妖異と死体の失恋地獄
シヴィーは一晩中の作業の後にテーブルに倒れ込む様にして眠りに入った少女・ロンロを起こすのには少し抵抗があった。しかしシュングとサグンが風呂の準備を終えたと駆け込んできたのだ。彼女が語った事前の話の一つには首都側にこの魔紋が気づかれるのは「不味い」という事がある。確かに先程の話を聞けば何が起きるか判らない、下手をすればこの国…いやこの大陸、この星までもを滅ぼす様な事になるエーテル事故の大惨事を巻き起こすという。それが確かならば国の中枢がそんな行為を見逃してくれる筈も無い。急がねばならなかった。
「よーく寝てますね。」
シュングがロンロの寝顔を覗き込む。
「無理もねぇ。まだ16歳で、しかも女の子だしなぁ。肉体労働での徹夜なんか大人の男の俺らでもキツかったっての。」
サグンも横から顔を突っ込んできて覗き込みながらそう話した。
「…。」
しかし時間が無いのも事実、シヴィーは多少心を鬼にして彼女を起こそうとテーブルに突っ伏したロンロの肩に手をかけてその小さな体を揺さぶって起こそうとした。しかし瞬間にふとその顔を再び覗き込むと…うっすらと涙が滲んでいるのを見た。うっすらだが泣いていた。少し動揺した彼は目覚めさせるのをを再び躊躇ってしまった。
「ロンロ、起きろロンロ。魔女ハルバレラを迎えに行くぞ。」
彼は肩に手をかけるのを止め、彼女に優し目に語り掛ける。
「ぐ…。ううっ、ううう…。」
ロンロの顔が少し歪み、その言葉に反応する。
「このバカげた現象を終わらせるんだろう?さぁ起きろ。」
シヴィーの言葉に反応してゆっくりと、ロンロが顔を上げる。
目覚めたばかりのロンロのぼやけた視界の中に、うっすらと3人の顔が浮かび上がる。しばらくボーっとそれを眺めていた。一人だけはっきりと、一番最初に顔がはっきりと顔の輪郭を掴めたのはシヴィーであった。何故か判らないがシヴィーの顔を一番最初にロンロは捉える事が出来た。そしてその彼女に語り掛けた声はさっきまで彼女の頭の中にいたルックナとは正反対の落ち着いて、低い声。いつもギャーギャーと嬉しそうにやかましく笑っていた彼とはまるで真逆の大人の男の声であった。
「あ…うんむむ…私、寝てましたか。すいません…。」
ロンロが眠たげな目を擦りながら返事をした。
その目に浮かんでいる涙は決して寝不足の目覚めからくる涙だけでは無く、彼女の見ていた夢に起因するものでもあった。彼女自身もその涙の量に少し自分でも驚く。
「あれ?確か何か夢を見てた気が…あれれ、すいません…。へへっ。」
照れ笑いを浮かべながらロンロが涙を両手で拭う。
「しょうがないよ、疲れてただろうし。もう動けるかい?」
シュングがロンロを気遣うように語り掛けた。
「えと、はい、大丈夫です。首都側に気づかれる前に動き出さないと…。」
「そうだなー。なんか邪魔されるかもしれないしさ、寝る前のロンロの話じゃとんでもねーシロモノっぽいからなあの魔紋。…あんま信じたくないけどさ。」
サグンが己の理解を越えているという感じで答える。
「…そうかもしれん。実際に今まで起きた事を聞くにとんでもない事が起こる確率は十分ある。そもそも死体が空から無数に二週間近く降り注いでいる現状が最早夢物語だからな。だから、だ!」
そう言ってシヴィーは姿勢を正してシュング・サグン・ロンロに向かう。
「何が起こるか判らん。最悪の場合、発動した瞬間に余り考えたくはないが…この死体処理場そのものが吹っ飛ぶという。シュング、サグン。それに魔紋の発動が済み次第ロンロ、最後の瞬間は俺が見届ける。何やら魔紋発動の仕上げがあるのならその方法を俺に教えてくれ。そしてお前もなるべく遠くへ逃げるんだ、ロンロ。」
三人はそれを聞いて驚きの表情を浮かべ身を硬直させた。
しかし直に
「ちょっと待ってくださいよ!!僕は嫌です!最後まで残ります!!」
シュングが一番に反応して胸を張って答える。
彼は続ける。
「駐在所の中で一休みする前にも死体の後片付けをしながら考えたんですよ。僕ってここで14日間このハルバレラの死体をそりゃもう片付けて埋めまくりましたよ!それも500体以上!もう散々見ちゃったね魔女ハルバレラの死体をさ!そのオリジナルに今から逢えるってんだから!そりゃー顔を拝んどかないとね。それがね、ちょっと楽しみになってきてましたよハハハハハ。」
「お前…結構度胸あるのな?お化けとか怖くないのか?」
横に立っているサグンが呆然として問いかける。
「サグンは興味無いの?君だって14日間もハルバレラの死体を担いで引っ張って引きずって埋めまくったでしょ?オリジナルを見たくない?死体は喋らないけど今度のハルバレラの霊は喋るんだよ?興味無い?彼女がどんな人柄かさ?この街の有名人だったけど雲の上過ぎて僕ら一般人はほとんど顔を見た事無いじゃない?どんなだろうね?それに自分の死体を見てどんな反応するか楽しみじゃない?ね?ね?」
「サイコかねお前さんは…。」
それを聞いたサグンは同僚の妙に生き生きとした姿に若干引いてしまった。
「あのな、シュング…。」
流石のシヴィーも大分呆れて彼を見つめる。
ロンロも若干引き攣った顔で彼を見つめていた。
「もし大爆発に巻き込まれて死んだとしても良いですよ。巡査長殿、僕もお供します。この14日間の決着の場に入れないなんて。死んでも後悔しきれませんからね。きっとね!僕はそれだけの事をしてきたつもりです!!大多数の仲間も逃げ出し、本部からも見捨てられた我々!!でもほんと死体の回収と後片付けを頑張りましたからね!へへ!!」
そう言ってシュングは胸を張って敬礼を行った。
「それでいいのかお前、折角巡査長殿が逃げて良いって…はぁ…。そんな事を言われるとさ、俺も残らない訳にはいかねーじゃねぇかぁ~~。しょうがねぇなぁ…。サグンもー!この場にー!残らせてーもらいー!最後の瞬間を見届けたいとおもいまあああああす!もうどうとでもなれええええ!!!」
シュングに倣ってサグンも敬礼をシヴィーに向かって行った。
サグンの場合は少しヤケになっている面もあったが、見届けたいのは同じ気持ちであろう。彼もまたハルバレラの無数に降り注ぐ死体とこの14日間、戦っていた一人なのだから。
「皆さん…。あの、シヴィーさんの言う通りです。それに最後の魔紋発動は専門家の私じゃないと出来ません。出来る事ならシヴィーさんも逃げてください。決着は私と、ハルバレラが付けます…。成功したとして私が無事だったとしても…彼女、ハルバレラが無事で済む保証は無いのですが…。それでもやらなきゃいけない、この街の大地と命が死滅する前に…。」
シヴィーが言うまでも無く、ロンロは魔紋発動前に三人を非難させるつもりだった。
それをいち早くシヴィーに言われた事が今は少し恥ずかしい。
彼はここの責任者でもある、そして彼女よりずっとずっと思慮深い大人であった。
「尚更だな。警察官としても、ここの責任者としても。いやそもそもこの街の人間としてもだ。俺は逃げる訳にはいかん。何より一人の男として自分より若い女子を一人、危険な場所に取り残す。それで今までの責任も全て背負わせると。そういうのは決して俺は容認できるモンじゃない、カッコはつけているのは重々承知だが、決してだ。決して許されるモンじゃない、だから俺は残る。」
「当然っすね!」
シュングが腕を組んで得意げに賛同。
「お前はただの好奇心優勢だろ!でもま!確かに巡査長殿の言う通りだ。」
横にいるシュングにツッコみを入れながらサグンも賛同した。
「いやっ!皆さんは出来るだけ遠くに!本当ならヒルッターブランツの市民全員に伝えたい所ですが…!この状況だと信じて貰う事も無理でしょうし、情報が拡散すれば首都側の人間がいち早く駆けつけて来るかもしれない!だからっ!皆さんだけでも逃げて…!」
「ダメだな。少なくとも俺はな。」
シヴィーが椅子に座ったロンロを見下ろしながら答える。
「でも…!」
ロンロも抵抗する。
「ロンロ、この事を知ってて黙っていたな。」
「うっ…!」
シヴィーが彼女に詰め寄るとロンロは何も答えることが出来ずに気まずく黙り込むしかなかった。
もし伝えていれば魔紋制作の段階でも反対されるのはこの数日間で判ったシヴィーの性格からして彼女も判っていたのだ。発動直前に伝えてうやむやと勢いに任せて彼ら(少なくとも最後まで残るであろうシヴィー)を逃がし、十分な距離を取れた所で今回の魔紋をハルバレラと二人だけで発動させようと計画を立てていたのだが彼には、ここの責任者であるシヴィーにはとっくにバレていたのだ。ロンロは自分の浅はかな考えを後悔する。まだまだ、何もかも経験浅い子供なのだと。とっくに大人の人にはバレているのだ。優秀な成績で他の同年代よりも駆け足で社会に出て、専門分野では持て囃されて、少し得意になっていた自分というのが今、猛烈に恥ずかしかった。
「だかな、勘違いするな。お前を責めるつもりは無い。」
「え?」
ロンロが驚いて返事をするとシヴィーは彼女の横の椅子を引きそれに座って語り掛けた。
「いいか、前にも言ったが…。国もこの街も、結果的にも今回の異変の解決を全てをロンロ。お前に背負わせる形になった。この俺もだ。そしてお前は昨夜は徹夜もして、いやそれ以前もこの街を駆け回って調査して。それに応えようとしている。街の代表として言う、感謝している。」
シヴィーは彼女に向って頭を下げた。
「俺らも頑張って死体処理してたけどな!でもさ、ロンロは基本この街の部外者なんだから。だからさ、ありがとうよロンロ。」
サグンがそう言うとシヴィーと同じく頭を下げた。当然とばかりに一緒にシュングも下げる。
「いや私は元々は仕事でここに来て…そしてハルバレラを救いたくて…。出来るか判りませんが。でも…皆さん、顔を上げてください!私、やれるだけはやりますから!あとついでに逃げてくれるとありがたいかなーと!!」
「だから逃げませんって!!」
シュングが大声で直に反論した。
「ああ、少なくとも俺はな。お前らは逃げて構わんぞ。いや、逃げろ。今すぐ逃げろ。」
シヴィー続ける。
「もー巡査長殿!俺だって覚悟決めてますからもー!絶対逃げませんからね!」
サグンもムキになって答える。
「ええと…ははは、どうしようカナ…。」
やっぱり土壇場で告げた方が良かったなと思ったロンロであった。
「どうしようも何も風呂だな、終わったら直にハルバレラ嬢を迎えにいく。ロンロはさっさと風呂に入ってこい。シュング、サグンは出かけの準備だ!俺も馬の準備を始める!…もう知らん!馬鹿共は何言っても聞かんからな!これからは成功するのを前提で行動する!」
シヴィーが椅子から再び立ち上がり
「は、はいっ!!えーと…!!ではすいません!お風呂頂きまーーす!!」
ロンロは慌てて椅子から飛び降りて風呂場の方に小走りで向かった。
「最後の風呂かもだ、たーんと味わえ~~~!」
サグンが駆け出したロンロの背中に向かって語り掛けた
「…最後か、お前も意外とネガティブだな。」
シヴィーがサグンに目線だけ送りながら呟く。
「お前も?もしかして巡査長殿もですか?」
「バカ言え、さっきも言ったが俺は成功すると思っているさ。あのまだ子供と言っていいロンロが腹を括ったんだ。大人の俺は負けない程度には肝を座らせとかないとな。」
「無事…終わるといいですね。今回の件。」
シュングが宙を見上げながら呟く。
「ああ。その後たっぷりと有休でも頂くか。ロンロの話だと上手くいけば魔女ハルバレラも肉体が再生して蘇るそうだからな。それから彼女に口利きでもしてもらってな。」
シヴィーが少しニヤりと笑って二人に応える。
「そりゃー良いですね!特別ボーナスも頂きましょう!」
「まったくだ。俺達3人はどんだけ彼女の死体を回収してやったと思ってるんだ。」
「違いないっス!ハハハ!」
死体処理場の最後の3人はしばらく笑い合っていたのだった。
いよいよ彼らの死体処理場の3人の、血と汗と土と死体に塗れた14日の戦いの日々が終わろうとしているのであった。この14日、このヒルッターブランツの怪現象に最前線で戦い抜いたのはまさしく彼らであったのだから。
ロンロはお風呂に入るなりまずはシャワーを頭から全身に浴びた。
少し眠ってしまいボヤけていた頭もお湯を浴びるとシャキっとスイッチが入る様にクリアになる。髪を洗うシャワーのお湯を見ていると土色に濁っているのが判った。「うわぁ…」と一人静かに声を浴びながらロンロは長いその髪に付着した土や泥を落としていく。
そう言えば、さっきは皆で話し込んでいたから意識していなかったけど。あの時に見ていた夢はなんだったのだろうかと湯銭に漬かりながら彼女は少し考えた。少し懐かしくて辛い記憶の昔の事だったのは覚えている。何か今回の件でそれを少し思い出していた気がするのだ。それが、あの眠り落ちた瞬間に結び付いたかの様な、そんな気がすると彼女は考えていた。
だが夢は夢、目覚めた瞬間には蜃気楼の様に溶けて記憶の彼方の奥底に消えていった。
ハルバレラの命の情報、脳内の情報を焼き付けるあの屋敷で見た「ペットロスの為の試作魔法」を応用すればもしかしたら人は、ヒルッター理論によってエーテルに己の夢を保存・後で一人それを見直す事が出来るのではと一瞬考えたりもした。
こんな時にでもそんな事を考える。ロンロはやはり根っからの魔学者だった。
その後そんな事をぼーっと考えている暇は無いと我に返った彼女はドタバタと入浴を済ませてバタバタと脱衣場に飛び出し持ち込んでいたレザーリュックから下着の替えを出して着替えた。汗と泥に塗れた下着から新品に着替えるとまるで生まれ変わったかのような爽快感に包まれる。
「よしっ!!」と声をあげて両手で頬をばちん!と叩いて気合を入れてロンロは飛び出した。
既にシヴィー達は外に出ていたのでロンロも慌てて玄関で靴を履く。
靴下は取り換えたが靴は土と泥に塗れたままである。しょうがないと思いつつそれを履いて元気よく駐在所の外にレザーリュックを抱えて飛び出した。玄関の前には既に馬を準備したシヴィーが馬車を用意して待っていた。シュングとサグンもその脇に立っている。
「すいません!お待たせしました!ハルバレラをここに迎えにいきましょう!」
ドタドタと足音を立ててロンロはシヴィーと馬車の前に近寄った。
「準備はいいな?後ろに乗れ。」
そう言いながらシヴィーが馬に跨る。
この「死体運びの馬車」がこれからその死体の魂そのものを迎えにいくというのもおかしな話だなと彼は心の中で呟く。
「はい!」
元気よく返事をしたロンロもその低い背を精一杯伸ばして馬車の荷台をよじ登る。
「シュング!サグン!首都側がここを見つけた場合は魔紋の意味を知り、その時はこれのリスクを知って武力行使も厭わず乗り込んでくるかもしれん。…すまないが、ここは俺らが戻ってくるまで二人に任せる。」
馬上から振り返りながらシヴィーはシュングとサグン、二人の部下に目線を送った。
「わ、判ってますよ!二人もお気をつけて!」
シュングがその言葉に怯えながらも覚悟を決めてその返事と共に敬礼を送る
「徹夜で死に物狂いで描いたんだから崩させはしませんよーだ!いってらっしゃいませ!!」
サグンが威勢よく返事をしてシュングと共に敬礼を送った。
「すまない…任せた。」
シヴィーがそう呟くと馬に鞭をいれて「死体運びの馬車」は勢いよく飛び出す。
その荷台に乗っているロンロが、
「お二人共ー!おねがいしまーーーーす!!きっとハルバレラを連れてここに戻ってきますからー!!」
と、大きな声をあげて後ろの二人に頭を下げた。
そしてシヴィーとロンロは街へ向かって駆け出して行く。
死体処理場から街へと続くのどかな農道を早足で賭ける馬車と、その激しい揺れで後ろの荷台に乗っているロンロは幾度となく振り落とされそうになりその度に「あわわわわっ…!」と情けない声をあげて荷台の端に捕まる。シヴィーの焦りも伝わってくる様なその走り様であった。農道は街の道程には整備されておらず、小石やでこぼこも多い為に余計に振動が強くなる。シヴィーは前から「しっかりつかまっていろ!」と声をあげて更にスピードを上げた。
実際にあの魔紋が見つかれば知識のある魔学に通じた首都王国兵団側の特殊部隊がいたのならば即座に破壊に移るであろう。その際にはシュングもサグンは抵抗排除と口封じも含めて始末される。部下を預かる身としての、今まで共にこの死体処理場で最後まで残ってくれた二人を思うとシヴィーの焦りは当然であった。
首都側としてはこの一帯、ヒルッターブランツ市周辺の魔力・生命エネルギーを枯渇させてこの件を偶然的に起きた自然現象として収束させる思惑である。この様な「膨大な自然から何処でも無差別に魔力を吸い上げる」術がこの世に存在しては決してならないのである。その技術は大地そのものを滅ぼす大量殺戮兵器にもなりえるのだから。そんな術が存在するとなると今まで築き上げた世界の魔学の常識が根本から崩れ、各国のパワーバランスが崩壊する。一国でもこの技術を持っているというのが世界に知れ渡れば周辺国を始め多くの人々が不安に苛まれ、不信感が生まれ、それは世界を巻き込んだ争いに。即ち戦争へと繋がっていく。
この現在、その国で使われる魔力エネルギーは全て純度の高い魔力が長い年月の元に自然に伴ったエーテル石鉱山から採取できる「エーテル結晶石」
そして地面や海底から発掘される生物の化石等に付着した「マテルファイバー」と言った物体から採取できる。マテルファイバーはまだ学説的にどの様な原理で化石等に付着しているのかは判明していないが、それはその死に絶えた生物の命の残留物が長い年月と共に物体化して化石表面に現れているのではないかと言われている。
採掘量が少なく発見箇所も散らばっているマテルファイバーは兎も角、エーテル結晶石の方はその資源を巡って過去に。いや、現在この時も根本的なエネルギー資源を確保・争奪として各国の政治やパワーバランスを表面化させている重要ポイントとなっているのである。魔学が発達して僅か50年の間にこのエーテル結晶石とそれを採掘出来るエーテル石鉱山を巡って多くの血が流れ、そして今日この日もその血は何処かの採掘場を巡り流れ続けている。魔学が発展した現代に起きた新たな国家間のそれはそれは大きな火種であった。
なのでロンロは首都側がこの死体降下現象を放置して知らぬ存ぜぬを貫き通す理由も理解している。
自らがこの術をコントロール出来ればそれは兵器として、無限に湧き出る資源として世界に覇を唱えるきっかけにもなり…本来は喉から手が出る程欲しい技術ではあろう。
しかし、調査の結果到底それが可能では無いという事を首都側は理解してしまった。
稀代の天才、22歳にして魔学に革命を起こしたヒルッター理論の提唱者、魔女ハルバレラ・ロル・ハレラリアが死の間際に本能的に見せた奇跡の、その命までもを捧げた産物を制御し理解するには人類はまだ早く、そしてそこまでの高みにまで魔学を修めきれていなかったのだ。
(私だってそう…!だからって!その大地が死に絶えるまで見過ごすなんて…!)
激しく揺さぶられる荷台に必死にしがみ付きながらも、ロンロはその首都側の考えに異を唱える。
その激しい走りの中でロンロの思考は目まぐるしかった。
魔力が拡散を始めたハルバレラの霊体はまだ形と意識を保てているのだろうか?首都側の人間に補足はされていないのだろうか?そもそも昨夜の街で起きた騒動、ハルバレラは一体何をしたのだろう?何よりあの魔紋は自分の狙い通りに発動してくれるのだろうか?…ハルバレラ、「あれ」を受けれ入れてくれるのだろうか…?
揺れ続ける荷台の中でロンロは疾走する背景と風を感じながら、険しい顔でシヴィーの背中と前を睨みつける様に見つめていた。
その時、シヴィーが大きく手綱を後ろに引っ張り馬の走りを急激に緩めた。
後ろにいたロンロは急激なブレーキに外の街道に荷台から放り出されそうになったがふんばって荷台の端を掴んでその衝撃に耐える。
急な乗り手の指示に馬が大きく「ヒヒーンと」声を上げて反応をする。
ロンロも「おおおおっ!?」という情けなく女子らしくないうめき声を発してしまう。
「ど、どうしたんですか!?」
一人思考を張り巡らせていたロンロが我に返って馬上にいるシヴィーの背中に疑問を投げかける。
「なんだ、何なんだあれは…!!?」
前方を見つめて驚きの声を上げるシヴィー。
気づけば二人は街外れの農場にある休耕地に出来た「死体処理場」から随分と市街地の付近にまで移動していた。そして、そこでシヴィーは信じられない光景を見て思わずその激しかった馬車の走りを止めたのだ。
「え…?何が?どうしたんですか?」
ロンロが馬車の荷台から恐る恐る顔を突き出してシヴィーの背中越しに前を見つめた。
「あ゛…!! あー…… あーね……。ソウイウコトデスカ……。」
呆れたかのような感心したかのような、いややっぱり呆れたような疲れたようなどうしようもない様な表情を浮かべてロンロが前方にある「異形のモノ」を見つめて冷静に呟く。
「あれは!?何故あんなバケモノが!?あれも魔女のなせる仕業か!?死体降下現象と同じ様にハルバレラの無意識の暴走によって起きた異変なのか!?」
「いやーその、あれは…恐らくハルバレラがわざと…。私が、いや「私達」が魔紋を大地に刻み付ける為に首都側の監視から目を反らせる為に…ハルバレラがやったんだと思います…ハハハハ。」
「はぁ!?あのバケモノを!あの手が無数に生えたバケモノを魔女ハルバレラが生み出した!?」
信じられない・到底理解できないとでも言わんばかりの表情でシヴィーがロンロの方に振り向いた。
「【魔法使いビゾームの人体改造白書】の著者、200年前に実在した自らの肉体を改造した大魔法使いの男ビゾーム…それをモデルにハルバレラが魔法で制作したエーテル・クリーチャーとでも言いましょうか…。こんなの作ってたのねあの人…。なんて感性かしら……。」
あんな不気味な物を生み出して街を混乱に陥れるとは…と呆れつつもやはり天才ハルバレラの発想と行動力と実現する魔法に対する理解の高さに少し感心もして、ロンロは複雑な気分になった。
目の前でそのビゾームは背中から尻にかけて左手を23本、右手を23本で合計46本の腕を巧みに使いムカデの様に二人の目の前をウロウロしつつも近くにある民家の屋根によじ登り「ビウギエオウガオガオジョジョアー!!!」等、良く判らぬ奇声を発してそのまま頭から突撃してその屋根を突き破って侵入。中から
「きゃあああーーー!!!」
という中年女性の声が聞こえてきたが…特にそれ以上危害を加える様子は無かったようで、しばらくしてそのビゾームは笑顔で玄関から這い出てきて「デンジュバーーーーァゥアオウゴア!!」と再び奇声を上げながら何処かにムカデ疾走をして去ってしまった。
続けて家から家主と見られる中年の男が出てきて、
「な、なんなんだ!!うちの食い物全部やられちまった!!!大食いめぇええ!!」
と半分泣きながら悲鳴とも言える声をを上げて去って行くビゾームに吠えた。
その光景をロンロとシヴィーの二人は唖然としながら見つめていた。
「ははは…あの人らしい…。」
乾いた笑いでロンロが呟く。
「一体どうなってんだ。しかもあの一匹だけじゃないぞ、そのビゾームとかいう妖怪は街中を這いまわってやがる…。なんなんだ……。」
辺りを見回しながらシヴィーが喋る。街のあちこちにあのエーテル妖怪ビゾームが街中の高所低所関係なく這い回っているのを確認できた。その数はざっと数えただけで10匹以上を越えている。シヴィーは理解が追いつかず唖然とするばかりである。
「多分…ハルバレラは気づいていた。私があの日、彼女の屋敷から飛び出して休耕地に戻っていった時に首都側の人間から尾行されていたのを。彼女はうん…そう、私が面会に行った時既に秘密警察に行動が把握されていたのを…。だからそれから目を反らせる為にこうやって妖異・ビゾームを大量発生させてかく乱させたんだと。」
ロンロは呆れながらもハルバレラの気持ちを受け取ったとばかりに優しく微笑んだ。
なんて奇天烈で、破天荒で、突拍子も無く、不器用な、それでいて自分の趣味に満ちた魔法だろう。考えるだけでおかしくなってくる、それがハルバレラという人間の本当の姿なんだろうとも思えた。何よりもそこから彼女なりの優しさと気遣いも感じられた。ああハルバレラ、貴女は本当に不器用なのね、不器用な優しさなのね、と。
「これが…ハルバレラが行ったロンロの、いや我々への手助けだと…。昨夜から一晩中やってたとでもいうのか!?…やりすぎじゃないのか?多くの民家に被害が出てるぞ…。」
流石のシヴィーも圧倒され続けるばかりである。
「うーん、ハルバレラなら街中の被害全額保証出来るかも…今やヒルッター理論における特許料は凄いですし…。他にも一杯魔学的な発見・発明をしていますし。いやーでも流石に、どうだろ…?」
前方に見える妖異ビゾームによってボロボロに引き裂かれたかのような街の風景を見て、流石にロンロも悩んでしまった。
その時、遠く前方の空から人間らしき物体が落下してくるのを二人は確認した。
ハルバレラである。死体降下現象はまだ尚、当然の如く続いていたのである。
多少の風斬り音が聞こえてきた後に空から落下し街道に叩きつけられて
「バシイイィイン!」
という音が響いてくる。
そして、辺りには血の海が生まれていた。そのまま直に地面に叩きつけられた衝撃は激しく腕や首が吹き飛んで千切れてぐちゃぐちゃな死体になっているのも遠目から確認できた。
「ハルバレラ…。」
ロンロはそれを見て静かに悲しく彼女の名前を呟く。
「這い回る妖異に落下する死体の数々、地獄絵図だ…最早現世に生まれた地獄だぞこの街は。」
ハルバレラの落下を見たシヴィーが我に返ったように顔を引き締めて答える。
「シヴィーさん、ハルバレラの元へ行きましょう。この光景を早く終わらせないと…。」
乗り出していた姿勢を止めて荷台に体を引っ込めたロンロ。
「…あの妖異は人間には危害を加えないのだな?」
手綱を握り直してシヴィーがロンロに質問をする。
「はい、周りの建築物や食料等に影響は与えていますが人間そのものを攻撃したり襲ったりする様には作られていない様です。ほぼ確実にハルバレラの作でしょうから、あの妖異ビゾームは。」
ロンロはハルバレラの屋敷で彼女に直接大魔法使いビゾームの本を見せられていた。だからあれはハルバレラの魔法だと理解できたのだ。彼女は人を襲うような魔法は使わないだろうと。
「馬がビビって進まなくなるかもしれんのが…。いや、逆に驚きと怯えのせいで走りも荒くなるかもしれん。荷台にしっかり摑まってるんだ!」
そう言ってシヴィーは馬にするどく鞭を入れた。
高らかな声を上げて馬は走りを再開した。
多少怯えて不安定な走りにはなっていたがなんとか問題なく走行は出来た様だった。
街の中に深く入れば入るほどビゾームの数は増えて、無残に荒らされた街の風景が垣間見えてくる。
そしてこの混乱の中で録に処理されず転がっている無数の笑顔で笑うハルバレラの死体。
死体が街道に転がり、屋根の上に叩きつけられて、柵の上に突き刺さっている。頭から大量の血を流して笑顔のまま転がる無数のハルバレラの死体に彩られてしまった街を妖異ビゾームが左手を23本、右手を23本で合計46本の腕でムカデの様に這い回る、それも何体も、何十体も。
本当に、本当に地獄の様だった。
人々は完全に怯えて屋内に引きこもっているが、時より精神的にバランスを崩したであろう人々の悲鳴とも奇声とも言える声が響きわわって二人の耳に届いてくる。それに馬も動揺してバランスを崩しており死ヴィーも苦戦していた。
地獄だ。地獄、ここは地獄。
夥しい血と悲鳴が木霊して、妖異が這い回り魔女の死体が降り注ぐこの街は地獄だ。
ハルバレラの恋の末路が生み出した地獄だ。
きっとテリナもこの地獄を味わっている。
あの男はこの結果をどう受け止めているだろうか?
ロンロの胸の中に一つの疑問が生まれたが、それは直に消え去った。
それよりもこの街の、ヒルッターブランツの惨状を見て彼女の想いと決意は一層固くなるばかりだあった。
恋の魔法を終わらせないといけない。
失恋は、失恋なのだから。




