恋のテリナ A
ロンロはシヴィーの駆る「死体運びの荷台馬車」に今日も元気良く乗り込んだ。これで三日連続この荷台に乗り込んでいる事になり、段々とこの死体運びの荷台が自分の指定席の様な気がしてきたとロンロは感じる。シヴィーと相談したロンロはこの時間帯なら大学の方が可能性があると、彼が通っているテピス大学へ向かう事となった。この大学は街の中心部からやや南東にいった位置にある。街の中へ向かう為に馬に引かれて揺れる荷台の中で本来は脅迫する予定だったグラレーン市長から教えられた情報を彼女は思い出していた。
(テリナ・エンド、19歳のテピス大学生魔学科生徒。魔力才能保持者クラスD…ハルバレラは彼と何かをしようとしてたの?でもクラスD…。AAAのハルバレラが彼に頼る様な事があるのかな?)
証拠が少ない故にいくら考えても、それは判らない。きっとエーテル体のハルバレラ本人に聞いても不明なままであろう。テリナという名前を聞いてだけで記憶が刺激され、苦しみ涙した彼女を思い出す。何かがあったのは間違いない。そして、それはきっとハルバレラにとっては恋だったに違いないとロンロは思う。ほぼ直感ではあるが一日経った今でもそう思っていた。
(こんなに端正な顔立ちの美形で、そして魔学生か…。あのハルバレラの反応…。そう考えてしまうのは当然かな?でも、本当にそうなのかな?私の直感でしかそれは勘違いかもしれ無いのかな…。)
【テリナ君はそんなんじゃないもん!】 昨日のハルバレラの自室で聞いた、あの時の彼女の叫びを思い出す。あれは、脊髄反射の様に返されたあの言葉は、きっと彼女の本音であろうから。
「…逢えるかな、テリナという人に。」
ロンロが独り言の如く荷台で呟く。
「ん?」
荷台を牽引している馬に乗って前にいたシヴィーが、声を聞いて少し振り向く。
「あ…。市長さんに教えてもらった人物って、本当に私の探しているテリナさんなんだろうかなって。少しだけ不安に…。」
独り言ではあったがそのままロンロはシヴィーに返事をする。
「さぁな、だが何かしない事には始まらん。それにお前が脅迫しようとしたからこそ今の結果があるんだ。それを考えるとまずは行動起こしてみるしかない。」
「ハハハ、そうですよね。結果オーライって事で!」
「かなり無茶だったがな…。無事に終わって何よりだ。」
「その、シヴィーさん。無茶な事に付き合わせてごめんなさい。終わってみて改めて思うんですけど無謀でしたよね…。」
荷台の後ろからロンロは頭を下げた。
「俺も乗っかった立場で文句は言えん。結果的にだが俺も上に現状を進言出来たよ、これで部下二人にも言い訳が出来るんだ。感謝はしている。」
背中を向けたままシヴィーがお礼を返してきた。
「へへへ、それなら良かったです…。」
ロンロはその言葉にホっとして笑顔を見せた。
「だが新しい悩みの種だ。さっきシュングとサグンが調べた限りでは通話中に国からの監視はいなかったが…。これからは気をつけねばならん。特にロンロ、お前はハルバレラの屋敷に侵入したのが既に向こうにバレている。単独行動の時は十分気をつけろよ。」
「は、はいっ!それはモチロン!でもどうしよう…私、ハルバレラにまた明日も遊びにいくねって約束しちゃった…。」
「…確かにな。もう一度の突入は屋敷前に張っているかもしれない首都の人間に怪しまれるだろう。まだ調べたい事はあるのか?」
「ううん、もうほとんど無いんです。現場に残った魔紋は魔学者・研究員の私じゃちっとも解らなかった。あれは稀代の天才・魔女ハルバレラ本人じゃないととても…。その事でハルバレラ本人と意見交換したかったな…。あと、彼女は私にお茶を入れてくれるって。それでハルバレラが待っててくれてるかも…。一番の気がかりはそれです。」
「それは行かないと駄目だな。」
人付き合いの不器用なシヴィーがキッパリと言った。
「シヴィーさんもそう思いますよね!」
「ああ。人が待ってくれているのを無碍にするのは俺のポリシーに反する。」
シヴィーのポリシーであった。
「は、ハルバレラと約束したのは私ですっ!」
ロンロが呆れた顔で反論する。
「ああ、いやスマン…。まぁそうだな、折角待ってくれているんだし…。どうにか屋敷のハルバレラと連絡する手段でも出来ない物か。」
「連絡手段かぁ~~~。何か無いかなー。屋敷内のエーテルは遮断されていたから電話も何も使えないだろうし。うーん。監視されているんですよねー。監視…監視…あっ!!」
ロンロが思いついてポンと片手の拳をもう片方の手の平に向かって垂直に叩いた。
「な、なんだ?」
「こっちも監視、逆に観察して見てやれば良いんですよ!日が落ちるときっと暗視化ゴーグルを使いますからね!これ見ている方角に向かってエーテル反応がでます。微量ですが!これが欠点となって実際の戦場や諜報活動ではまだ中々使用されていないんですけど!その視覚を縫っていけば!どうせあっちは私が確認しているなんて…ダメだ。ううんこれじゃダメ。」
「駄目か?良さげだった気もするが…。」
「そんな弱点向こうだって理解してます…。単純に暗闇に目を鳴らしているでしょうし。一体どうしたら良いだろう…。」
ロンロが悩んでいると前の方からシヴィーが話しかけた。
「もう堂々と行け。二度目ぐらいならまだそこまで怪しまれないだろう。」
「え?でも…。」
「友達になったんだろその幽霊のハルバレラと。何故友達に逢いに行くのに怯えなきゃならんのだ。そういうのは俺は可笑しいと思う。いかなる事情があろうと、決してだ。」
それはとても不器用者らしい、シヴィーの真面目でシンプルな答えであった。
「…そうですよね。なんか真面目に考えてたら可笑しくなってきた。ハハっ!」
「入る時は連絡しろ。それとなく周りを俺が観察する。あのバカデカい屋敷全ての方角をカバー出来るかまでは判らんがな…。怪しい奴がいたら屋敷に俺が直に駆け込む。」
「シヴィーさん…ありがとう。」
「気にするな。」
その時、テピス大学へ向かう為に死体処理場へと続く街外れの街道を歩む死体馬車の遠く見える前方、その方向にある大きな農家の納屋らしき建物の屋根。そこに何か大きな人型の物体が落下してきて激しくその納屋の屋根を揺るがしたのを二人は目撃する。ハルバレラの死体だ。今日も誰の心配も不安も構わず無視して降り注いでいる。
『 ドォォォン! ガッシャアアン!』
と、落下の衝撃で屋根を破壊するハルバレラ。
死体は納屋の屋根は貫通せずにそのままバウンドして地面に落ちた。
あれはハルバレラの手か足か。
何かが衝撃で千切れているのを遠目からでも確認出来るくらい、細長い物体が本体から分離して飛び跳ねていくのもしっかり見えた。音を聞きつけた持ち主らしき人物が急いで駆け寄って大声を張り上げている。きっと落ちてきた魔女に対して文句をぶつけているのであろう。
「…まぁその。悪いが今日も死体はいつも通り回収していくからな。」
落ちてきた方向を見ながらシヴィーは無表情で答えた。
「はい。今日も同伴します…。ハルバレラの死体と。」
ロンロも諦めてそれに従った。
シヴィーは近くに馬を留めてその納屋の持ち主に頭を下げる。そしてハルバレラの死体を回収した。毎度毎度この億系は頭が下がるとロンロは思いながら千切れ飛んていた体の一部、右腕だったがこれを回収して手伝う。そして今日で三日目、彼女にとってその日始めてのハルバレラの落ちたて新鮮なホヤホヤ死体であった。(あまり見かけたく無いんだけど…。)と、ロンロは思ったがその後も街の中心部へ着くまでに何度か目撃してしまった。当然回収するので彼女の荷台同行者の死体はみるみる内に増えていった。
町の中心部へ到着する頃には死体運びの荷台馬車は落ちてきたハルバレラで山盛りになっていた。
シヴィーの馬も連日の労働で辛そうである。新しい馬も市長に進言していれば良かったかなとシヴィーが漏らした。そしてこのまま大学近くにいくには怪しまれるから、と。シヴィーはロンロを降ろした。軽く大学の場所をロンロに伝えて自分の無線番号も教えた。ロンロはタブレットからこの街の地図を出してそれをマーキングして、無線番号の周波数はそのまま暗記した。
「歩いても10分程度着くだろう。何かあったらすぐ連絡しろ。」
「うん。シヴィーさんありがとう、行ってきます。」
「健闘を祈る。…いいか、監視も動いているかもしれない。くれぐれも無茶するな。」
シヴィーがロンロの顔に身を屈めて寄せて、そして小声で忠告した。
「はい!が、がんばります!」
ロンロはシヴィーの顔が近づいたのに少し緊張して声を張り上げてしまう。
「大声あげるな…!無線番号はさっき教えた通りだ。じゃあな。」
ロンロを降ろした後シヴィーは片手を上げて馬に跨って去っていく。きっと一杯になった荷台を空ける為に一度死体処理場に戻るのであろう。ロンロはその後姿を今日も見えなくなるまで目で追っていた。
「おし! いきますかー!」
ロンロは自分に気合を入れて歩み始めた。
ハルバレラの死体が降り注ぐ怪事件の影響で街の中心部というのに人の数は少ない。見るからに疎らである。本来はもっと賑わっているのだろうが、外出する人も日に日に減っていると聞いている。稀に人の集まりを見れば、それはこの事件がいつ収束するのかと不安と不満を語る人々の集まり、シヴィーが言った「いつか暴動が起きそうな気すらしてきた。」というのはこれらの事を言っているのだなと、ロンロはテリナという人物が通っているテピス大学に向かう道中で確かにこの目で確認した。
しばらく教えてもらった場所を地図と照らし合わせながらロンロが歩いていると、大きな塀に囲まれた無数の背の高い建物の集まりが見えてくる。これがテピス大学というのは一目で確認できた。地図を開いていたタブレットをレザーリュックに仕舞い込んで、そのまま壁の目の前まで出たので壁に沿って歩く。大きな校門が見えてきた。大学内で一番出入りが多い正門である。門前には大きく大学名が書かれた看板があり、その文字にはテピスの名があるのがはっきりと確認できた。
「ここかぁ。私が出た大学と同じぐらい大きい。確かテピスってそこそこ偏差値高かったよね?魔学や魔法方面で有名だったかな?…もう少し、学生生活を満喫してればよかったかなぁ。その辺の近隣都市の大学情報とかって全く無いや。サークルやゼミ間の交流ぐらいあったと思うんだけど…。」
飛び級して14歳で博士号まで取得したロンロは日々勉強と研究漬けの毎日の学生の日々を送っていた為、その辺りの情報に少し疎い面があった。研究協力や資料の共有等はロンロが通っていた首都内の大学間では物理的にも距離が近かったので良く行っていた。なので同分野の学生らと交流もあったのだが、首都外となると少し解らない。そもそもロンロは大学に短い間しか在籍していなかった。元の入学前の成績が優秀な為に基礎教養を全て吹っ飛ばして免除され、在学期間はたった2年弱程。その間に無魔力人類型魔学式建築理論で博士号を取得してあっと言う間に大学卒業。彼女にとって学生時代の思い出は勉強と研究と論文作成だけ。院に残るのも当然進められたのだが、自立の希望もあって研究が引き続いて続行可能で、尚且つ給料も出る事で希望した「リッターフラン対魔学研究所」の入所試験を受けて一発合格。さっさと就職して社会人になってしまったのが去年の話である。
今でこそリッターフランに捨て駒にされた事に対して (進路を間違ったかな?) と思う事もあるが、リッターフランに入った時はとても刺激的で楽しかったし、それは今でも続いている。大学時代からの研究も引き続いて行えある程度は経費で落とせていた。何より初めて味わう現場の事件に、ロンロと同じ様に若くして社会人になった秀才・天才の同僚も沢山所属していた。その為に年若いロンロも特別扱いされる事無く伸び伸びと現在でも活動出来ている。だからこんな待遇になっている今でもリッターフランの同僚達や仕事には嫌な感情は沸いて来ない。ただ上の、国や警察機構と癒着している幹部連中には不信感も生まれてくるという物である。首都に帰ったらリッターフランの労働組合に強く掛け合ってみようかとすら思っている。ロンロは余り出世が出来ないタイプかもしれない。
職場の不満を少し思い出しながらロンロは大学の門をくぐる。校内の学生は今の事件の影響か疎らであったが学校自体は閉校はしていない。一先ずはホっとした彼女は足を進める。そのまま校舎のある方角へ突き進んで闇雲に調べてもキリが無いので総合受付がある建物の方角へと足を運んだ。中に入ると受付のカウンター対面側の壁に大学構内の地図が表示されていたので確認。テリナが所属する魔学科はロンロの現在地から北方面へある魔法科目棟の中にある事を発見した。そこにテリナがいるのか?されど授業か、研究時間か、はたまた自由時間なのか基礎教養等の時間なのかまでは彼のスケジュールは解らないが…とりあえずそこまで足を運ぶ事に決定した。受付の人にテリナの行方を直接確認のも良かったが、そうなると巡り巡ってもしかしたら首都側に情報が漏れるかもしれないと止めておき、地図だけを確認してこの建物を後にし大学敷地内の北方面にある魔学科に向かって足を進める。
地図に表示されていた魔法科目棟の校舎が立ち並ぶ場所までやってきたが、さてどうしたものか?とロンロは考え込む。写真を見せて学生や学校関係者に尋ね回ってみるか。さりとて首都の監視の目がハルバレラの屋敷へ侵入以降自分を追い続けているかもしれない。いや、そもそもリッターフランから派遣されたのだ。いくら捨て駒とは言えもしかしたら街にきた当初から、いや首都から出発する頃から…。そう考えると不安と恐怖が彼女の脳内を巡り始める。今は余り目立った行動は取りたくなかった。
ロンロは魔法科目棟の正門から見て一番手前の校舎の傍にあるベンチに腰掛けた。
ベンチに座って行き来する学生をさりげなく観察してテリナを探す。こんな偶然に任せた方法では無駄に時間を消費してしまうが、今の彼女にはとりあえずその手段しか思いつかなかった。ついでに大学の構内にも目を向けると折れた植木が、四階建ての校舎のベランダの柵が歪み、何か激しくへこんだ地面を整地したかの様な痕も見られる。この大学内にもどうらやらハルバレラは降り注いでいる様子だ。街の中にある大学であるからして当然であろう。
(この辺りなら何処でも空から振って来てるのね、ハルバレラ…。)
それらをベンチに座りながら見つめている少女ロンロ・フロンコを目撃した学生の若い男がいた。
彼は学友と校舎の外に出て別の校舎に移動中であったが、その友人と軽い会話をしたのち、別れる。ベンチに座るロンロ・フロンコを見つけた彼は何処かで見覚えがある、とでも言わんばかりに考え込む様に端正な顔立ちを顰めてゆっくりと歩いてロンロに近寄っていく。やがて、彼はロンロの目の前で止まる。視界の外から接近されたロンロは気づいていなかった。ぼーっとハルバレラが落下したであろう痕跡のある場所を見つめていた。
「あの…。」
学生の男がロンロにゆっくりと呼びかける。
「…。」
ロンロはこの学生の男に全く気づいてはいない。
「あの!」
その端正な顔立ちに似合う様な男性にしては高い声が、ロンロを再び呼びかけた。
「はい?」
ロンロが声に気づいて振り向く。
彼女は驚いた。
目の前に写真の中で見覚えのある、あの容姿端麗の若い男がいたのである。
しかも明らかに自分を呼んでいた。
「わぁあああああああああ!!!!?」
ロンロが驚きのあまり叫ぶ。
「うわぁあっ!!!?」
その声に驚いて学生の男も叫ぶ。
「わ、わ、わ! テテテテ!テリナ・エイト!…さん!?」
驚きの表情のままロンロは目の前の男の名前を呼んで確認をする。
「は、はいっ!そういう貴女はロンロ・フロンコさん?ですよね…?」
目の前の若い学生、容姿端麗の黒髪黒目の男。テリナ・エイトもロンロの存在を確認してきた。
「そうですけど!?何故テリナさんが私の名前を知っているんですか!?」
いきなりの事にロンロは戸惑った。探していた人物テリナ・エイトは自分の事を知っていたのだ。
「こっちの台詞だよ!?何故だたの学生である僕の名前なんか知っているんですか!?」
当然と言えば当然の疑問を彼はそのままロンロに返した。
「…。」
ロンロは目の前の黒髪が似合う美形学生を前にして考え込む。
どうして彼は自分の名前を知っていたのだろうか?
こちらの身元を明かした事は無い。まさか市長が首都側と内通していたのか?何の為に?さっき自分が気づいていない状態なら危害を加えるならその時に行えた筈である。人通りは少ないとは言えあるが、王国兵団警察機構から送り込まれた監視団ならばいくらでも騒ぎを起こせず自分をその時始末出来たと思われるからだ。可能性を考える。
1・前述の通り市長が首都側と内通してこちら側の情報を流していた。
今の状況的に不自然なので×
2・ハルバレラのエーテル体が屋敷を抜け出しテリナと接触、ロンロの事を漏らしていた。
テリナの名前を聞いただけで錯乱した今の記憶が不自然な彼女にその様な事は不可能なので×
3・実は魔力才能保持者クラスDで魔学生のテリナはリッターフランの現地協力員であった。
自分が何も聞いていない、そもそも合流したにしても到着から三日後というのは遅すぎるので×
4・魔力才能保持者クラスDの能力を持って予言もしくは察知していた。
クラスDの魔法使いでそこまでの魔法式は到底無理であるので×
5・何かしら別の媒体等から間接的に自分を知っていた。
これだ…。とロンロは考えを纏めた。
ロンロは大学卒業論文で「無魔力人類型魔学式建築理論」を纏め上げてその研究成果を魔学術誌・「コオクス」に取り上げてもらっている。これは今の魔機技術ではまだまだ難解な物ではあるが、いずれ魔力を持たない一般の人間でも補助魔機があれば魔法式を自由に描ける。つまり誰でも新たな魔法を生み出せる未来がいずれ到達可能であるという方法を将来的に実現可能という視点で纏め上げた論文であり、これで高い評価を得ては博士号を取得するに至った。前述の通りこの時点で卒業の条件を満たして彼女は大学をあっさり駆け足で卒業。この時、魔学分野では最年少タイ記録の博士号取得としていくつかの学術雑誌なのでロンロは写真つきインタビューも含めて取材を受けていた。彼はこれを見ていた可能性がある、彼女の考えが整理された。
「…あの、もしかして私が去年書いた、コオクスの【無魔力人類型魔学式建築理論】に関する記事を見たのですか?」
「そうだよ!その通り!バッチリ見た!やっぱりロンロ・フロンコだ! 若干15歳で大学魔学過程全てを終了したあの天才少女!ははっ!まさか自分の学校で逢えるなんて!」
目の前のテリナは笑顔を振りまいてロンロの両手を握りブンブンと激しい握手を行う。
(私って!そんなに有名人だっけ!?)と当のロンロは困惑している。それにしても彼の手は細く、しなやかで色白の綺麗な手である。土に塗れている死体処理場の男たちとはまるで違った。
「ど、ども。ハハハハ…!」
手を握られたままロンロは愛想笑いを浮かべる。
「…で、何故そのロンロ・フロンコさんが僕の名前知ってるんですか?僕はホントにただの学生で…一応のクラスDではあるんですけどね。まぁほとんど役に立たずで…何処で名前と顔を?」
「…その、私。テリナさんに聞きたい事が逢ってここまで参りました。」
「え?」
テリナが力を緩めてロンロの手を離す。
ロンロは上着のポケットからリッターフランの捜査研究員身分証明書をテリナに見せる。
「私は今回リッターフランから派遣されて首都からこの街にやってきました。今回のハルバレラ関連事件にてご協力お願いします。テリナ・エイトさん。」
「リ、リッターフラン対魔学研究所!?それに、ハルバレラ先生の事を!?」
それを聞いたテリナは驚いてロンロの捜査研究員身分証明書を見つめる。
身分を明かして彼から話を聞く事をロンロは選択した。見えぬ首都側の監視を気にするよりもありのまま話をしてみようと想った。シヴィーがハルバレラの屋敷に再び行くと告げた際に返した言葉も思い出す。
【 何故友達に逢いに行くのに怯えなきゃならんのだ。そういうのは俺は可笑しいと思う。いかなる事情があろうと、決してだ。】
彼とはまだお互いの名前と顔を認識したばかりの関係ではあったが、これからハルバレラの事を聞けるかもしれない。それならば友達の秘められた過去に触れる事になる。嘘偽りなく正面からそれを感じようとしたロンロは素直に身分を彼に明かしたのだ。
そして、ハルバレラ「先生」と彼は彼女を呼んだ。
その後は落ち着いて会話が出来る様にと、テリナの薦めで校舎内の研究所の一室に移動してそこで話をする事になった。ロンロはテリナの後ろに付いていって魔学科が使用している校舎の中に入っていく。後姿の彼は背が高くて背中が薄くて、国が隠れるくらいまで伸びた髪はサラサラで、白いシャツの袖から覗く肌は白くて。後姿からも気品が漂う若い男子学生。きっと女生徒には人気があるだろうと観察しながら彼女は想う。同時に自分ならもう少しがっしりして頼りがいがある方が全然良いなとも感じていた。彼女の異性趣味はそういう方面である。
校舎の四階まで階段を使って上る。踊り場に張られた提示物にこの少し淀んだ空気、ロンロは何処か親しみを感じている。去年まで学生だった彼女にこの学校の空気は懐かしいとは到底言えない物で、まだほんの少し前の出来事であったのだ。
四階の端側にあったのが彼が使用している研究室の前まで二人は歩いてきた。
ガラガラと引き戸を引いて中に案内される。他に人は誰もいない。
「今は講義中ですから、ここにはまだしばらく誰も来ません。」
リッターフランとの人間として、そしてこの街を騒がせるハルバレラ関連事件の事を考慮して人目が無い静かな場所を選んでくれた様である。気遣いにロンロは内心感謝した。
大きな実験用の机の横にあった丸いイスを一つ差し出されたのでロンロはそれに座る。
テリナも同じ様に対面にイスを用意して座った。
「まずは僕から言いたい事があるんです。」
正面に大人一人分程のスペースを空けて座ったテリナが、同じく座ったロンロを真っ直ぐ見つめて穏やかな顔で話しかけた。イケメンだ!とロンロはその優しくも整った顔を見て思う。自分より顔立ち整っているかもしれない!とも思った。変な所で異性に嫉妬する。
「んあ!? あ、はい!どうぞ!」
軽い嫉妬で表情が嶮しくなっていたロンロ。
申し出を受けて我に返ったので大人しく話を聞く事にする。
「僕は魔力才能保持者クラスD…世間的に分類されれば戸籍上も【魔法使い】だ。でも、魔法の才能はあってもこの程度じゃ何も出来ない。限界まで集中して漸く目の前の物体を少し動かせるのが精一杯で、魔学者のロンロさんなら判るよね?」
「ええ。先天的な能力は人によって幅が広いですから…。」
「そう、僕はその広い幅の下の方を指した針の位置にいる。クラスD、事実上の最低ランクだ。幼少の頃学校の魔力測定検査で引っかかって…あの時は嬉しかったな、自分も魔法使いだって。でも、現実はそうじゃない。僕はランクD、結局潜在的な魔力はある物の特別何か凄い事が出来る訳じゃない。成長する度にそれは痛感して…だから、だから僕は魔学の道を自然と目指す様になったんだ。」
「潜在能力を開花させる道を諦めて魔学の道に入ったんですね。」
「そうなんだよ。魔法を魔学と定義して魔法使いが持つ魔力に頼らずとも、魔法式を外部エーテルによって発動させて魔機を通して魔の力を誰もが再現できる魔学に…。僕はこの学問の方法で魔法使いを目指したって訳だね。そして去年、大学に入って2年目の時にロンロさんの【無魔力人類型魔学式建築理論】の論文を読んだ。…革新的だった!いずれあらゆる人々が補助魔機を利用して魔法式を自由に描ける様になる、誰しもが新たな魔法を生み出せる未来、激しく感銘を受けた!」
身を乗り出して目を輝かせてテリナは次々と早口で喋っている。若干興奮しているようだ。
「そ、それはどうも…!私も魔学者として魔法使い・魔女を羨ましく思う事はありますから気持ちは大変良く判りますし…。」
ロンロは少し圧倒される。
彼の魔学に関する熱意は本物の様だ。
「まさか本人に逢えるなんて。院に進学せずにリッターフランに入ったんだね。院に入るより実戦的な現場に立ち会えて研究も出来る!なるほどね!」
「ええ。…というか今19歳ですよね?それで大学は去年で二年目?通常は18歳からですから飛び入学されたのですか?」
「ははは。15歳で大学まで卒業しちゃったロンロさん程じゃないですけど。一応、一年だけ。」
照れ臭そうなテリナ。容姿端麗に加えて頭脳明晰でもある様だ。性格も穏やか。これで実家がお金持ちなら割と非の付けようが無い男性と言えよう。
「今日お会いできて光栄だよ、歳は僕のが随分と上だけど君の事を尊敬している。【無魔力人類型魔学式建築理論】について直接お話を聞きたいんだ!」
「そんなっ!私は特別な力がある訳じゃないし!そんな対した事じゃ…。」
「謙遜する事じゃない!今だって講義サボっちゃったけど…君と話せるなら講義よりずっと有意義だ!」
テリナは再びロンロの手を握って顔を近付けた。大きな二重の目に綺麗な形の整った鼻。小いさいながらも形の整った輪郭。それを満面の笑みで、至近距離で。多くの女性ならクラっとくる場面である。こういう男性は趣味ではな無いと言い切るロンロすらも、しばし見とれてしまった。
その美しく大きな黒い瞳を見ていると
その美しいテリナの顔を見つめていると、
深い深い力がテリナの目から発せられ、深く深くロンロの目から体に染み渡っていく。
急にロンロの意識が遠のいていく。それはロンロがその事に気づく間もなく彼女の体を包み込んでいく。
深く深く、
深く深く。
彼女の自我は失われる。
あっという間の出来事であった。
「む、無魔力人類型魔学式建築理論…。実現するには…まず魔学的発展は当然ですが倫理面や法律面でも整備が必要で…。誰もが魔法式を描けるようになれば法整備は勿論ですが、倫理的な面での教育も…。無闇に多くの人に力を持たせるにはまだまだ課題が山盛りで…。」
ロンロの目から力が失われた。
彼女は今、テリナがの要求に答えまるで言葉が口から勝手に出力される様な、それは操り人形の如く口を、頭を、意識とは関係なく自動的に動かし始めた。
「そうだよね!誰もが魔法使いや魔女の様に、ランクA以上の様に規格外の魔法を発言させを使い始めれば問題は起きるさ!論文でも読んだよ!それで…!今度は魔力を持たない一般人が魔法式を発言させるには!?」
ランクD魔法使いであるテリナはさらにロンロに顔を近付けて大きい目をさらに大きく開いた。
彼の瞳から、体から、全てから魔力が溢れ出る。
それはロンロの体に伝染して彼女本来の思考を完全に奪い去った。
テリナの体から沸いた魔力はエーテルとな成り、それは操り人形の糸の如くロンロの精神に絡みつく。
「エーテルの補助…。例えばペンでも筆でも、ううん。形を表現するなら他の方法でも良いと思う…。論文を書いた後で思ったの…。それは例えば箒でも…。魔法式を表現できるなら……。私はタブレットや魔機計算端末の様な物でも構わないと今は思っている………。そう、魔法の仕組み一つ一つをを命令コマンドの様にしてしまえば良い……。それを積み木の様に自由に組み合わせて誰しもが、その組み立ての方式を覚えれば……。そしてそれをエーテル伝導として形に出せれば、いずれ誰もが………。」
虚ろな瞳のままロンロが次々と持論を喋り始める。
テリナに要求されたままに次々と、ロンロの頭の中は今やテリナに要求された事でしか動けない。
彼の美しい姿と、美しい瞳の力に抗う術をロンロは持たなかった。
「なるほど!予め魔法の仕組みを根本的に分解し解析して!再構築する為にパーツにしてしまえば良いのか!それを計算機上でシミュレーションして実行させる発想とは!凄い!確かにそれの出力をエーテルで補助すれば自由に組み立てられる!ロンロさんはここまで考えていたなんて!」
テリナは興奮してさらに瞳に力をこめた。その力は流れ、彼の意識とは関係なく流れていたのである。
ロンロはそれに縛られた。
彼に悪気は無かった。悪気は決して無かった。純粋な魔学に、魔法に対しての好奇心からであった。
だが純粋が故にそれはロンロの体も心も全ても激しく縛り付けて拘束してる。
彼女は今、自分の意思で動く事は出来ない。彼の命令した事でしか動けないし、考えられないし、喋れない。意図せず発動したその「魔法」は彼女の自由を縛り付けた。黒髪黒目の美男子の瞳にはロンロしか写っていない。魔力才能保持者クラスD、しかしそれ以上の魔力ランクの力を持ってテリナ・エイトの魔法は既に発動していた。
筈であった。
ロンロが着ている服の内側、胸の辺りで光が溢れる。
テリナから放出された魔力を吸収し始めたその物体は激しく布の内側とロンロの皮膚の間で輝いた。
「え?な、なんだいこれは!?エーテルの光!え!?」
ロンロの服の内側から光る物に視線を送ったテリナ、その瞬間。
「オラあああ!!!!!!」
という少女から発せられた男らしい声と共に
『ゴキィ!』
という鈍い音がする。
覚醒して意識を取り戻したロンロがそのままヘッドバットを黒髪黒目の美青年の鼻先に鋭く打ち込んだ。
赤い鮮血を流しながらテリナはイスのから転げ落ち、床に叩きつけられた。
「はぁ、はぁ、はぁ…。危ないっ!備えあればよ…。用意しとく物ね…。」
ロンロは服の内側からチェーンの付いた小さな石、ペンダントの様な物をを取り出す。
(エーテル吸収鉱石の反魔力・反魔機兵器用無力化ペンダント…。首都の王国兵団警察機構からの監視団に魔法攻撃で襲われるのを想定して身に着けてたけど…まさかテリナに魔法で洗脳されかけての発動なんて!!)
ロンロは呼吸を整える。
「ふーっ。思考を縛って洗脳する魔法が使えたなんて…。貴方本当にランクD?」
床に倒れて鼻を押さえて悶えるテリナに呼吸を落ち着かせながら問う。
「うがぁ!ぐぎいいいい…!痛い痛い痛い!! 血がっ!血がぁあああ!!」
リッターフラン研究員の尊敬する彼女から鋭く放たれたヘッドバットはかなりのダメージをテリナに与えた様である。鼻を両手で押さえつけながら、涙を流して足をバタつかせながらもまだ床でもがいて転げ回って苦しんでいる。
「答えなさい!貴方は首都に命令されたの!?私を洗脳しようとしたのは何故!?」
イスから立ち上がり床で痛みに悶え苦しんでいるテリナを見下ろしてロンロが厳しい口調で喋る。これだからイケメンというのは信用出来ない上に油断出来ない!と心から思う彼女である。
「げほっ!ガハッ!ぼ、僕が魔法を使って君を洗脳!?ググッ!そんな事出来る筈が無い!僕はランクDだ!そんな高尚な魔法は到底発動できない…!ううううっ、痛い…!」
ようやく床に転げ回る事を止めたテリナ。
鼻を片手で押さえながらもフラフラとした様子でイスを建て直しそれに座った。
「嘘を付くのは止めて。こちらには証拠があります。私がもしもの備えに身に付けていたエーテル吸収鉱石の反魔力・反魔機兵器用無力化ペンダント!しっかり反応してます!ホラっ!!」
ロンロはチェーンの部分を持って輝くエーテル吸収鉱石をテリナの顔の前に突きつける。
「痛ててて…。本当だ…。エーテル吸収鉱石はエーテルの力を放出したエーテル鉱石がその反作用で大気に漂うエーテルを吸収し始める性質を強化して対魔法用具に仕立てあげる物…。ぐぐぐっ痛っ!ど、どうしてだろう…。僕、魔法なんかロクに使えないのに…。」
夥しい鼻血で両手と着ていたシャツを真っ赤に染めたテリナが不思議そうに鉱石を見つめている。
「貴方、自覚ないの?魔法を使ったのは確実よ。私の意識を縛ったわね!」
「本当だよ…うぐぐぐぐ…、僕は意識して魔法を使用した訳じゃない!なのに!何故!どうしてだ!?」
「…もしかして無意識で発動していたの?貴方、それで何人もの女性を誑かしたりしてないでしょうね?無意識とは言え!どうなの!?答えなさい!女の敵!!」
「そそそそんな事する訳無いじゃないかっ!そもそも僕はそんなにモテる方じゃないよ!!」
痛みで湧き出た涙を浮かべながらテリナが反論する。
「嘘つけー!!!」
つい脊髄反射で乱暴にロンロがツッコミを入れた。
もし自分のルックスを自覚していなかったとしたら想像以上にテリナは阿呆である。
「女の子に気軽に声かける様な度胸はないさ…。人付き合いはそんなに得意じゃない!そりゃ友達とかはいるけどそこまで多くないし!年下の君だって今日勇気を振り絞って声をかけたんだ…!痛っ…。」
ようやくテリナの鼻からの出血が落ち着いてきた。
だが鼻の中が大きく切れていたのかかなりの出血量であった。鼻骨は骨折こそしていない様で不幸中の幸いと言えるだろう。今現在の血だらけ泣きべその姿は折角の容姿端麗が台無しである。
「本当に?本当に無意識で今の魔法を発現したの?ううん…。アナタ、今まで自覚していなかったの?」
実に不思議そうなロンロは呆気に取られている。
「ぼ、僕って魔法が…こんな形で…。は、は、ハハっ。ハハッハハハハハハ!!!」
痛みを堪えていた時とは反面、今度は真っ赤に染めた鼻周りの顔のままテリナは大きく笑い始めた。
「自覚してなかったの…?」
「ハハッハハハ!!ハルバレラ先生の言った通りだ!僕は切欠があれば魔力を沸き出せるんだ!今の魔法だってランクDの魔力では到底無理だよ!きっとランクBかもしくはそれ以上!!たった今!僕はロンロさんの言葉が聞きたくて無意識で魔法式を自然と描いた!僕は真に魔法使いだった!ハハハハハハッ!!!!」
「え?やっぱりテリナ、貴方はハルバレラと面識あったのね!?」
「生前の先生は僕に言ったよ!私が感じる中でのテリナ君はランクDに収まる魔力量じゃ無いって!ランクAAAのハルバレラ先生の言ってた事はやっぱり本当だった!!ハハハハハッ!!!」
何かが吹っ切れた様に、痛みを忘れて天井を見上げて高笑いを始めたテリナ。
彼はまだ少しこぼれ続けている鼻からの出血も気にせず、痛みで出した涙は嬉し涙となって笑い続けた。
今まで見せていた大人しく礼儀正しい一面は何処かへ言った様に、力強く勢い良く笑っている。
「ハルバレラが…貴方と逢っていた。テリナ…さん!ハルバレラのお話を詳しく聞かせてください!私はその為にここまで来たの!」
今度はロンロがテリナの近くへ駆け寄る。
「…なのに、ハルバレラ先生。どうして死んでしまったんですか…?ハルバレラ先生、僕は貴女に憧れていたのに…。どうして…。」
ハルバレラの死を思い出して我に返ったテリナは笑いを止める。
「教えてください、ハルバレラと貴方はどんな関係だったんですか?」
ロンロが詰め寄った。
「…ただの師弟さ。時に僕のカウンセラー、本来は魔法と魔学の先生。テピス大学応用魔機技術客員教授だったハルバレラ先生は僕の恩師だ。」
「ここで教鞭を振るっていたのねハルバレラ…。」
「ええ、そして僕の悩みを唯一親身になって聞いてくれて、ただ一人理解してくれた。先生が事故で亡くなる前日にも逢っていました。事故の一報を聞いた時は驚いた…。それから、先生の死体は空から無数にこの街に、大学の構内にも、畑にも川にも降り注いで来たんです。今も…。」
そう言いながら研究所の窓からテリナは空を見つめる。
今も尚、街に降り注いでいるハルバレラの死体が落ちてくるこの街の空を。
ロンロはテリナが語るハルバレラとの思い出に耳を傾けることにした。
ようやく、三日目にして。
報告書では判らない真実と、ロンロの知らないハルバレラの一面と対面する事になったのだ。
それは誰もが知らないテリナとハルバレラの間に起きたこの街の真実であるかもしれない。