってしまった青柳さんの帰りを待っていた。『ちょっと待ってろよ』と言われなければ僕も一緒に教会の中に入って言って見たいものだったが『待ってろ』と言われたので『待って』いた。
十分後、そろそろ僕が退屈し始めて目の前のダッシュボードの中身でも見てやろうか、とそんな魔が差し始めたころ、青柳さんが戻ってきた。何やら荷物を持っているらしく、それを後部座席のところに積むつもりなのか後ろのドアを開けた。
「ふー、悪い、探すのにちょっと手間取った。」
そう言ってから荷物を積み終えた青柳さんはバタン、と勢いよく後ろのドアを閉める。何を積んだんだろう、と気になって僕は後ろの席の足元のところに置かれたその荷物を覗き込む。そこにあったのは、………金属バッドと、何が入っているのか分からない謎の袋……。
「…………。」
「まったく、むこうもバットくらいは用意しとけって話だよな」
そう独り言ちながら運転席に座る青柳さん。
「あ、あああ、あ、あの、青柳さん」
「ん?何だ少年、質問か?……なんで震えてるんだ?寒いのか?悪いけどガソリンあんまりないから暖房は付けられないぞ?」
「い、いや、そうじゃなくて、こ、これ今僕どういう状況ですか?」
差別的な意見になってしまうかもしれないが、少なくとも教会から金属バッドが出てきた時点であまりいい予感はしない、日常生活の何でもないところで金属バットを見るのがこんなにも怖いことだとは思わなかった。
「金属バットって、その、あの、今から行うのは暴力的なあれじゃないですよね?なんで金属バッドなんか……。」
「……?木バットだと折れちゃうかもしれないだろ?」
なるほど実用性を重視したのか、って違う!
「金属バッドを何に使うんですか⁉」
「………あぁ、そうか、話すっつって今から何するかまだ話してなかったな………。」
「そうです、それです!お話ししましょう、今から一体どこに向かうのか、一体僕はどうなってしまうのか、僕が警察に通報する前に早く!」
しょうがないな、と言って青柳さんはゆっくりと車をバックさせた後車を前方方向に走らせた、できれば停車した状態で話して欲しかったのだが、どうやら青柳さんは車をはしらせながら話すつもりらしい。
「今から向かうのは」と青柳さんが話し始める。
僕は不安でいっぱいになりながらも青柳さんの話を固唾をのんで聞いた。
「きをつけー、今から、市立五崎小、対、市立二叶小の試合を始めまーす。……礼!お願いします‼」
そして僕はグラウンドにいた。
僕の住む町にある市民運動公園のグラウンドだ。
グラウンドにいて、ホームベースを起点として五崎小の子たちと一列に並び、向かい僕たちと同じように並んでいる二叶小の子供たちに頭を下げた。おそらく同時に頭を下げたから分からなかっただけだろうけれど、頭を下げる前も、頭を下げた後も二叶小の子たちは頭を上げたままだ。
僕の隣には青柳さんがいる。
挨拶をすますと、両チームお互いのベンチにわらわらと戻っていく。五崎小がファースト側のベンチだ。ベンチと言ってもボロッちい青色のベンチが三基、グラウンドを囲うフェンスに沿って並べてあるだけだけれど……。
「…………」
待て待て待て待て。
分からない、どうしてこうなった。
「あの、青柳さん…」「よっしゃあ!お前らきょうこそ勝つぞ!二週間越しのリベンジだ!」
青柳さんは、ベンチに戻って各々キャッチボールやら素振りやら打順の確認やらを始めた五崎小の子たちに向かって、突然そう叫んだ。そんな青柳さんに小学生たちは、わあっ、と良く分からないテンションで盛り上がり、奇声を発する。
「だから待てよ、俺が置いてけぼりだっつってんだろ」
そう青柳さんに向かって言った、僕の発言だ。
まさか今日、この場で自分が軽くキレることになるとは思わなかった……。何年振りだろう……。『俺』って……。
「いや、だから、野球をします。って車の中で教えたじゃん」
何を今さら、これから盛り上がるって時になんて白けたことを言い出すんだ、とでも言うかのような目で僕を見て、青柳さんは言った。
「それは聞きました、野球をする。五崎小と二叶小の野球の試合に僕たちが参加するというのは聞きましたよ、だけどなんで僕たちが試合に参加することになったんですか?いや、その前に、これは何のための試合なのでしょうか?見た感じただ遊んでいるってわけでも無いようですけれど……。」
「遊びだと⁉お前そんな気持ちで球場に立つつもりなのか!」
「だからこっちはいまいち事情を把握しきれてねぇーんだって」
やばい僕の感情の高ぶりが止まらない。これが愛か?………いや怒りだ……。
「あー、そうか、そうだなぁ……、いきなり連れてこられて野球しろって言われてもモチベーション上がんないよな」
「いや、そう言う問題じゃ…」
いや、もういいか……、何でもいいからとにかく事情を説明して欲しい。
「ひぃ君」青柳さんはそう言って、ベンチのところにいる、グローブが袋に引っかかってしまい取り出すのに悪戦苦闘している一人の小学生を手招きして自分のもとに呼び寄せる。最初自分が呼ばれているのか分からなかったのか、ひぃ君と呼ばれた小学生はきょろきょろと周りを見渡して確かに自分が呼ばれたのだという事を確認すると、僕?と言った風にこちらを見て自分自身指さす。ひぃ君のその様子を見て青柳さんはコクンと頷いた。
ひぃ君はすぐさまこちらにトコトコと小走りにやってくる。
「な、なんですか、千年さん」
おずおずと、ひぃくんは自分より身長が四十センチ以上高いであろう青柳さんを見上げて言った。
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