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恋を、命を、舞い上げよう


46本の背中から生えた腕を使い時速38kmで地面を這い回るハルバレラが魔法によって生み出した使い魔、過去に実際した人体改造の魔術師「ビゾーム」は夜の暗闇の中、この街のありとあらゆる場所を這い回っていた。既に街中の目ぼしいエーテルを食らい尽くしたビゾームの群れは今や食料からエネルギーを得る為に活動している。街中の食料と言う食料が食らいつくされ始めていた。

声を発する事は無かったがこのビゾームは表情豊かで、自分を恐怖の目で見つめてくる一般人に対して不吉で不気味なニタリとした笑顔を持って返事をしていた。人は、その顔を見て更に恐怖に陥る。


テリナ・エンドはその不気味なビゾームのに怯えて外出する事無く昼からずっと一人暮らしをしているアパート部屋のベッドの中で布団を頭から被って怯えていた。


既にアパート全体のエーテルエネルギーを供給する1階に設置されたタンクの中身は外を這い回る無数のビゾームによって食らい尽くされている。照明も付けられるまま、暗い暗い部屋の中で怯えている事しか今の彼には出来なかったのだ。


(空から落ちてくる死体も…今、起きている事も…!全部全部ハルバレラ先生が…!?何の為に!?僕が、僕のせいなのか!あのリッターフランから来たロンロ・フロンコは何かを知っていた!!僕を探していた!?僕がこの一連の事件に関係しているというのか!?そんな?そんな!?そんなっ!!!)


怯えるテリナがいる部屋の玄関ドアから「ドンドン」と激しいノック音が聞こえてくる。


「ひぃあ!? こんな時に!?だ、誰だ!!?」


「テリナ!?大丈夫!?私よ、ナツノメ!ナツノメちゃん!!」


「ナツノメ…?どうして僕の家の場所を?」

彼が不思議に思うのも無理は無かった。テリナは一度として彼女に自分の家の住所を教えた事は無かったからだ。そもそもこのナツノメという女はテリナにとっては予想外の存在で、ある日いきなりテリナに対して距離を詰めてきたのだ。まるでナツノメは彼、テリナ・エンドを運命の男性と言わんばかりに、彼の事しか眼中に無いとでも言うかの如く。ここしばらくの彼女は彼に付きまとっていた。


「明けてよテリナ!いるんでしょ!?貴方が心配でいてもたってもいられなかったの!」

ドン!ドン!とドアを叩く彼女のその音がテリナをこの夜の恐怖と合わさり更に彼を追い詰めていく。ドアを叩くドン!という音の一つ一つが彼の心臓を抉る様に響き、恐れからか心臓の激しい鼓動を更に早めていくのである。


「僕は…僕は君を…。僕は君を見染めたりはしていない!!僕はっ!僕はっ!」

頭から毛布を被るテリナはその暗闇の中で錯乱し両手で頭を激しく掻きむしった。呼吸も荒くなり脈も更に荒くなる。心臓が不安から激しく高鳴るのが自分自身でも判る。彼はこのナツノメという女性を激しく意識した事は無かった。大学の同じゼミで同じだっただけ。少し派手目の恰好で可愛いと思ったのは事実ではあったが、ただそれだけ。それだけであったと彼は心の中で何度も唱えた。


「それだけなんだ…!それだけ!それだけなのに…!!まさか、まさか…!!あのロンロ・フロンコが言っていた…!?ヒィアアアィア!!!??」


彼はハルバレラの時と同じ様に知らずにこの女性に向かい…魔力を放出していた。

きっかけは些細な事。何気なく大学の教室で彼女の前を通り過ぎて一瞬だけ目が逢ったのだ、ただそれだけ。しかしその時の一瞬に彼は、テリナは己の才能を持って無意識に魔力を放出していた。彼の魔法がこの時このナツメノという女を瞬く間に取り込み、そして彼の虜にしてしまった。ほんの二週間程前の出来事であった。彼の端麗な容姿と相まって魔力は絶大な効力を発揮していたという事なのであろう。今、テリナの部屋のドアを叩く彼女の瞳は何かに捕らわれたように虚ろであった。そして何より、この魑魅魍魎が、化物が街を這いまわり空から不気味な死体が降り注ぐ暗闇を。一つも恐れずに彼の部屋まで駆けつけたその行動力が何よりの証拠。ナツメノという女はテリナの瞳の魔力に完全に魅入られている。


「テリナっ!開けてよ!テリナァァ!!私だから!安心してっ!だからテリナァ!!怖かったでしょ!?もう私がいるからっ!私が貴方を抱きしめて慰めてあげる!ううん!この恐ろしい夜から守ってあげる!だからっ!テリナァァ!!私よ!私よおおおお!!!」


「や、やめろっ!僕はっ!そんなつもりじゃ!!僕はっ!僕の魔法は!魔力は!才能は!こんな事じゃ!!違う違う違う!!違うんだぁ!!!!僕はそんなつもりじゃ!!ハルバレラ先生ぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええ!!ああああああああああああああああああ!!!!」


いやそれは本能だったのだろう。

多くの女性を物にしたいという男性ならではの本能が、無意識的に彼の才能を開花させていたのだ。彼は己の本当に望んだ才とは違う魔力の使い道をいつの間にか心得ていた。無意識の恋の魔法使い、テリナ・エンドはこの場に来てようやくその己の本質を知った。それは悲劇的にも彼の本当に心から望んだ才能ではなかった。それをたった今、自分の本質を。この絶望的な環境の中でようやく理解し、そして。


「あああああああああああああははああああああああああ!!この!空から堕ちるハルバレラ先生は!!僕が!!僕が追い詰めたというのか!!僕が!!ハルバレラ先生ぇ!僕は!!僕は貴女の様に自由に空を舞いたかった!!!僕は魔法使いになれる筈だったのに!!!こんなっ!こんなっ!こんなあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!先生っ!!助けて!!僕は!貴女を追い詰める気は無かった!!無かったんだ!!あああああああああああああああああああ!!!!」





暗闇の部屋の中の更に暗闇の毛布の中でテリナの嘆きが響き渡る。

外からはまだ魔力に捕らわれたナツメノが勢い良く恐怖の音を立ててドアを叩いている。

夜の空からはハルバレラの死体が何処かに落ちて響き渡るドサァ!という音と、ビゾームが這い回る不気味な足音が響き渡る。ドアの音、死体の落ちる音、ビゾームの這い回る音、そしてテリナの嘆きが合わさりそれは壮絶な負の感情を周囲にまき散らしていたのだが…それらを全て感じていたのはテリナだけである。ナツメノは魔力に捕らわれてこの恐ろしい状況を意識すらしていない。彼は今、無意識の恋の魔法を履行したその対価を支払う事になったのだった。






天才魔女「ハルバレラ」の死体が降り注ぎ、


無数の足で這い回る怪物「ビゾーム」が蹂躙する。


悪夢の様な夜に包まれていたヒルッターブランツ市の空もうっすらと明るくなり始め夜明けが近づいてきた。だが夜明けになっても混乱は収まる事を知らずに住民はただ怯えて驚き戸惑うしか出来なかった。

ただ、死体置き場の四人を除いては。





野犬騒ぎの後、一晩中シュングとサグンは自分が担当した場所を描き上げシヴィーはロンロの警護をしながらその補佐をして魔紋を地面に刻み続けた。その後も何度か野犬の気配はあったががその都度シヴィーが威嚇射撃を行い安全を確保する。混乱に包まれる街を背に彼らは無心で作業を続けた。やがて大きな魔紋は円を中心に刻まれ続け、中心に向かえば向かうほどその術式は複雑となりやがて作業は専門家のロンロ一人が行うようになっていく。シヴィーはロンロの近くに残り補佐と警護を務めながら、シュングとサグンは二人から少し離れた位置で銃を持ち警護を行った。






ロンロ・フロンコは魔紋を描く為に使用していた大きなスコップを地面に勢いよく突き刺した。それは魔紋が描き終わった合図でもあった。


徐々に明るくなってきた空が休耕地に作られた死体置き場をやさしく照らし始めると、うっすらとではあるがこの広い土地に刻まれた大きな大きな魔紋の全体が姿を見せていく。


この死体置き場一杯に描かれた大きな円の模様を中心に複雑な記号が刻まれた地面を朝焼けが照らし始める。ロンロ達は大きな大きな魔紋をついに描き上げたのだ。


「出来たぁあああ!!! って!? こんな跡をつけちゃダメだった!! ははは・・・!! 」


ロンロは両手を空に掲げて喜んだ後に、魔紋に余計な痕跡をつけたスコップを引き抜いてその跡を足で踏みつけてぼかして消す。この魔紋は大きな魔術式でもあるのだからなるべく不純な情報は残してはいけない、足跡ぐらいでも術式の発動が乱れる可能性もあったが…状況だけに完璧は求めれないのも仕方なしではある。



「終わったか…。ご苦労だった。」


近くで銃を構えてロンロを警護をしていたシヴィーがその腕を降ろしてロンロを労いの言葉を述べた。一つの仕事が終わったことで彼の表情にも若干の笑みが浮かぶ。



「おつかれロンロ、ああもう朝だ。こんなに気を張った一日は初めてだったよ…。疲れた…。」

ロンロやシヴィーから少し離れた位置で警護をしていたシュングがそのままペタンと魔紋の模様を避けて地面に座り込み安堵の表情を浮かべる。


「全くだよ…ああロンロおつかれ、俺も少しは役にたったかな…へへ。」

サグンもぐったりとしてその場に座り込む。



「まだだ!お前ら!ロンロの説明だとこの魔紋は大きな術式で乱れた分だけ精度が下がる!なるべく余計な足跡や傷をつけずにこの場を撤退するぞ!」

シヴィーが二人に気合を入れ直す様に声をかける。



「シヴィーさん、シュングさんサグンさん!ありがとうございました!まずは下がって休みましょう!」



四人はそーっと、地面に刻まれたこの広大な魔紋を傷つけない様に元休耕地の死体処理場から外に出る。すっかり明るくなった空から照らされて全貌が浮かび上がったその光景は中々壮大な物であった。皆で横に並びその光景を見る。周りが明るくなった所でシヴィーが頭を射抜いた野犬の死体が倒れていたままなのに気づいてシュングが慌てて担ぎ上げて外に引っ張り出した。



「…とりあえずは出来たな。」

流石のシヴィーも疲れが浮かびながらもうっすらと笑顔を浮かべた。


「はい、皆さん本当にありがとうございました。…まだ、これが本当に発動するのか、私の計画が上手くいくのか…。言い出しっぺが自信なくて申し訳ないですけど…。」

自信なくロンロが告げる。


「いや!上手くいく!!」

汗と泥で汚れた表情になっているサグンが力強く答える。


「そうだよ、僕たち頑張ったんだからさ!…っと!!」

ドサッ!と野犬の死体を地面に降ろしたシュングもそれに同意した。


サグンだけじゃない、シュングもシヴィーもそしてロンロも一晩中地面を引っ掻き回してこの広大な休耕地の死体処理場に魔紋を刻み続けたそのお陰で皆が皆、泥だらけの汗だらけになっていた。


「こいつ、後で墓でも掘ってやらないとな。」

シュングが死体に目線を降ろして呟いた。


シヴィーも続いて、

「そうだな…。元は山で人間の目を離れて生きていたのだろう。こんな事にならなければ俺達とも出会わなかった筈だ、弔ってやるか。」と同意する。


「命は、命は巡り巡る物です。エーテルの光という命のバトンは本来ならば食物連鎖によって繋がれる物。その神の理に私は背く術を実行しようとして…実現するのかどうか、わかりません…。」

ロンロが力無く答える。

本人もそれは判っていた、判っていたが実行せずにはいられなかった。あのハルバレラをこのまま消滅させるには余りにも寂しいし、余りにも辛い。だから実行してみた、理論はある。エーテルエネルギーだって足りているだろう。しかしそれは神のこの世界の理を欺き、ただの人間が行うには過ぎた術。こんな事が許されるのだろうか、そもそも本当に実現できるのかと。


「まぁ…やって見ない事には判らん。そもそもだ、今回のこの現在も起きている死体降下現象自体が神の意志とは想定外だろう。元々無茶な事が発生している。無茶な手段で解決するというのが道理という物だ。」

いたって真顔でシヴィーが答えた。





その時。



死体処理場に繋がる農道の脇辺りから




「ヒュゥウウウウーー!!」という風斬り音が聞こえたと思うと直に、



「ドサアアアアアアッ!!!」と、何か質量のある物体が地面に叩きつけられる音がする。




この夜も、作業に夢中であった彼らの意識では捉えられてはいなかったのではあるが。


死体は、この近辺に問題なく降り注いでいたのである。




「…あちゃー。もうさ、どうもこうも言ってられませんよね。これはね、ほんとね。」

シュングが呆れた面持ちで音のした方向を見る。


「だなー。巡査長殿どうしましょう?」

サグンがシヴィーの方向を見て判断を仰いだ。



「魔紋を崩してしまう訳にはいかん。処理場近くに集めておけ、今回の事態が収まったら最後の一仕事で埋めてやるとする。」

やはり真顔でシヴィーがそう答え、それを聞いたシュングとサグンの二人は死体を回収しに小走りで駆け出した。



「という訳だ、ロンロ。このまま友人が死に続けるのは忍びないだろう。やるしかないんだ。」


「は、はい…。そうですよね、こんな事終わらせなきゃ…。ハルバレラ、もう今夜分のカウント含めると600回ぐらい死んでそう。」







その後シヴィーに促されてロンロは二人で駐在所の建物の中に入って一休みする事にした。

泥だらけの服のままだがシヴィーは「構わずソファに座って構わない、休め。なんなら仮眠もだ。」とロンロに言う。彼女はそれに甘えて泥だらけのままソファに座り込む。一晩中立ちっぱなしだったのでこの駐在所のボロボロのソファーでも体を優しく包み込む様に嘘みたいに気持ちの良い座り心地。作業を終えて少し安堵したのもあってそのまま寝てしまいそうであったがまだ寝る訳にはいかないとロンロはウトウトしながらも踏みとどまる。シヴィーは一人で奥のキッチンに入って何やらゴソゴソ始めている。自分とロンロ、そして外でまだ死体片付けの作業をしている部下の二人の為にコーヒーを入れようとしているのだが…、普段シュングに任せているので手間取っている様であった。


彼がキッチン奥で苦戦しているとシュングとサグンがドカドカと音を立てて帰ってきた。



「いやーさ!気づかない内に死体がさー!全部で12,3個は落ちてきてて!夜は夢中で気づかなかったけどさ!全部処理場の前に纏めてきたよ!!…あれ?コーヒーの匂い?お!?巡査長殿ありがとうございまーす!!」

サグンが大声でキッチンに向かってお礼を述べる。


「あーいやはや、まずは一息入れなきゃだけどお風呂も沸かさないとね!最初はロンロが入っていいよ!小さい体で良く頑張ったよー! あ!巡査長殿大丈夫ですかー!?手伝いましょうかー!?」

シュングがキッチンを覗き込むようにするとシヴィーが慣れぬ手つきでコーヒーをトレイに乗せて帰ってきた。


「何とか出来たよ…。まぁ飲めるだろう。まずは一息だ。」

長身のシヴィーが人数分のマグカップが乗ったトレイを持つ姿が面白くて、ロンロは少しだけ目が覚めた思いがした。



ソファーからテーブルに写ったロンロはそのシヴィーが入れてきた熱い不器用なコーヒーをそっと口の中に入れる。確かに前にシュングが入れた奴よりは粗削りな味であったが…それがとても暖かった。熱い液体が喉から胃にしみて体にやんわりと広がり、熱が内側から目を覚ましてくれる様な、そんな優しい味であった。


他の三人もコーヒーを口にしてほっと一息入れている。

シュングなんかは「この味は生涯忘れないだろうなぁ…巡査長殿のコーヒーを。」等と漏らしてシヴィーから「うるさい!」と言われ軽く頭を下げたりしていたりする。




しばらくの沈黙の後、シヴィーがロンロを見て言う。

「それでだ、この後はどうする?残念ながら今日は寝床に倒れて入って一休み…。とはいくまい…?」

シュングとサグンの二人も緩んでいた顔が締まり、マグカップを置いてロンロの方を見つめる。



「はい。私も倒れてこのまま顔も洗わずに眠ってしまいたいんですけど…そうもいきません。」

ロンロはうつむいたままそう答えた。


シュングが続き、

「あの魔紋を発動させる、その方法を具体的には僕らは聞いていなかったね。」

緊張した表情で彼はそう目の前のうつむいているロンロに質問をした。


「この死体処理場の休耕場に…ハルバレラを、正確にはハルバレラの魂のコピー、いやあれは彼女の魂そのもの…。そのエーテル体をこの場に連れてきたいと思っています。」

ロンロは顔を上げて三人を見つめる様にまっすぐと、力の籠った視線で答える。


「…お化け?」

サグンが引きつった顔で反応する。

ここしばらく死体を見続けてきた彼であったが、そういうナマモノよりお化けの様な抽象的な物の方が怖いのかもしれない。


「お化けみたいなモノですね。いや、エーテル体の残留だから割と、ううん。本当にお化けかな?」

ロンロが少し苦笑してサグンに答えた。


「うぇええええぇ…まさか数百体処理して地面に埋めてきた本物の中身とご対面するとはぁ…!?」

それにサグンは狼狽えてしまったのであった。


シヴィーが気にせず続ける。

「…まぁ今のハルバレラ女史はともかくだ、彼女のそのエーテル体を連れてきて俺たちの描いた魔紋を発動させる訳だな。どうやって発動させる?例えば焚火の元になる落ち葉の山にに火をつけるにしても…マッチやライター、火打石。何かしら火種が必要になる筈だ。」




ロンロはその問いに懐から万年筆を一つ取り出して机の上にそっと置いた。

青い鼈甲で包まれたその万年筆は駐在所のランプの光を反射してテーブルの上で青く美しい光を照り返している。


「これを、使います。この万年筆はハルバレラの自室から回収したものです。」


「これはペン?万年筆かな?なんだいこれは?」

シュングが机の上に置かれたペンを覗き込む。


「んあ?これで一体何するんだっていうだ?エーテルがばーっと飛び出したりするのこのペンから?これがライターや火打石の代わりになるっての?」

サグンも続く。


「いえ、私はこの万年筆を使って今回の魔紋の設計図を描いて計算しました。反転させた図式を描き出しました。でも、夢中になってこのペンを使っていたら…。ううん握っていたら一つ、この万年筆の秘密に気づいたのです。」


「秘密だと?この万年筆に何か魔学的・魔法的な機能があるというのか?」

シヴィーが疑問をぶつける。


「シヴィーさん、失礼します。多分伝わる筈です。」


ロンロは万年筆を握りしめてそのままその先端をシヴィーの、彼女に比べると非常に大きな手の高に当てた。そして目を閉じて、思いを込めた。ロンロ自体も確信は無かったがあの感触はそう、きっと彼女が推測している機能がここで働くはずだという確かな自信があったのだった。


「なんだ?何をしているロンロ。 何か… !? これは!」


突然、大声を上げてシヴィーが椅子から立ち上がった。

その光景にシュングとサグンも驚いて彼を見つめる。


「じ、巡査長殿!?」

「え?なに!?ちょと!え!?」

驚いた二人は彼を座ったままの二人が見上げる。


シヴィー本人も驚いた様子で青い鼈甲の万年筆に触れた手を見つめて答える。

「何だ…ロンロの考えていた事か!?いや感情が!思考の一部!?…なんと説明したらいいか判らん!!それがだ!!この万年筆に触れた手から流れ込んできた…!!」



「そうです、これを使います。私はペンを握っていて判りました。あの魔紋を描いていく内に彼女の内面に少し触れた気もして…。ううん、事情はひょっとしたらハルバレラ本人より知っているかも。私、テリナに逢いましたから…。」


そう言うロンロは万年筆を見つめながら少し悲しげに語る。


「きっと、ううん。これは私の推測ですがこれは彼女・魔女ハルバレラから彼へのプレゼントで…。不器用で恥ずかしがりな彼女はこの万年筆を使って彼に渡す際に想いを告げる気だったと思います…。この、自身の発見したヒルッター理論を利用して、その施しを行ったこの青い鼈甲の万年筆で…。」



「ヒルッター理論…?電話等の通信技術に使われるこの街の名前にもなったあれか?」

シヴィーは己の手を挙げたままロンロに答える。



「そうです、エーテルの流れに情報…それは音や映像だけでは無く、時に香りや食べ物の味も。そしてその真の本質はエーテルに感情を乗せる技術。エーテルには感情が乗り、その情報が伝わるのです。ハルバレラはそれを知っていた。私が真剣になって万年筆を握り、そして昨夜にこの駐在所のテーブルで魔紋を描いていた時、この万年筆を握った手から私の想いが私の体内のエーテルと一緒に流れていくような、そんな感触がしました。きっと、そうだったんでしょう。あんな複雑な魔術式を反転させて描き出すなんて私には無理かもしれない、ううんきっと無理!でも気づいたら完成していた。あれは!私が自然と想いも使って理屈じゃなくて感情で描き出した一面もあります!エーテルに感情を乗せる世紀の大発見!魔女ハルバレラが発見したヒルッター理論によって!!」



「それで、どうする?そのヒルッター理論が起爆剤になるというのか?」

真剣な眼差しになったロンロに対して少し内心圧倒されたシヴィーが答えた。


「正確にはこれは導火線。私の記憶と想いをハルバレラの霊となった存在にこの青い鼈甲の万年筆を使って直接流し込みます。彼女の記憶を呼び覚ますのです、死の瞬間を。自らの体を吹き飛ばすほどに…思い詰めた彼女の最後の絶望と悲しみを…私は呼び覚まそうとしています…。」


そう言うとロンロはまたうなだれてしまった。

瞳には涙すら浮かべている。


「今の彼女は忘れているんです。死ぬまで思い詰めたあの時の事を。その瞬間辺りからスッポリと記憶が抜けていて…。あれはきっと魂の防衛反応何だと思います。でも再び想起させればきっと、それで彼女は再び感情の爆発を起こす。それがあの魔紋の起爆剤です…。私はまた彼女に死ぬ事を強要するのかもしれない。辛く悲しく寂しく、死ぬまで思い詰めたあの感情を再び想起させる。少なくとも絶望を…。私は再び友人を殺そうとしているかもしれない……。この魔紋が発動せずに失敗すれば彼女は絶望の中で再び死ぬ事になると思う……。」


それを告げるとロンロは両手で顔を抑えて泥だらけの顔を涙で濡らした。

涙で顔に付着していた泥が溶けていく。彼女の顔は土と熱い涙で泥水が滴り落ちていた。



「それは…可哀想だね。僕だって子供時代の失敗や恥ずかしい行いを今でも思い返すと…顔が真っ赤になっちゃうんだよね…。それがあの魔女ハルバレラには…今回は死ぬほど辛い思い出でさ…。」


シュングが呟くとサグンも


「俺、この事件のちょっと前さ。ある女の子にフラれてたんだけどさ、辛かったね。でも女の子の失恋なんかと俺の数撃ちゃ当たる行為を同レベルで語るのもあれなんだけどさ…。はは。辛かったろうな魔女…。」

そう語ると彼は休耕場がある方向の窓に顔を向けた。先ほど回収したハルバレラの積みあがった十数体の死体の方面であった。



「つまりは…この死体降下現象と発端となった魔女ハルバレラの魔力爆発。この死体処理場に描かれた魔紋のオリジナルが刻まれた時の現象を。ロンロ、お前がこの万年筆を使って記憶を流して呼び覚ましてそれを点火として利用して。再び俺達が描いた魔紋で起動させようとしているのだな。」


シヴィーがそっと手を降ろしながらロンロに語り掛けた。


「はい…ぐすっ……。また彼女に辛い思いをさせる…。でも、それしか私達の描いた魔紋を起動させる方法はありません。天才魔女ハルバレラの起こした魔力爆発を再び起こし利用するしか…。先ほどシヴィーさんに私の記憶を流し込んだ程度の魔力、それなら誰しもが体に宿しています。だから万年筆を通じてシヴィーさんに私の感情の一部を伝える事が出来ました。ですが、あれ程の魔力爆発を起こすにはハルバレラの魂に宿る魔力とそれをコントロールする天性の才能が必要なんです……。」


ロンロが目に涙を浮かべながら答えた。

夢中になって完成させた魔紋は再び彼女を殺すという事でもあった。



このアイディアを思いついた時から気づいていた。


ただ可能性があるのなら、再び彼女に肉体を宿らせて蘇らせる可能性があるのならと無我夢中に魔紋を自分なりにロンロは解析して逆転して起動する物を描いて見せた。彼女は魔学を優秀な成績で収めたこの分野の天才ではあるが、魔女では無い。天才ではあるが、真の天に選ばれた才を持ち合わせた訳では無い。だがこの方法ならハルバレラを救い出せるかもしれないと結論を導き出せた。しかしそれは大きなギャンブルでもあったのだった。



「あ、あのさ…もし失敗してさ。起動しなかったならいいけど…。これ以上状況が悪化したりする事は無いよね?はははは…。上手く発動するかは判らないとは聞いていたけど…なんか不吉な変な事が起きるとは聞いてなかったからさー、ハハハハハ…。」

シュングが青ざめながらロンロに問いかける。



「あの…今まで黙っていたのは本当に申し訳無いのですが…そもそもこの現在のハルバレラの死体降下現象自体が魔法の、魔学の、いや人類の歴史上前代未聞の事でして…。その可能性は十分あります……。」


ロンロが小声で言うと


「えええぇ…。」とシュングが顔を引き攣らせた。


「例えば、どうなるのよそれ…?」

サグンが続けて問う。


「そのー…正直本当に何も判らなくて…。本来は小規模な実験を繰り返してデータを取った所でやりたいのも山々なんですがそんな時間も無く……。えーと、もし大失敗したら今の現象が加速して更に勢いを増して死体が降り注いだりとか…そのー……想像も出来ない様な悪い事が起こる…かも?ははははは……。」


自信なさげにロンロが「ヘヘヘ」と愛想笑いを浮かべた。

涙は引っ込んでいた。現在起きている現象自体が今まで前例も無いほど強大な現象である為に当然ではあるが一応今回の逆転の魔紋を描いた本人ではあるが本当も、また、何が起こるか一切判っていないのだ。もし成功しても副作用的な効果が発生する可能性すらある。



「おい。」

流石のシヴィーも彼女にツッコミを入れた。


「ど、どうすんの?そんな危険なもんなのアレ…。」

死体処理場の方に目線を送りながらサグンが続ける。


「例えばさ、上手く発動しない位だと思ってたんだけどさ俺ら。…失敗して変な効果が発動したらどんな事が起きそうなのかな?一体さ?」

シュングも続けて彼女に質問をする。


「えーとですね、まずオリジナルの魔紋自体が彼女の魔力爆発によって起きた物ですから…。うまく魔力を逆転出来なかった場合はその…ハルバレラのオリジナルの魂とこの死体処理場に埋められたハルバレラの魔力が暴走してですね…とりあえず、まー、オリジナルと同じく大爆発の可能性は高いかな?ハハハハ…。」

ロンロがもじもじしながら引き攣った愛想笑いを引き続き浮かべながら答える。


「だ、大爆発だと…!」

シヴィー巡査長38歳、年甲斐も無く慌てる。


「えーとまぁその、スイマセン…。それも凄まじい規模の爆発が起きると思います。へへへ…。なんせオリジナル魔紋より何十倍も大きいですから。埋められたハルバレラの死体の魔力も合算しますとそれはもう…。この死体処理場が蒸発するくらいなら良いですがこの街全体の地形が変わるくらいのが起きてもおかしくないかなーと。ヘヘヘッヘ…。」

すっかり涙は引っ込んだロンロが申し訳なさそうに述べる。


「ええ…。えええええ……。それじゃもう兵器じゃんアレ…。」

完全に青ざめたシュング。


「いやー、もう何言ってるかまるでワカンネ…。」

サグンは呆れ気味に椅子の背もたれに大きく寄りかかり天井を見上げた。


「それだけならまだいいのですが。強制的に魔力の流れを一気に逆転させるので。えーとですね、正直本当にワカンナイデスので…。この現象が加速するだけなら良いんですが…。」


「更にあるのか、悪いパターンの予測は…?」

シヴィーも最早呆れ気味である。


「アノデスネ…最悪の場合はこの一帯処か…この大陸の魔力のそのものを吸い上げて放出してしまったりもするかなーって…?思えば国もリッターフランもそれを恐れていたんですねって。今頃になって気づきました私も…。」

申し訳なさそうにロンロがモジモジしながら答えた。


「そうしたら、どうなるんだ? この大陸ごと国が吹っ飛ぶか!ハハハハハハ…!」

サグンが天井を見上げたまま笑いながら喋っている。


「いやーまぁ仮にそのクラスの大失敗が起きて大陸が吹き飛ぶ程の大爆発と魔力逆流が起きたら…この星の地軸すら歪んでしまって重力バランス自体が崩壊しちゃったりとか、まぁそうでなくても天候が変わったりとか…、この星すら死ぬ事も十分と言いますか…。大規模なお話ですよねウヘヘヘヘヘ。でもー、そのーー。困った事に、決してゼロじゃないんですよねそのクラスの失敗も。なんせ元々が大地からエーテルを吸い上げるという前代未聞の現象を引き起こして、えーその、皆さんもこれまでの事でご存知の通りこの一帯のエーテルバランスは崩れて様々な異変が起きてらっしゃるのはご存知かとウヘヘヘヘヘ。」


不気味に笑いながら凄まじく恐ろしい事をロンロがぼそぼそと喋った。


「………。」

シュングはあまりの話の壮大さになんと答えていいか判らず完全に絶句した。


「ハァー…」とシヴィーは大きなため息を付く。


「ハッハッハ!なんだそりゃ!俺らがこの星を滅ぼすってか!!ハハハッハ!!!」

天井を見上げたままサグンは大笑いをしている。


「えーー、黙っていてスイマセン。もうギャンブルに近いというかそのものでして。皆様にお付き合い頂いて申し訳無く思う今日この頃デス……。上手くいかないかもとは言っていましたが…その、そういう事も起きる可能性もあるかなーって、ウヘヘヘヘヘ…。」

小さく不気味な笑い声を上げながらちょこんとロンロが頭を下げた。



「…それでもだ。」

シヴィーは自分が悪戦苦闘しながら入れたコーヒーを一気に流し込みながら答える。

「それでも、それに賭けるしか無いんだなロンロ。」


「はい、それしか無いと思います。リスクはあっても…というかあったらみんな申し訳無いのですが死ぬんですが…。そうでなくてもこのままだと大地から吸い上げたエーテルを利用し続けてハルバレラの死体はこの周辺のエーテル環境、すなわちこの一帯の全生命体の活力・命そのものといっていいそれらを延々と吸い上げ複製を続け空から降り続けるでしょう。すなわち、避けられぬ死です。」



「判った。」

そう言うとシヴィーは「ダン!!」とテーブルを叩き椅子から立ち上がった。


「シュング、サグン。おいサグン!馬鹿笑いを止めろ。」


その音に我に返った二人はシヴィーを見つめて同じく椅子から立ち上がった。

二人とも自然に気を付けの姿勢を取っていた。


「状況は聞いての通りだ。このまま何もしないままだとご存知の通り、この街は死体に埋もれて死ぬ。ならばどうするか?もちろん俺らが一晩かけて描いたあの魔紋を起動する!!」


「は、はいっ!」

「まぁそうっすよね…。やりますよ!はい!」

サグンはヤケクソ気味に答えた。


「ロンロ!お前はまず風呂に入れ!そして少しだけ休め!さっきその万年筆からお前の思考が流れ込んできたが…猛烈に風呂に入りたいという気持ちがな嫌という程に伝わった!シュング!サグン!風呂を掃除して沸かしてやれ!俺は馬の準備だ!ロンロが風呂に入って一休みしたら直に俺はロンロと二人でハルバレラの屋敷へ向かう!」


「あ、スイマセン…。もう汗だくと埃だらけでお風呂入りたくて…。」

ロンロが再び申し訳無いと言わんばかりに大きく頭を下げた。


「いやーまぁ、よく考えたら若い女の子というか、まだ子供といっていいかもしれない君が徹夜で労働するのは辛かったろうしね…。僕とサグンで準備するからさ!いくよサグン!」


「へいへい!そりゃそうだ!でも俺だって死ぬ前にせめてひとっ風呂浴びたかったなーー!!」


「死ぬと決まった訳じゃないでしょ!!ホラホラいくよ!!」


サグンを引っ張ってシュングは風呂の用意をしに向かっていった。


「はーやれやれ。大きな大事だ。まさか惑星規模の話になるとはな…。」

小言染みた声を上げながらシヴィーも立ち上がり玄関の方へ向かう。


「あのっ!シヴィーさん!…すいません黙ってて。」

椅子から立ち上がって馬車の準備をする為に外に出る玄関の方へ向かうシヴィーの背中に向かって頭を下げるロンロ。


「構わんさ。お前さんの思考が流れてきた時に、風呂に入りたい着替えたいお腹がすいたもう眠たい疲れた……それら以上にそのハルバレラを救いたいという気持ちも、また流れてきたからな。それを俺に伝えたかったんだろう?その友達を助けたいとな。ズルい方法だよまったく。」

振り返らずシヴィーはロンロに返事をした。

そのまま片手を挙げて彼女に返事をした上で、玄関のドアを開けて外に出ていったのであった。





「シヴィーさん…シュングさんサグンさん。ありがとう…。ありがとうございます……。」


ロンロは心の中でそう三人に向かって頭を下げる。



風呂の準備までまだ少し時間がかかりそうなので再び席に座ってすっかり冷めてしまったコーヒーをロンロは流し込んだ。冷めたコーヒーを少し落ち着いた環境になって味わってみると…やはり少し不器用な感じの苦い味ではあったがシヴィーさんらしい…ともロンロは感じた。外の方からシュングとサグンが何やらやかましく喋りながら風呂の準備をしてくれている。玄関の方からは馬車を準備する物音や馬の鳴き声も聞こえてきた。彼らも一晩中魔紋を描き出す作業をしていて寝ていない筈なのに…から元気を出して自分の発案した無茶なアイディアの為に尽くして動いてくれている。彼らの期待と誠意に応えられる結果があの魔紋から発動すれば良いのだが…。


しかしそんな保証は無い。


無くてもやらなければならない。


この死体降下現象を止める為にも。


何よりこの街、ヒルッターブランツ市に来て作れた大切な友達ハルバレラ。


彼女を再び蘇らせて、そして生きた彼女と「初対面」する為にも。


やらなければならない。



そう思いながら、少し静かになった事で徹夜の疲労がどっと押し寄せてきた彼女は知らず知らずの内にテーブルの上で倒れる様に眠ってしまっていたのであった。




閉じた瞳の中で、少しだけ見た夢の中でロンロはハルバレラのあの不気味な笑顔を見たきがした。







不気味で


ニタついて


陰湿なあの黒髪の魔女ハルバレラの、それで少し寂しげなあの笑顔を。











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