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絶望少年の行方。  作者: 鳩麦紬
第二章
18/44

凛3

長めになってしまいました。

 ああ………、これから僕はどうなるんだ、警察を呼ばれるのか?……いや、もしかしたらこの女性の悲鳴を聞きつけた誰かがすでに通報していて、外で警察官が待機しているかもしれない。

 今まで僕の人生終わってる終わってる、とばかり思っていたけれど……、警察にお世話になっていないだけまだマシな人生だったのかもしれない……。それも今終わりを迎えようとしている……。

「いいよ、信じる、しよう。」

しかし青柳さんに布団をかけなおしている女性の口から発せられた言葉は、僕の予想を裏切るものだった。

「え、いいんですか?」

青柳さんは僕の名前を呼ばなかった、『少年』と言ったのだ、それでは知り合いかどうか分からないんじゃ……。

「千年が君のことを『少年』と言う、した。『誰』と言う、しないで『少年』と言う、した。それでいい、明らか。」

「は、はぁ、いいんですか?」

「うん、いい、明らか明らか、ふふ。」

その単語が気に入ったのか、女性は明らか明らかと連呼してはにかむように笑った。

「千年は人の名前を呼ぶことしないからね、私も最初は『少女』と呼ぶ、されてた。」

「……あの、あなたと青柳さんはどういった関係で……」僕はおずおずとそう聞いた。

「ん?……んー、そうだね、まぁとりあえず座る、してよ。お茶出すから。」

「いや、そんな結構です。僕すぐに帰りますから。」

「いいからいいから、千年が迷惑かける、したみたいだし。」

 女性はそう言い残してキッチンへと向かった。何やら冷蔵庫を物色しているようだ、ガサゴソと音が聞こえる。

 座る、してよ、とあの女性に言われた僕は言われた通りテーブルのところに座る。人に促されると断り切れず、言われた通りにしてしまう僕だ。

人に流されやすい、そのくせして人と同じことをするのを嫌う。

どうも紅田白です。

お茶を出す、と言ったあの女性は、一.五リットル入り紙パックのオレンジジュースを持ってキッチンから出てきた。僕と自分の分のグラスをテーブルに置いてそれを注いでく。

「どーぞ」

「ありがとうございます。」

 何となく僕はこの人に敬語を使ってしまっているけれど、この人何歳くらいなんだろう……。僕と同い年くらいに見えるけれど、行動とか言動を見る限り年下かな?まぁ、青柳さんの例があるから見た目で判断する気にはなれないけれど……。

「えっと、何の話する、だった?」

「あなたと青柳さんはどういう関係なんですか?」

という話をしていました。と僕が言うと、女性はそうだったそうだったと言ってパンッと手を叩き

「私は千年の娘、名前は青柳凛」と言った。

 娘⁉

 僕は思わず飲みかけていたオレンジジュースを吹き出しそうになった。

「娘⁉」

「うん、娘」と、女性、もとい凛さんは驚いている僕を目の前にしながらも平然とした態度でそう言った。

「あの、失礼ですけれどおいくつですか?僕と同い年くらいに見えるんですけれど……。」

「ん?二十歳」

二十歳……年上……。

 三十七歳の青柳さんに娘がいてしかもその娘が二十歳……、待て待て、と言うことは、青柳さんに娘がいるということは、高い確率で旦那さんもいるということだろう?そ、それなのに僕をこの家に上げて、僕とお、同じ布団で寝たというのか……、何かの間違いで旦那さんがその場に居合わせたりしたら修羅場になりかねなかったんじゃないか……。それに、それを言ったら今日の事なんて酔っていたとはいえほとんど浮気……。

「お、お父さんは?」

 今日はいないんですか?と言うつもりで僕は聞いたのだったが。

「んー、私にはお父さんはいる、しないんだ。」

 と、眉根を上げながらも凛さんは笑って言った。

「……そうですか……。」

 父親がいない……、まぁ、そういう家庭もあるだろうし、深く掘り下げて話すことでもなかったので、僕はそう相槌を打ってそれ以上そのことについては何も聞かないことにした。

「ふふ、ありがとう」

「何がですか?」

「いや、……それとごめんね?」

「何がですか?」

「私あなたのこと泥棒だと思う、して、悲鳴を上げる、しちゃった。もしかしたら隣の部屋の人に聞こえる、したかも……、へへ、見た目で判断する、はいけないことだよね……。ごめんなさい。」

「…………いえ。」

 いつまでたっても玄関のドアが叩かれないところを見ると、どうやら警察も呼ばれてみないだし……、もし警察が来ても凛さんが誤解を解いてくれれば何も問題はない。

「許す?」

「許します。」

「もう目を潰す、しない?」

「あれは冗談ですよ。」

そう、と安心したように言って凛さんは自分の分のオレンジジュースが入ったグラスを手に取ると、それを一口口に含んだ。

「でも迫力がすごい、だった、本当に自分の目を潰す、するかと思った。ちょっとこの人頭がおかしい、と思ったよ。」

「まさか、そんなわけないじゃないですか。頭がおかしいだなんて……。」

「分かる、してるよ。ちょっと思う、しただけ。」

あはははは!と僕は声をそろえて笑った。

………………。

笑い終わって、そこで僕は急にはっとする。それは話の流れと全然関係のないことなんだけれど、目の前の女性を見て突然あることに気が付く。

凛さんは自分が青柳さんの娘だと言った。しかし、それだとおかしなことがある。凛さんは自分が青柳さんの娘だと言う前に、「私も最初は『少女』と呼ぶ、されてた。」と言っていた。……それは、どうなのだろうか。母親が自分の娘を『少女』などとよそよそしく呼ぶか?

…………。

そのことに気が付いた僕は、目の前の女性が急に得体のしれないもののように思えてきて、少し、怖くなってきてしまった……。

しかし、目の前の、今、最初の半分くらいの量になってしまったオレンジジュースが入った僕のグラスに、覚束ない手つきでオレンジジュースを注ぎ足そうとしている凛さんの姿を見ると、それはただの年上とは思えないかわいげのある少女の姿で、すぐにそんな感情は打ち消される。

しかし気になるのは確かだった。

「白君、だっけ?……白君はさ、どうやって千年と知り会う、したの?」

 やっとのことで僕のグラスにオレンジジュースを注ぎ足し終えた凛さんは、座りなおして僕に聞く。

「うーん」

 どう説明したものか……、と、説明の仕方について僕は思案したが、しかしここで口ごもると、実は知り合いじゃないんじゃないかと再び疑われると思ったので

「いろいろあって、僕が倒れていたところを青柳さんが助けてくれたんです。」

そう言ってお茶を濁すことにした。

「千年に助ける、されたの⁉」

僕がそう言うとそこで何故か凛さんはテーブルから身を乗り出し、目を輝かせて僕を見る。テーブルの上のグラスが倒れそうで怖い。

「え、ええ、まぁ」

「で、どうだった?嬉しい、だった?」

 …………なんだその質問は……。

「そうですね、嬉しいというか、申し訳なかったというか……」

僕は、こちらに身を乗り出している凛さんのコートがグラスに触れており今にも倒れそうだったのでそれをこっちに引き寄せながら、言う。

「うんうん、そうだよね。私も千年に助ける、された時はうれしい、だった!」

「…………?そうですか……。」

 凛さんが青柳さんに何を助ける、されたのか分からなかったが、まぁ家族として青柳さんと同じ家に住む者なら大なり小なり日常でいろんなことを助けられていることだろう……。そのことを言っているのかな?

「千年はいつもいろんな人を助ける、してる。」

「青柳さんって、…………何をしている人なんですか?」

 お仕事は……?と、僕は聞いた

「んー、それが娘として恥ずかしいことだけど、……それがよく分かる、しないんだよね……、時々知り合いに頼む、されて、近くの保育所で保母さんの手伝い、するみたいだけれど……。」

「保母……?」

 予想だにしない返答に、僕はそう言った後思わず唖然としてしまう。

 馬鹿な、青柳さんが保母さんだと……?僕はてっきりホステスか何かだと……

「何か私の母親に対して失礼なこと考える、してない?白君」

「まさか、失礼な事だなんてとんでもない」

 ホステスさんだって立派な仕事だ。

 …………それにしてもまさか保母さんだとは……。

 たくさんの子供たちと楽しそうに戯れるエプロン姿の青柳さんを僕は想像する……。

ぐはっ

何だそれ、いつものとのギャップの差が寝顔どころではないではないか……。あのベッドの中で僕に怒鳴り散らした、まるで視線の圧力だけで人を殺そうと試みているかのような青柳さんが、保母さんだと……?

ぼ、僕はどうしたらいい……?

僕も今すぐ保育士になって、青柳さんの勤めている保育所に就職するべきではないのか?青柳さんが保母さんとして働いている姿を見逃すのはあまりにも惜しい!

実際、青柳さんに会ってから今日までの一週間、青柳さんの保母さん姿を見逃しているのだと思うと急にそわそわしてきた、居ても立っても居られない。いや、この一週間に青柳さんが保母さんの手伝いをしたのだとは限らないのだけれど……。

「何か今度は変な事考える、してない?」

「まさか、変な事だなんてとんでもない」

これは死活問題だ

青柳さんが保母さんの仕事をしているというのに、その姿を見れないで生きるというのなら僕は死んでしまった方がいい。

まぁ、冗談だけどね?

僕はいつだって死んだ方がいい。

「…………。」

ぐいっと、結構な量があったけれど、僕は自分のグラスのオレンジジュースを一気に飲み干す。それを見て凛さんがここぞとばかりにオレンジジュースを僕の空になったグラスに注ごうとしたのだが、僕は自分の手の平でグラスの上に蓋をすることでそれを制した。

「あ、もういいです。僕そろそろお暇しますので。」

お暇、と言う単語を僕は今まで訪問先から退出するときに使ったことはなかったのだが、なんだか帰ろうと思ったときに頭にぽかんと浮かんだのでそれを口にした。

「『おいとま』って、何?ジュースもういる、しないってこと?」

……そうだ凛さんには聞きたいことが他にもあったんだった……、ある意味一番気になることが……。

「この家から僕が出ていく、という意味ですよ。」

「ふうん……。」

それはどうして、凛さんはこんなにも日本語が変、というか、喋り方が独特なのか、ということ。二十歳になって『根拠』や『証明』と言った言葉の意味を知らないというのも少しおかしなことだとも思う。

………小さいころに外国にでもいたのだろうか……。

 うん、まぁそんな感じなのかな、と、その事については凛さんに直接聞かずに勝手にそう思い込んでおくことにした。

 なぜ直接聞かないのかというと、ぶっちゃけ僕がもう帰りたかったからだ、時間は部屋の時計を見るともうすぐ日付が変わるような時間だった、青柳さんの娘だという凛さんが帰ってきたことで僕がこの場にい続ける必要もなくなった上に、時間ももう深夜になるし、僕は明日も一時限目から授業があるわけなので長居は無用だ。無用というより禁物だ。ただでさえ寝つきが悪いのにこのまま家に帰るのがどんどん遅くなってしまうと、また明日の朝寝坊してしまう。

 それになんだか聞きづらかった。もし凛さんにそのことについては言いづらい事情があるのだとしたら、と思えば、わざわざ聞くことでもないだろう。

 地雷があるかもしれないような道をわざわざ歩く僕ではない。

 トライ&エラーはごめんだ。

「では、お騒がせしました」と言って僕は腰を上げる。

「おさわが、がせ?わさがせ?」

「……。……別に対して騒いでもいないくせに、帰るときにへりくだってする挨拶ですよ。」

「へりく、くだ、くだって?」

ああ、いかん、なんだか深みに嵌ろうとしている。言葉のすべてを細かく説明するにしても、僕も僕で日本語が完璧にできているわけではないので限界がある。

 というか、さっきからなんで僕は、「お暇します」とか「お騒がせしました」とか人の家から出ていくときに普段使わないような言葉を使ってしまうんだ?いつもだったら「帰ります。」で済ませるところなのに。……礼儀正しい大人っぽいことを言って見栄を張ろうとしているのだろうか?

だとしたらなんで……。

凛さんを見る。いまだに首をひねりながら眉間にしわを寄せて難しい顔をしていた。

 ……………。

「またお会いしましょうね、と言いたいのですよ、僕は。」

僕は、言った

「え?へりくだ、はそう言う意味ってこと?」

「いや、違いますけれど……。もう二度とこの人に会いたくない、会わないぞ、って思っているならその人に対して帰り際へりくだる必要もないでしょうし……。」

「だから、へりくだ?」

「へりくだる」

「へりくだる……。」

「まぁ、何でもいいですよ。」

なんだかものすごく恥ずかしいことを自分が口走っているような気がしてきたので、そう言って僕は延々とループしそうなこの話を打ち切ることにした。

「僕の言うことなんて鵜呑みにしないでください。間違ったこと教えてるかもしれないんですから……。じゃあ、帰ります、さようなら。」

「あ、うん。千年のことありがとうね。」

「いえいえ」

「バイバイ」と言って凛さんは、胸の前で小さく手を振る。それは何とも可愛らしい動作のように見えた。僕も手を振り返そうかと迷ったが、さすがにそれは恥ずかしかったので代わりに軽く頭を下げてそれに応えることにした。……これはこれでちょっと堅苦しい感じになって変だったかもしれないが。

案の定「フフフ」と、そんな僕を見て凛さんは口に手を当てて笑っていた。



……これが僕と青柳凛の一度目の出会いであり、僕と青柳千年の一度目の再会であった。そしての青柳凛との二度目の出会いと、青柳千年との二度目の再会は案外早めに訪れる。例えばそう、明後日、とかに。

 その時二人に再会したことを、少しうれしい、と僕が思ってしまうのは内緒の話だ。

 そして明日を境に僕の今までの狂った日常は、ほんのちょっとだけ、本当にちょっとだけ、平凡でありきたりな日常へと変化する。


ここまで読んでいただき有難うございました!

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