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恋の魔女の恋の痕跡・切り裂かれた思い出

 「ハルバレラ、一つお願いがあるの。」


ロンロとハルバレラの二人ともドアを見つめてその場に立っていた。

一人はエーテル体なので足元からフワフワと浮かんでいるのだが。


「なぁにロンロさん。わ、わたしに出来る事ならな、何でも。」

ハルバレラがロンロの方を向いて答える。


「私に「さん」付けは止めてハルバレラ。呼び捨てでお願いします。」


「エエエエエエエエエエ! ム、ムズカシイ!!そ、そんな出会ったばっかりデ!!」

両手の頬に手を当ててハルバレラが絶叫する。

彼女にとっては未知の体験なのである。

整然の仕事仲間や関わりのあった人間でも決して呼び捨てで呼んだ事は無かった。

訪問で訪れた幼稚園児にまで「さん」付けしていたくらいである。


「貴方は22で私は16!!しかもヒルッター理論を始め多くの革新的魔法・魔学理論の提唱者!私はただのリッターフラン対魔学研究所のヒラ研究員なの!入社1年目のヒラ社員!年齢も立場もハルバレラの方がずーーーーっと上!そうでしょっ!!」


「ヒヒッ!そ、そ、そ、そういう言われても!ワタシおともだち出来たの初めてだし!!トテモトテーモ難しい…!!!」

空から降ってくる不気味な笑顔でありつつも、その表情を維持しつつ顔を引きつらせた。

どうにも22年間の孤独の間に「友達」という関係を神聖視しすぎている。コミュニケーションに難有りだ。


「ダメです!私は最初から呼び捨てでしょっ!!」

ぷかぷか浮かぶハルバレラの方を睨み付けるロンロ。


「そう言われても…難しいワ!!トテモトテーモ難関よ!」


「あっそ。じゃあ今度「さん」付けしたら無視しますから。反応しない。」


「ヤアアアアアアアアアアアアア!!!それ嫌!ヤメテ!お願い!」

ハルバレラは空中から手を伸ばしてロンロに抱きついて懇願した。


「じゃあ気をつけてよね。」


「わ、ワカリマシタ…。おともだちって、難しい。」


「よろしい。じゃあ中に入りましょうハルバレラ。」


「ど、どうぞ…ロンロ…。」

とても自信なさげな力弱い声。

ハルバレラは初めて出来た友達に初めての呼び捨てをしてみた。

そしてロンロがハルバレラの自室のドアレバーに手を伸ばした所で彼女が後ろから声をかけてくる。


「ねぇ…やっぱり私って失礼じゃない…?ダイジョブ?」


「あーもう!大丈夫に決まってるでしょ!!」


「それと、あのロンロ…あと一つ言いたいのだけど…。」


「なーにもう!まだ何かあるの!?」


「お節介かもだけどリッターフランって確かにかなりのレベルの研究所なのは認めるんだけど、その、あまり…良い職場とは言えないわよ…。仕事関係で悪い話一杯耳に入ってくるわ。ヒヒっ…。」


「…知ってる。昨日嫌って程痛感した。」


業界内に置ける自分の職場の信頼の無さを妙に納得するロンロ。そして『ロル』の称号を持つ大魔女にお墨付きを貰える程のレベルというのも凄いなと自虐的に思ったのであった。




ロンロがハルバレラの自室に入るためドアレバーに手を掛ける。

「ガチャリ」と音がしてゆっくりとドアが開く。研究所と違い鍵はかかっていなかった。


「こ、この部屋の鍵はネ。私が魔法でかけていたノ…。私が死んだから魔法式の維持も出来ずにエーテルも分散、開きっぱなしになっていたのネ…。」


ハルバレラが後ろから説明をしてくる。


「そっか。研究所がそうじゃ無いのは仕事で第三者も入ってくるから?」


「ソウネー。でも、ここは特別。ワタシ、ここには誰も入れたくなかったカラ…。あ、アナタが始めてよロンロ。22年間で始めてよ。私の部屋に親以外が入るの…。ここに引っ越してきてからは、お、親だって入った事無かった。」

ハルバレラが浮かびながらロンロの頭上を通り過ぎていく。先に部屋に入っていった。

ロンロもそれに続いて足を踏み入れる。本人もこの場にいらっしゃるので「おじゃまします。」と一言挨拶しておいた。光が届かない暗闇の屋敷にあって尚更にこの部屋は暗く見える。得体の知れない暗闇の空間に恐る恐るロンロは足を踏み入れる。





一歩足を踏み入れた瞬間にロンロはこの部屋の異変を五感全てと、そしてその皮膚で感じた。

その違和感は今まで彼女が体験した事無い、非常に濃密な空気と刺激であった。


「ここ…!この部屋! 肌に刺すエーテル濃度!魔女でも無い私がここまで感じるなんて!」


「アレ?ソウデシタッケ? ワタシって死ぬ前にここで何かしてた?アララララ?ヒヒヒ?」

暗闇の中でハルバレラが頭を捻る。何も覚えが無い様子である。

やはり所々記憶が抜けている様である。


ロンロがポケットに入れていたモニターを取り出してそれの電源を入れる。

このモニター単体でも付近のエーテル濃度を測る機能を備えているからである。


「エーテル濃度228ピクロル! エーテル石鉱山の採掘地並だわ!」

モニターを確認したロンロが驚きの声を上げる。人間が住む場所としては到底考えられないエーテル濃度数値を叩き出す。ここはこの星のエネルギー資源となるエーテルを長い時間の中で蓄積しているエーテル石に360度囲まれた採掘山の、その採掘現場に匹敵する高エネルギースポットと化している。


「アーホントホント。ヒヒヒヒ。今はエーテル体になっちゃったから気持ち良いワ~~。」

ハルバレラは暗闇の中で恍惚の笑みを浮かべる。周りに自分の体を構成する物が濃く漂っているので大変に気持ちが良いらしい。


「…生身の私はあんまり長くはいられない。エーテル鉱石採掘の現場にに習って10分って所。それにさっき見かけた霊も、自身の体を構成するエーテルを高めようとこの濃度に引き寄せられていたのね…。」


ロンロがモニターを見つめて対策を練っていた所でハルバレラが宙を浮かんで移動してくる。

まるでロンロの肩に後ろから乗る様にしてその場で停止した。


「ハイ…どうぞ。これで平気よ。タブン・・・ネ。」


ハルバレラがロンロの頭をやさしく抱える様に後ろから抱き込む。

ロンロは体全体からエーテル濃度から受ける刺激が薄らいでいくのを感じた。


「あ…。凄い。魔法障壁なのこれ?」


「エエ…。体があった頃はもっと立派ななの張れたでしょうケド、今のエーテル体でも多少魔法の真似事は出来るみたい。」


「凄いわ、何の魔機も使わずにこんなに早く魔法の力を発言出来るなんて。流石魔女ハルバレラ。」

素直にロンロは魔女の術に感心してしまった。


「もう死んでしまったみたいだけどネ。どうしたんでしょワタシ!こんなに自分の部屋にエーテルばら撒いて!ヒヒヒヒ!」


「それはまぁ、その。判らないけど…。」

死んでる本人が目の前にいるのでロンロには何とも言えない。


「明るくもしましょう。ヨウコソ、私の部屋へ。」

ハルバレラはロンロから離れて左手の人差し指を立てる。その人差し指に力が集まり光が灯る。付近の漂う高濃度のエーテルをある程度集めて収束させたのだ。そのエーテルの光が人差し指から離れて上昇し、天井の照明に入り込む。途端に部屋全体が明るくなった。



パァアっと明かりが灯り、この屋敷に入って初めてまともな明るさをロンロは手に入れた。

暗闇に慣れた目が少しチカチカする。外はまだ昼間だと言うのに、広さのお陰もあって窓のカーテンを閉めてしまっているだけでこの屋敷は暗すぎた。



「わぁ、ありがとうハルバレラ。 …って、何これ!!」

明るくなって部屋を見渡したロンロは部屋の有様に目を見開く。


「ヒャッ!!」

当のハルバレラ本人も驚いた。


「魔紋…こんな複雑で禍々しいの、16年間生きてきてどんな専門書でも現場でも見た事が無い…。」


ハルバレラの部屋全体に魔紋と言う、大掛かりな魔法を魔学式として発動する際に用いられる円状の模様が中心部の床から描かれている。魔紋とは高lvの魔法を発動する際にその術者の補助として描かれる模様である。


しかしこのハルバレラの部屋にある魔紋は描かれているのではない。これは魔紋を刻んでいる。魔紋に用いる模様や線が亀裂となって展開して部屋全体をメッタメタに引き裂いている。本棚もベッドもソファも、壁も床も。ロンロの指ならすっぽり入ってしまいそうな程深い模様の溝となって刻まれている。通常円状に術式を描き特殊なシンボルを用いて描かれる魔紋は大地に直接描くのだが、場合によっては塗料やインク等でも代用できる。しかしこれはまるで数十mもある巨人が鋭い爪で引っかいて刻んで彫り上げた様な、とても禍々しい出来であった。


「これが今回の事件の発生原因!?私じゃとても理解できない…。」


ロンロは四つんばいになって魔紋の全体を、そして目の前の溝を確認する。さっきまで肌で感じていたエーテル高濃度の原因はコレだったのだと確信する。既に魔法が展開した痕跡であると思われたが今でもこの魔紋はその残り香としてエーテルを放出している。


「わ、ワタシ。…全く覚えが無いワ。どうして自分の部屋でこんな大層な事をしたのカシラ?」


「ハルバレラ。その辺りの記憶は無いのね。」


「ウン。まったく覚えてないノ。おかしいわ、さっき子供の頃の両親や昔住んでいた家の間取りまで思い出したのに。どうして死ぬ数日間の記憶だけが抜けているのカシラ…ヒヒヒ。」


「それにしても…。ううん、私が判る筈が無い。これは魔女であるハルバレラしか理解出来ない物よ。常識的な魔法式を組み立てる魔紋では無いもの。」


「それが…私にもワカラナイの…。ナニコレ?」

ハルバレラが部屋の床中心部から展開している禍々しい魔紋を指差して頭を傾げた。


「貴女にも判らないの?生前に研究してた術じゃ無いって事!?」


「死ぬ数日前ぐらいの記憶は、は、無いノ…。それにしてもオカシイわ。こんな大層な術式は数日やそこらで形に出来るモノじゃな、な、無いモノ。せめて一週間…ウウンどう見積もっても一ヶ月は欲しい。」


「そんな…ハルバレラの本体は一体その空白の数日で何をしてたというの…?」

ハルバレラの部屋の中心部から伸びた亀裂がその数日を物語る様に侠気に満ちていた可能性がある。

それを考えるとロンロは背筋がゾクっとする。


「ンー、ナンデショウネ。それにしてもコレ…。よく見ると魔紋じゃないワ。」

ハルバレラが空中で体を捻り頭を床に、足を天井に向ける普通の立っている人間とは逆さまの状態になってその描かれた魔紋らしき禍々しい物に顔を近づける。


「へ?魔紋じゃ無いの?それっぽい意匠は沢山見かけるけど。」


「ソウネ、魔紋そうで魔紋じゃ無いワ。これは、私のオリジナルが死んだ時に私の魔力自体が暴走したそうでショ?恐らくその時にに刻まれたんでしょうね。つまりこれはワタシを中心に発生したエーテル暴走、それによって発生したエーテル爆発の痕跡ね。ヒヒヒヒッ!ワレナガラ中々ハデナ死ニカタ!!!アヒヒアアヒアア!!!」

自分の死に様にエーテル体のハルバレラはまるで傑作と言わんばかりに声を張り上げた。

不気味である。


「そんな…自分の死に方をそこまで嬉しそうに話さなくても…。」

ちょっと反応し辛いロンロ。微妙な表情を浮かべる。

ハルバレラといるとどうにもペースを乱される。


「デモネ、ロンロ。これは何かあるわ。…この街かその周辺で今現在、何か変なコト、起きてない?」


「!!」


ロンロはドキっとする。

まさにハルバレラのその人の死体が毎日この街に数十体も落下してきている事実がある。

それをそのまま彼女に伝えて良いか迷う。伝えてもゲラゲラ笑い始めそうな気配もあるというか、実際この調子ならハルバレラは笑うだろう。でも、それで良いのだろうかとロンロは思った。僅かな間ではあるが彼女と触れ合った事でロンロは感じたのだ。

もしかしたらこの不気味なヒヒヒ笑いやアヒヒという笑い方は何かを、大切な感情を、隠しているからでは無いかと。


事実、ハルバレラはあの時。涙した。

友達が出来た喜びに。

友達と会話して、笑いあった事に。


普通の人からしてみれば何気ない事ではあったが、ハルバレラにとって見ればそれは何よりも変えがたい経験になったのだ。彼女は22年間生きていて「友達になりましょう」と人生の中で他人に言えなかったのだ。

自分の感情を正直に言えず、隠して生きていたのだ。


それは友達になった自分に対しても同じであるとロンロは考えた。

まだ、ハルバレラは何かを隠している。

いや、死ぬ数日前から記憶が無いのは確かであろう。もし記憶があったとしたら部屋に絶対に通さない筈である。きっとこの魔紋らしき禍々しい模様を自分には見せまいとするだろう。


隠しているのは、やはり、彼女の感情である。


( ハルバレラは、死んでしまった事を後悔して悲しんでいると思う。)


ロンロはそう考えた。

だからもし今の街の、自分自身の死体が降り注いで死体が街の人に粗末に扱われている現実を知ったら。

ハルバレラはきっと笑いながらも、心の底で悲しむだろうから…。


きっときっと、悲しむだろうから。

だからロンロは今はまだ彼女に伝えない事にした。


「…ううん。でもこの屋敷で大規模な事故があったし。それで私はリッターフランの人間としてこの屋敷に来たんだから。」


「ソウナノ?じゃあここから発散されタ、ワタシの命を燃やし尽くす程の魔力は何処にいったのかしら?行方不明のエーテルの場所といったらお空の上カシラ?大地に堕ちていれば何かしら街に異変が起きていた筈ダモノネ?ヒヒヒヒ!!何か目的があった筈よ、この時の暴走したワタシ。」


( う!! )


流石は魔女・ハルバレラであるとロンロは思った。

その通り今の怪現象は空から発生していた。先程この街での異変を察しかけたり等、やはりハルバレラは世間の評価通り天才である。勘働きとは言え見事に次々と言い当てた。



「つ、つまり本体オリジナルの暴走で何かしらの魔法式が発動した可能性が高いという事ね!?」


「そう見るのが妥当ネー。こんな魔紋みたいな模様がくっきり残るなんて何かしらの高レベルな術式が発動した…そう考える方がフツウヨ。何が起きたのか後で解析してミマショ。ヒヒヒヒ。」


ロンロは慌てて話を逸らした。

よもや自分の体が次々と複製されて亡骸となって街に空から降り注いでいるとは言えまい。

流石の天才ハルバレラも直にはこの謎を解けない様子であったが、これも時間稼ぎにしか過ぎない。いずれハルバレラなら独力で謎を解明してしまうだろう。ロンロは結局先延ばしにしたに過ぎない。本人もそれは判っていた、判っていたが直には言えなかった。



「この魔法式の発動射程自体は決してそこまで遠くでは無い筈ヨ。エ、エーテルは、移動する事に運動力として己を燃やすモノ…。いくらワタシが魔女だからって、そこまでの魔力は保持していないワ。これはワタシの研究テーマのひ、ひ、一つダモノ。ロンロも研究室のワタシの端末から見てたデショー?ヒヒ。」


「そ、そうね!ヒルッター理論の発展系。もっと遠方にまでエーテル通信を行える様にするのよね!?」

さらに追求を進めるハルバレラにロンロは焦る。


「ソウヨー。つまりこのワタシの記憶が無い数日間、ワタシは自分の部屋で何かしら強力な魔法を発動したワ、ヒヒヒ。何をシタノカシラ?でも、きっと首都を襲うとかこの国全体に異変を起こすトカ、隣国を攻撃するトカ、そんな大層で攻撃的な事ジャ無いのはハッキリしてる、ネ!」


この魔紋らしき痕跡をマジマジと逆さまにになったまま見つめてハルバレラが喋る。

ワンピースの様な服を着ているが服は重力に逆らい、その布地は捲れていない。

これは服もエーテルであるからであろう。


「そこまでスルにはワタシの本体の魔力を持ってしても無理っ!ヒヒヒ!だからといって補助的に使用したエーテル・ポッドや触媒の痕跡は一切見当たらナイ。つまりオリジナルのワタシの体にあるワタシの魔力を持って発動したのは確定で、更に射程も自然と限られるワ。せいぜい影響が出せるとしたらこの街とその周辺くらいヨ。」


「そ、そうよね!あ、後で街中調査してみようかなー。ハハハ…。」

ロンロは内心で驚いた。

部屋に入って数分で一切の資料無くここまで見破られた。


(これは彼女が自分の謎を解き明かすまで最早時間の問題。本人に今の街の状況を伝えないといけない…。)


それを考えるとロンロは気が滅入った。

とてもとても辛かった。


「デモー?このままではヒントが足りないワ。何かメモとか残してないかしら生前のワーターシー?」


「そうだね…。少し、部屋の中を探して見て良い?」

目前に迫った問題にすっかり一人で落ち込んでいだロンロがハルバレラに問う。

いずれ、この事実を自分の口でハルバレラに言わなければならない。


「イエー!オッケー!!!!!アヒヒヒヒャヒヒヒヒャ!!!!!!!」

質問に対してハルバレラは物凄いハイテンションで奇声の様な声を上げながらいきなりロンロの顔に己の顔を近づけてきて反応した。

どうやら友達と一緒に何かをするってのが楽しいらしい。

そして、その友達に自分を知ってもらうという事が物凄い快感である様だ。


(うーん、この人って躁鬱激しい!!!)


顔を引きつらせながらロンロは目の前の陽気に振舞うハルバレラを見つめ返した。




二人はハルバレラの部屋を探索する。

専門的な書物に混じって猫の写真集がいくつもある。

どうやら彼女は猫が好きだったようだ。

「エーテル伝導性理論と媒体としての応用可能物質」という難しそうな本の横に何故か、

「世界の成人男性下着100選」と言うロンロには理解不能な本まであった。

様々な国や民族の男性がそれぞれ特徴的な下着を付けているイラストが表紙を色鮮やか?に飾っている。


「え、なにこれハルバレラ…?」

本棚から顔を引きつらせたままその本をロンロが取り出す。


「ワーオ!見つけたわね!!面白いわよソレ!!!」


物凄いスピードでハルバレラが駆け寄ってくる。いや文字通り飛んできた。


「その23ページのフィラス山脈に住むスパラル族男性の下着ってのがアルデショ?毎年夏頃にこの民族が住む高地に爆発的に増えるツタ植物を乾燥させてパンツを編むんですって!一人の生涯平均で300着ぐらい作るソウヨ!アヒヒヒヒャヒャ!!!!一生で300着って多いのか少ないのか判らないワヨネ!」


「そ、そう…。確かにちょっとだけ興味深いもね…。」

どうにもロンロはついていけない。


「ココの出版社は色々変な物を取材して集めて本にシテイルノ。面白いワヨー。これも良いワヨ!」

そう言って隣からハルバレラはまた別の本も取り出す


その本の表紙には「猫が食べてはダメな食物。身近に潜む猫の劇毒250種類!植物性から肉類まで。」と書かれている。表紙は愛らしい猫が毒草らしきモノを食べて悶え苦しむイラスト尽きである。猫は好きでは無かったのか?


「意外なモノがダメなのよ猫って。ヒヒヒヒ!このパレンサ草っていう多年草の球根なんて平地なら探せばこの国の何処でもアルンダケドネ!猫ちゃんが食べたら消化不良を起こして病気にかかってまぁ大変。病状として尻尾や耳といった皮膚と肉の薄い場所から序々に体が溶けていくんですっテ!アヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!」


「ええ…。溶けるって…。」


「ネー、面白いデショ?」

ハルバレラが嬉しそうに問いかける。


「んーまぁちょっと…。暇があったら読んでみたい…。」

内容の奇抜さに多少好奇心に負けて興味を持ってしまったロンロは自分が少し嫌になった。

少しでもハルバレラの趣味に興味が出てしまったロンロは彼女の友達となる資格があったのであろう。


更にハルバレラは次はこれとばかりに新しい本を取り出す。


「そうそう、これも面白いワヨ。『世界新興宗教の奇抜な生き物を使った荒行大辞典』!オススメデース!なんでもこのリノン・スパイっていうこの国にも支部がある信仰宗教ナンダケドネ、ナント!耳から小さな蛇を無理やり!!って…アレ?」



この奇抜な本をハルバレラが広げた時、隙間から一枚の写真がハラリと落ちてきた。

それをロンロが拾う。写っていたのは若い男性の写真だった。


「男の人かな?すごい整った顔ね。」

ロンロは趣味で無い容姿ではあったが、黒色の綺麗な髪に大きな目、高い鼻。がっしりとしつつも細くて綺麗な顔ライン。バストアップで写ったその写真からは首がスラっと長いのも確認できた。控えめに言っても容姿端麗な部類に入るであろう。



「ハレ?誰でしょうね、見せてロンロー?」


「はいどうぞ。貴女の本棚から落ちてきたから、知ってる人?家族は両親だけよね?」


ロンロが写真をハルバレラに手渡す。

それを見つめて硬直して3秒。突如ハルバレラの感情が爆発した。

まるで張り詰めた風船に針を刺したかの様に、堰止めをしていた河川を一気に開放したかの様に。まるで雪山の大なだれの様に。火をつけて暴れ狂う仕掛け花火の様に。






「ヒィアアアアアアアア!!!!!ダメダメダメダメダメダメ!!!!!!!!!!!イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」






エーテル体で出来ているハルバレラの顔が赤みを持ち、全身もそれにならってまるで沸騰したかの様に色を持つ。頭からは直ぐにでも湯気が沸いてきそうである。体はブルブルと震えて口元は震え、写真を持っている両手はその写真が波打つかのようにまで振動を起こしている。


「え?大丈夫ハルバレラ?どしたの…?」


「アアアアアアアアアアアアアアゥゥウウアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」


バシッ!


と、写真をロンロに押し付けてハルバレラはベッドの中に潜り込んでしまった。

被った布団の中から「イヤァ…」という小さな声が聞こえる。


「ど、どうしたのハルバレラ?この人知ってるの?」

ベッドの布団に潜り込んで小さな布の山の様になったハルバレラにロンロは質問をする。


「ドドドドドド、どうもしないわ!だいだだだだいいだ!大体大丈夫!!!!フー!!!」

どう見ても大丈夫じゃない。

全然大丈夫では無い。


「ハルバレラ?そこまで反応するって、知ってた人なのやっぱり?」


「ワカラナイワカラナイワカラナイ!!!思い出せない!!!」


「思い出せないの?でも何故そこまで反応するのかしら…?」

ロンロは再び写真を見つめる。再び端整な顔立ちが彼女の視界に入ってくる。

100人の女性がいたら95人はイケメン、容姿端麗、美形等答えるであろう若い男がそこには写っている。

今この写真を見つめているロンロ自身も同じ様な感想を抱いた。ただ彼女の趣味では無い。


「どうにもこのテの男って自分に自信がありすぎるっていうか、そう振舞って無くても自然と滲み出るのが嫌味っていうか。幸せになる権利を持っているんだぜみたいな、なんかーまぁー私の趣味じゃないなー。」


ロンロが写真を見て本人に遭った事も無いのに身勝手なイチャモンをつけていると、ベッドの上にある布の山からハルバレラが顔だけを出してムキになって反論をしてきた。







「テリナ君はそんな人じゃないもん!!!!」







ヒヒヒ笑いもアヒヒヒ笑いも、そして妙なカタコトの喋りも無くハルバレラは流暢に喋った。

そしてあの笑顔も無く。彼女はその時自分を偽り無く喋っていた。

その真剣な叫びはロンロの胸を不思議と揺るがした。


「テリナ?テリナっていうのこの人?ねぇ、ハルバレラ。」


「あ゛あ゛あ゛ー!!あわわあわ!何故ワタシこの人の名前を知っているノ?アレレ?ワタシ、この人の名前も何も知らないのに…。何故?ナンデナノ…ナンデ…。」


「え?名前は咄嗟に出ただけで、後は何も判らないの?」


「ウ…ウン。ワタシ、ナンデ名前をシッテタノ?とても、大切な事だった気がするのに…。思い出せないノはなんでかしら…。どうして…ロンロ…。」


「ハルバレラ…。もしかしてこのテリナって人。ハルバレラの大切な人だったんじゃないのかな?」


再び写真を見つめる。

そこには水滴が落ちたかの様なシミがあるのをロンロは見つけた。

いくつもいくつも、その写真は小さな水滴によって濡れていた。


「涙…?」


テリナと呼ばれた若い男が写るその一枚の写真。ハルバレラはこの写真を見つめて泣いていたのだろうか。何故?何の為に?そもそもこの人はこの街にいる人間であろうか?そして、この街を襲う異変の中で彼は一体何を思っているのだろうか?何を感じているのだろうか?



「ワタシ…どうしてだろう…。何故こんなに心掻き乱されるノ…。私が知らない私の生前の数日間何が起きたの…?私どうしちゃったの…。」


再び顔を引っ込めて布団の奥深くにハルバレラはに潜り込んでしまった。

中から泣き声の様な音が聞こえる。

ヒヒヒ笑いやアヒヒ笑いでは無い、その泣き声はさっきロンロが友達になった時に聞いた音と同じ。

一人の普通の女性が涙する声だった。

稀代の魔法の才、『ロル』の名前を持つ名士、ヒルッター理論を提唱した天才魔女、

それらでは無くそれは普通の、等身大の女性の涙する声であった。



(もしかして、いや、きっとそう。女の感とでも言うのかな?)



泣きながら体を小さく震わせるハルバレラの姿を見てロンロは思った。確信した。

ハルバレラは、きっと、恋をしていたのだった。

このテリナという男性にきっと、恋をしていた。

そしてこの涙とその音から判るのは、彼女は魔女としてでは無く。それは等身大の年頃の女性として男性に恋をしていたという事。




(ハルバレラ、テリナという男の人の記憶を消したのね。どうして?好きだったんでしょ?)


(この恋は上手く言ったの?振られちゃったの?)


(上手くいったとしても、振られとしても、どうして忘れちゃったの?嫌な事だったの?)


(恋の思い出って、そんなに簡単に忘れられる事なのかな…。)




ロンロはまだ男の人を真剣に好きになった事は無かった。

勉強と研究と仕事にに明け暮れた16年間にはそんな余裕はとても無かったし、それらが楽しかった。

でも、それでも、同じ女性として一つだけ判るし、共感もする。

それは恋が心を揺さぶる事だと言う事を。

一人の人間が死んでしまいそうな程に心を激しく揺さぶるという事を。



この部屋の中心部から展開する禍々しい魔紋の様な模様が、まるでそれを表しているかのようだった。

再びロンロはこの禍々しい形を目で追う。これはハルバレラの叫びだったのかもしれない。

激しく展開して部屋中をメッタメタに切り裂いたこの模様。

それは一人の人間の命すら引き裂いてしまったのかもしれない。




ベッドの隅で布団の布に包まったエーテル体のハルバレラが泣いている。

その泣き声はしばらく止まらなかった。ロンロは何も言えなかった。

静かにそのベッドに腰掛けて彼女の傍にいてやる事しか出来ない。

座った所で良く見てみると禍々しい模様の亀裂が延びてきており、ベッドの下半分に深い傷跡を残していた。

改めて落ち着いて部屋を見る。

可愛い花柄の黄色いカーテンに白い壁。黒猫の大きな愛らしいぬいぐるみがベッドの傍にあり、部屋の隅にあったドレッサーの上には化粧品や小物が並んでいる。普段はあんな喋り方や奇抜な笑い声を発し奇妙な本を収集していたとは言えハルバレラ。でも時には普通の女の子であったのだろう。




ロンロはそのテリナという男が気になっていた。

何が起きたのかハルバレラのエーテル体が忘れてしまっている以上、この彼に出来るだけ話を聞いてみるしかないと思った。次の目的は決まった。



ただ、しばらく、少しだけは彼女の。

ハルバレラの傍にいてあげようと思った。



理由はない。

友達だからだ。





ロンロは禍々しい大魔法の発動痕跡の亀裂が部屋中を引き裂くこの場所で。




「恋の魔女」ハルバレラの涙の音をしばらく聞いていた。






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