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恋の魔女の恋の育み 恋する魔女・ハルバレラ

 テリナの美しい顔の整った形の鼻から流れ出る血は序々に減っていく。

加害者であるロンロから差し出されて止血の為に使っていたハンカチを、テリナはそっと鼻から離した。


「あの…」

ロンロが萎縮しながら声をかける。


「ふぅ…ああ、一息落ち着いたかな…、これダメにしちゃったね。ゴメンね。」

まだうっすらと残る血を鼻と口周りに残しながらテリナは力無く笑う。


「本当にごめんなさい、やりすぎました…。それで、ハルバレラとテリナさんは大学側に内緒で密会していたんですね。」


「そうだね、大体二週間に一度。ハルバレラ先生が客員教授としてここに講義に登壇して、それが終わったら僕が屋根裏から先生の研究所に忍び込んでいた。魔力をコントロールする為の二人だけの個別授業だったよ。」



再びテリナが語り始める。


密会を重ねていた頃の思い出を。





……


………






テピス大学で始めての講義が終わり、テリナと出会い大学から自宅の屋敷に大学側から用意された馬車で帰宅したハルバレラは自宅の門に入った所で一目散に自分の部屋に向かって階段を駆け上がり、長い廊下を走ってドアをバタン!と勢い良く音を立てて閉じこもった。そのまま自室のベッドにうつ伏せで倒れこむ。


(アアアアアヒアイハヒアアアイアヒヒアア…!!)


頭の中はあの屋根裏から侵入してきたテリナという青年の事で一杯だった。

突然に、余りにも突然にハルバレラの元へ文字通り落ちてきた。

黒い髪に黒い目に白い肌の美しい青年テリナ・エンド18歳。魔力才能保持者クラスDでテピス大学魔学課…。私の講義を受けていた…。彼の事はそこまでしか判らない。これが今、判るテリナの全て。


ハルバレラは21年間の人生で初めて若い男と二人きりで話した。

その彼はとても美しくて、とても純情そうで、自分を慕ってきて、悩みを抱えていた。

自分と同じ能力者で、でもまだまだ彼の才能は開花していない。それが彼の大きなコンプレックス。


「テリナ君…、テリナ・エンド…。」


目を閉じると今でも思い出す彼の様々な表情。

怒りにも見える必死な形相、無邪気なとても可愛らしい笑顔、空を飛んでみたいという夢を語る時の眼差し、焦り顔も、希望に目を輝かせる顔も、何もかもそれはハルバレラの心に強く強く焼きついている。

二人が会合したのは僅か一時間にも満たない間であったが、それはハルバレラの心に大きな大きな足跡を残した。あのテリナという青年に彼女は完全に魅せられてしまった。いや、肌からでも、心の中までも魅せられた。彼の体から放たれるエーテルの波のリズムがハルバレラの肌から浸透して、心を直接、奥の奥の芯の部分まで今でも震わせている。


元よりハルバレラには男性に耐性は無かった。

それも歳の近い、若い男に対しては特に。

そんな彼女に目の前に現れた黒髪黒目の美青年、テリナ・エンドは余りにも刺激的すぎた。

彼は能力者としてのハルバレラを慕っている。それは判っている、それでもあの美しい姿の彼が目前まで彼女に近づいてきた。それも自分から再びの再会の約束を結び、また彼に逢えるのかもしれない。


「ワタシ…変ネ、ドウシチャッタノカシラ…。あんな短い時間で今日出会ったばかりの人に…。生徒よ彼ハ…。ホントにもう…ワカンナイ……。」


考えても考えてもその答えはハルバレラには判らない。

21歳になって初めて経験するこの気持ちは一体何なのか、それが判らずにベッドの上で悶え続けたが、いつまで考えても結論は出なかった。


でも心の底では確かに理解している。

彼から発せられたエーテルの波を感じて起きた自分の心は、確かに今でも震えていたのだから。




それから次の講義で大学へ行くまでの二週間。

ハルバレラは気づけばテリナ・エイトの事ばかりを考えていた。あの美しい顔と細身の引き締まったスタイルと、様々な表情の彼を、彼と交わした会話の数々を。自宅で行っている企業先に提出する資料も、自分の今取り組んでいる研究も一向に進まない。何時も通り夜型の彼女が夜遅くにに目覚め、屋敷の研究所でいざ仕事を始めようと机に座っても一向に集中出来ずにいる状態。二週間が長い、早く再会出来るかもしれない二週間まで時間が過ぎ去れば良いのにと思う反面、再び彼に出会うかと思うと心臓の鼓動が早くなり体中が熱くなる。その度に夜中一人屋敷の中で、


「アギャガギャガヤアグアグウア!!! モウダメーーーー!!!!!ヒヤアアアア!!!!」


という様な叫び声を一人、感情に耐え切れず発していた。

両親や使用人はいつものハルバレラの奇抜な行動の一つだと無視し続けていたのは彼女に取っては幸か不幸か…。


テリナ・エイトと出会ってから再会するまでの二週間、ハルバレラはこれ程友達が欲しい!と思った事は無かった。友達がいればこの様な時自分の気持ちが何なのか?彼の様子はどうだったかとか、色々相談できたのにと思うとそれはそれで胸が張り裂けそうであった。人間関係というのは生きていく上でとても大切なのだなとようやく彼女は21歳にもなって痛感する。ただ悩みを打ち明けるだけで人は楽になるのだから、だから人は本来一人では生きていけないというのは本当で、そして弱い人間こそ友達を作るべきであるとも。今更自分の人生を通じて心身ともに理解できた。


でも、彼女に友達はいない。


いないのだから、しょうがない。


これまでの人生で作ろうともしなかった。


彼女はこの、初めて訪れる春の訪れの予感を。

そこからくる期待と不安からの重圧に一人で対処しなければいけない。

普通の女子ならばこんな事があれば友達とお茶でも飲みながら楽しく会話できたかもしれないのに。


しかしそれが今まで生きてきた、ハルバレラ・ハレラリアの人生の結果である。






二週間経ち、再びテピス大学へ講義の為に足を運ぶ日となる。

ハルバレラはメイクや髪型に気を使って身だしなみに初日の倍以上の時間をかけた。

かけざるを得なかった。テリナ・エイトと再び二人きりの時間があるかもしれないのだから。

しかし前日は少しも眠れなかった、彼にまた出会うかもと思うと眠れる状態ではなかったのだ。更に元々夜型の生活リズムで無理をして生活時間を調節してでの大学客員教授活動である。彼女の目元にはしっかりとクマが出来ているのである。


「も、も、モーーーー!!! ナニヨ!コレコレコレコレ!!!! ヒァガーーーーー!!!」


自室ドレッサーの鏡に映る自分の顔の前でハルバレラは悶えていた。

コンシーラで上手く隠そうとするが、あまり化粧が濃くなるのも考え物とも考えた。そうした中で彼女は両手の人差し指に魔力を蓄えてエーテルの膜を作りそれを目の下のクマに塗りつけた。後は鏡を見ながら色合いを自分の顔の肌色と似た様に調節すれば完成。目元のクマは肌色のエーテル幕に隠れ同化し、全く見えなくなった。


「ワタシ魔女で良かった…。マホウバンザイ!これ商品化したいけどエーテル直接肌に塗りつけるから一定の能力者じゃないと顔がエーテル負けして被れちゃうワ!原理は簡単なのにムズカシイー!」


スーツは今日は薄い桜色の物を選びこの前より随分と女性らしくした。

髪も入念に櫛で梳かす。

自然とハルバレラの身支度に気合が入る。理由は簡単、気になる男性が出来れば若い女性は誰でもそうなるのだから。クラスAAAの稀代の天才魔女ハルバレラとしてもそれは同じである。奇声を発し、突飛な行動を取り、夜中に起きて昼頃に眠る、不気味な笑みを浮かべて他人との交流を一切遮断する様な奇怪な生き方をしてきた彼女も恋をすれば普通の女性であるという事であった。



ハルバレラは最早、恋に落ちていた。

二週間もの時間を用いてようやく本人も完全に理解した。

初めは気持ちの整理がつかず頭では納得はしていなかったが、体はあの日の出会いの後から、そう感じていた。

だから言動も恋をした女性となり、身支度にも気合が入る。その様子を客観視していたもう一人の自分である理性の脳もようやく納得する。テリナ・エンドという青年にもう一度逢いたくて、逢いたくて。ようやく今日再びその日がやって来たのだから。


二回目の大学登校でもテリナ大学側は馬車を出してくれると申し出たがハルバレラは断った。初回程ではな無いだろうがまたお偉いさん総出の歓迎を受けるのは気が引ける。彼女は期待と不安を織り交ぜながら大学へ歩いて向かう。自宅の屋敷から歩いて15分程度といった所である。ハイヤーを用意しようとも考えたが歩いて行きたかった。歩いて行きながらゆっくりと、覚悟を決めようとした。約束したとは言え彼は再び私の大学研究室に再び来てくれるだろうか?興味を無くしてたらどうしよう、尻込みをしてしまうとか、そんな事も有り得るだろう。本当に本当にもう一度逢えるのか?ついネガティブな事ばかり頭に浮かんでしまう。


( でも、行動を起こさなければ何も始まらないワネ…。何モ…。)


不安を膨らませながら大学の正門をくぐろうとすると、大学側から既に門前に出迎えの人間が数名並んでハルバレラを待っており、彼女を確認するとこちらへ笑顔を向けて歩いて近寄ってきた。事務側の人間だろうか?外向けの落ち着いた表情で「わざわざありがとうございます。」と頭を下げて対応する。しかしハルバレラを見かけた若い生徒達が歓声を上げ、それを聞きつけた生徒が更に集まる。そして一斉に近寄ってきたのでハルバレラは一瞬揉みくちゃにされた。出迎えに来てくれていた事務側の人間がそれを振り払ってくれる。やっぱり大学側からの出迎えは受けた方が良いかも…とせっかく整えた髪がぐしゃぐしゃになったのを痛感して頭の片隅で彼女は考える。



崩れた身だしなみを整えた後にハルバレラが客員教授として再び講堂に上がった。第二回目の応用魔機技術の講義が始まる。第一回目の初登壇に比べるといささか人は減ったが今日も立ち見が出る程の満員である。廊下側の窓にも外側の窓からも、教室に入れなかった生徒や拝聴しに来た関係者がびっしりといた。彼女は思わず教壇側から講堂を見渡してテリナ・エイトを探した。…いた。後ろ側の席で軽く手を振って笑っている彼を発見した。


「ドキッ」と大きな胸の鼓動がする。

二週間振りに遠めではあるが確認したテリナの姿を見てハルバレラの胸が止まりそうになる。

遠目からでもあの綺麗な黒髪と顔はしっかり確認出来た。ハルバレラから見たその一体は特別にテリナだけ輝いて見える。周りの人間も、そこから発せられる声もがただの雑音と背景となった。


(テリナ君がいた…。ここにいる…。今日もいる!!)


それだけでハルバレラの心の片隅にあった不安が飛び、安堵感から笑みが沸いてくる。

彼はまた、私の前に来てくれた。彼とまた、お話できるかもしれない。研究室には来てくれるだろうか?視界の先の彼はこちらに向かって笑顔で手を振ってくれている。遠くからで聞き取れないが何か言葉も自分に向かって発している。周りの声や物音で聞こえないけど私を認識して、私を見てくれている。

ハルバレラは今にも歓喜の声を上げてしまいたかった。体中から喜びが沸いてくる。再び彼に逢えた喜びに、そして彼が自分を忘れていなかった事の感動に。…グッと我慢してそれを堪えてテリナの方向へ向かって彼女も軽く手を振った。それに気づいたテリナは黒髪を揺らしながら嬉しそうに反応している。それがまたハルバレラの心を振るわせ、今にも喜びと感動で泣き出してしまいそうだった。たったそれだけでハルバレラは今までの人生の全てを感謝したくなる程だった。


「では皆さん、今日もよろしくお願いします。第二回目の応用魔機技術の講義を始めたいと思います。」


自分に溢れる感情を堪えて講義を始める。

始まりの挨拶に多くの拍手がなり、講堂が沸く。

昨日と同じ様に自分と同じ様な年齢の若い生徒達の目線が一斉に彼女に集中するが、今日は前回みたいにハルバレラは自己暗示の魔法を使わなかった。そうするとテリナの姿も見れなくなってしまうからである。緊張はしない、何故ならテリナも私を見てくれているから。私を。それだけでハルバレラに力が篭り同世代の若い男女を苦手とするコンプレックスをハネのけてしまう程だったのである。







講義が終わり、ハルバレラは魔学棟三階にある大学の自分専用の研究室へ前回と同じ様に、面会を全て断って一人で篭っている。約束を交わした彼を待っているのである。再び彼はここへ来てくれるだろうか?不安と期待が入り混じりどうにも落ち着かない。大人しくソファに座って天井の方を見つめてあの天井の一部が動いて彼が顔を出してくれるのを今か今かと待つ。前回彼は屋根裏を伝ってこの研究所に落ちてきたのだった。その天井を彼の来訪を待ってl今か今かと、じっと見つめる。


(確か同じ階の研究準備室の天井を伝ってやって来るらしいから、時間はかかると思うケド…。)


この時間がとても長く感じた。

再び不安が襲ってくる。彼が面倒臭くなったとか、心変わりしたとか、そういう想像がハルバレラの脳内を駆け巡って不安に駆り立てる。従来からマイナス思考のハルバレラではあったが今はとても耐えられそうに無い。気が狂ってしまいそうな程にそれは心を押し潰しそうだ。


「アヒアア…ワタシだけ一人で盛り上がってタリ…ああああああひひいいああ…。ひいあ…。」


両手で頭を抱えて襲い来る不安から体はガタガタと振るえ、涙目になる。

気落ちと緊張から最早いつもの如く奇声を発する気力すら無い。

ソファの上でガタガタと震えるばかりのハルバレラに、吉報とも言える物音が聞こえてきたのはそれから数分後。講義が終わりこの研究室に入ってから彼を待つ時間は彼女にとって人生で一番長い待機時間であった。



『ササ…ザザザッ…』と天井から音がする。



二週間前に聞いたあの物音と同じだ。


「!?」

物音を聞いたハルバレラが素早く反応して天井を見る。


「先生…今は…大丈夫ですか?僕です。テリナです…。」


「ヒィア!て、て、て、テリナ君ね…!だ、大丈夫よ、今は私以外誰にもいないわ…。うん…。」


「そっか!じゃあ今から…。」

テリナは天井の天板の一部を前回と同じ様にズラし、その天井から出来た隙間からひょっこりと無邪気な笑顔で顔を出した。綺麗な黒髪に埃がくっついている。


「先生、お久しぶりです!僕また来ちゃいました! ははっ…。」


「…。」

ハルバレラは顔をあげてテリナを見つめる。夢ではな無い。この二週間幾度と無く思い描いたその黒髪黒目の美青年は目の前にいる。夢にまで見たテリナ再び自分の前に現れた。安堵からハルバレラの目に再び涙が溜まった。


「…先生、あれ?どうしました?」

テリナは微動だにしないハルバレラを疑問に思って声をかける。


「え!? あ、ううん、何でもないわ。二度目でも天井から来るってのはやっぱりビックリしますわね。フフっ、おかしな人。」

自分の目に浮かんだ涙をさりげなく彼に気付かれない様にして手で拭き取ったハルバレラ。


「ははは、いやーすいません。やっぱりこの研究室の前の通路には警備員さんもいるし、こうでもしないと…。」


「ううん、また貴方と逢えて嬉しいわ。」

ハルバレラが両手を天井に向けてかざした。テリナの体が薄いエーテルの光に包まれてゆっくりと天井に開いた穴から床に降りてきて、ハルバレラの前に降り立つ。


「わぁ…やっぱり先生は凄いな!」

研究室の床に降りたテリナは笑顔を振りまいた。それを見てハルバレラの心は再び大きく揺れる。彼の一挙手一投足全てが彼女を刺激する。


「あれ?先生、講義の時は離れてたから気付かなかったけど…。何か目の下が薄く光っている様な…何だろう?」

彼はそんなハルバレラの気も知る筈も無く、彼女に顔を近づけてそしてその大きくて綺麗な黒目でまじまじと観察し始めた。急に顔を近づけられたハルバレラは緊張のあまり硬直した。


「なんだろ?エーテル光っぽいんですけど…。先生?」


「こ、こ、これはね…。そう、恥ずかしいのだけれど今日ちょっと仕事が立て続けに来て眠れなかったから目の下にクマ出来ちゃって…。テリナ君みたいな能力者にはバレるのね。エーテルファンデーションといった所かな?」

眠れなかった本当の原因はテリナと逢う今日この日を夢見て不安になってそして期待しての事であった。

わざと嘘をつく、本当の事等言える筈も無い。


「あ、これ魔法ですか!?魔法のメイク!?凄い!!…こんな事も出来るんですね。」


「ええ。でもテリナ君から見たら目元が光って見えるのよね…。恥ずかしいけど消しちゃおう…。」

ハルバレラは目元に指を当てて魔法を解除した。うっすらと目元にクマが浮かんでくる。


「…いや、全然大丈夫ですよ。先生は今日もお綺麗です!」

エーテルを消してクマが浮かび上がったハルバレラの顔を見たテリナが自信を持ってキッパリと答えた。


実際外向けにメイクをして身なりを整えているハルバレラは中々の美人である。

家にいる時はノーメイクのすっぴんで髪はボサボサの上に薄暗い色のワンピース一枚で自堕落に生活しているのだが。


「ヒファア!! …ええああ、いや失礼…。ど、ど、どうもありがとうテリナ君。」

綺麗と言われたのは初めてではない。仕事絡み等で外面で人前に出る時はお世辞混じりもあるが彼女はよくそう言われている。でも面と向かって同じ年頃の男性に言われるのは、それが気になっている男性という事実は彼女には衝撃を伴って心に響いた。みるみるハルバレラの顔が赤くなり思わず顔を伏せた。


「ハルバレラ先生?…具合が悪いんですか?」

そのハルバレラの様子を見たテリナが心配そうにする。


「な、な、何でも無いわ!フフ…。少し、少しだけ恥ずかしかっただけ…。」

慌てて顔を上げて弁解するハルバレラ。


「そうですか?すいません、またこんな風に押しかけちゃって。」

申し訳なさそうにテリナは頭を下げる。


「テリナ君…。ごめんね、本当に何も無いのよ。…アラ?」

頭を下げるテリナを見ると頭に天井裏を伝ってきた時に付いたであろう埃の塊が乗っている。

思わずハルバレラは手を出してそれを優しく払ってあげた。


「わ! ははっ、僕の方がよっぽど変でしたね。ハハハッ。」

「フフっ…。ハハッ。」


二人は少しの間見つめ合いながら笑いあう。

その瞬間はハルバレラに取ってとても幸運な一瞬であった。




「先生、僕少し練習してきたんですよ。体よ浮けぇー!浮けぇー!って。全然何もおきませんでしたけどね。」

ハルバレラが座るソファの横に座ったテリナ。

照れ臭そうにハルバレラに顔を向けて話す。


「あら、最初から飛行なんて強い魔法式は無理よテリナ君。まずは魔力を放出する事から考えましょう。」


「放出ですか、何故でしょう。」


「思った術を形にする前に、まず力そのものを出力する訓練よ。貴方の中に眠る魔力を外に放出するの。」


「なるほど。まずエネルギーとなるエーテルを放出しないと何も起きませんね。燃料が無ければ何も、どんな魔機だって動かない。まずは形作る前の第一段階ですか。」


「その通りよ、テリナ君の中に眠る潜在能力はかなりの物です。それを上手く引き出す訓練をしないと。」


「はい…。でも、具体的にはどうやって?」


「そうね、こうかしら。」

ハルバレラは右手をテリナの胸元の前まで伸ばしそこから手の平を天井に向けて開いた。そこから光のエーテルの塊が生まれる。炎の様にそれは揺らめいていた。そして光の塊から手を離し、今度は人差し指を振るって光の塊を動かす。丁度テリナの体から50cm程前でそれは浮かんで停止した。


「わぁ。」

目前で発生した光の玉が動く様をテリナは目線で追いかける。


「私の魔力から生まれたエーテルの力場よ。密度は低いわ。光は抑え目にしているけど本来は夜に廊下で落し物をした時なんか役に立つ魔法よ。」


「へぇー! 何処でも体一つで光を生み出せるなんて…。そうか、先生の屋敷は大きいですもんね。廊下もとても長いでしょうし、こういう魔法役に立ちそうだ。」


「ヘ!? アヒ!? わ、わ、わ、ワタシの家の場所知ってるの!?」

ハルバレラが一瞬素になりそうな程驚き質問をする。


「ははっ、この街に住んでいる人で知らない人なんていませんよ。この街の英雄・大天才ハルバレラ先生の大豪邸の場所を知らない人なんて。」


「そ、ソウナノ…。ちょ、ちょっとこれからセキュリティに気をつけようかな…フフっ。」

テリナが自分の家を知っているというだけで気が遠くなりそうな程の衝撃だった。

特別意識されたのでは無いが、よく考えれば屋敷の規模を考えると当然なのだが。

やっぱり少し驚いてしまう。



「それで先生、これを使って訓練するんですか?」

エーテルの光の塊を指差してテリナが質問をする。


「そ、そ、そうね!…テリナ君、このエーテルの塊の密度は低くてあらゆる干渉を受けます。そしてこの部屋は今は締め切って風も吹いていない。私も体から放出される魔力も止めています。つまり今は何も影響を受けておらずその場で揺らめいているだけ。貴方の放出させる魔力だけでこれを揺らして、動かしてみて。」


「えええ!?そ、そんな事出来るのかな!?」


「出来るわ。現に二週間前にこの部屋に来た時似た様な事を出来たんですもの。」


「あ、あれは僕の体から自然に発生するエーテルが!先生の魔力に引き寄せられて! そ、そうか!僕の体から出る魔力でも十分揺らぎを作れる。」


「そう。そしてこの光の塊は密度は低めといっても、前回よりは若干密度が高い。つまり体から自然放出される位のエーテルでは動かないでしょう。意図的に、自分の意識でエーテルを貯めて力を込めて放たないと。テリナ君が自分の意思で魔力をその体から放たないと不可能です。」


「僕に出来るでしょうか…?」


「さぁ?どうでしょう?」

ハルバレラは笑顔のまま首を傾げる。


「ええ…。どうやって魔力を放出したら…。」


「簡単よ。」

ハルバレラが立ち上がり光の塊の前に手をかざした。彼女はゆっくりと魔力をそのかざした手の平から放出する。風も吹いていないのにその塊は息を吹きかけた蝋燭の火の様に激しく揺らめいた。


「おおー!!」

それを見て真面目に感心するテリナ。


「同じ様にやってみて。本来は手の平以外でも何処でも良いのだけれど…魔力の操作はイメージするのが一番重要なの。今みたいにまず手から放出するイメージを作るのが最初は一番だと思うわ。」


ハルバレラはソファに座り直した。

テリナは「判りました…!」と気合を入れて立ち上がり光の塊の前で先程のハルバレラと同じ様に手を差し出して魔力を放出する為に気合を入れた。


「ああああああ…!!」


しかし彼がいくら力を入れてみても魔力は放出されず、塊は静かに何の影響を受けぬまま静かに揺らめいていただけである。何も起きなかった。


「はぁ…。駄目です先生…。ちっとも動きません。」

肩からがっくりと力を落としテリナは落ち込む。

それを見ていたハルバレラが立ち上がり、彼の手を持ち上げて再び光の塊の前まで差し出した。


「まだよ、もう一度。いいえ、動くまで何度も。テリナ君の決意と意思の力はこんなものかしら?」


「先生…。判りました!今日は動くまでやります!それまで付き合ってくださいね!」

気合を込めて再びテリナが光の塊に手をかざして「うおおお!!」と唸り始める。


「勿論よ。貴方が成し遂げるまで傍にいるわ。ずっと…。」


「はい!」


それからテリナはしばらくの間、ハルバレラに見守られながら塊の前で手をかざして唸っていた。

30分近く経った…まだ光の固まりは一切反応しない。テリナは力むだけで肩から息をする程疲労した。

どんなに力を込めて彼が念じようと目の前の光の塊は何の影響も受けず微動だにしなかった。


「はぁ…はぁ…。駄目だ、くそっ!僕じゃやっぱり駄目なのか…!」


「テリナ君、貴方はその目を使う時も、耳を使う時も、物を持った時の感触も。それを意識した事はあって?」


「いえ、無いです…なぜその様な事を?」


「同じだから。我々魔力を生まれつき多く内包している人間にとっては同じ事。出来て当たり前と思いなさい。目を使って物を見る様に。耳で音を拾う様に、冷たい水が入ったコップを持って冷たいと感じるのと同じ様に出来て当然と思うの。何故ならそれはテリナ君の体に備わっている五感と同じ、本来出来て当たり前の能力の一つなんですから。」


「出来て当たり前、ですか!?」


「その通りです。テリナ君はそのトリガーが少し心の奥にあって遠いだけ。それを引き出してやれば良いのよ。きっとその時自在に自身の魔力を自在に操れるようになるわ。これはその練習です。」


その話を聞いたテリナは自分の手を見つめる。「自分は出来て当然…、出来て当然か…。」そうして再び光の塊の前に手をかざして力を込める。今度は反対側の手でかざしている手を掴んで両手で力む。

彼が「あああああ!」と声を上げて力んだ瞬間、少しだけ。ほんの少しだけだがハルバレラの作り出したエーテルの光の塊が動いた。まるでテリナの掌から風が吹き出したかの様に。


「あっ!うああああ!! う、動いたああ!!!ハルバレラ先生、動きました!やった!見ましたか!?確かに少し動きました!はははは!!」


魔力才能保持者AAAの天才魔女ハルバレラは言われるまでもなくそのテリナから放出された微量の魔力を肌身で感じていた。確かに彼の体からは魔力が放出されたのである。


「おめでとうテリナ君、第一ステップ完了ね。」

ハルバレラも嬉しくなって笑顔で返す。


「やった!おおおおっ!!やったーーー!僕にも出来た!生まれて初めてだ!魔力が!僕の体から魔力が噴出した!ははははは!!凄い!!!感動だ!!!こんなに嬉しい事も無い…!!やった!!!」

己の魔力の発現に歓喜するテリナは思わず目の前のハルバレラに激しく抱きついた。


「ヒャア! て、テリナ君!そ、そのっ!!」


「ははっはは!先生のお蔭だ!僕は魔法使いの一歩をついに踏み出した!記念すべき日だ!先生に逢えて良かった!ハハハハハッ!」


「て、テリナ君…。」


余りの事態にハルバレラは一瞬混乱した。彼の細身の体が自分の体を包む。見た目の細さとは違い男性だけあって、やはりがっしりとした感触もある。暖かな体温も、彼の使用しているシャンプーなのか、それの良い匂いも直接伝わってくる。腕はがっしりとハルバレラの背中を大胆にも掴み包んでいる。彼女にはとても刺激的すぎて気が遠くなりそうだった。


「ははははは!!! …ってあれ? あ!すいません!」

テリナは我に返ってハルバレラを抱き離した。


「は、はひ…。」

ハルバレラはこの刺激的な体験に身を崩してその場にへたりこんでしまった。

無理も無い、21年の人生でこれ程までに異性と接近したのは始めてである。


「うわ!ごめんなさい!大丈夫ですか!?」

慌ててテリナがハルバレラの元に屈み心配そうに体を支えてきた。


「…。テリナ君…。 ヒアア! だ、大丈夫です。急にで、ちょっとだけ驚いただけ…。」

ハルバレラの体を支えようと彼女の肩を掴んだテリナの、その接近に再び彼女は驚いて気を失いそうになった…が、なんとか耐えてよろよろとソファの上に座り込む。


「先生、大丈夫ですか?突然ごめんなさい。僕、初めての事で嬉しくなってしまって。」


「フーーーっ… 大丈夫よ…。ウン。でも、おめでとう。記念すべき第一歩ね。」

大きく呼吸をして体と心を無理やり落ち着かせたハルバレラ。


「はいっ!やっぱり先生はランクAAAの天才魔女だ!今まで子供の頃からどんだけ頑張っても成果は出なかったのに!たった一日で僕は!はははっ!まだ嬉しいや!」


「本当におめでとう。じゃあもう一度よ。」


「へ?またですか?」


「そうよ、今の感触を忘れない為にもう一度。何度でも練習するの。楽器なんかと一緒よ、使えて当たり前の力をモノにするの。」


「やっってみます…!何度でも何度でも!わかりました!」



それからテリナは同じ様に光の塊の前に手をかざして揺らぎを作る訓練を繰り返した。

次に大きな揺れが起きたのは10分程度、その次は5分程度でまた塊がテリナの魔力によって揺らぐ。

次第に時代が短縮し初めて、訓練を開始して二時間近く経つ頃には彼は自在に光の塊を揺らがせる程度の魔力をコントロール出来る様になっていった。


「凄い…。本当に僕の中には魔力が眠っているんだ…。」

テリナが右手に力を込めて作った握り拳を顔の前まで上げて嬉しそうに見つめながら呟く。


「この調子で訓練を積み重ねていきましょう。きっと貴方の魔力は大きく目覚めるわ。」


「はい!先生!よろしくお願いします!それで、次は!?」


「テリナ君、それなんだけど。時間は大丈夫かしら?」


「あ!もう今日の講義全部終わってる!ははは…。夢中になっちゃうと時間も忘れて僕って…。うあー…。参ったな。やっちゃった…。」


「あら…。大丈夫?」


「まぁ一日ぐらいなら全然…。でもこれからは気をつけないと。なので先生…また次も来ていいですか?」

自分が講義をサボってしまった事実に巻き込ませてしまったのを若干申し訳なさそうにテリナが答える。


「勿論よ。でも次は時間には気をつけましょう。」


「…はい!先生、ありがとうございます!」


前回と同じ様にハルバレラの魔法の力でテリナを優しく包み込み、天井まで持ち上げた。

自分の魔力で空を飛ぶ事が夢の彼には、この宙に浮かぶ魔法は憧れの一つだった。

思わず持ち上げられて笑顔になる。その顔を見てハルバレラにも自然と笑みが浮かぶ。


「ハルバレラ先生、今日はありがとうございました。僕、自分に少し自信がついたというか…。何かやれそうな気がして。本当に嬉しかったです。」

テリナは天井のずらした板の隙間から顔だけ出して声をかける。


「私もテリナ君が喜ぶのを見れて嬉しかったわ、また逢いましょう。今度は時間に気をつけて、ね。」


「はい、先生もお元気で。それではまた…。」


『ガタッ』と音が立ってズレていた天井の板が戻り屋根裏が塞がる。ハルバレラ専用の大学研究所には彼女独りだけになった。彼がいなくなるのを確認した後、ハルバレラは全身から脱力してソファに倒れこんだ。緊張の糸が切れた、二週間もの間待ち望んでいた彼との再会が無事に終わった事への安堵感。それに彼の息吹を間近で感じて、彼に抱き寄せられ、彼のエーテルを体全体で感じて…。兎にも角にもハルバレラには刺激的な時間であったのだった。


「はーっ! ワタシ…こんなにドキドキしたの生まれてハジメーテ。アヒアヒアヒヒヒ…。」


彼の居なくなった天井を見つめる。

その体には彼に抱きつかれた時の感触と体温がまだ残っている。


今まで彼氏や恋人といった存在が出来た事は無かった。

いや、異性とまともに。いや、同姓ともこんなに近くでそして長い間話した事は無かった。

それがあの黒髪黒目の美青年、テリナ・エンドと共に笑い、触れ合い、それを共有しあった。

なんて事だろう。生きていたらこんな事もあるんだとハルバレラは思う。




大学から屋敷に戻ったハルバレラは上機嫌だった。

スーツを脱いで下着も脱ぎ去り自分の屋敷の大きななお風呂でメイクを汗を流す。

大きな湯船に漬かり一息つきながらもニヤニヤ笑いが止まらない。大変に気持ちが悪い。

彼は、テリナ・エイト18歳は再びハルバレラの前に姿を現した。

魔法のエーテル波が自身の腕から発現して喜ぶあの顔を、これからの希望を手にして期待を膨らませるあの顔を彼女は思い出す。まるで自分が求められているかの様に彼の笑顔が見れるのは本当に嬉しかった。いや、確かに求められているのだ。魔法の先生としてではあるが確かに自分ハルバレラ・ハレラリアは彼から求められている。その事実が嬉しくてしょうがない。


お風呂から上がっても上機嫌で体をグルグル回しながら鼻歌を奏でつつ廊下やホールを無闇に歩き回った。時に嬉しさから魔法で飛び上がって空中に浮かび上がり、また着地する。また彼に逢いたい、今すぐにでも逢いたい。あの綺麗な顔の綺麗な黒目に見つめられたい。二週間待てばまた逢える。きっと逢える、彼は再び自分の元へ来てくれるだろう、あの天井を伝って。埃まみれになりながらも自分の元へ。また髪の毛に付着した埃を私が払ってあげよう。それを想像するだけでハルバレラの心が豊かに弾んだ。無邪気に上機嫌で踊りながら跳ね回る姿を使用人の多くが見て見ぬ不利をしたが、それはいつもの事だからである。普段は長引いていた研究にメドがついたとか、人見知り故に重苦しく思っていた魔機関連企業の重役との面談が終わったとかそういう理由からでこの様な姿を見せる時ははあったが今日は違った。そしてこれからは違うのだ。何故ならこの喜びの舞いは翌日になってもまた次の日になってもまたまた次の日になっても続いた。彼女の喜びは絶えない。何故ならテリナはハルバレラに対して「また」と言ってくれたからだ。流石に何日も続いているので使用人達にも「お嬢様は何か悪い薬にでも手を出したのではないか?」という噂が立ち始めたがそういう事ではなかった。


何故なら恋は、そんな「悪い薬」よりもよっぽど体も心も震わせるからである。

そんな悪い薬の幻覚作用等比べ物にならない程の快楽が得られるからである。

彼女は今や恋に恋する、恋に見せられた恋の魔女・ハルバレラ。

黒髪黒目の美青年、テリナ・エイトに抱き寄せられた感触と暖かさの記憶は今や彼女が生きる上で欠かせる事の出来ない元気と希望と明日を夢見る為の活力となっている。





再び大学へ客員教授として足を運ぶ。


やはり第三回目の自分の講義にもテリナ・エイトは出席してくれていた。

黒髪に反比例する様に彼がいつも着ている白いシャツはそのコントラストで直に講堂を見渡す彼女の視界に捉えられた。ハルバレラも思わず笑顔になる。彼は今日も彼女に向かって笑顔で手を振ってくれた。


講義が終わって大学内研究所の中で待つこの時間ももどかしかった。

早く、一秒でも早く天井の一部が動いて期待に胸を膨らませて彼が顔を出すのを待っている。


しばらくして物音がと同時にテリナが現れる。

ハルバレラの表情がパァっと明るくなる。

彼を天井から魔法でゆっくりおろしてあげて、そして頭についていた埃を今日も払ってあげた。

テリナは「すいませんいつも。」と、言って笑顔でお礼を言ってくる。その顔にハルバレラはとても癒された。二週間待った彼との再会はいつもこうした笑顔で始まっていた。



二人の魔法特訓の為の密会は続き、季節は変わり夏になった。

この間にテリナの特訓内容は次第にステップアップしていった。

最初はかざした手の目の前にあったハルバレラが放ったエーテル光の塊は、次第にテリナと距離を離していく様にして特訓をステップアップした。最初は掌と光の塊を1m離しただけでも一苦労であり、これを動かすのに一ヶ月程かかった。だがコツを掴んできたテリナは次第に距離を離していき、夏になる頃には部屋の端から端まで離した距離から光の塊にエーテルの力を吹き付けてその形を揺らめかせて動かす事に成功。テリナは当初とは比べ物にならない程魔力の扱いに自信を覚えてきている。それが上手く出来る様になる度にその美しい顔で満面の笑みを浮かべてハルバレラに笑いかける。それが、その時が、ハルバレラには幸せ以外の何者でも無い至福の瞬間でもあった。



「嬉しいな…。僕は夢を諦めてたから。先生に逢えて、こうして自分でも魔力が出せる様にまでなって…。夢が形となって僕の手に収まっていく感じが…。あの時無理やりにでも天井を這い回ってでも、先生の元へ落ちてきて良かったな。ははっ。」


「私も嬉しいわ。貴方の成長を目の前で見れて…。でもこれからよ。魔力の生み出し方を覚えてようやくスタートラインに立ったのだから。テリナ君、これからも一緒に頑張りましょう。ね。私も同業者が教え子から生まれるなんてこんな素敵な事な無いって最近思うもの…。」


「勿論です。ハルバレラ先生程の潜在能力は無いかもだけど…僕はきっとやってみせます!絶対に!ははは!大きな口叩いてますけどね!でも本当に、いつか。」


「二人でこれからも頑張りましょう。今日はもう時間だわ…。」

ハルバレラが名残惜しそうに研究所内にある机に置いてある時計の方を見つめた。


「そうですね…講義出席出来なくて単位取れない状態だと魔法の前に進級が危なくなっちゃいます。ははっ。」


ハルバレラは別れの際にいつもテリナを魔法で天井まで持ち上げてやる。そしてズラした天板の隙間からテリナは屋根裏へ帰って行くのである。再び逢えるのは二週間後、この別れが再会する度に彼女は辛くなっていた。


「先生…。いつか、僕がいつか魔法の力を完全に会得して空を飛べる様になったら…。一緒にこの街の空を飛びませんか?僕はそれが今の最大の目標です…。」


「テリナ君…。ええ、是非一緒に飛びましょう。きっと、貴方ならきっと出来るわ。」


「はい…!それでは先生、また二週間後…。」



静かに天板を戻して天井を元の状態にしてテリナはガサガサと天井裏を這いずり回って帰って行く。

その音が小さくなる。彼は再び大学生活の中に溶け込んで行った。


今日もまたお別れの時間。


ここ最近は、この瞬間がとても切ない。直にでも彼の顔が見たくなる。

ハルバレラは大学研究室を出て廊下に飛び出す。廊下の窓から下を見ると屋根裏から準備室へ、そしてそこから抜け出して違う校舎に向かって走りこんでいくテリナを見つけた。いつも次の講義の時間ぎりぎりまで彼はハルバレラの傍にいたのだった。だからこうして走って次の講義へ向かう彼の後姿を三階の窓の下から目で追う事が出来た。



「テリナ君、また逢いましょう。私、待ってるわ…。」

彼の後姿を窓越しに見ながらハルバレラは呟いた。


彼との別れは切なく身を切り裂く程に寂しい。

だけどまた二週間後、二人だけの時間が作れて、再び彼と共に時間を過ごせる。

だから今は寂しさと切なさに身が焦がれても生きて行ける。貴方にまた逢えるから。


彼の体から放つエーテルの振動が未だに体の余韻として残っている。

人間にはそれぞれリズムがあり、それは呼吸も、歩き方も、食事の際のスプーンを動かずリズムすらもその人にしか存在しない独特なリズムがある。魔力才能保持者であるテリナやハルバレラの放出する魔力にもそれが存在する。ハルバレラにはテリナの放出するエーテルのリズムが体に染み込んでいた。魔法使いや魔女にしか伝わらないそれは、魔力才能保持者のみが味わえるその人の体の個性。その事を今はとても幸せに思う。魔女という特殊な能力を手に入れて、高みに上がり、地位も名誉も金も呆れる程に手に入り、俗世と切り離されたハルバレラは時にだが、その今の友達も出来たことの無い自分の孤独を生んでいるのはこの能力のせいではないかと思い悩む事があった。だが今はもうその悩みも消え去った。テリナの放つ魔力の暖かなリズムを感じ取れるのはこの能力のお蔭なのだ。今は自分が魔女として生まれてきた事への感謝しか存在しない。


ハルバレラはテリナを見つめていた窓を開けて外の風を感じた。

春に感じた風は沢山の命の誕生を知らせるエーテルを運び込んでいた。

今は夏になり、その風は命の爆発とも言えるべき活力を含んでいる。

様々な命が生まれ、育ち、希望を感じさせる風が春ならば夏の風はその命が正に燃えに燃えてその生命の爆発力を知らせるかの様に莫大なエネルギーの放出を彼女に知らせる。暑く暑くそれがハルバレラの体に降り注いだ。


命が育ち、そして大きな葉を茂らせるこの季節の風はハルバレラに取っても希望が大きく開いた季節。この恋はいつまで続くのだろうか。願わくば秋になって、冬になって。そして季節が一巡し再び春になっても続いてくれる様にと、ハルバレラは願わずにいられない。


それが終わってしまったら自分はどうなるであろうかと、そんな事は今や考えるのすら恐ろしくなっている。いつまでもいつまでも続いて欲しい。きっと、そう。二人の関係は進展しなくても構わない。ただ、傍で、ただ傍らで貴方の、テリナ・エイトの笑顔を見ていたい。





ハルバレラは、心からそう考える様になっていた。













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