凛1
密室トリック、というものがある。
僕はあまり謎解き小説を読まないから詳しいことは分からないが。頭のいい犯人が警察の捜査の手を混乱させるために用いたり、はたまたそれは意図せず偶然に成立してしまったものだったり、犯人が警察に捕まらないようにと被害者が瀕死の状態であえて仕組んだものだったり、結局は殺人事件ではなく自殺だったという裏の裏をかいたような小説を作り上げるために用いられる、あれだ。
それを今使うことができたらどんなに良いことか、と思う。
頭のいい犯人でありたかった。
もちろん、僕が思わず青柳さんを殺してしまっていて、警察の捜査を混乱させるためにそんなことがしたいわけではない。
青柳さんは今も存命だ。
以前僕が寝ていたベッドでぐーぐーと寝息を立てて眠っている。
じゃあどうして僕が密室を作りたいのかというと、青柳さんがこの部屋でこうして寝ている限り僕がこの部屋からでることができないからだ。
ここで僕がもし自分の家に帰ろうとしてこの家を出たとしよう、するとどうなるだろうか。
青柳さんはベッドで寝ている、爆睡だ。
僕がこの家から出ると、僕は鍵を持っていないから外から玄関の鍵をかけることができないし、青柳さんは寝ているから内側からも鍵をかけることができない。つまりこの家から僕が出て行ったあとこの部屋の玄関の鍵は開きっぱなしになるのだ。
だからどうしたと思う人もいるかもしれないが、心配性の僕はそのせいでこの家に泥棒が入ってきたり、青柳さんが寝こみを襲われたりしたらどうしよう、と心配しているのだ。万が一そんな事件が起きてしまえば、鍵もかけずに帰ってしまった僕の責任になってしまう。
だからどうにかして僕がこのアパートの部屋を出た時に、ここは密室であってほしいのだけれど、常人で平凡なる僕にそんなことできるはずもなく、ただカーペットの敷かれたテーブルのところにあぐらをかいて座っていた。青柳さんが視界に入る位置で。
この前とは逆だな、と僕は思う。
この前は僕があのベッドに寝ていて、青柳さんがここにこうして座っていた。
青柳さんががばりと身を起こし、「痛っ!」と声を上げ、頭の後ろに手を当てて再び「痛っ!」と声を上げる。それから「それでこのザマか」とつぶやき布団を殴る。寝ている青柳さんを見ながらそんな想像をした。
なるほど、これは恥ずかしい。なんて奇行だ。
相手の正気を疑う。
青柳さんはそんな僕を目にした後、僕に不思議なおまじないをかけてくれたんだっけ……、改めて青柳さんていい人だなと僕は思った。
「ぐー、ぐー」
部屋の中、青柳さんのいびきだけが聞こえる。
なんだか手持ち無沙汰だったので僕は音楽を聴くことにした、別に頭をからっぽにしたい時以外にも音楽は聞く。
音楽は好きなんだ
と、そこで
束ねた、というか異常なまでに絡まってしまったイヤホンのコードを僕がほどいていたら、この部屋の玄関の方から
ガチャリ
と僕がこの家に入ってきたときに閉めた鍵が開けられた音がした。
思わず心臓が止まりそうになる
そのくらいびっくりして音のした方を向く、そこには壁しかない。
幸い、何が幸いなのか分からないが、玄関の方へと向かうためのこの部屋の引き戸はしまった状態だ。
玄関の扉が「キィー」と音を立てて開く。
僕は思わずどこかに隠れそうになる。
それから人が入ってくる物音と「バタン」と扉の閉まる音。
「あれ?」と玄関の方から声がした、おそらく入ってきた人が見知らぬ靴が玄関に並べられていることに気づいて不審に思ったのだろう。
ここはもしかしたら青柳さんの部屋じゃないのではないだろうかと一瞬思ったが、青柳さんに渡されたか鍵でこの部屋に入ったのでそれはない、間違えるはずがない。分かってはいるのだけれどなんだか不安になってきた。
玄関へと続く引き戸の一部にすりガラスがはめ込まれていて、その向こうに人影が現れる。
もう間もなくガラッとその引き戸が右に開かれるだろう。
僕はとりあえず居住まいを正し冷静を装って、おそらくは青柳さんの同居人である引き戸の向こうの人に、自分のことをどのようにして伝えればよいのだろうかとそんなことを考えながら、引き戸の向こうの人が引き戸を開けて驚く顔をするのを待った。
ガラッと勢いよく引き戸が右にスライドされる、
そして会いまみえるその女性と僕
少しウェーブした長い黒髪の一部を後ろで束ねた、マフラーを首に巻いて、サイズの大きいように見えるコートを着た、女性。
少なくとも僕はこの女性に自分が驚かれるものと思っていた。
だが違った。
驚かれるというよりも、僕を見て悲鳴を上げられればそれはもう恐怖されたと表現した方がいいのではないだろうか……。そう、悲鳴。
一瞬驚いた顔こそすれど、そこから悲鳴を上げるのに二秒もかからなかった。
その女性は口に手を当てて「きゃぁぁぁあああぁぁぁっ!」と、それはもうガチの、女性の声の音域の高さはここまであるのかと思い知らされるような悲鳴を上げた。
ナイスリアクション!
僕は慌てて立ち上がり
「落ち着いてください!」と言って両手を前に出す。いや、悲鳴をあげられる意味が分からない。確かに知らない男が勝手に自分の部屋に先に上がり込んでいるのを見たら驚くだろうけれど、悲鳴を上げることはないだろう。自分で言ったことだけどナイスリアクションじゃなくてオーバーリアクションだ。
「僕は青柳さんと知り合いで…」「近づく、しないで!」
女性は僕の話なんて聞こうともせずそう言った。
はい。
「千年になにしたの⁉……千年……亡くなる、したの?」ベッドで寝ている青柳さんを見てそんなことを口にする女性。
「いや、そんなわけないじゃないですか。なんでそんなことになるんですか、千年さんはただ酔っぱらっていて」
「酔う……」
「そう、酔っぱらっていて…………路上に倒れていたのを見つけたから僕がこの家まで連れて帰ってきたんです。」
酔った青柳さんに出会ったことで、僕の貞操に危機が訪れたことを説明することは割愛させてもらった。
「確かに……、千年は酔っぱらうとよくそうなるって、千年の友達に聞く、したことがあるけれど……」
「でしょう」「近づく、しないで!」
はい。
僕は二歩ほど後ろに下がった。
「でも私、あなた知る、しない!」
どういう日本語だろうか……?と僕は思う。僕のことを知らない、ということだろうか。それとも僕の事情なんて知ったことではないということだろうか……。前者の方が会話の流れとしてしっくりくるような気がしたし、もし後者だとしたらこの状況が完全に詰むので、僕は前者の意味として受け取らせてもらった。
「最近知り合ったんですよ。」
「うそつき!あなたこの家が、に?を?……泥棒に入る、でしょう‼」
……さっきからこの女性日本語が少しおかしい、パニックになっているのだろうか……。幸いなんて言いたいのか理解することはできるのだけれど……。
「根拠がないですよ。」と僕は言った。
「……『こんきょ』……って、何?」
知らないのか……。
「あー、えっと、……どうしてあなたは僕が泥棒だと思ったのですか?ということです。」
かくいう僕も「根拠」という言葉の意味を即座にうまく説明できそうになかったので、僕の質問を丸ごと直接的なものにすることによってそれに替えた。
「あなたそんな目をしてる。」女性が言う。
「…………。」
「悪い人の目、泥棒じゃないなら、千年を、に、乱暴する人だよ!」
……人を見た目で判断してはいけないということと、人の悪口を言ってはいけないということをこの人は子供のころ教わらなかったのだろうか……。
この人の僕に対するこの物言いに僕はさすがにむっとした。
むっとして
「分かりました、じゃあ僕のこの目がなくなればあなたが僕を泥棒だと思う根拠はなくなるということですね。」と言った。
「え?」
そう聞き返してくる女性を無視して、僕は右手の人差し指と中指でチョキの形を作ってその指先を自分の顔に向ける。
「え?ちょっと待つ、して、何を、何をするの?」
僕のこの動きに困惑している風の女性
僕は、
「目を潰すんですよ」
と言った。
ここまで読んでいただき有難うございました!




