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何かが足りない夜

 「おつかれさん。」

シヴィーがハルバレラの墓が並ぶ処理場から引き上げてくる三人に向かい、先ほど見た建物の外で待ち構え労いの声をかけてきた。びしょ濡れになった警察員の制服を脱いでラフな格好に着替えている。


「こいつがシュング。」

そう言われて反応して片腕を上げたのがロンロと一緒に死体の入った荷台を押した男の方で、


「こっちがサグンだ。」

土だらけの警察員の男の方が笑って反応した。


二人ともまだ20代そこそこといった若い風貌の男だ。



「三人でこの処理場を管理している。俺が一応責任者だ。いい年して階級は巡査長だからそこまで偉くはないが。」

少し自虐を込めてシヴィーが話す。彼が王国兵団警察で巡査長なので下に付いているシュングとサグンの二人は平の巡査なのであろう。外見年齢からすると妥当である。


「改めまして、私はロンロ・フロンコ。リッターフラン対魔学研究所からの調査員で本日付で現着しました。先生とか学者さんとか言われるのも何か違うので…これからはロンロと名前で読んでください。」ロンロは改めて挨拶して紹介された二人にお辞儀した。


「改めてよろしく、ロンロ。」

「よろしくロンロ。今日は肉体労働までして疲れたろう、駐在所で休んでいきなよ。」


二人もロンロに挨拶を返す。

年齢的に嘗められて対応される事も無く、そういう経験も多いロンロにはとても心地よかった。


「それにしてもこんな広い場所で…毎日何十と死体がやってくるのに、たった三人だけなんですね?」


ロンロが不思議そうに問いかける。無理も無い。地平線が見えるとまでは良い過ぎだがこの元休耕地の死体処理場はかなりの広さだった。それに加えて毎日三十体はくだらない死体が街中でかき集められてくる。とても三人では対応出来ないと思われた。


「あと六人、俺ら含めて九人はいたんだがな。」シヴィーが無表情で答える。


「二人は逃げちゃったよ、ははは。今は何処にいるのやら。」シュングが答える。

「三人はギブアップ。精神的に追い詰められて休職中。」両腕の人差し指で自分の顔までに×印を作って答える土だらけの男、サグン。


「そしてもう一人は精神的にも肉体的にも追い詰められて正式に退職した。まぁこっちとしても無理に引き止められんからな。」シヴィーが言う。どうやらこの三人はここで生き残った最後の色々な意味でタフな「生き残り」という訳である。



「えええ…。応援は来ないんですか?」ロンロが呆れた様な、もしくは引きつったかのような複雑な表情で質問する。


シヴィーが答える。

「この街の王国兵団警察機構のお上連中は、既にこの事件の長期化を念頭に新しい処理場を開拓中でな。」


サグンが続けて答える。

「街の中心部から南西、ここからはまっすぐ南に行った所に新しい処理施設を作っているみたいでさ。新しい処理場作るより何かしら解決策を見つける方に力を注いで欲しいけどね。」


「という訳で早々に事件発生から三日も経たない内にその六人はリタイア。さらにその新しい処理場開拓に人員を取られてそれ以降ここは僕ら三人の愚連隊だね。巡査長殿が街から死体を集めてサグンが穴を掘って処理場現地活動、僕が上に送るデータを纏めて後はサグンの補佐って所かな。特に圧力かけられる訳でもないし、巡査長殿は色々融通が利くから精神的には気楽なんだけどねー。」


シュングが明るく答える。

融通が利く=気さくな上司の様な説明をされたシヴィーは反応に困って少し不機嫌な顔になった。しかし部下二人は笑っている。人付き合いは苦手そうなシヴィーだが色々柔軟な所はあるらしい。これはこれで信頼されている様子である。出なければ、こんな激務をたった三人でこなせる訳が無い。



「…まぁそのなんだ。もうこの季節に夜の風は体に毒だ。それに見ろ。」

シヴィーの目線が近くに生えている葉がほとんど落ちた木の上に行く。もう冬が近いからかこの木は葉がほとんど抜け落ちて裸同然になっていた。全長5m以上はありそうな大きな裸の木には多数の大きな鳥が止まっていた。


「キャアア!」

あまりの大きな鳥の数にロンロは悲鳴を上げた。


「ハゲタカか、何かかな。街中じゃ見かけない鳥だけどここはご馳走がいっぱいあるからね。」

シュングも同じくその不気味な木を見上げながら答える。


「どんだけ掃除しても一人二人じゃ広すぎてなー。如何しても血とか皮膚とか、それに零れた内臓とか残っちゃうからなー。こいつらに処理してもらってる状態なんだ。」

サグンが少し残念そうに答えた。


「そういう訳で夜はこいつらの時間だ。鳥目なのに恐れ入るよ、さぁロンロも中に入れ。」


そう言われて背中をシヴィーに軽く叩かれたロンロは、三人に連れられて元々はここの休耕地を管理していた農家が使用していたと思われる建物に入っていく。だがロンロは少しだけ気がかりな事があった。



(まだ本格的な冬には遠いのに、あそこまで落葉する事ってあるのかしら?)



その疑問から一度だけ先ほどの木を見るため少し振り返ったが、その不気味な木を見ても人間が引っ込むのを今か今かと待ち構えるハゲタカの群れの目線がこちらを睨んでくるだけであった、。

ロンロは怖くなってすぐに前を向いた。




現在は落下してきた魔女の死体処理を担当する「生き残り」警察員三人が利用する駐在所の建物として利用されているが、元々はこの休耕地の持ち主であった農家が利用していた建物。二階建てで木造。横に三頭程度だが収容できる馬用の厩舎が備わっている。ロンロは三人に連れられてこの建物の中に入っていった。

建てられてからそこそこ年数が経っているようだが中々しっかりした造りの様子。すきま風等が入ってくる事も無かった。王国兵団警察の駐在所とは言うが、中は特にそういうった設備等も無く最初に通されたリビングにはソファと四、五人が座れるテーブルがあり、まるで普通の家の様である。ロンロはシヴィーに促されそのソファに座る。三人程座れる黒色皮ばかりのソファであった。どうやら警察員の三人はここでしばらく寝泊りしている様である。リビングに来る途中の短い廊下の途中に洗濯物がかけてあった。



「ロンロ。今日ここに泊まれ、外はもう危ない。」

シヴィーはテーブルの椅子に座りロンロに告げる。


「え?私、街で既にホテルの部屋を取ってるんですが。荷物も着替えもそこに置いてて…。」


「別に変な事はしないよ、僕らも死体処理班とはいえ本来は街に赴任している警察の人間だしね。ただここ数日本当に危険なんだ。」

シュングが言う。


「巡査長殿ー!先に風呂失礼しまーす!」

サグンは土だらけで汚れているせいか建物の奥にある風呂場へ直行した。


「出る前に掃除しとけよ!」

シヴィーが少し声を張り上げてサグンに返事する。


「その、危険って何でしょう?」


「野犬だ。」シヴィーが即答した。


「僕とサグンが説明した通り山から死体を漁りに野犬の群れが降りてくるんだ。冬が近くなって山にも食料が減ってきたからかもしれないね。」

同じくテーブルの椅子、シヴィーに向かって対面に座ったシュングが繭をしかめてロンロに話す。


「ここん所は特に危険でな。ここには食料の支援や土地の様子を見に元の持ち主のじいさまが様子を見に来る時があるんだが、昨日来た時なんぞ教われてな。俺らで追い払ったがよっぽど気が立っている状態なんだろう。」


「まだ冬になった訳じゃないのに、そんなにお腹すかせてるんだ…」

ロンロが唖然として呟く


「すまんな、俺もここまでロンロが長居すると思って無かった。作業途中でも声をかけるべきだった。」

シヴィーが謝る。シュングも続けて「ごめん。僕も気にかけるべきだった」と謝罪した。

ロンロは無我夢中になって土葬作業まで手伝った。既に日はしっかり沈んでしまっていたのである。


シヴィーが続ける。

「それにな、ロンロ。お前の今の格好じゃ尚更外に出す訳にもいかん。」


「え…?あ!!」

自分の格好を見渡して唖然とする。ロンロの着ていた服にはあちこちハルバレラの血の痕が尽いている。きっと千切れた頭や腕を拾っていた際に付着していたのだろう。土葬作業も手伝った為か泥だらけでもある。

両手の平も先ほどハルバレラの千切れた頭を抱えた時に付いた血のりで真っ赤であった。


「いつものノリで穴掘り役のサグンが先にお風呂入っちゃったよ。アイツはレディーファーストの概念が無いなー。」

シュングが苦笑いをした。


「サグンが出たら風呂に入れ。そんな返り血だらけで外に出たら野犬にあっという間に群がられるぞ。シュング、女の子が入るんだ。掃除ついでに風呂の湯も入れ替えて沸かし直す様サグンに言っておけ。」


「りょーかい。あ、電話は入り口前にあるからね。ホテルとかに連絡したい時は自由に使って。」

シュングは風呂場の方に小走りで向かっていった。


「じゃあ、その、お世話になります…。」


「ああ。」



二人きりになったリビングは沈黙に包まれた。

風呂場の方からショングとサグンの会話だけがうっすら聞こえてくる。


ロンロは血のりがべったりとついた手を持て余している。

ソファに手をつける訳にも自分の膝の上にも置く訳にもいかず、柄にもなく手を組んでみたりもする。少し落ち着いたので改めて自分の姿を見てみると、血痕は元より土葬作業を手伝った為に土だらけでもあり酷い格好だ。その後になにげなくシヴィーを視界に捕らえる。仏頂面で腕を組んで天井の方を見上げている。痩せ型ではあるが筋肉質でもあった。そこはやはり現場で働く警察員だからであろうか。その後に外をの様子を伺おうとリビングにある窓から外を覗いて見るが、既に外は真っ暗である。季節柄か日が落ちるのも早くなってきている。駐在所に入る前に見たハゲタカらしき死肉食いの鳥の群れ、野犬が出るというのもアレのせいで信憑性も出てきた。暗闇の恐ろしさと外敵の不安から大人しく今晩はここに泊まろうと彼女はしかたなく決意する。



「…死体を調べて何か判ったのか?」


ロンロがそんな事を考えているとシヴィーが口を開く。

沈黙に耐えられなくなっていたのは以外にもシヴィーの方であった。

色々不器用な人であるらしい。


「え? いえ…判ったのは報告書通り無数の死体ほぼ全部、同じ構成物質で出来ている事、つまり全員が全員同一人物って事ぐらいで。服も髪も全部…。」


「そうか…。まったくもって奇妙な話だ。確かに魔法か魔学じゃないと説明つかんな。」

目線を合わせずシヴィーが答える。


「はい…すいません。明日また自分の出来る限りで調べてみようかと…。」


「謝る必要は無い。朝になったら俺は死体回収の巡回の為に馬で街に出る。その時一緒に乗っていけ。」


「ありがとうございます。」

ロンロは座ったままお辞儀する。


そこから少しまた沈黙が流れるが、今度はロンロが口を開いた。


「でも、皆さん凄いですね。仲間がどんどん去っていってるのに。まだ続けていて。」


「褒められる事じゃない。これも仕事だ。それに誰かがやらないとこの街は死体だらけだ。」


「重労働で精神的にも体的にもキツイって思います。孤立しているのに立派だと…。」


「そりゃお互い様だ。」


「へ?」


「お前さんも研究所から見放されたんだろ、俺らも同じだ、応援なんか派遣される気配も無い。まぁ上役も珠にしか顔を出さんし気楽で良いがな。」


「ううっ…。」

ロンロは小さく唸りをあげて俯いた。自分が所属していたリッターフラン対魔学研究所がこんな事をするなんて。下っ端で歳の若い自分が捨て駒に使われている。自分は後始末の為だけにこの街に派遣されたのを改めて思い直し暗い気分になる。


「…すまん言い過ぎた。」

シヴィーが謝る。悪気は無かった様で本当に色々不器用な人らしい。


「いえ、事実ですから…。」

げっそりした様子でロンロが呟く。

自分を派遣した際に上司が言った激励は、それは思い返せば上辺だけの物であったのだ。


ロンロの上司は20代後半の女性であった。

(ロンロさん、この街について怪現象について貴女に調べて欲しいの)

(王国兵団警察機構からのお仕事よ。まだ出張業務経験も無い貴女にここで経験を積んでもらいたいの)

(大学を優秀な成績で卒業したアナタなら判る事もある筈よ~)

(警察機構からの難しい仕事をこなせばアナタのキャリアにもなるわ~、頑張って)

(天変地異を引き起こすようなエーテル暴走事故でも無いから、原因が判れば解決するわ~)


今となってはあの女上司の無闇に明るい顔を思い返すだけでロンロは気分が落ち込む。

全て上手く言い包めて騙し、ここに自分を派遣する為の演技であったのだった。



「その、なんだ…。明日街に出るなら俺も同行する。」

シヴィーが少し気を使った様に返答する。


「え?」

ロンロが顔を上げる。


「これでも王国兵団の警察員だからな。警察が入れば色々都合も付きやすいだろう。例えばなんだ、立ち入り禁止の場所に赴く時とか民間人からの聴取とか色々な。」


「あ、そっか。でもシヴィーさんのお仕事は…。」


「死体回収はする。まぁ合間を縫って手伝える事もあるだろう。」

少し申し訳無さそうに答える。

先ほどの侘びのつもりもあるようだ。


「すいません。助かります…。」


「ああ…。それに諦めた訳じゃ無いんだろ?」

シヴィーがロンロの顔を見つめて答える。


「はい、リッターフラン研にも見捨てられましたけど。ハルバレラの死体を見ていると…何かしなくちゃって思いはしっかり湧き上がって。」


「俺もここで死体処理をしていて思う。シュングやサグンもきっと、そうだろう。」


「そうなんですね。」


「呪いだなんだって思う時もあるがな。だがあれは人間だ、まぎれもなく。血だって流れている。人が人としてあんな死に方していくのはやはりどうかと思うな。あげくに死体は野犬やハゲタカに集られてな。」


「…やっぱり。皆さん立派だと思います。」


「回収中は重労働なのもあるが、呪いだのなんだのネガティブな感情も湧いてくるが。」


「それはしょうがないかと…」

苦笑いをしながらロンロは答えた。


ここにいる四人。

王国兵団警察機構に見捨てられた三人とリッターフラン対魔学研究所に捨て駒として使われている一人。

立場や役職は丸っきり違えど四人とも同じ様な状況に置かれていた。解決の糸口が見えずに事件の後追いと後始末に終われる四人。ロンロは不思議な連帯感みたいなのを覚える。きっとシヴィーや他の土葬を共に行った二人も似た様な想いを抱いているであろう。


「やれるだけやろう。俺らもまだ少しは踏ん張れる。」


「はい。」




二人がお互いので立場と決意を確認した所で一風呂浴びてさっぱりしたサグンが帰ってきた。

上半身裸であった。ロンロはまだ男性に慣れている訳でも無いので、その姿のサグンを見て酷く赤面してしまった。


「風呂掃除バッチリ!お湯も全部替えました!いやー先に入っちゃって!いつも自分からでさー。ごめんねロンロ。…あれロンロ?」

サグンが頭にタオルを載せて髪を拭きながらロンロを不思議そうに見つめる。


「おおばかもの。さっさと上も着込んで来い。」

シヴィーがサグンを睨んで呟いた。


「あれ?あらら。こりゃ女性の前で失礼!」

サグンが慌てて脱衣所の方に向かった。






(やっぱりホテルに帰れば良かった…!!)


ロンロは顔を真っ赤にした。よくよく考えなくても今日初対面の男性三人と同じ屋根で一夜を過ごすというのは16歳の少女にはまだ辛い物があったのだった。


やれやれとロンロは風呂場に向かった。

脱衣所で荷物を降ろし土と血だらけの服を脱ぐ。脱いで改めて見ると本当に酷い有様だった。

洗濯機があるので後で使わせて貰おうと思う。魔学の発達で色々な家事雑用が魔学製品に置き換わった。洗濯もその一つである。今度は家事ならず馬に変わる移動用品、魔学の力で人を運ぶ乗り物「車」も発売すると言われている。魔学が学問として体系化されその知識が広まると世の中は急速に発達していった。とはいえ土汚れはともかくこの血痕は魔学の力を利用した洗濯機でも落ちないだろう。


「このスカート気に入ってたんだけどな。ここまで血みどろの現場とは思いもしなかった…。」


明るいベージュ色のスカート、ロンロが半年前に貰った初任給で買った物だった。

しかし着替えは街のホテルであり、明日の少なくとも朝まではこれら汚れた服をもう一度着なければならない。着替えの事を考えると見につけている衣服全部は洗濯出来なかった。

自分の服を見てそんな事を呆然と考えていた時、脱衣所の引き戸からノックする音が聞こえた。


「俺だ。」ノックしたのはシヴィーだった。


「は、はいっ!」慌ててロンロが返事をする。


「服が汚れているだろうから俺らの制服予備を貸す。サイズは大きすぎるだろうが…今晩は我慢してくれ。洗濯機は隣の洗面所にあるから使ってくれて構わん。」


「あ、ありがとうございますっ!!」


自分が裸に近い状態で扉越しとは言え家族以外の男性に話しかけられたのは初めてだった。つい緊張してロンロの声は大きくなった。しかしこれで服の問題は少し改善する。下着はしょうがないと我慢して風呂に入った。体を洗って髪を洗い、湯船に入る。今日一日の後半は肉体労働をしていたせいか、暖かいお風呂が身に染みた。サグンとシュングが掃除をして湯を入れ替えてくれたお陰かで透明度のある清潔なお湯だ。彼女はようやく一息つけたような気がした。


「今日は色々あったなぁ。人生で一番色々あった。あんなに人の死体を見る事ってもう無いだろうし。」


気分がリラックスしていく。

空から落ちてくる魔女、慣れない肉体労働に初めて見る多くの死体、職場に見放された事。

歳若い少女にはハードな一日であった。

そうしてようやく彼女は僅かであるが安らぎの時間を得る。

この街についてから定期的に死体が空から落下し、飛び散り歪み砕け散る音を聞いていたからか。風呂の中の静かな時間がとてもありがたく思えた。


『 ザザザッ ザザザザッ』


しかしそんな時間も風呂の外から聞こえる怪しい物音でかき消された。


「うわっ!な、何!?覗き!?」


恐る恐る風呂場にある小さな窓から顔を出す。暗がりで良く見えない。

しかしうっすらと何かしら背の低い蠢く物体を確認できた、それも複数。

その蠢く物体の集団は「はっ!はっ!」と息を立てながら駐在所のある建物から奥にある死体処理場と化した休耕地に移動している。数も多い、結構な集団だ。


「野犬だ…!群れ!? ホントにいたんだ…。」


覗きでは無いというのには安心したが野犬の群れに新しい恐怖を覚える。シヴィー達の話していた事は本当だったのだ。ハルバレラの死体の血と肉と臓物の匂いを嗅ぎ付けて付近の山から降りてきた野犬、夜の暗闇の中でその本能のままに零れ落ちた死肉を漁り、時に死体そのものを掘り返し、食う。

湯船の中に戻ったロンロはそれを悟り鼻の上辺りまで湯の中に潜り込んで小さくなった。


「死体を漁りに人里近くまで降りてくるなんて…。寒くなってくると野生の環境ってそんなに食べ物って無いのね…。」


ロンロが暖かい湯の中で心寒い心境で怯えていると、ある事に気づいた。

お湯に目一杯まで目と鼻を近づけたお陰か、とある異変に気が付いたのだった。

彼女は湯の中でうずくまるのを止め利き腕の右でお湯を掬ってみる。


このお湯は、軽い。


物理的な意味合いではなく、まるでお湯に中身が無い様な風にロンロには感じられた。


「何か…おかしい? なんだろう…。」


どういう事だろう…。ロンロは自分の中に沸いた疑問に上手く答えを見つけられなかった。

見かけは普通のお湯である。匂いも色も何も変では無い。

ここの建物の水源は何だろう?井戸水か、街から引いている水道水?

この死体処理場に来る途中に大きな水路があったが、まさかアレから引いている訳でもないだろうが。

原因は不明だがこのお湯は軽いのだ。何かが足りなくて軽いのだ。


(警察員の三人は気づいているのかな…?)


お風呂から出たら聞いてみようとロンロは思い、もう少し湯船に浸かる事にした。

このお湯からは体に害がある様には感じられなかったからだ。毒等の「足された物」の感触は無かった。むしろ魔学的に作られた真水の様などこか透き通った印象すらある。


「あ、そうだ。この湯のこの感じ、この感触…学校で…。」


大学在学時、魔学エーテルの既存物質反応実験で良く使用していたあの水に近い。

不純物を取り除いた真水の感触に近いとロンロは思い出した。

正確なエーテル反応データを取る為に不純物を、雑味を取り除いた。実験で良く使ったあの水に。



「まさか、とてもそんな専門的施設がこの建物にあるとは思えない…。」

とりあえず考えるのを止めてロンロは再び湯船の中でくつろいだ。

そんな物が農地に必要とは思えないし、警察員が使用し始めてからもとても必要とは思えなかったからだ。








「いやーやっぱ女の子は風呂長いっすねー…。」

その頃シュングがリビングのソファーに寝転んで少し愚痴を吐いていた。

彼も今日一日重労働してすぐに風呂に入りたかった。


「まぁ俺はさっき入ったからいいけどな。」

シヴィーは水路から水浸しになってハルバレラの死体を回収して着替えに行った後、すぐに風呂を沸かして入った様子。


「俺もー。てか思ったんですけど最近風呂の湯サッパリしてません?なんかこーサラサラしているっつーか湯質がですよ。なんかここ数日で変わったなーって!」

サグンが答える。


「えー。なんだそりゃ。まったく判んないよそんなもん!」

シュングが寝転んだまま話す。


「ここの井戸と処理場は離れてはいるが、地面から地下の水脈まで魔女の血でも染みこんだか?それで水質が変化したかもな。」

シヴィーが新聞に目を通しながら返答した。


「うへぇー止めてくださいよ!飲料水でも使用してんスから!」

サグンが慌てる。




外から窓越しに野犬の群れが行進する足音が聞こえる。

ザッ!ザッ!ザッ!と一定のリズムで四本の足が暗闇を行進する不気味な音が聞こえてくるのだ。


「…増えましたね、野犬。」

シュングがソファから起き上がり窓の方を見つめた。


「ご馳走一杯だからなー。あまり掘り返しては欲しくないんだがー。」

サグンはやれやれといった表情である。


「いくら血肉の匂いが漂っているとはいえだ。ここ数日は数が多すぎるな…。これもこの怪事件が原因なのか…?」そう行ってシヴィーが立ち上がる。念の為に自衛用の武器としてクワやナタを用意して身近に置くように部下の二人に伝えた。二人はそれに従って行動し始めた。実際に駐在所の中にまで襲って来る事は無いだろうが、いつまでも鳴り止まぬこの野犬の行進音は身構える準備をするに十分な恐怖と威圧感があったのだった。











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