恋する魔女の世界の扉
ロンロはシヴィーこの町に到着した際にチェックインしたホテルに立ち寄ってもらい、下着と上着を着替え荷物を整理してすぐに飛び出してきた。三食付きで結構立派な部屋を一週間程滞在する料金を前払いしていたので昨日帰らなかったのは少しだけ、ちょっとだけだがもったい気持ちもあった。まぁリッターフラン対魔学研究所から出た出張費からである。今や自分の職場に不信感しかないロンロも「ま、いっか。」で済ませて再び死体運びの荷台馬車に飛びのってハルバレラの屋敷を目指して出発する。
大分この街の中心部までやってきた。
途中でハルバレラの死体を更に五体程回収。合計六体の死体と一緒に荷台の中で街中を揺られ進んでいる。街の外れにある死体処理場とその周辺と違い沢山の街で生活する人々を目にする様になった。途中すれ違う人々にヒソヒソと指を指されたり、訝しい目つきで見られたり、何かと人の視線が気になるがこれもシヴィーの仕事である。今まで11日間この業務に耐え続けてきていたシヴィーをロンロは少し尊敬したりもした。やっぱり、大変な仕事である。
それにしても死体が落下してそれを回収するシチュエーションは人も建物等の人工物が多い街中では様々である。水路に落ちたのを引きずり上げたり、庭木に突き刺さったのを引き抜いたり、6階立てのビルの屋上でバラバラになっているのを回収したり、幼稚園の近所に落ちたのを子供達にぎゃーぎゃー言われながら回収したり。シヴィーの仕事っぷりにロンロは頭が下がった。
ビルの屋上の奴は悲惨であった。
落下地点に丁度その屋上に設置してある給水塔があったのだ。真正面からそれに落下してぶち当たった魔女ハルバレラの死体はまるで爆発した様に見事に飛散。足の片方等は屋上から敷地内の庭に落ちていったのでロンロが探して回収した。
「なんか、屋上の奴ですけど。臓物とか中身がまだ飛び散ってましたけど、どしましょ…。」
「知らん。8割方回収してやったんだ。内蔵だの飛び出した片目だのは全部片付けてたらキリがない。残りは自分らでやってもらう。」
「ま、それもそうですね。まだ一日の回収平均数の半分も落ちてませんしね。」
「そういうことだ。」
喋りながらも手を動かしていたシヴィーはハルバレラの死体を荷台に放り込んでいた。
11日経ったとは言え死体が転がる風景に、死体が空から振ってくる日常に街の人間がそう簡単に慣れる筈も無いのである。シヴィーは、そして死体処理場に残ったシュングとサグンの二人も。彼らは今日も人が到底やりたがらない仕事をしてこの街を衛生面でも精神面でも守っている。彼らは正しく、そして文字通り強い警察員である。
ロンロが一夜を過ごし、シヴィー達三人の現在の本拠地である死体処理場から馬が引く荷台に揺られる事一時間程度でハルバレラの屋敷が見えてきた。本来はこの半分程度の時間で十分到着出来ていたのだが。途中ホテルに寄ったり、はたまた死体を回収したりでずいぶん時間がかかってしまった。
「流石若き成功者、天才魔女『ロル』。ハルバレラ・ロル・ハレラリア…!屋敷、凄い大きい!」
「今日で11日目か。その前まではこの街一番の出世頭だったもんだが。」
屋敷を目の前にロンロが圧倒される。
大きな門構えに何処かのホールかイベント施設かと思う程の大きさ。
3階立ての大きな建物には沢山の窓がある。部屋ももちろん沢山あるのだろう。
庭も芝生と花々が綺麗に整えられている、いかにも大資産家といういでたちに庶民のロンロは圧倒された。
ハルバレラ死亡事故現場の保全の為であろう、大きな門の両サイドには門番の様にこの街の王国警察員の男性が二名配備されていた。王国警察員の制服はシヴィーと同じ物、ハレラリア家が雇っているセキュリティでは無い様子。
「よう。」
シヴィーが馬を屋敷側に止めて降り、左側の男性に話しかける。
敬礼もせず気楽に声をかけた所によると知り合いらしい。
「あんたシヴィーさんじゃないか。こんな所にどうしたんだ?」
門番の一人、少し小太りの男性がシヴィーに反応して返答してきた。
「二日前に連絡あったんだが聴いてるか?首都から専門機関の応援が来るっての。」
「ああ聞いてるよ。その後ろのお嬢さんがもしかしてそうかい?」
小太りの警察員はシヴィーの体から顔を覗かせてロンロを確認した。
「そうだ。小さいが頭は確かに回る。現場に入りたいんだが可能か?やはり上に許可がいるもんか。」
「応援っつても一人かい?ははっ、こりゃしばらく魔女の雨は止まらんのだろうかね?」
少し諦めが入ったように小太りの警察員は諦めの笑みを返す。
「それは判らん。それを調べる為にこの最初の事故現場に入って調べてみたいんだがな。」
「専門機関からの人員なんだろ、入りなよ。ただこの屋敷は幽霊が出たとか、なんらかの魔障事故が起きたとか色々聞いたから安全の保障は出来んよ。前に首都から来た本部の調査団連中も屋敷に入った後でゲッソリしてたもんさ。」
小太りの男からはあっさりと許可が下りた。
「上の許可無しに入れるのか!?」
シヴィーが少し驚いたように小太りの男に返す。
「ここはもうハレラリア家の物じゃない。なんでも魔女の父親が手放したのをこの街が買い取ったそうでね。事件が落ち着いたら何かしらするんじゃないかな。」
屋敷の方を振り返りながら小太りの男が説明をする。
「何の為に街がこの屋敷を買い取った?」
「さぁね、バカでかい屋敷だから色々出来るだろうて。改修して芝居劇場にしても十分耐えられそうなデカさだよ。」
「あ、あのっ!!」
ロンロがピョンと跳ねながらシヴィーの後ろから出てきた。
「リッターフラン対魔学研究所から昨日付けで派遣されてきたロンロ・フロンコです!どうも!…それでハルバレラの屋敷には入れるんですね!?」
「はいはい、入れますよ。元より事件現場の保全と、後はもしもの危険性があるから立ち入り禁止にしている訳で今やここは街の管轄地の一つ。専門家の先生なら問題無いでしょう。ただし大規模なエーテル事故に今のこの街の惨状との関連性もあると思うし、安全の保障はしないよ。」
「あ、ありがとうございますっ!!安全性は大丈夫です多分!私も一応プロですし!」
ロンロは小さな体を思いっきり折り曲げてお礼をする。
「ははは、がんばってくれよな。危なくなったらすぐ出ておいで。」
笑顔で小太りの男は再び入門許可をくれた。
「ロンロ。」
シヴィーが小さく手招きをする。ロンロはそれに近寄る。
そして彼女に顔をくっつける程に近づけて小声で話しかけてくる。
(どう思う…何故この街はこの屋敷を買い取った。)
(えと、あの…その、わ、私の予想ですけど、多分この街の為政者側は既に王国警察本部とリッターフラン研究所からの報告を受けているかと。)
(どういう事だ。)
(この大地のエーテルが吸われ有機物も枯れ果てて、この街の産業はこのままでは死に絶えます。それを見越しているんだと思います。)
(つまり…この街の大地が死んだ後はこの屋敷を将来的には観光資源にしようってのか…?)
(あくまで私の予想ですけど。この街にかつて起きた不思議な事件の悲劇の証拠として残すつもりなのでしょう。)
(チッ、現状打つ手が無いと判って将来的に観光業で飯を食う算段を立てたか…。)
「どうしたんだい?」
門番をしている王国警察員の小太りの男性がコソコソ話している二人に疑問の声をかけてきた。
「ん…?地方自治のあり方について少しな。」
ロンロから顔を離して元の姿勢に戻ったシヴィーが珍しく少しふざけた台詞を吐く。
「ええまぁ少し、ハハハハ。」
ロンロも顔を真っ赤にして愛想笑いで返した。
それにしてもロンロ・フロンコ16歳。
今まで勉強と研究に明け暮れて飛び級で卒業して就職した先も研究職。
異性との極端な接触をほとんど経験して無かった彼女は、シヴィーと顔をくっつけた時に少しだけドキドキしてしまった。別にシヴィーを異性として特別意識して見てた訳では無いのだが、色々この辺りには年相応に、いや少し同年代と比べても少し劣る程耐性が無かった。
(まぁその…確か年齢を昨夜の食事の時に聞いた時は38って答えてたし…。そこまで年上に興味無いし…。大体別に出会って二日でそこまで意識する必要無いだろうし!職場にも同僚で歳の近い男の人とは普通に話しているし…そのあの…確かにまぁ自分にそういう経験無いけど…)
ブツブツと心の中で言い訳していると「どうした。おい!」とシヴィーの声が聞こえてきてようやく彼女は我に返った。
「あっ!はいっ!すいません!ちょっと考え事を!」
ロンロが慌てて反応する。
「本拠地の前だからまぁ色々あるだろうが…。あとスマンが屋敷の中には一人で入ってくれ。」
この人は鈍感な上に人付き合いがそこまで上手くないので目の前の少女の機微に全く気づいていない。そういう人である。伊達にマジメで安定した定職である王国警察員についていながら38歳にもなって独身をやっていない。
「わ、わかりました…!」
「怪しげな場所だし一緒にいってやりたかったんだがな、そろそろ限界だ。」
屋敷の前に止めてあった「死体運びの荷台馬車」の周りに付近の住民が距離を置きつつも集まりつつある。この辺りはハルバレラの屋敷は特に別格にしても街の中では高級住宅地に当たる。いくら死体が降り注ぐ街であってもそれが纏めて置いてある様な状況は不釣合いも良い所であった。シヴィーやロンロに向かって付近住人の「早く死体の山をどっかにやってくれ!」というメッセージが込められた視線が容赦なく突き刺さっているのにようやくロンロも気づいた。
「俺は街を回って死体を集める。何かあれば門前の警察員に行って無線を貸してもらえ。じゃあな、がんばれよ。危なかったらすぐに出て来い。」
「はい。この目でハルバレラのやろうとした事を見てきます。まだ最初の調査隊の後追いですけどね。さっきの門番の警察員さんが言うにはここに来たようですし。」
「気にするな。お前にしか気づけない事がある筈だ、多分な。俺にはそんな気がする。」
シヴィーはそう言うと馬に跨り、辺りを囲んでいた人垣を掻き分けて去っていった。
ロンロはその姿が見えなくなるまで見送った。
彼はまた死体集めの仕事に戻る。さっきまで同行してそれが決して楽な仕事では無いというのは判っている。シヴィーは頑張っている。きっと死体処理場にいる二人も。
「…よしっ!」
自分も!と気合を入れて門の前に立ち、鉄格子の立派な門に手をかけて体重をかけ…ても少しもびくともしなかったのでさっきの小太りの警察員に手伝ってもらい一緒に門を押して貰った。気合が空回りした。
「うーん…豪邸って凄いなぁ。何から何までスケールが大きい…。」
所得の差を痛烈に体と心で感じたロンロであった。
「それと入り口は鍵が閉まっているからそこまで同行するよ。俺が管理しているからね。」
制服の胸ポケットから鍵を取り出して小太りの警察員は顔の前でジャラジャラ揺らして見せた。
沢山の鍵がある。裏口や使用人入り口、正面門や裏門等。この大きく広い屋敷にはそれだけ戸締りする場所が多かった。
門番の警察員の後をロンロは付いていく。門から入り口のドアまで遠い。
さっきシヴィーと前方の小太りの警察員の会話で出てきた「芝居劇場にしても十分耐えられる」が問題なく信じられるほどの大きさである。何台もの馬車を停める立派な駐車場が敷地内に難なく作れるだろう。立派なツルバラが何本も植えられており白色の綺麗な金属製のアーチの様な物にツルを絡ませている。春になれば色とりどりのバラがこの庭を更に豪華に彩る事であろう。最もこの今の死体が降り注ぐ怪事件が続くようであればこの庭も地面のエーテルと有機栄養素を抜かれてバラも枯れていくだけだろうが。
玄関の前まで来る。立派な木製の扉は呆れるほどデカい。
「それじゃ開錠するよ。よっしっと!」警察員の男が気合を入れて鍵を差込んで、回した。立派な扉だけあって鍵も堅牢に作られている様で開錠も一苦労である。堂々と正面から入らずも別に裏口や使用人入り口から入ってもよかったかもしれない。
「よし開いた。バカでかいから鍵を開けるのも一苦労だ。」
額に少し汗を浮かべている。
「ありがとうございました。ここからは一人で行きます。」
「ああ気をつけて。まぁ調査員の連中も後片付けしに来た使用人にも怪我人や死人は出てないから。出てたら流石に通せ無かったろうなぁ~。…ただアレは出るって言われてるよ。アレが!」
少し嬉しそうに小太りの警察員の男はロンロに話す。
「アレ?それってお化けですか?」
「そうそう、中に入った何人かが怪しい影を見たとか、声を聞いたとかさ!言ってるんだよ!」
「あー大丈夫です。私、オバケ平気ですので。」
「アラマ、ちっとも怖がらないわこのお嬢ちゃん。肝据わってるねー。」
「理屈が判ってるから平気です。」
「理屈?お化けに理屈があんのかい?」
キョトンとした表情を浮かべる。
「そですよ、魔学者には常識です。ではありがとうございました。」
ペコリと挨拶。
ロンロは人が一人分程入れる隙間が開いた大きな木製の扉を抜け、魔女の館の中に入って行く。
「はー変わった娘だ。魔学者ってこうなのかね?」
色々と腑に落ちない表情を浮かべてロンロを見送った小太りの警察員は門の前に戻っていった。
外は快晴だというのに屋敷の中はひたすら暗かった。
窓から僅かにに差し込んでくる光もカーテンに遮られている。
正面玄関から入りとてつもなく広いホールの真ん中に歩み出たロンロは、暗がりの中でレザーリュックからペンサイズのエーテル・ライトを取り出して足元を照らした。小さいがしっかりと強い光が差す。足元がフカフカすると思ったらこのホール全体にいかにも豪華な柄の絨毯が敷き詰められていた。これもきっと高級品だろう。続いて天井を照らすとひたすら高く吹き抜けになっていた。上には光りが灯っていないがエーテルライト式の豪華なシャンデリアも吊るされている。凄い、絵に描いたような豪邸だ。とロンロは呆気に取られた。しかし金持ち屋敷見物をしにやってきた訳ではないのですぐに気持ちを切り替えた。
(まず目的はハルバレラの研究室。既に先発の首都調査隊が調べているのだろうけど…!)
ロンロは辺りの壁や階段等をくまなくペンライトの光を指して調べる。
これ程の大きさの屋敷の何処かの部屋にはこの屋敷全体のそれは例えば照明設備だとか調理器具や風呂用の物や、掃除魔機や通信機器の充魔用設備に魔力を供給する大型のエーテル・ポッドを設置する部屋があると思われる。
普通の一般家庭ならば使用する魔機にそのエーテル・バッテリーや小型のエーテル・ポッドを差し込めば日常生活する中で困らない程度の魔力使用量を維持出来る。無論使用する魔機によっても使用量は違うが、例えば死体処理場の駐在所にあった調理用のエーテル・コンロならば手のひらサイズのエーテル・ポッドの魔力蓄積容量なら三ヶ月は困らず利用できる。風呂を沸かすエーテル機なら10日程といった所であろう。
だがこの広さの屋敷となると大型のエーテル・ポッドを複数用意してそこからエーテルを屋敷全体に供給している筈である。イチイチ照明の一つ一つや屋敷内通信機器にエーテル・バッテリーやポッドを使用していたらその使用コストもバカにならないが、交換取替えの時間も人員も膨大な事になる。
更に研究所には恐らく様々な魔機が配置されている。この屋敷にはエーテル・ポッド室がある筈であるから、そこから特別太くて立派で頑丈そうなエーテル分配線が伸びていればそれを辿っていけば簡単に研究室にほぼ間違いなく行き着ける。ロルの称号を持つ天才魔女・ハルバレラ程の研究者が使用する実験用魔機設備ならそのエーテル使用量も桁が違うと思われるからだ。
この特別な配線は壁に埋めこむ事は無い。
エーテルは質量が高まれば目視出来る程の強い光を放つ強力なエネルギーと化す。
この様なエーテル配信量の多い配線は劣化が早い為にマメなメンテナンスが必要となる為だ。そしてそれを継続的に利用メンテナンス出来る財力があるのはこの屋敷が物語っている。
ロンロはペンライトの光で辺りを見回して太いエーテル配線の影を右奥の壁から見つけた。
暗い足元に気をつけてゆっくりと近寄って見る。
配線は線に沿ったカバーをつけられ白い壁と同色の塗料で塗られてなるべく目立たないよう加工されている。ただあまりにも太い、ロンロの親指ぐらいの太さがあった。通常の配線は精々直径5mm程である。その独特の太さ故にライトを照らした際に影となった場所が生まれ、そして発見出来たのだ。
「あった!でっかーーー!!」
配線を目の前で確認して思わず小さな子供の様な驚きの声を上げるロンロ。
「すっごい!個人でここまで使う!?リッターフランの魔機逆算解析室ぐらいあるわこれ!!」
回線を見ただけで大声を上げてその後は息を呑む。
流石は稀代の魔女ハルバレラだとそれだけで嫌でも納得してしまった。
「これを辿っていけば…!」
配線をペンライトで追う。階段沿いに2階に続いている。大型のエーテルポッドは小型と同じく中の貯蓄魔力が無くなれば取替えるので、その作業をしやすい様きっと1階にあるのだろう。ロンロは配線を追って階段を上り2階に上がった。
「当たり前だけど2階もひろっ!」
ペンライトで伸びる通路を照らして見たが光が突き当りまで届かない。僅か11歳でヒルッター理論の発表と特許取得で莫大な資産を築いたハルバレラの財力恐るべし!と平民のロンロは思う。ついついハルバレラの金持ちっぷりに驚愕しながらこの階に上がっても配線の影を追う。個人の建物の中とは思えぬほど歩いた後に配線が加工されたドアの中に入っていくのを確認。どうやら目的地についたようである。
「ここね…。」
研究室のドアの前に立った時にロンロは後ろから気配を感じた。
誰かに見られている。薄暗い影から不気味な目線を感じる。こちらの動きを追っていた様だ。
閉め切った屋敷内にうっすら風の音がする。
そして声が聞こえてくる。
生きる者を、現世に生きる者を妬み恨みの声が聞こえる。
シネ。
シネ…。
シンデシマエ。
クルシイ
シネ
クルシイ
シネ
ワタシダケ
クルシイ
ワタシダケ
クルシイ
シンデシマエ
シネ
シネ
オマエモシネ!
シネ…!!!
それは暗闇に住む暗闇の使者、暗闇を糧に暗闇の中を動く人からすれば恐怖の存在。
すなわち、それは霊魂である。
「はいはいそりゃいるわよね。元は魔女が暮らしていた屋敷ですもの。もしかしてハルバレラ本人?いや魔女の霊ならもっと強力ね。」
ロンロは落ち着いていた。彼女は、いや多くの魔学知識のある人間は霊の理屈を知っている。
人間が死ぬ際に体内の魔力が不純物の無い純粋なエーテルに変換されて体から外部に発せられる。それが空中を漂う自然のエーテルと結合、その際に体内を経由した都合上生前の記憶を一部であるが焼き付けてしまって漂う存在になる。それがこの世界の「霊魂」、すなわち幽霊である。
「どうせこの屋敷に漂う強力な魔力痕に引き寄せられたんでしょ。まったく。それと現世や生きている人間が羨ましいからってアナタに同情する暇はありません!」
と言いながらロンロはレザーリュックから丸いボールの様な物を取り出す。それを少し操作してロックを外す。そして気配を感じた辺りに向かって思いっきり投げつけた。
『バシバシャアアアババアア!!』と何かが弾ける音に眩しい光が発生した。
これはエーテル・チャフと言う魔機である。
中に炸裂用のエーテルエネルギーと大量のエーテル反射材を詰め込んで携帯用のボールにしてあるのである。ロックを外して投げつけると少量のエーテルエネルギーだが爆発を起こし、エーテルを反射する特殊な金属が散らばる仕組みである。あんまり近くで投げると危険。霊魂がこの破片に触れると体を構成するエーテルが分散してしまう即ち、それ消滅である。
「はい成仏!一個2500キリーもするんだからもう出てこないでよ!もし今回の件をキチンと解決出来たらきっとリッターフランの経費で落とすんだから!」
他にもいらくでも対処法があるのだがこれが一番楽である。
この世界のお化けは仕組みが解明されている分あっさり退治されている。なのでロンロ達魔学者はちっともお化けや霊魂の類を怖がらない。小さな子供の頃から魔学に対して知識と才能を持っていたロンロは夜の暗闇も怪談話が少しも怖くなかった。
彼女に取っては、
いや多くの魔学者や魔法使い・魔女にとってどうでも良い存在からの邪魔が入ったがようやくロンロはハルバレラの研究室の中に入る事が出来た。ペンライトで辺りを照らしこの部屋の灯りのスイッチを探して押して見る。灯らない。どうやら1階にあると思われる大型エーテル・ポッドの残量はゼロの様子。使用人かハルバレラの遺族が屋敷を引き払う際に処理していったようだ。
沢山の研究用魔機がずらりと並ぶ。暗がりでよく見えないが女性が使っていた部屋にしては割と簡素で味気ない部屋である。研究室なので当然かもしれないが。
エーテルで動く魔機端末を見つけた。
エーテルの流れを利用した回路を組み合わせて小型化して自動計算を行う、所謂計算機である。様々な用途に使える現代の魔学世代では持ってて常識の必須アイテム。これで書類整理やある程度の魔法現象のシミュレーション等もしていたと思われる。ロンロが本来の職場リッターフラン対魔学研究所で使用している物よりも新しくて高性能の物だったので思わず「うわぁ、いいなぁー。」と羨ましさから声が出た。
「1階からエーテル供給が無いのであれば…」
ロンロは今度はレザーリュックから今度は小型のエーテル・ポッドとエーテルナイフを取り出す。エーテルナイフで魔機端末に接続されていたエーテル供給用配線を30cm程残して切断、それをエーテル・ポッドに結びつけて固定させた。エーテルポッドの横に付いている小さなレバーを引く。エーテルが配線を通じてポッドから魔機端末に流れ始めた。
「これで30分は動く…」
ロンロは魔機端末を起動させた。
端末の横にあるガラスで作られた四角い奥行きの無い箱の書面からエーテルの光が灯る。ここに計算結果の情報が表示される。本体に接続された操作キーが並んだボードを操作して中のファイルを開けていった。完全に仕事用に使っていた様でプライベートな情報等一つも入っていない。あるのはオリジナルのハルバレラが生前に進めていたであろう研究に関する書類やデータのみである。魔学知識があるロンロにはそれはとても興味深い資料の数々であった。
「あーこれヒルッター理論の発展系?こんな遠距離まで通信する計画あったんだー うへぇー。」
暗闇の中でエーテルの光を顔に受けながら夢中になって操作する。リッターフラン対魔学研究所から依頼されてこの街に来た事も、死に行く大地の理由を見つけて使命感に燃えてここに来たのもすっかり忘れて没頭した。そこは本来はリッターフラン対魔学研究所に所属する魔学研究者という立場がそうさせてしまった。…流石に途中で我に返る。
「って駄目じゃん!! 遊びにきたんじゃないんだから!!!」
その後も色々端末内のデータを調べて見たが、今回の事件に関する様な事は何一つ記録されていなかった。そうこうしている間に30分が経過。接続したエーテル・ポッドがカラになり魔機端末の電源は強制的に落ちてしまった。
端末にはそれらしき情報は何も無かった。
ハルバレラ本人がこの街に無数の死体になって降り注いでいる以上、何かしら研究データから共通点を見出せる物が無いか探して見たが何一つ見つからなかった。何か少しでも類似した研究があればその事故で魔力が暴走して今回の様な事件が偶発的に発生したのでは無いか?と考えていた物の空振りに終わる。例えば物体転送実験だとか、物質コピー実験とか、大地のエネルギーを吸い上げる等の直接的に繋がりそうなデータから他にも魔学的検知から共通点がありそうな物を片っ端から探して読み解いて見たが何一つ、それらしき物を見つける事はこの魔機端末の中では遂に叶わなかった。
他にもライトを照らして死体が降り注ぐ事件と関連がありそうな物を探して見る。
豪華な作りの本棚にあるフォルダーを漁り書類を片っ端から読み解き、気になる研究用魔機には先程と同じくエーテル・ポッドを接続して一時的に起動させて操作する、机の引き出しからゴミ箱に至るまで調べたが遂に何もこの研究室からロンロは情報を得られなかった。
徒労感がロンロを襲う。
そもそもここは首都の王国兵団警察機構の調査隊が事前に調べている所である。
首都が事件解決を放棄した理由の一つは、この事件の首謀者と思われるハルバレラの本拠地で得られる物が何一つ無かったからであろう。今回の事件と結びつく物は何一つ存在しなかった。シヴィーから「お前なら何か見つけられる」とは言われたが期待を裏切ってしまった、それをロンロはとても悲しく感じた。
「私は何も見つけられませんでした…。」と一人、暗闇の研究室の中で落ち込む。
いつまで滞在してもしょうがないので研究室の扉を閉めて廊下に出る。
「はぁ…」と溜息を付いた。
ロンロはハルバレラはもしかしたら今回の事件と関係無いのではないか?とすら思えてきた。
じゃあ一体誰が?ハルバレラ以外にこの街で、いやこの国で誰が星の命を食らう様な大業を果たせるであろうか?もう何が何だか判らなくなる。
彼女はしばらく廊下で呆然と突っ立っていたのだが、一つ気になる事があった。
この部屋はあまりにも私物が少なすぎる。
(リッターフラン対魔学研究所の私の机にもいつも使っているお気に入りのマグカップとか、ふらっと街中の小物屋で見つけてつい買っちゃった可愛い動物型のエーテル照明とか、ファッション雑誌や粗品カタログとか、他にも自分の物はいっぱいあるのに。同僚にしても対面右隣の机にいるリーロックなんかボトルシップを職場で組み立てて机に置いている。それなのに、いくら研究開発が本職の仕事といってもあまりにも個人の匂いや痕跡が少なすぎる…。)
ロンロは思った。
「ハルバレラの事が知りたい。研究とかアナタが生み出した偉業じゃなくて、等身大のアナタが。アナタの生きていた証が。何を考えて、何を成そうとしていたの?きっと実験や研究だけじゃない。もっと何かある筈だから。」
ならば、と、ロンロは研究所の扉付近を改めてペンライトで照らして配線を探す。
研究所に伸びている程の太さでなくても、自室にも多少は研究用魔機が存在するだろう。今度はそのエーテル供給配線を辿ってハルバレラの自室を探し出す。彼女の等身大の記録を見つけ出そうとロンロは気持ちを切り替えた。程なくして研究所に伸びている程の太さでは無いにしても、一般的に見ると十分立派な太さの配線が壁ぞいに伸びているのを発見する。これだ。これがハルバレラの自室へ続く道だとロンロは確信する。
「これを追っていけば…きっと…」
配線を追うロンロ。
そしてハルバレラの部屋らしきドアを発見した。それは同じく二階の研究所のある場所からしばらくまた歩き突き当たりを曲がったた隅にある部屋だった。研究所に比べると思ったより小さい。この館の主の部屋と言っても良いのに。中の部屋の広さを想像するとこの豪邸の規模から考えるとそこまで広くなかった。
ドアノブにロンロが手をかけ、開け様とした瞬間、
ソコハダメッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
という甲高く強い声をロンロは自分のすぐ後方から聞く。
「え?」
彼女が一瞬戸惑った瞬間、後ろから無数の黒い手が伸びてロンロを引っ張った。
「え?あ?ちょ、ちょっと!なにこれ!!痛い!!!やめて!!!!」
ロンロは抵抗する。
しかし無数の黒い腕は次々と伸びてロンロえを縛り、押さえつける。
後ろの方で無数の声が聞こえてくる。
ソコハダメ!!!!
ソコハダメ!!!!!
アタシノ部屋!!!!
ダメ!!!!!
見ないで!!!
ハイラナイデ!!!
人に見られたくない!!!!
ヤメテ!! ヤメテ!!!
ヤメテ!!!
ハイラナイデ! 入らないで! 入らないで!!!!
やめて!!!
ワタシノバショヨよ! デテイッテ!!!
私の場所はソコダケナノ!!! ヤメテ!!!!!
ハイラナイデ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
黒い手の数々がロンロの頭を、胸を、腕を、足を、体も腰も掴む。
口の中にも伸びる。強くそれは強くロンロを後方へ引っ張る。
まるでドアから引き剥がすような、力強く力強く。
「あがっ!! グッグググ!!! 何をするの!!止めてほしいのはこっちよ!!!!!」
ロンロは叫んだ。
先程グレネード・チャフで吹き飛ばした幽霊の様な存在ではない。
こんなに形がはっきりとして感触を感じる。この無数の背後から伸びる暗闇の手は霊魂の仕業ではないとロンロは確信した。これはもっとおぞましく力の強い何かだと。
ヤメテヤメテヤメテヤメテヤメテ!!!!!!!
入らないで入らないで入らないでハイラナイデ入らないで!!!!!!!!!!
どこからも無く聞こえる暗闇の声は、叫ぶ度にその力を強くした。
「くうううう!!!」
ロンロは抵抗して力付くでドアを開け様と前進するが、後ろから伸びる無数の暗闇の手は更に力を増してくる。
ゼッタイ!!!!止めてええええええええええええええエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!
無数の手の持ち主が絶叫した。
「ああっ!くうっ!」
遂に無数の手によってロンロはドアから引き離されて後方へドダドタと倒れこんで尻餅をつく。
それと同時に無数の手が離れる。
「一体、一体何!?」
ロンロがゆらゆらと立ち上がる。
彼女の目の前にまるで、それはハルバレラの部屋を遮るように黒い影の塊が現れた。
「っ…!ゴ、ゴメンナサイ…。でも…ハイラナイデ…。お願い。」
黒い影の塊がまごまごと動いて、そしてロンロの予想に反してなんと謝ってきた。
その声は不気味な霊の声ではなく普通の女の子の声だった。
「へ…?あなた一体何? 幽霊じゃないし…。」
「私は…私。で・・・す。」
「だから何なのよ!?何の、どなたの霊!?いや霊じゃない!そのエーテル密度!アナタ存在や仕組みは霊と同じだけど何が違うわ!名乗りなさい!一体何なの!?何者なの!?」
ロンロはビシっと黒い影の塊に向かって指を刺した。
「ハルバレラ…。」
「え……!?」
目を大きく開いて驚くロンロ。
「私の名前は、ハルバレラ・ハレラリア…です…。アナタは?どうして私の部屋に入ろうとするの?」
黒い影は更にまごまごと動いている。まるで目を合わせられない人見知りの人間の様だ。
何かこの黒い影は人間の様な気配を感じる。
「ハ、ハルバレラ…。アナタ、本当に魔女ハルバレラなの…!?」
「はい、私、その…ハルバレラです…。」
彼女の痕跡を探そうとしていたロンロは、あろう事か彼女その者と名乗る存在と出会う事となった。
彼女は本物の魔女ハルバレラなのであろうか?
本物としたら何故この様な姿になっているのか?
今朝だけで六体も見たというのに。今、まさに街に降り注いでいる無数のハルバレラの死体は何なのか?
混乱するロンロを尻目に、自身をハルバレラと名乗る黒い影の塊はまごまごと困ったかのように揺れていた。それは霊と言うには余りにもハッキリと意思を持っていたし、その喋り方はハッキリと人間のそれであった。




