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プロローグ

ドラゴンも魔法も超能力者も超人も出てこない、いたって普通の人しか出てこない旅物語。

そろそろ始めないと、坊っちゃまがキレるかな?

 

「いい加減にしてくれよ!」


 ついにラキム坊っちゃまが切れた。

 ロバのデンが驚いて足踏みをする。首を撫でて落ち着かせながら、僕は成り行きを見守った。

「キレやすいヤツだな〜。短気は女にモテねぇぞ。」

 のんびりと大岩に座り、アリューは美味そうにタバコを一服つけた。煙は風に乗って青空に溶けて行く。小鳥のさえずり、谷を流れるせせらぎ。今日も良い天気だ。

 ゆっくりと流れる雲が一瞬光を(さえぎ)る。太陽は中天(ちゅうてん)。下男である僕としては昼飯を取るかどうか聞きたいけど…今言ったら怒られるよね。

「今日は山越えをしてマラボに泊まるっていったじゃないか。こんなに休んでばかりで、一体いつになったらアスンに着くんだよ!」

「仕方ねぇだろ。旅てぇのはトラブルが付きもんだ。旅も山歩きも不慣れなお前さん達と、俺みてぇな年寄りが無事なだけマシってもんだ。」

 ぐっと言葉に詰まり、坊っちゃまは黙る。自覚があるだけに言い返せない。でも、そこは負けず嫌い、話しの矛先を変える。

「じゃあ聞くが…その年寄りが何故、馬でこない。」

 実は僕もずっとそう思ってた。実は爺さん、『ハラバラ(大笑い)』というふざけた名前の馬を持っていたはずだ。牝馬(ひんば)と見れば、すぐに寄って行くエロ馬として有名なヤツを。

 なのに出発の際、爺さんはいつもの格好で現れた。何故か馬も連れていない。持っていた小ぶりな荷物をさっさとデンに乗せ、ここまでずっと歩きだ。

 まあ、日頃から山を歩き回っているせいか歳を感じさせない健脚ぶりで、今のところ旅に支障はない。

 爺さんは「今更かよ…」と呆れたように苦笑した。

 まあ、出発から三日も経ってこの質問じゃあね。

「そりゃあ、お前が乗ってる別嬪(べっぴん)さんのためじゃねぇか。」

 坊っちゃまの馬、ラルーンは美しい芦毛(あしげ)の牝馬だ。

「ラルーンはあんなバカ馬、相手にしないさ。」

 当然だと言わんばかりな坊っちゃま。爺さんは鼻で笑って、

「わかっちゃいねぇなぁ。これから繁殖期なのによ。ずっと一緒にいりゃあ、チャンスはいくらでもあらぁな。」

「残念だったな。僕と同じで彼女はプライドが高いんだ。」

「…まあ、虫や獣が恐いのとプライドは関係ねぇもんな。」

 爺さんがしれっという。思わず吹き出しそうになって僕は後ろを向いた。く、苦しい。

「ああ、もう!何なんだ!」

 一本取られて坊っちゃまは自慢の赤毛を掻きむしった。澄ました顔でアリューはもう一服して、煙の行方を眼で追っている。煙は先ほどとは違い、東に流れて山肌を登っていく。一瞬、強い風が吹き抜けた。さっきと違い、ちょっとひんやりした風が爺さんの白髪混じりの金髪を靡かせる。爺さんはちょっと顔を顰め、肩をすくめた。

「まあ、そう急くな。急がば回れってぇ、こともあるんだぜ。」

 爺さんの言う通りだと思う。早さじゃない。十分に時間はある。大事なのは、任された大役を果たして無事に帰ること。坊っちゃまにとっては、これが初めての「一人前(おとな)の旅」なんだから。



 事の起こりはひと月前。

 ラキム・デル・グラート坊っちゃまと下男の僕・ヨルーが村長に呼ばれたことに始まる。

 グラート家はタスコー村の名士で、代々村長をしている。お父上のバルデ様は最近お加減が悪く、(とこ)()せっておいでだ。その枕元に一人息子のラキム坊っちゃまを呼んでこう言った。

「ラキム、わしはお前に家督(かとく)を譲ろうと思う。」

 ショックのあまり声が出ないーのではなく、『またか』の沈黙。バルデ様はちょっと気弱になるとすぐ『家督を譲る』と言い出すので、最近相手にされていない。

「・・・早過ぎませんか?」

「お前も、もう20歳。次の村長として今から経験を重ねるべきだ。」

「でも、父さん。ただの風邪でしょ?」

「実はな、御領主様より花祭りに合わせて定例会の招集状が来てるんだ。」

 年に2回、御領主様から定例会という名の『宴会』の呼び出しがかかる。

 バルデ様は(おごそ)かに告げた。

「良い機会だ。お前が行って御領主様に代替(だいが)わりの報告をして来い。」

 途端に、満面の笑みでバンザイする。

「やった!都だ!アスンだ!どこ行こう!?」

「遊びに行くんじゃなーい!」

 怒りのためベッドから起き上がったものの目眩を起こして、すぐにベッドに沈没してしまわれた。

 気まずい沈黙。僕は枕元の桶の中の布を絞りバルデ様の額にあてる。こんなに突然に言い渡されるなんて坊っちゃまも予想外だったと思う。顔を伺うと無表情。これは動揺しているときの坊っちゃまの癖だ。

「…本気なんですか?」

「ああ、そうだ。」

「…本気なんですね。」

「何度も言わせるな。」

「…わかりました。アスンへ行ってきます。」

「うむ、頼んだぞ。定例会は二ヶ月先だが、早めに出て都をよく見て勉強してこい。その代わり同行者はお前とヨルーとアリューセンの三人だけな。」

「…アリューセン?…えーと、どなたです?僕、お会った事ありますか?」

 考え込む坊っちゃま。僕はふとある人を思い出した。

「……あのー、もしかして…山爺さん?アリュー爺さん?!」

「ええ〜〜〜っ!!」

 心底びっくりした。よりによって何故あの爺さん!?

 アリューセン・デオ・トルラダは65歳。通称:山爺さん。村一番の変わり者で村外れに一人で住んでいる。あの年代の人特有の長髪で白髪混じりの金髪を背に流して、近隣の山々を彷徨(うろつ)いている。珍しい薬草や小動物、木の実やキノコを取ってきては、市で売ったりしてはいるが猟師ーというわけではない。ただ歩き回っている。生来の土地の者でないため兵隊崩れだとか、都で食い潰した山師だとか、噂話でささやかれているが定かではない。

 当初は、猟師でもないのにいつも山にいるので村人に気味悪がられていたが、山で迷子になった子どもを連れ帰ったり、病人のために希少な薬草を採って来たりするので、いつの間にか「山爺さん」と呼ばれるようになった。身の丈ほどもある杖をいつも持ち歩いていて、「悪戯小僧の尻を叩くのに丁度良い」とうそぶいているもんだから、子ども達の好敵手である。僕も坊っちゃまと一緒に悪戯(いたずら)仕掛(しか)けては返り討ちにあって、何度も尻を叩かれた。


「え、てか、あんな爺さん、いりませんよ。僕とヨルーだけで十分です。」

 自信満々にふんぞり返るのをみて、バルデ様はやれやれと首を振る。

「…お前、馬車でしか旅したことないだろう。今回は()だぞ。」

 坊っちゃまの眉がピクリと跳ねた。

「野宿もした事ないよな。ヨルーに至ってはこの村を出た事もない。そんなお前らだけで行ったら、すぐに山賊に捕まって身ぐるみ剥がされるのが落ちだ。」

 膨れっ面(ふくれっつら)の坊っちゃまに言い含めるように真面目な顔でバルデ様は言った。

「あいつは役に立つ。アスンにも詳しい。一緒に行けば、色々な事を教えてくれるさ。」

 坊っちゃまの肩を叩きながら「色々と・な。」意味深に繰り返す。

 何故爺さんなのかはわからないまま、僕らの旅がこうして決まった。


「いい事も悪い事も経験して、役目を果たして無事に帰る。それが一番の目的だぞ。」


 出発前夜、僕ひとりを呼んでバルデ様がそうおっしゃった。

「ラキムもお前も世間知らずだってことを肝に銘じておくことだ。ラキム(あいつ)とアリューがぶつかった時は……多分、多分…アリューの方が正しい…かもしれない。二人の仲立ちをするのは、お前には…まあ無理だろう。やらんでいい。ただしアリューの言うこと、やることをよく見ておくのだぞ。()()()()()()()()()()()()()わかったな。」

「はい、旦那様。」


 僕も生まれて初めての「村から出る旅」だ。

 正直、心躍る。この旅で、坊っちゃまに振り回されないしっかりした自分になりたいと思っている。道は遠いけど、三人で何とか乗り越えて都アスンに辿り着きたい。

 不安と希望に胸を膨らませて、僕らは村を後にした。

 まあ、坊っちゃまの焦る気持ちも無理はない。故郷タスコーを出て早3日。都アスンまで片道5日のはずが、まだ行程の3分の1も来ていないのだから。

 一日目は予定の宿場の宿に泊まったが、気が大きくなった坊っちゃまがお酒を飲み過ぎて(つぶ)れ、僕は一晩中ベッドの(のみ)と格闘して眠れなかった。

 当然、翌日は二日酔いの坊っちゃまは起きられない。それをいいことに、アリューは坊っちゃまが特注で作らせた簡易ベッドと蚊屋を勝手に売り払ってしまった。

 止めなかったのは「このままじゃ、都に着く前にデンが潰れるぞ。それでもいいのか?」と詰め寄られたからだ。僕も重量オーバーだと感じていたし、大事なデンを潰す訳にはいかない。

 でも、坊っちゃまにどう言い訳したものか。アリューに相談したところ、野宿にならないようにすると約束してくれた。ところがだ。午後に正気付いた坊っちゃまが出発すると言い出して、やっぱり途中で野宿をするハメになった。

 案の定、わかった当初は怒り狂った。ただバレる直前に、ちょっとした事件があって、僕と爺さんは責めを追わずに済んだ。僕らが野営の準備をしている隙に、こそ泥が荷物番の坊っちゃまを昏倒させて盗みを働いたんだ。爺さんは簡易ベッドもそいつに盗まれたことにして、知らん顔だ。ちょっと後ろめたいけど、正直ホッとした。

 ただ、虫が大嫌いな上にビビリな坊っちゃまは、やれ羽音がするだの、やれ動物が近くで吠えてるだのと大騒ぎ。そのたびに起こされるので、僕はまたまた寝不足になった。

 アリューはといえば、周りで蚊が飛ぼうが獣が吠えようが大いびきをかいて眠っていた。さすが神経が図太い。

 その一方で、歳に似合わぬ健脚を発揮し、道すがら食べられる木の実や薬草を摘んできたり、先行してクマの足跡を見つけては迂回(うかい)を指示したりと無駄がない。

 僕はバルデ様が正しかったことを実感した。坊っちゃまもそう感じていると思うけど、顔には出さない。子どもの頃はただただ憎たらしい爺さんだったけど、今は違う。爺さんみたいになりたいと思う。

 これから先、坊っちゃまの役に立てるように…。




 ーで、今に至る。

 山の東側の斜面を回り、中腹にある大きな洞窟で一休みするつもりで荷を降ろしたのが昼前。

 次の宿場マラボ村までは半日の距離だ。ここからでも(ふもと)の家々が(かすか)かに見える。

 それなのに、アリューが今日はもうここで野営をしようと言い出した。今日中に山を越えて宿場のベッドで寝たかった坊っちゃまは御冠(おかんむり)だ。

「そう()くなって。心配しなくても花祭りまでには着くからよ。ヨルー、水はまだあるだろう?飯にしようや。」

 アリューはよっこらせと立ち上がり、どうしたものかとオロオロする僕を、手綱を持ったままのデンごと洞窟の方へ押しやった。

 よろけながら入口に立つと、涼しい風が奥から吹いてきて汗ばんだ身体をすり抜けていく。ああ、気持ちいい。

「ヨルー!そいつに従うな!」

「はい、坊っちゃま…」

 頭から湯気を出さんばかりの坊っちゃまの側に戻ろうと洞窟を出て、初めて気がついた。

 ー異様な蒸し暑さ。さっき風が涼しく感じたのは、湿気っていたからだ。空を見上げると先ほどより雲が増え、風も出てきてた。微かに遠雷も聞こえる。

「いいえ、今日はここに泊まりましょう。一雨(ひとあめ)きそうです。」

「へ?」

 キョトンとした坊っちゃまの手から馬の手綱を取り、洞窟の中へと引いて行く。

(まだまだ、だな。)

 アリューが動かなかったのは、雨の気配を感じたからだ。彼は山道や天候にもくわしい。風を読み、雲の流れを見ることで危険を回避する。

 洞窟は旅人の避難所らしく、雨の降り込まないあたりに焚き火や竈の後が幾つかあった。奥の方には馬を繋ぐのに良さそうな大きな石もあったので、そこにラルーンとデンを繋ぐ。

 入口に戻ると、坊っちゃまは広がる雲を不安そうに見つめていた。

「中へ入っていて下さい。」

「…どこへ行く?」

「焚き付けを拾いに。アリューさまは?」問いかけたとき、後ろから声がした。

「拾ってきたぜ。こんだけあれば十分だろ。」

 一抱え分の枯れ枝を持ったままアリューが洞窟に入って行く。この短時間であの量!僕も負けじと枯れ葉を周囲から集める。坊っちゃまはーと見れば、大分暗くなった空を見つめながら、まだ同じところに立っていた。何かぼんやりしている。

「坊っちゃま、中へ入りましょう。」

 と、声を掛けるのと同時に雷鳴が轟いた。

「キャー!」耳を押さえてその場に(うずくま)ってしまう。まずい!

 焚付けを放り出し、お坊っちゃまを抱きかかえるように洞窟へ入った。

「何だ、雷が怖いか?」

 焚き火の準備をしていたアリューが笑いながら振り返る。が、坊っちゃまの尋常ではない様子に表情を引き締め、奥へ運ぶ手助けをしてくれた。荷物から急いで毛布を取り出し、真っ青な顔でガタガタと震える坊っちゃまに掛けて、上から抱きしめて背中を摩って落ち着かせる。

 その間に雨が滝のように降り出した。雨は激しく、互いの声さえも聞こえない。雷鳴が轟くたび、ビクリと跳ね上がる毛布を抱きしめた。そして、いつものように子守唄を歌った。坊っちゃまの乳母であった母さんがいつも歌っていた子守唄を繰り返し、繰り返し…


 どのくらいそうしていただろう。いつの間にか寝ていたらしい。気がつくと雷は去って雨も小降りになっていた。毛布を(まく)ってみると坊っちゃまも寝息を立てている。何とかやり過ごせた。

「起きたか?」

 振り返るとアリューが焚き火の側に座っていた。横に置かれた鍋から良い香りが漂って来る。

「はい。」

 グ〜とお腹も一緒に返事をするので顔から火が出た。

「いい返事だ。」

 ニヤリと笑って「味は勘弁な」と言いながら鍋の中身を椀によそってくれた。

 外はもう真っ暗で、雨は止む気配がない。こんな夜に焚き火の側で温かい食事が出来るのは本当にありがたい。あのまま山越えをしていたらと思うと…考えただけでぞっとする。

「あの、…何から何までしていただいて、ありがとうございました。助かりました。」

 眉を上げて、苦笑するだけで返事はない。回りは雨音と、時折()ぜる焚き火の音だけ。乾物や干し肉、ハーブの入ったスープを口に運ぶ。じんわりと広がる温もり。目を閉じて味わった。美味しい。

 坊っちゃまが雷を怖がるのには理由がある。バルデ様が僕をお供にしたのも、こんな事態を想定しての事だろう。未来の村長の弱点を知る人間は少ない方がいい。

「…あの歌は、お袋さんが教えてくれたのかい?」

 アリューの声に我に帰る。

「あ、はい。」

 空にしていた椀をアリューが取ってもう一杯よそってくれた。

「良い声だな。」

「え?」

 そんなこと、言われたのは初めてだ。顔が火照る。

「か、からかわないでください。バルデ様に『お前は音痴だから歌うな』って言われてるんです。」

「ハハハ…あいつこそ音痴だろうに。…そうか、ふうん、あいつがね〜。」

感心したように顎を撫でなる。そして、いつになく真っ直ぐに僕を見た。

「お前、歌うのは好きか?」

何気無く聞いてるようだけど、爺さんの眼は笑っていなかった。だから、僕も照れ笑いでごまかすのを止めて、正直に答える。

「はい。」

うん、そうか。と頷いて爺さんは笑った。嬉しそうに、それでいて泣き笑いみたいな笑顔だった。どんな想いが込められているのか僕には判らなかったけど、後々その意味を知ることになる。

「お前の声はエマン譲りだな。」

僕はちょっと驚く。爺さんが母さんを知っているとは思わなかったからだ。母さんは僕が8つの時に亡くなっていて、爺さんが村に来たのはずっと後だ。

「アリュー様、母さんと知り合いだったのですか?」

「…ああ。お前の親父もな。…俺の部下だった。」

父さんを知ってるなんて!亡くなった時まだ5つだった僕は、もう朧げにしか憶えていない。記憶にあるのは、、とにかく明るかったことと、大きな背中。そして大好きだったこと…

「…父さんて、どんな人でした?」

爺さんは記憶を探るように僕を見つめて、

「呑気なところはぺレンにそっくりだな。」

ニヤリと笑う。

「兵士にゃ向いてなかったが、手先が器用でな、よく頼まれて色々なモンを作ってたなぁ。」

先輩に細工物を作っては取り上げられて、金儲けの片棒を担がされていたらしい。それでも笑っていたという。楽しそうに昔話をする爺さんを見て、爺さんにも僕らの知らない過去があることを、今更のように思った。

そんな様子を見ながら、ずっと思っていた事を口にしてみた。

「…アリューさまは旦那様と親しいんですね。」

「おい、その「様」付けは勘弁してくれよ。背中がムズムズする!」

 背中を痒そうにする爺さんに思わず吹き出す。正直僕も言いづらかった。大人ぶって我慢してたけどね。

「どうしてそう思う?」

 村ではアリューを滅多に見掛けない。市場が立つ日や旦那様に呼ばれて御館(おやかた)に来るときぐらいだ。御館に来ても親しく談笑するのではなく、その様子はまるで陰険漫才のように嫌みの応酬で終始するものだから、てっきり仲が悪いのかと思っていた。でも、この旅で気付いたことがある。僕は考え考え言葉にしてみる。

「…バルデ様は坊っちゃまを爺さんに預けたし、爺さんも雷を怖がる坊っちゃまを笑わなかったから…。」

 旅は僕が思った以上に危険と隣り合わせだった。信頼の置ける者にしか息子は(たく)せない。当然、雷の事も。旦那様と爺さんには強い絆があるように感じた。

 爺さんは「なかなかどうして…よく見てるじゃないか」と呟きながら感慨深気に笑った。

「あいつとはな…腐れ縁ってとこさ。昔、一緒の部隊にいてな。…軍を辞める時も身元引き受け人になってもらったのさ。」

 身寄りのない軍人は退役後、都に留まるのが普通だ。田舎は閉鎖的でよそ者を嫌う。婚姻を結ばない限り、身元引き受け人がいなければ地方に住むのは難しい。軍人は気性が荒く、トラブルを起こしやすいからだ。

「今日はもう寝ろ。俺が火の番するから。」

「…でも」

「年寄りに任せられないってか?心配すんな。後で替わってもらうからよ。」

 お言葉に甘えて先に寝かせてもらう。実はもう、眠くてしょうがない。

 お腹も脹れ身体も温まり、僕はあっという間に眠りに落ちた。




「良い身分だな!」

 その声にとハッと眼を開ける。

 坊っちゃまが不機嫌丸出しで立っていた。

「す、すみません!」

 まずい!寝過ごした!飛び起きて外をみると、まだ雨が降り続いていて薄暗い。

「腹が減った。何か喰わせろ。」

「はい、ただいま。」

 焚き火に枯れ枝を足して火を起こす。僕らは夕飯を食べたけど、坊っちゃまは食べ損ねて昨日の朝しか食べてない。少し多めに作っていっぱい食べていただこう。材料を荷から出していると、爺さんの声が止めた。

「ヨルー、メシは切り詰めておけよ。」

 雨用マントを着た爺さんが入口に立っていた。様子を見に外へ出ていたらしい。

「ちょいとまずい事になった。マラボで土砂崩れだ。」

「え…!」

 僕も坊っちゃまも言葉が出ない。脱いだマントの雨水を払いながら、アリューの話しは続く。

「今のところ人家に被害はない。だが、納屋が潰されたり畑に土砂が流れ込んだりしている。このまま雨が続けば村自体が危ねぇかもな。まあ、道が埋まる前に通るとしようや。」

 街道にあるとはいえ、マラボ村は小さな宿場だ。アリューの話しでは左右から迫る山で耕地は少なく、村を貫いて流れる川との間で細々と暮らしている。ここらの山はすべて岩山で木々の根の張りは弱い。そのためにちょっとした雨でも地滑りが起きるのだそうだ。

「気になるのは水嵩かな。ちょいと上がってきてる。」

 山と同様、川底も岩で浅い。川底を(えぐ)ることなく流れ、水は勢いを増す。

「村の人に知らせなきゃ!助けなきゃ!」

 坊っちゃまの声にアリューは眉をひそめた。

「知らせるってェ…?」

「え…そ、そりゃあ、その…」

 言い(よど)む坊っちゃま。ここには3人しかいない。…やっぱり僕かなあ。

「避難しろって?どこに?誰が知らせに行く?俺か?ヨルーか?それともお前か?」

 矢継ぎ早に言い、坊っちゃまを追い詰める。真っ赤になりながら、それでも言い返そうと(しばら)く考えて、

「僕が行く!」

 アリューは意地の悪い笑みを浮かべて言った。

「お前の旅の目的はなんだ?」

「……わかってる。でも、」

「お前に何かあったらヨルーはどうなる?」

「それは…」

「大事な跡取りに何かあったら、あのバルデでも許さないと思うぜ。」

「あの、僕行きますから」

 思わず言ってしまった。そりゃあ、身分からいったら僕だよね。次にアリュー。でもアリューは年だから。この雨降りの中、崩れやすい斜面を歩いて避難を呼びかけるなんて…出来るかわからない。でも、黙って見過ごせない気持ちは僕も一緒、だから行く。

「ダメだ!危険だぞ!僕が行く!」

「いいえ、僕が行きます。爺さん、村人が避難出来そうな洞窟とかは近くにありますか?」

「僕が行くったら!お前は引っ込んでろ!」


 そこでアリューが爆笑した。一瞬何が起こったかわからず、呆然とする。

「な、何が可笑しい!」

 最初に正気づいたのは坊っちゃま。それでも腹を抱えて笑い続けるアリュー。意味がわからない。

「…本っ当に、お坊っちゃまなんだなぁ〜。いや〜、引っかかった、引っかかった!」

 え〜〜〜、何それ〜〜!思わず洞窟を飛び出す。その時になってやっと気付いた。

 明るくなっている!しかも雨も上がりそうだ。マラボ村の方を見ると…変わらないように見えた。水嵩もまだ溢れるほどではない。…思わず安堵のため息が出た。

「…良かったぁ。」

 突然、坊っちゃまは烈火(れっか)のごとく怒り出した。

「畜生!(だま)しやがったな、クソ爺!てめぇ何考えてんだよ!」

 爺さんの胸ぐらに(つか)み掛かる。確かに、あんな嘘は良くない。悪趣味だ。

 でも、次の瞬間悲鳴を上げたのは坊っちゃまだった。

「いででで!いてぇな!離せよ!」

「嫌だねえ〜、無責任な正義感!世間知らずのお坊っちゃまらしいや。」

 ニヤニヤ笑いながら爺さんは、坊っちゃまの手首をねじ上げている。

「だがな、いつまでもお坊っちゃまじゃあ、村は困るんだよ。」

 坊っちゃまの顔が凍りつく。

「人の話しだけで、確かめもしねぇから騙されるのさ。」

 涼しい顔で(うそぶ)いて、手首を離した。

「まあ、土砂崩れは嘘じゃねえよ。村に取っちゃ屁でもねぇ被害だ。マラボの住人は慣れっこだからな、さっさと避難してるさ。元々()()()()()()()()()()()()()()しな。だがな、村では泊まりも補給も出来ねェ。かえって()()も当分入ってこねぇから、ちょいと厄介になったな。」

 色々な衝撃を受けて放心状態の僕らをよそに、爺さんはさっさと次の行動に移っている。

「さ、飯喰ってさっさと()つぞ。ヨルー、水を汲んでおけ。ラキム、馬達に飼い葉を。おら、急げ!」

 思わず従ってしまう。さすが軍隊仕込みというべきか。爺さん案外、偉い人だったのかもしれない。

 簡単な朝飯を済ませて出発準備を整えた頃、薄陽(うすび)が射してきた。坊っちゃまはあれからずっと黙っている。

 アリューの言葉は胸に刺さった。人を助けるのは当然だと思っていたけど、坊っちゃまの言葉で自分が当事者になったとき、僕は正直理不尽だと思った。と、同時に「命令だから仕方ない」とも思った。

 坊っちゃまも自分の無責任な発言で、僕や爺さんを危険な目に合わせてしまうことに気付いたに違いない。だから自分で行くって無茶を言い出した。ーでもそれは正しい判断とは言えない。自分の本分を、責任を放棄することになりかねないから。

 坊っちゃまの重い沈黙を他所(よそ)に上機嫌のアリューは出発を告げる。

「いいか、この谷を抜けるまでヨルーが先頭だ。二人とも最初は歩きで、村の手前になってから騎乗だ。俺は殿(しんがり)を勤める。村で誰に話しかけられても立ち止まらずに黙って進め。」

 何か隊長っぽくなってきたアリューが最後尾へ付く。え?徒歩の爺さんが最後尾?不安になって声お上げた。

「ちょっと待って。それじゃあ、爺さんが危ないんじゃ…」

「だーいじょぶだって。ほら、前に行きな。」ニカっと笑って僕を前に押し出した。

 何か考えがあるのかもしれない。自分にそう言い聞かせて手綱を握り直して進む。


 林を抜ける手前で騎乗を指示された。

「気を抜くなよ。あの村は追い剥ぎが本業だからな。」

「え?」

 ギョッとして思わず爺さんを振り返る。追い剥ぎ!?さっき言った獲物…て、旅人のこと?「ちょいと厄介」どころではない。顔が強ばってきた。

「おい、ヨルーよ。」

「は、はい?」

「歌でも歌って行けや」

「はぁ?」

「何でもいい。ロバに乗ったら流行歌(はやりうた)でも、民謡でも、あの子守唄でもいいから歌え。身体が固くなるといざという時動けねぇからな。」

 そんなこといわれると、ますます固くなる〜。

「…<アマドの娘>がいいんじゃないか?」

 ぼそっと坊っちゃま。ええ〜!坊っちゃま知ってたの!?

 先日、村に来た吟遊詩人が歌っていた<アマドの娘>。すごく気に入って、納屋の裏に隠れてこっそり歌っていた。

 恥ずかしいけど…でも、あれなら歌える。

 僕は腹を決め、ちょっと咳払いをする。そして、大きく息を吸った。

 <つづく>





















 

さて、無事にマラボ村を通過出来るかな。

次回の語り部はヨルーからラキム坊っちゃまにバトンタッチ。

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