死する魔女、恋の傷の癒し方
ロンロはエーテル体のハルバレラの後を付いていき、大きな屋敷の一階にあるこれまた大きくて豪華な客室に通される。『パチン』とエーテル体のハルバレラが指を鳴らすと客間のカーテンが一斉に音を立てて開いて外からの光を受け入れた。
「ハイハーイ座って、スワッテ!」
ハルバレラから背中を押されて大きな赤い色のソファにロンロは腰掛けさせられた。
彼女も同じ様に対面に座る。
そして座った姿勢のまま指をクイクイと動かして客間の奥からティーカップと大きなガラスで出来たティーポットが無音のまま二人の腰掛けるソファの目の前にあるテーブルに飛んできて静かに着地をする。
ハルバレラが魔法でここまで運んできたのだ。
「お茶の葉は屋敷に残っテタケド、ヒトのいなくなった屋敷だとナマモノは全滅ダッタワー。代わりにドライフルーツがアッタカラー これを入れてドライフルーツティーヨ。」
ガラス越しのティーポッドには苺やレモンやリンゴの切り身のドライフルーツが紅い紅茶の中に浮かんでいるのが見える。
ロンロが来る前から暖めていたのか、既にフルーツの甘い匂いと紅茶の良い香りも漂ってきていた。
ハルバレラは再び魔力でポッドを持ち上げてロンロの目の前に置かれたティーカップに熱いお茶を注いだ。
「いただきまーす…。 ぁあ、甘い!美味しい!」
しっかり紅茶に溶け込んだドライフルーツの甘さと香りがロンロの子供舌を満足させる。
甘ければ甘いほど美味い。その単純な子供らしい方程式は彼女の中ではまだ絶対的な物として存在していた。
「ヒヒァ、ヨカッタワ~~~。」
ハルバレラもロンロの満足そうな顔を見て満足する。
「美味しい。ありがとうハルバレラ。…なのは良いんだけど、昨日からカーテン開けたり屋敷の照明を付けたりしているの?」
この屋敷も首都の人間に監視されている筈である。だとしたら中に誰かがいるという事を知らせるのは不味いのでは無いだろうかとロンロは思った。
「フム。ロンロちゃんの良いたいことは判るワヨ~!」
ハルバレラは窓から外を見つめた後、窓に向かって手を伸ばす。
彼女の手から大きなエーテルの渦が発生した。ロンロの顔ぐらいの大きさはある。そしてのその渦の中心から映像が浮かんできたのだった。
「うぁ!…これってもしかして。」
ハルバレラの片手から発生したエーテルの渦はこの屋敷の遠く離れた建物の屋上から、望遠鏡らしき物を使いながらこちらを監視している男をしっかり映し出している。
「アヒヒヒヒ!あの男が使っているエーテル・スコープの波長を捕らえて逆探知したのヨ~!アノ装備…私が国に依頼されて開発シタンダカラそりゃ判るッショー!…王国兵団の秘密警察の類ネ。」
何の事は無い、ハルバレラにはしっかり監視側はお見通しされていた。
逆に監視されている始末である。
ハルバレラはそう言うと腕を引っ込めてエーテルの渦を消してしまった。
「あっ! もうちょっと見て起きたかったな…。」
ロンロが名残惜しそうに言う。
「アヒヒアー!ウチを張ってるのが後八人ぐらいイルワ!一体全体生前のワタシったら何シタンデショネー!!」
「えーとその…。いつか言おうとは思うんだけど…。その…。」
ロンロが言葉に詰まっていると、
「オーゥ!言い辛いならケッコウケッコウ!どうせアタシ死にたかったミタイダシー!真実を知ってまた死のうとしたら今度こそ完全消滅シソウダシー!このままこの体でまだ遊びタイシー!」
「ハルバレラ…。」
「マァーマァー!明るくイキマショ!明るく! …ぱー!フルーツティウンマーイ!専門書の見よう見まねでやってみたけどワタシ!流石天才!ヨクデキマシタ!!」
ハルバレラは自分のティーカップに告がれた熱々のフルーツティーを一気にゴクゴク飲んでしまった。
熱を感じないのだろうか?あっという間にカップの中を飲み干した。
「え゛!!」
ロンロがびっくりしてその様子を見つめる。
エーテル体で生身の肉体を持たない筈のハルバレラが目の前でお茶を飲んだのだ。
「アヒ?」
「あひ?じゃくて! どうやって!?貴女はエーテル体でしょ…?」
「カンタンカンタン。予想以上にしっかり記憶が焼きついてたノヨワタシ。過去の経験の飲食経験の記憶ヲ呼び出して意識内で味を感じる様に組み替えてみたワー!アヒヒアイアアッヤヤア!お茶が飲めるエーテル体のお化け登場ー!!大発明よコレ!!アヒヒヒアー!!!」
「凄い…。」
圧倒されつつロンロは素直に感心した。
「タダ問題点として食べた事のナイ味は連想デキナイノヨネー。新しい食べ物の場合は素材の分子をよく理解して分解して、再び意識内でその味を構成する為に組み替えてと…そうしたら体験した事の無い味も処理出来る様にナルワー。しばらくこの研究で良いわね、お化けになっても暇しないわコリャ!アヒアヒアヒアハヒアヒ!!!!」
新しいおもちゃを手に入れたと言わんばかりにハルバレラはゲラゲラ笑い始める。
天才は暇という言葉を知らない。あらゆる現象から様々な発想を繰り出し研究して追及してしまうのだ。
「飲み食い出来るお化けかぁ…。」
ロンロは素直に感心しつつもちょっと引き気味で返事をする。
死んだ存在である幽霊体が飲み食いするというのもおかしな話であると思ったからである。
「でもコレネー、消化器官とか存在しないからミテミテ、お腹にお茶溜まってるの見えルデショ。」
ハルバレラは自分の下腹部を指差す。半透明のぼやけたエーテル体の彼女のお腹にフルーツティーの液体がそのまま水溜まりの様になって浮かんでいた。
「どうすんのよ、これ…?」
それを見つめてロンロが呆れ気味に話す。
「もったいないし飲む? 取り出すからロンロ飲んじゃう? まだキレイヨコレー。ワタシ体無いし。」
「イヤです!気分的にイヤです!!」
「エーーー。」
その後二人はお互いを見詰め合ってその様子にしばらく笑い会った。
ハルバレラは友達とお茶をして会話をして、そして笑い合うという初めての体験に内心身を震わせて喜んでいた。彼女はエーテル体になってもこの世に存在したいという想いが強くなっていく事を内心で実感していた。だからだろうか、無理に自分が死んだ真実を知ろうとも考えなかったのである。
「だけどハルバレラ、私はもう一度ハルバレラの部屋の魔紋を見ておきたいんだけど?大丈夫?」
「ウェエエエエ!マター!飽きないワネー!」
ハルバレラが何時もの不気味な笑顔のまま眉だけを顰める。
「それが私の仕事なの。この街に来た目的。」
「マァー、そういう事ナラしょうがないわネー。友達ダシネー。でもリッターフラン対魔学研究所は魔学操作に関係した機関。検察や警察機構に不都合な情報ナンカ平気で揉み消す時もアンダカラー!ちょっとキライ!!」
昨日この屋敷に侵入した時に聞いたリッターフランの悪い噂の事を言っている様子。
「私は入所して一年目だからそこまでまだ関わった事無いんだけど…。あ、今現在関わってるか…。」
そしてリッターフランはこの街の大地エーテル減少を警察機構と組んで黙殺しようとしていたのであった。この事に一番怒りを感じていたのは他ならぬロンロ・フロンコでもある。
「ネー。ヤメトキマショ…?」
ハルバレラが両手を合わせてしなを作る。
「それはまぁそれ!ウチの研究所がアレなのは置いておいて!イチ研究員として調べる物は調べる!だからしっかり徹底的に調査します!」
「チェーーーー。ショウガネー!付き合いマショ!!」
「ありがとうハルバレラ。それにしても貴女が進めていたペットロスの研究凄かったのね。味覚の記憶から今のリッターフランの話まで…ううん、魔学の研究をその状態で進められているだけでビックリ。ほぼ生前の記憶そのままじゃない?」
「それに関してはワタシもフシギ。ドシタノカシラ、本来の霊体ってもっと記憶チグハグでツギハギだらけのハズよ。会話だってまともに出来ないくらいニネ。」
「大体普通の霊体って、昨日この屋敷にもいたんだけど…。普通は恨み言しか言わないのにね。負の感情しか残ってない。そもそも死んだのを後悔した人じゃないとエーテル体にまでしがみつこうとしないし。」
「オカシナハナシネー。でもお陰でセカンドなライフを楽しめてるワー。神に感謝!ピース!」
ハルバレラは負気味な笑顔でロンロにVサインを作って見せる。
「ははは…、まぁ本人が良いならそれで良いかな…。」
しかしロンロは思う。
( 逆に不自然な程テリナ・エンドの情報が抜けている。半年以上も交流があったなんてこのエーテル体のハルバレラは覚えていなかった。意図的に負の感情だけを取り除いた様な気さえする…。今のハルバレラは。)
「うん、よし! お茶ご馳走様。とっても美味しかった! さぁ次!貴女の部屋にいきましょ!」
ロンロは元気にソファから立ち上がる。
「ハルバレラちゃん気乗り気乗りシマセーン!」
ハルバレラは顔を逸らしてソファに座ったままである。
「何いってんの!人が爆発して死ぬなんて異常も良い所なんですからね!当事者本人もご同行お願いします!」
「ヒー。リッターフランの人間コワイヒー。」
渋々とソファから離れたハルバレラは浮かび上がってロンロの後についていった
一度巨大な玄関ホールに出て階段を上がり、長い廊下を歩いてハルバレラの自室へ向かう。今日は屋敷の照明がハルバレラの魔力によって灯っている為に暗くなく、昨日とは段違いにとても歩きやすい。いざ明かるくなったこの屋敷を見渡すと暗闇では判らなかった装飾や、使われている家具の豪華さが目に飛び込んできてハルバレラの資産力を実感する。流石に壁にかけられていた絵画等はいくつか片付けられて持ち出されているのか、今はその壁面に痕跡を残すのみになっていた。資産として処理されたのかもしれない。そして昨日と同じ様に床を中心に部屋中に刻ざまれた魔紋と、そこから排出している禍々しい空気とエーテルが漂っているこのハルバレラの自室に二人は再び入室した。生身のロンロにはエーテル濃度が濃すぎて長時間の滞在は許されない、その為に再び前回と同じ様にハルバレラに防御魔法を張ってもらう。
「とりあえずこの魔紋、写真として記録しておきましょ。」
ロンロはレザーリュックからタブレットを取り出して、背面に備わっているカメラにて部屋全体を撮影する。後でこの魔紋を自分なりに調べてみようと思ったからである。
「フシギね。生きていた頃ハ、ここと研究室しか居場所が無カッタノニ、今はここに余り居たくないワ…。何か大切なもの、壊しちゃった気がスルモノ。」
「もしかして…。自分の体の事?」
「ウウウウン、チガウの。体じゃナイ、ナンダロネ…。大切にしてた気がスル…。」
「…。」
ロンロはテリナ・エンドから今日大学で聞いた話を思い出していた。確かハルバレラの誕生日の日に彼は花の咲いたサボテンの小さな鉢植えをプレゼントした。そしてそのお返しにハルバレラは彼にあの青色の鼈甲の万年筆をプレゼントした。
ロンロは部屋の中を見渡した。
ベッドの横にあった魔紋の模様が走り、亀裂が入ったサイドテーブルの上にその亀裂に巻き込まれたて砕けた鉢植えを見つける。これが恐らくその誕生日プレゼントなのだろうと思ったが、横目で見るだけでハルバレラに確認する事はしなかった。
きっとテリナの写真を見た時と同じ様に彼女は再び混乱し、何かを思い出そうとして苦しんでしまうだろうから。
「ハルバレラ、この魔紋だけど。一日経ったけど何か判る事ある?」
「ワカンナイ…。さっきも言ったけど何も調べてナイから…。だけど一つだけ感じるカナ…。」
「何を?」
「これは間違いなく私が発生させたワ。キットネ…。」
ハルバレラは屈みこんで悲しそうな顔で魔紋を見つめながら答えた。
「…ごめんねハルバレラ。嫌な事につき合わせて。」
「ダイジョブヨ…。いつまでもコノママじゃいられない。エーテル体として存在はしておきたい気持ちはあるモノ…。家から人がいなくなったのも、きっと、ワタシが死んだカラダシネ…。ねぇロンロ?」
「何、ハルバレラ。」
「…エーテル体って人権認められるとオモウ?初の試みよコレ!!!幽霊に人権!!アリエナイヒーーーー!!!ていうかワタシ銀行口座からお金下ろせるかしラ!!!幽霊って本人って認められるノ!!!???もう既に法的には死亡届出ててワタシって故人ヨネ!?そういう幽霊が死んだ本人の権利を履行出来る裁判起こして勝てるシラ!!!????アヒヒイイイイイイ!!!!」
「ああはいはい。もうその体で生活する事考えてるのね…。切り替えが早いというか何と言うか…。」
「ソラソーヨ!折角手に入れたこのファンタスティーックなエーテルの体!もうちょっと遊びたいじゃなーい!いつまで維持出来るかワカラナイケドー!!!!アヒアヒイヒヒヒアヒ!!!!」
ここの調査に出向くのも嫌がり、この部屋に入ってからも元気の無かったハルバレラであったが気持ちを切り替えた様で再び陽気で不気味な笑い声を上げ始めた。
「元気出たのは何よりだけど…。」
ロンロが不気味に笑い続けるハルバレラを見ていると、サイドテーブルに備え付けられていた引き出しがこの魔紋の模様の亀裂から破壊され中身が零れ落ちているのを見つける。それは…大学でテリナから見せられたのと同じ、青い鼈甲の万年筆が何本も。
( これは…。ハルバレラに秘密で回収しておこう…。これもきっと彼女を無闇に刺激する…。 )
ロンロはゲラゲラ笑い続けながら今後の心配?をしているハルバレラに気づかれない様になるべくさりげなく移動しつつ、この引き出しから落ちて床に転がり落ちていた万年筆を回収して上着のポケットにいれる。何本もある、どうやら彼女はテリナに渡したプレゼントに何か「仕掛け」を施したのでは無いかと推測した。これはそれの失敗作かもしれないとロンロは思う。
「ドシタノ ロンロ?」
屈んで床を探っていたロンロを疑問に思ったハルバレラが声をかける。
「あ!いやいや!!ハルバレラはさっ!この魔紋どう思う?仕組み的にどんな魔法が発動した跡なのかなーって!?ハハハ!!」
急いで万年筆を回収して慌てて話を逸らした。
「ンンンーソウネ。この魔紋の構成言語を読み解クト…それは【忘却】【拡散】【信号】【増殖】【吸収】【再構成】他にもアルケド…ナンジャコラ!!?!??ワケワカンナーイ!!!もう滅茶苦茶ネー!アタシ死ぬ前ヨッポド狂ってたのネアヒアヒイアアアイアイイア!!!」
自分が作り出したであろう魔紋を見てハルバレラがゲラゲラ笑い始めた。
( 忘却は判らないけど、拡散と増殖は今まで落ちてきたハルバレラの死体の事として、吸収と再構成は大地からエーテルエネルギーを奪っている現状その物!信号は大地から吸い上げたエーテルを空に打ち上げる際に使用しているかもしれない…!やっぱり、死体が降り注ぐ現象はこの魔紋から発生した事件だったんだ…。それにしても拡散と吸収、相反する二つの属性を纏め上げて一つの魔法に仕立て上げている…。天才ハルバレラじゃないときっと無理だったのは本当に確か…。)
「ドシマシタカー?お悩みデスカー?」
「ん?えーっと、 そうね…。いつかハルバレラに全部話す時がくるかもしれない。」
「ホえ?」
「別にハルバレラに限った話じゃないけどね、誰にでも受け入れないといけない現実ってあるもの。」
少し切なげにロンロはハルバレラに向かってそう答える。
でもそれにしたって自分の体が増殖して街に降り注いでいるというのはいささか突飛すぎるだろうけど。ともロンロは思った。
「ソウナノネ。でも今にナッテ、ちょーっと判る気がするワ。ワタシ、生きている間は色々な事から逃げてタ気がするのヨー。いーヤ!めっちゃ逃げてた!逃げまくり!!」
「それは人と触れ合わなかった事?」
「ソウヨー。それに、もう一つ。一人で戦い、一人で生きる事を。ワタシ、一人になっていても結局誰かに頼ろうとしてたのを感じたワ…。死んで判ったワ、お茶を入れるのだって今日午前中までカップやポッドに仕舞い込まれてた紅茶の葉に。大変だった、ワタシ、何も一人で生きる覚悟も知識もナカッタ。誰かに頼って生きていた。きっと自殺の様に暴走して死んだノモそうよ。誰かに頼ろうとシテ、頼れなかったのネ。それは判るノ。…ナントナクネ。」
「一人で戦い、一人で生きる事か。」
「生きる事は戦いヨーロンロ。辛い事に挑む事は誰にでもアルワ。アナタも私みたいに爆発しちゃダメよ?」
ハルバレラがロンロの近くに擦り寄る。
「私…魔力無いよ?魔力才能保持者ノークラス。」
「アヒヒイヒ、そういう事じゃなくても一人で人間は死ネルワ。簡単ニネー。」
「うん、ありがとう。私も結構思い詰める事あるし…。覚えておく。」
「デショウ?では暗い気持ちを切り替えてこのワタシノ秘蔵書コレクション!200年前に実際した【魔法使いビゾームの人体改造白書】を一緒にヨミマショウ!!!!!」
「え…何ソレ…?」
「凄いワヨ~。魔法によってたんぱく質から骨から神経まで構成して自分の体に右腕を23本、左腕を同じく23本合計46本も拡張した人体改造に快楽と芸術を追い求めた男の半生が綴られた渾身の一冊!!メッチャオモシロイワ!!!当時のまだカメラも無かった時代なのに念写で実際の姿が残っているワ!!アヒーーーー!ムカデミタイ!!!!」
「ウ…!ちょと興味あるかな…。どうやってそんなに腕を拡張したのその人…。」
「ソコガネー。やっぱ天才って何処にもいるモノヨネー。この魔法が魔学として定義されてたら今頃医療分野で大活躍だったでショウニ!!結局彼が死んでこの魔法式の存在も消エウセマシタ!!!モッタイネー!!」
「じゃあそれ一緒に読みましょうか…。まぁ、もう!今日の調査はこれまでー!」
とりあえず魔紋の構成言語が判った事と、先ほど懐に忍ばせた青い鼈甲の万年筆数本を今日の収穫として残りの時間はハルバレラと共に自由に過ごす事とした。ゲラゲラ笑い始めたりはするがやはりこの部屋はまだ不安定な彼女にとっては刺激が強すぎる。無理に連れて来た所もあってロンロは少し後悔もしていたのだった。
二人は床に刻まれた魔紋から今も吹き出る禍々しいエーテルに包まれるハルバレラの自室を出て、同階のハルバレラの研究室に移動する。その研究所にあるソファに仲良く座り【魔法使いビゾームの人体改造白書】を共に読み始めた。文字ばかりの本かと思いきやページのほとんどは当時実際しなかった写真機の代わりに魔法使いビゾームが独学で編み出した念写によって白黒の彼のグラビア写真が何十点と納められている。
「アーーーヒヒヒッヒ!ミテミテ!46本に拡張した腕を使って腕だけで走る写真!アヒヒヒイー!!!」
ハルバレラは嬉しそうに本を開いてその写真が載ったページを隣に座ったロンロに見せ付ける。
「仰向けになって背中から生えた腕だけで走ってるこのおっさん…。」
ロンロはその写真に圧倒される。一応魔法について、魔学について人並み以上に知識を収めてきたと自負する身であったがこんな資料は始めてみる。
「最高時速38kmですっテ!アヒイヒッヒアアー!」
結構早かった。
それにしてもハルバレラは嬉しそうに笑っている。
これまでの人生で親しい人間と自分の趣味について語る事等無かった彼女にとって、それを共有できる今の時間は幸福そのものであった。嬉しそうに次々とページを捲ってロンロに見せ付けて彼女のリアクションを見てひとしきり笑う。そんな様子を見て、ロンロはふと思考に至る。
( …割と無造作に選んだ本の一冊だけど。彼女はこの本の中身をほとんど覚えている。どうして?普通の霊体はここまで細かな記憶なんか持っていない。文字通り死んだ存在というのならばまるで霧のかかった遠い思い出の様に感じる筈。だけど、まるで生きている時そのもの。ハルバレラは家族の構成からやっていた仕事に、さっき飲んだフルーツティーの味…。各種魔法だってエーテル体で発言出来る程度なら幾つも使いこなしている…。何よりエーテル体で口に含んだ飲み物の味を認識するなんて魔法すら作り出した…。これはもう普通の人間そのものだわ。テリナとの記憶だけ都合よくすっぽり抜けている?いや、違う。テリナの写真を見て苦しんで塞ぎ込んだあの様子は、自分でまるでその部分に蓋をしているみたい…。)
「ンデネー!このページは46本の腕でロッククライミングしている写真がアルンダケドー!!」
再び嬉しそうにお勧めのページを広げてロンロの方に見せてくるハルバレラ。
しかしそのページ広げて持つ片手の様子がおかしい。人間の手の形を作っていたエーテル体がぼやけて元のエーテルエネルギーの塊に戻ろうと揺ら揺らと弱い光を放ちながらぼやけていく。
「…!ハルバレラ!!貴方の手!!」
それを見てロンロが驚いて声をあげる。
「アヒア? …アラマー。もうこンナニ。予想外だわ…もうちょっと持つかと思っテタ。」
本から手を離しハルバレラは己の形が崩れ行く片腕を不気味な笑い顔のまま見つめる。
「もしかして…。」
「ソウネ。野良の霊体と同じヨ…。ほっといてもワタシの今の体のエーテル、拡散して私は消えてしまうワ…。いつかくると思ってたけど、たった誕生から二日デ…。」
「ハルバレラ…。」
「エーテルが運動力を生み出すには己を燃やすしかナイワ。私という存在を、私という魔女みたいな他の人間よりエーテルの力を多量に使用する人間が意思を持って活動する、だから元からそこまで時間がナイと思っていたノ。」
「判ってたの?元はペットロスの為の研究よね?そのペットが死ぬ瞬間体から抜け出る個としてのエネルギー、所謂【魂】とも呼ばれるエーテルを閉じ込めて半永久的にって…。」
「ソノツモリだったけどネ。どうやらこの研究はシッパイみたい。無論犬や猫みたいな動物より人間の、それも魔女のワタシが使っているんだから消費量は桁違いデショウケド…。時間があればもっと確実に固定させる為に研究だって煮詰められたかもしれない。でも、しょうがない…カナ。」
声のトーンはそのままであったが、何処と無く寂しそうにハルバレラは呟く。
「外部からエーテルを補充する方法は?元々そのエーテル体も貴女自身の魔力から発生した物じゃないわ、それなら可能な筈!」
ハルバレラは首を力なく横に振る。
「ダメネ。ロンロ、貴女ならもう気づいてイルデショー。ワタシが他の霊体とは桁違いに生前の記憶を焼き移している存在ダッテ、ネ?ここまで根強くリンクしていると揮発しているエーテルと共に運命を共にするダケヨー。まだ現状は外側のエーテルが拡散して離れていってるダーケー。…次第にワタシの記憶も消えていくワ。序々に、ゆるやかに。それがいつ訪れるのかまではワカラナイ。明日か、明後日か、はたまた一ヵ月後か。どのくらい時間がかかるかワカラナイケド、いずれワタシはエーテルの粒子と共にこの世に拡散して大地に帰るノヨ、この星の大地ニ…。」
「そんな…っ!どうにもならないの!?」
ロンロが悲痛な声でハルバレラに訴える。
「ありがとうロンロ。ワタシ、死ぬ前に貴女という人生で初めてのお友達がデキタワ。本当に短い間だったけど嬉しかったノヨ。生前の、オリジナルのワタシにも体験させてあげたかった……。」
「まだ出会ってたった二日なのに…。」
「たった二日ダッタケド、ワタシにはとても充実した二日ネー。トテモ楽しかっタワ。ロンロ。死ぬ前に、ウウンもう一度死んだけど。アヒヒイ、だけどね、また再びこうして存在を確立して死んでいく時に今度は孤独じゃなかったワ。本当に、とても良かった。今度こそワタシ人間として死んでいける気がする。」
ハルバレラはいつもの不気味な笑顔では無く心からの笑顔でロンロを見つめた。
「…。」
ロンロは俯きながら体を震わせている。
そして先程の疑問が浮かび上がる。
どうして彼女は、ハルバレラにここまで詳細な生前の記憶が存在しているのか?
霊体と違って目の前に生体であるロンロに対して命にすがりつくような真似もせず、恨み言も吐かずにそのまま自身の消滅を受け入れているのか?そして、何よりもどうして彼女にはまるで生きているかの如く喜怒哀楽が存在しているのかを。面白そうに笑うハルバレラを、興味深いと言いつつ研究を推し進めようとする探究心も、そしてテリナの事を思い出しかけて泣き出した彼女を。自分と友達になった事を涙を流して喜んだ彼女を…。
「…ロンロ?」
心配そうにハルバレラがロンロに語りかける。
「…ううん!違う!ハルバレラは死なない!死んじゃいない!死なせない!!」
顔をあげて力強くハルバレラに向かってロンロは叫んだ。
ロンロの中で一つの答えが出る。
「アリガトー、ロンロ。デモネ、ホラネ、エーテル拡散し始めたのでもうオシマイデース…。残念ながらアヒヒイヒッヒヒヒヒヒ!!!」
自虐的に形を失いつつある片腕を振り回しながらハルバレラがいつも通り気持ち悪い声で笑う。
「いや、違うの!貴女に対して違和感がある!!」
「ハヒエ?ナンジャソラ!!??生前ロンロちゃーんにお会いシテマシタのワタクシ!?」
「ハルバレラ今年の4月の記憶ある?」
「ンアー!?春頃~?ンンエエートネ、アーソウダ!!去年の冬頃に新しい庭師とガーデニングデザイナーを雇ってこの屋敷のお庭を大改造シタノヨー!めっちゃ綺麗になってもう大成功!アヒヒヒハ!!」
「あるじゃないのーーーーー!!!!」
ロンロがハルバレラの霊体の頭を持ってぶんぶん揺さぶる。
「アヒヒイアヒアッハイアヒイア!!!!??」
頭を揺さ振られながらハルバレラが奇声を発する。
「それで!?春から受けたこの街のテピス大学の客員教授の話は!?確か応用魔機技術の講義を受け持ってたの!それは覚えてる!?」
ハルバレラの頭をがっちり抱えたままロンロが問いただす。
「ンアー?アッタアッタ。確かお断りシタノヨネ~~。人前に出るのあんまり得意じゃナーーーイ!イエエエエエア!それに大学ってアーナター!22歳のワタシと似たような年齢の若い子イッパイじゃん!!コエーヨ!!!超コエーーヨ!!んなもん断るワー!!!」
「ぐぬぬ…!アナタほんっっとうに!本物!!!!!決してエーテル体に記憶が焼きついた霊体じゃない!!この今の体と存在は確かにさっきのペットロスからの研究成果が結びついたんでしょうけど!貴女のその記憶!!それを司っているエーテル自体は本物よ!何かの切欠で、いや多分アナタがエーテル爆発を起こした時の衝撃で結びついたんだわ!!このエーテル体の本体は本物のオリジナル!!ハルバレラの魂よ!!!!」
「ハァ~~~~~!? どう言うコトヨ!!!???」
「ハルバレラも言ってたじゃないの!!根強くリンクしているって!!決してコピーの様な存在じゃないわ!!アナタ本物!!そしてアナタのペットロスの研究も本物よ!!!自分の魂を綺麗に閉じ込めたのね!!!!記憶がコピーされて焼きついたんじゃない!!アナタはオリジナル!本物のハルバレラの魂です!!」
「…マジカ。」
ハルバレラが真顔になってロンロを見つめる。
「マジよ。」
ロンロが真顔で返す。
「イヤーデモ…、ロンロにはどうして確信ガアルノ?」
「今まで貴女が生きてきた痕跡を追ってきたからよ!この三日間!」
「…マジカ。」
ハルバレラが真顔でロンロを見つめる。
「マジよ。」
ロンロが真顔で返す。
二度目。
「ハルバレラ、貴女都合の悪い記憶。ううん、死ぬ原因になった記憶だと思う。私だってタイムスリップして確認した訳じゃないけど何となく判るの。その記憶だけすっぽり抜けてるわ、いや抜けてるというより自分で封印してしまっている。」
「ドドドド、ドシテ!?」
ハルバレラの目が必死に泳ぎ始めた。
自分自身でも頭の片隅では既に理解出来ているのかもしれない。
「判ってるのね。例えばさっきの大学客員教授の話は?」
「ウ、ウケタ気がする。デモドウシテ…アレ?アレレレレレ…?ナニカこの感覚オカシイ…。」
「じゃあ、アナタはつい二週間程前まである人物と大学講義終了後に密会を重ねていたの。それは思い出せる?」
「ウッソダー!ヒヒヒイヒヒイヒアイアアアアアヒー!!!なんでワタシが友達ゼロよゼロ!誰と密会シヨーッテノ!!!アヒヒヒッヒヒーーーーーー!!!!!」
ハルバレラはこれは傑作とゲラゲラ笑い出す。
「流石にここまで踏み込むと…。思考にもの凄いロックかかってるわね…。」
「モー!変なウソツカナイデヨ! アヒヒイーーー!!」
「…じゃあこれは。」
ロンロがハルバレラの自室でこっそり拾って懐に忍ばせていた青い鼈甲の万年筆を取り出す。躊躇せずに彼女の顔の前に突き出した。もう本人の存在が拡散しようとしているのである。刺激が強すぎるだのどうだの言ってられかった。
「…!!」
ハルバレラの顔が一気に強張る。
「覚えているのね。これと同じ物をテリナ・エンドにプレゼントしたのでしょう?」
「テリナ・エンド…テリナ!! テリナ!!!!!! テリナ君!!!アアアアアアアアアアアアアアアアああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアアアアアアアああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
今度は自分の両腕で頭を抱えだしてハルバレラが悶え始める。
思わずエーテルの体を宙に浮かばせぐるぐると体を幾度も無く捻り、そして言葉にならない叫びを上げる。
「ハルバレラ、記憶の蓋はそれね。」
「あああああああイああ!!ダメ!絶対ダメ!!いや、いや!!イヤアアアア!!!!!見ないで!!見ないで!!!知らないで!!!!ダメェェエエエ!!ロンロでも!!友達でもダメエエエエ!!!ダメナノ!見ないで!!!触れないで!感じないで!!!ワタシの!!!!ワタシが!!!イヤアアアア!!!!!」
「落ち着いて。私は貴女の全てを知っているって訳じゃ無いから、随分と推測入ってるの…。」
しかし内心でロンロは宙に浮かんで悶え苦しむハルバレラを見てこうも思う。
( 大当たりね…。きっとテピス大学で私が手紙を読んだ時に連想した事は当たっている。 )
「アアアウウアア…。ああああ、あああっ!!はぁっ!はぁっ!!はぁっ!!!」
エーテル体で肉体的疲労なぞ感じない筈のハルバレラが動揺の余りに肩で息をする。
これもまた彼女が普通の霊体では無い証拠であった。
「ハルバレラ!このままにはさせない。…私がなんとかする。何とかして見せます。」
「はぁ、はぁ!!…はぁ、はぁ!! な、ナントカスルって、何を…!」
「貴女が生き返る為によ。元の体に戻りなさい!ハルバレラ!!」
「!? い、イキカエル!?!?!?ドドドドウヤッテ…!?私の体はエーテル爆破によって拡散消滅シタノヨ!?滅びた肉体を復元する魔法ナンテ!!!この長い魔法の歴史を持ってもアリエナイ!!!存在しない!!!細胞の一つ一つが焼け付き!消滅して!大気に散らばり!その数は天文学的に!!DNAを構成している螺旋は解け酵素も飛ち散り!ワタシの体は完全に塵となってこの世から消えたのに!?消えた筈なのに!?!?!?!」
「魂はほぼオリジナルでこの場、今!私の目の前に浮かんでいるでしょ!!そして貴女は忘れていない!今年の春から起きた事も、きっと一度死ぬ間際の出来事も!全部その今の貴女の心の中にあるの!!今の貴女は本物のハルバレラよ!!…じゃあ後は器たる体があれば良いじゃない。理論的にね。」
「そんなコトアリエナイ!何処にワタシノ体がアルノ!!?…実はね、スコシだけあの部屋を昨日の夜に調べたのよ…。まだ痕跡があったワ…。私の体を構成していたと思われる生体物質の痕跡ガ。微量ながら家具や壁に付着シテタノヨ…。確信しタワ、私って本当に死んじゃってるって…。エーテル爆発を起こして私の体は砕け散った…。でもそれで良いと思った…。ホントウは、キットソウナノ。私ホントウに死にたかったって…!!だから死ぬのはコワクナイ!!!だから私!!ホントウは死にたいンダッテ!!!!」
「駄目。」
ロンロは短く言いきった。
「ドウシテヨ!!!ワタシなんかもう死んじゃっても良いのに!!!!!」
「駄目。絶対に駄目。」
「死にたいの!!死なせてよ!!このまま!!エーテルの藻屑となって記憶も心も!!!!思い出したくない事!!なんとなく判る…。心が掻き毟られる、少し思い出そうとしただけでこのエーテル体の頭ですらガンガンと痛くなる。きっと酷い目にあったの…!耐えられなかったの!!!ワタシ!無理だったの!!!」
「許さない。」
「ドウシテよ!!!ドウシテヨ!!!ドウシテヨ!!!!!」
次第にハルバレラのエーテル体の両目から涙が浮かんできて、空に舞う。
出会って初めての日にもロンロが見たあのエーテルの涙。
再び瞳から流れ落ちる度に光となって拡散していった。
「…ハルバレラ。私が知っているだけで貴女、もう500回以上死んでいる。一人ぐらい生き返っても良いでしょ。そうじゃない?私はそう思うな。 良い?貴女の代わりに死んでいる存在がいるのよ。それも貴女自身がなの。」
「………ハ?ナニソレ? ヒア? アヒヒイハ?」
ハルバレラ本人からしてみれば突拍子も無いお話であった。
悶え苦しむのを止めてキョトンとした表情になる。
自分の代わりに自分が死んでいる?
それも500回死んだ?
私の変わりに私が死んでいる?
そして私が生き返る?
「チョットマッテ、ロンロ。さっぱり意味がワカンネ…?何のハナシ?」
ロンロはソファから立ち上がり研究所にあった窓のカーテンを開けて、空の光を受け入れた。
この街の空をハルバレラに見せる為に。
「今から13日目前、ハルバレラが一度死んでからの翌日からね。この街は謎の怪現象に襲われて、それは今も続いているの。その正体は貴女よ、ハルバレラ。貴女の体が突如上空に発生してそのままこの街周辺全体に降り注いでいるわ。警察員のシヴィーさん達が回収出来ているだけで多い時は一日に50体近くね。平均だと40体前後。全部無残に落下時の衝撃で死に絶えている。」
「な、なんで…どうして…え、え、エ…?」
まるで理解出来ないとハルバレラは動揺している。
「リッターフラン対魔学研究所は表向きは魔学が関連した事件と判断し首都からの依頼でこの街に調査員を派遣した。それが私、ロンロ・フロンコよ。実際は違ったけどね、後始末…。私もバカじゃないから派遣初日に気づいた…。王国兵団警察機構本部は、つまり首都側の人間による判断はこの街で発生した怪現象を放置してこの街とその周辺の人間を、いや全ての生命と大地その物を見殺しにする事。」
「わ、ワタシの体が街に降り注いでいる……。は、は、は…!ハハハハハ!!!ナニソレ……。アリエナイ……。その体を上空で精製するエネルギーは何処?そんなの考えられないわ。莫大なエーテルが必要になるワヨ…。軽く試算するだけでトンデモナイ事に…!大規模なエーテル鉱石山だって一晩で枯れつくすのぐらいは目に見えてるワ…!カンガエラレナイ…!!」
「私だって不思議だったの。でも直にそれも気づいた。…正体はここだった。」
ロンロはハルバレラに向かって床を指差す。
「床!? いや地面!? まさかこの大地!!この星そのもの!? そんな!!ヒアアアアハハハハハハッハハハッハハア!!!アリエナイアリエナイ!!実現不可能!!!バッカデー!!!ヒアアアアアアハハハハ!!!!ロンロー!それはいくらなんでも無理ヨ!!そんな魔学技術あったら世界中でエーテル・エネルギー資源問題解決ヨー!明るいミライダワー!!!」
考えもしなかった回答に笑い転げるハルバレラを見てもロンロは冷静その物だ。
この三日間でロンロはこの体を持って体験したのだから。
あの薄不味いエネルギーと有機物の力を失った野菜と水で出来たシュングのスープを思い出す。
山の命の恵みが減少し人里まで降りて来た野犬の足音と息遣いと共に。
「…ロンロ、ホントウに本当ナノ?」
ロンロは真面目な表情のまま頷く。
「ドウイウコト…。何が原因ナノ…?どうして私がこの街その物をを殺そうと…?」
「私には決してそこまでは判らない。でも、きっとこの一連の事件はあの魔紋から発生した魔法式によって発動したわ。日にちから見ても、降り注ぐ貴女の体から見てもきっとね。」
「あの、あのワタシの部屋の魔紋が…。でも、アリエナイ…。そんな超高技術の魔法を私が生み出したナンテ…。どうしても納得がいかない…。何も無い大地から、この星そのものから直接エーテルを取り出すなんてヒルッター理論なんか目じゃない規模の発見ダワ……。」
「これは私の推測だけど天才魔女である魔力才能保持者AAАのハルバレラ。貴女が死ぬ間際に起こした精神と感情の爆発がとんでも無い規模の魔法式を描いたんじゃないかって思ってる。」
「無理ヨ…。そんなコトなんかデキッコナイ…。イクラナンデモ……。それに!もし仮に13日間も続いて500体以上も私の体が精製サレテルッテ!!アヒヒヒイハ!!エーテルの消費量を考えるとこの時点で莫大な量ヨ!!!きっとこの周辺の大地はエーテルが枯れて死に絶えて…!!! 見殺しに…!?首都はそれを見殺しに……!!!」
「ええ。首都側の判断はこの現象を止める術を発見出来ず、この街全体を見殺しにする事にした。そしてこうもきっと考えたのよ、といってもこれはこの街の為政者から裏が取れている事実だけど…。こんな魔法式が実際する事が隣国や過激派思想団体なんかに知れ渡れば争いが起きるのは必然。エネルギー問題の根本的な解決になり、その技術を求めて紛争が起きる。だから表向きは見殺しにする。解決の糸口も持たずにエーテルと有機物が減少して死に絶えるのを首都は傍観するしか無かったという対面を取り続ける為にね…。正直私はアタマに来てるけど、この判断。まぁ元々はその成す術も無かったという報告書の理由付けの為の調査員だったのにカチンと来たのが最初だけど!!」
「…事実なの、ゼンブ?」
ハルバレラは一連の話を聞いてそのエーテル体を震わせながら虚空を見つめる。
あまりの事に、天才ハルバレラと言えども理解が進まなかった。
「嘘だと思うなら庭にいって土を掘って解析したら一発かな…。土中の微生物の減少とエーテル反応の無さがその証拠になるから…。」
ロンロは表情を曇らせて答える。
「アヒヒヒ… ヒヒヒヒ……。ワタシ、死んで…。死んでも尚、一体何がしたかったの…。そんなに誰かを恨んだりしたの…?これは仕返し…?どうして…。ワタシって…。」
「ハルバレラ…。そのエーテル体はあと何日ぐらい持ちそうなの?」
「ワカラナイ…。でも多分、いやこの減少具合から見ると体自体はあと一週間程度でワタシ消滅シソウカナ?意識まではどこまで時間がかかるかワカラナイケド…。」
ハルバレラはエーテルが拡散し始めた己の手を見つめて答える。
「翌朝まで、一日だけ時間を頂戴、ハルバレラ。私に考えがあるの。…今のアナタと話をしていて思いついたんだけどね。もしかしたら出来るかも。」
「ハヒエ…?イッタイナニヲ…?ドイウコト??」
「外部からエーテルを補充しても無駄ってお話したでしょう?」
「ハイ?」
「貴女の自身のエーテルならば大丈夫なんじゃない?多分ね。貴女の思考と記憶の核になっているエーテル塊にも馴染むと思うの。」
「ハ?ハ?ハー?…いやワタシの体は消滅シマシタシ…。」
「していないわよ!今現在もこの街の何処かで落ちてきているの!!」
ロンロは今度は窓に指を向ける。窓の外には寒空が広がって、そして今でもきっと死体処理場ではシュングとサグンの二人が墓穴を掘り進めている事であろう。
そしてロンロは持論を展開する。
「空から落ちてきたハルバレラの死体をある人らの尽力によって一箇所に大量に集めている場所があります!!そして、死体からもまだ微量のエーテルが確認出来る筈。それを500体分は集められている分だけ全部かき集める!!そうすればオリジナルの一体分ぐらいは賄えるエーテルが発生させられる筈よ!!」
「ソンナムチャな!!! 多数の死体から残量エーテルをかき集める魔法式なんて存在シナイワ!倫理の欠如も良いトコロのアクマの業!!死者の冒涜!!オニ!!!!!!!」
「自分の体なんだから良いでしょーーーーーー!!!!自分の物よ自分の物!!元はといえばこの街の大地から生まれた物だけど!!!この際だからまぁ良いわよ!!!!」
ロンロが再びハルバレラのエーテル体の頭を掴んでブンブンと揺さ振る。
「アヒアヒハイハイイアイアイハイハイア!!!??でもロンロちゃん!どうやってそんな魔法式発動するの!?!?!!?そんな超高等技術この世にナイワーーーーーー!!!!!」
ロンロに頭を揺さ振られながらハルバレラが必死に叫ぶ。
「だから…!これ!!」
ロンロはレザーリュックからタブレットを取り出して起動すると、ハルバレラの自室で撮影した魔紋の写真を映し出してハルバレラに見せ付けた。
「アヒア!?!?!?」
それを見てハルバレラが目を見開く。
「この魔紋!!仕組みなんて判らない!!きっとこの先100年経って魔学が今の想像を超える発展をしても解析出来ないでしょうね!これは天才魔女ハルバレラ・ロル・ハレラリアがその命を懸けて精神の爆発と共に生み出した奇跡!!!こんな魔紋とそこから発動した魔法式なんてこの世に存在しちゃいけないの!!だってこの星その物を食らい尽くすのよ!!!この星に住む生き物がこんな事やるなんて!!自分で自分の体を食べてしまう様なもんだわ!!!!だからこれで終わりにするの!!!!!」
「も、も、モシカシテ…ロンロさん。逆転サセルノ!?」
「そうよ!!仕組みは判らなくても作用を反転させて発動してしまえば良いの!!最初にこの魔法式が発動した時のエネルギー源は何!?貴女よハルバレラ!魔女ハルバレラの魔力と命と感情の爆発を持ってこの魔法は発動したの!!じゃあ反転させた場合は!?次のエネルギー媒体は今までこの街に落下してきた貴女自身の残骸とその塊!!そしてそのエネルギーとストレートに反転させた魔法式の結果は貴女は肉体を持って生き返る!!体は!細胞は収束してDNAは本来の螺旋に巻き直され元の肉体に戻るの!!!!ううん!!きっとこの今のこの街を襲う怪現象自体反転した場合は魔法式同士がぶつかり対消滅するわ!!そうよ!!ハハハハッ!!!一石二鳥じゃない!!!事件も解決!ハルバレラは元に戻る!!すごーい!!!」
ロンロはかなりの早口で捲くし立てて一人で結論を出して喜んでいる。
もしかして友達の黄泉帰りと、降り注ぐ死体の停止が同時に行えるかもしれない。
それはこの街の大地がこれ以上死んで行くのを止める事すら出来るかもしれないのだから。
「ロンロ~~~~。机上の空論すぎるワ…。そんなの…。無理ヨ無理…。絵空事だわ……。」
一人で喜ぶロンロを呆れながらハルバレラは呟く。
魔女として、魔学者としてこの国の第一線にいたハルバレラからしてみれば到底実現不可能な事案であったからだ。彼女が魔女として過ごして来た11年間でもこんな規模の魔法式を描いたり生み出した事は無かったのである。どんな大きな国からのプロジェクトも、どんな大企業のからの魔学実験でもこれ程の規模の仕事は決して存在しなかったのだ。
「可能です!!!!!!」
ロンロは激しくハルバレラを睨み付ける。
「ど、ど、どうしてそんなに自信がアルノ…?」
「ハルバレラ、その記憶の蓋を貴女が開けられる覚悟があるのなら!」
「え…エエエエ……。ワタシ、もう思い出したくナイ…。ワタシ、死にたいグライニ…ううん、シンダ。」力無くハルバレラが項垂れる。
「やりなさい!!!!!!!」
再びロンロが大声を出してハルバレラを睨み付けた。
「ヒィイイイイイ…。ワタシ、イチドソレで死んだのヨ…。また殺すキ…?オニッ…。ロンロのオニ!」
「オニでも悪魔でも何でも結構です!! …ハルバレラ、過去に向き合って。その時貴女は再び精神の爆発を起こすわ。つまりトラウマを刺激する。勿論失敗すればエーテルが拡散して死ぬかもしれないかも。はははっ。」
最後はごまかす様にロンロは笑いながら返答した。
「ダメジャアアアアアアン!!! そんなの嫌ぁあああああああ!!おとなしくエーテルが拡散して死ぬーーーー!!私このまま死んでイクカラ!!!思い出したくナイ!!!!!!!」
「ハルバレラ!戦いなさい!この街の怪現象を!降り注ぐ魔女ハルバレラの体の落下からこの街を救う為に!!」
ビシッとロンロが決めてハルバレラに叫ぶ。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「嫌じゃありません!さっきどの口で私に言ったの!?一人で戦い!一人で生きる事をから逃げるなって!!だから!!! ……今度は一人じゃ無いわ!私がいるもの!」
「で、デ、デモオオオオオオ…!ワタシ、イヤ!!死ぬ程イヤだった!!イヤデイヤデイヤデ!!!だから死んだのよ!!!!!死んで!それでも!!!!!まだ逃れられないナンテ!!!!!こんな地獄考えてもいなかった!!!だから私死んだのに!!!!!!」
再びハルバレラは宙に浮かんで体を折りたたんで身悶えし始めた。
「ハルバレラ…! 大丈夫。きっと…。私、この街に来てある人達と出会ったわ。貴女の死体を回収し続けて貴女を大地に還し続けた人達よ。本当は九人もいたの。だけど余りの激務と精神的疲労が重なってどんどん逃げ出して今やたったの三人。それでもその三人は諦めずに貴女の死体を今も集めて埋めてくれているわ。私、その人達に報いたい。私の魔学者としての立場、リッターフランの研究員としての立場であの三人を救いたい。この街なんか三日前に着たばかりで…愛着も何もない。だけどあの三人はそうじゃないの!私はあの三人を助けてやりたいの!」
ロンロはシヴィー、シュング、サグンの死体処理場の警察員達の事を思い浮かべた。
土だらけになって日が沈むまで穴を掘って、朝は暗い内から起きて動き出し、シヴィーはこの寒空の中で心と体を削りながらハルバレラの死体を回収する。シュングとサグンもひたすら一生懸命に死体の為に墓穴を掘り上げてくれている。ストレスと恐怖からハルバレラの死体を粗末に扱い、心無い言葉まで投げつける街の人々もいる中で、そんな中であの二人は埋めた死体に向かって簡素ながら祈りを捧げてくれた。
シヴィーもまたハルバレラの死体を見て涙するロンロを思ってハルバレラの死体を優しく扱ってくれたのだ。それを、その事を考えるとロンロの心と頭脳に力が湧き上がる。この街の人々を救う事よりも、事件処理係として捨て駒として自分を派遣したリッターフランの鼻を明かす事よりも今はただ、この三人の努力に見合う結果を出したいと。そしてその結果友達のハルバレラもこの世に蘇るかもしれないのだ。これ以上の事は無かった。
「ダレヨソレェェェェ…。誰なのヨその人達…!ワタシ、そんなコト頼んだ覚えナイのに…。」
「頼んで無くてもやってくれてるの。落ちて死に絶えた人間を街中に放置してたら衛生問題も精神面でもとんでもない被害がでるでしょう!」
「…。」
ハルバレラは無言で涙目になってそれに頷く。
「私はこの三日で信頼できるこの三人の人間と出会えたの。捨て駒としてここに送られた時は落ち込んだけど…とても良い出会いだったと思う。ハルバレラ、そして貴女と逢えたのもそうよ。だから…この喜びを、貴女と共に分ち会いたい。今は心からそう思う。」
「…どうしたらいいの?…魔女のワタシでも思いつカナイ。」
「簡単よ。自分に向き合って、記憶の蓋を開けて。そして、体を取り戻して。その時、うん…。再び出逢いましょうハルバレラ。そして今度こそ本当にお友達になろうね…。貴女が自分と向き合って自分を取り戻した時、本当の貴女になった時…。その時に私と真に向き合ってまた再び友達になろう!ね!」
ハルバレラのエーテルが拡散し始めた手を取ってロンロは笑顔で元気欲語りかけた。
最初は弱々しい手つきだったハルバレラは彼女のその顔を見て、ぎゅっとエーテルが拡散している体に力をこめてその手を握り返した。
「ワカッタ…。やってみる。ロンロ、ワタシ、やってみる…。」
「わぁ…!ありがとうハルバレラ!!きっと上手くいくわ!きっと!」
「ヒヒアアアア……。前代未聞の大魔法ネ…。歴史上人類が始めて行うわ…。ソレホドのコトよ!!自信なんてとても無いの…。デモ…ワタシ、消えたくないって心も生まれたから…。アナタがこの屋敷に来てくれて、ワタシと一緒に笑ってくれて、お茶も飲んでくれて、お友達になってくれて、歩み寄ってくれたから…。今でも本当は死にたい…。忘れている事を思い出そうとしただけでこのエーテルの体が裂けてシマイソウデ…。でも、消滅したくないとも思うカラ……。ワタシ、ヤッテミル……。」
「はははっ!私は大した事してないわ! でもね、ハルバレラ。…決心してくれてありがとう。」
「うん、ロンロ…。ワタシの方こそアリガトウ……。」
失恋の大魔法は果たして友情で再生出来るのか?
それはきっと可能だとロンロには確信があった。
だって、数多の世の中に溢れる失恋はそうやって昔も今も解決してきているのだから。
友達と一緒に笑って泣いて、語り合って。そうして解消されてきている。それが人間の今までの歴史で証明しているのだから。大地のエーテルを吸う大魔法はただの結果に過ぎず、きっとこの事件の本質はそういう所にあるというのがリッターフラン対魔学研究所ロンロ・フロンコが研究者として、いやハルバレラと同じ一人の等身大の女の子として出した結論であった。
それはシンプルながら、到底首都からやってきた頭の固い王国兵団警察機構が送り出した事件調査団には判らない事件解決の切り口であったのだった。