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煙草と彼の話

作者: 六条藍

勢いだけで書いた小説その2です。時間潰し程度にどうぞ。

 一人きりで何かをしていると、時々無性に口寂しくなる時がある。 例えば読書をしていたり、 テレビを見ていたり、 パソコンで書類を書いていたり。

 そんな感情のままに無意識に煙草を吸っていると、 さっきまで箱一杯にあったはずのそれが残り数本になってしまっていることに気がつくのもままある話であって。 そしてよりにもよってそれが、 夜中というよりも真夜中に近い時間帯であるのも――まあ、 良くある話である。

 その日も例の如く、 手元の煙草が残り一本分の命しか無いことに気がついたのは、 時計の針が既に11時を回ろうとしていた頃合いだった。 歩いて10分ほどのコンビニに買いに行こうかとそこで悩んだのは、 時間帯故の危険性と言うよりも、 太陽の恵みを失った地上を包む冷気を思ってのことだったのだが――結局、 コートを羽織って仕舞うのが悲しい習性というやつなのだ。

 私はあまり寝起きが良い方ではなくて、 まず朝起きて煙草を吸って、 それから朝食の準備をしながら煙草を吸わないと目が覚めないような人間だったので、 どう考えても残り一本では今日は兎も角、 明日を乗り切れるはずがなかったのだ。

 部屋から出て、 マンションから真っ直ぐに真横に伸びる道を右に進んでいく。 自然と縮こまる身体を自覚する度に、 これが恐らく肩こりの一因に違いないと思うのだけれど、 だからといってその背を伸ばせるほど冬の夜は私に優しくなかった。

 ただ、 寒がりな私が夜を嫌いなのかと言えば必ずしもそうというわけではなくて、 例えば息をする度に鼻の奥をつんと掠めるような感覚は好ましいと思っていたし、 夏よりもはっきりと見える都会の星は荒んだ心に良く染みた。

 ぼんやりと考え事をしながら歩いているとそのうち寒さも気にならなくなって、 あっと言う間に片道10分の時間を潰すことが出来るわけで。 そうして入ったコンビニの熱気がぶわっと私の頬を撫でると、 すっかり細くなっていた顔の血管が開いていく。 私は若干の不快感を感じながら、 それを表情に出すことなく真っ直ぐカウンターに向かって歩いて、 カートンで煙草を買うわけである。

 そうして煙草とおまけで貰うライターが仲良く同衾するビニール袋を引き下げながら、 また先程来た道を戻っていく。 その道の横には広い公園があって、 海に面しているベンチには一カ所だけ直ぐ横に灰皿が設置されていたりする。 今のご時世中々珍しいとは思うけれど、 まあ不心得者が勝手に煙草を吸って、 辺りに吸い殻を投げ捨てていくよりはずっとマシだという行政の判断なのか。

 その日私がなんとなく、 その公園に寄り道をしたのは本当にただの気分だった。 まるで墨でも流し込んだかのように真っ黒になった海を見ながら煙草を吸うのも悪くないな、 なんてそんな気まぐれ。

 気まぐれを実際の行動に移すのはそう難儀なことではなかったので、 私はそのままふらりと本来の進路から外れてみせた。

 時間帯も時間帯だからだろうか。 園内に人の気配は感じられず、 ただ海の音と風に擦れる枝葉の音だけがその瞬間、 私の世界の全てになった。

 ベンチに座って煙草の封を切り、 それから貰ったばかりのライターで火を付けて吸い込んだ私は、 それからようやっと二つほど空けたベンチに同じように座っている人達に気がついた。

 照明があるとはいえ昼間のように明るいわけではない。 加えて私はさほど視力が良い方ではなかったので、 その距離で精々得られた情報は手前に座っているのが小柄な女性で、 その奥にやけに上背のある男が座っているということだけだった。

 別に盗み聞きをするつもりは毛頭なかったのだが、 先程も言ったように夜の公園というのはそれなりに静かなのだから、 彼らの会話は自然とぽつりぽつり耳に入ってくる。

 君はまだ若すぎるとか、 私は別に気にしないとか、 好きだとか、 これ以上は少し困ってしまうだとか――まあ話の内容から推察するに、 男性の方が女性を振っている別れ話の真っ最中らしかった。

 そのうち女性の方が泣きながら私がいるのとは真逆の方向に走り去っていく音を耳が拾う。 なんとなくそちらの方を向くと、 徐々に小さく暗闇に紛れていく女性の後ろ姿の此方側で、 男がのそりと立ち上がり、 何故か私が居る方に歩いてくるのが見て取れた。

 盗み聞きを咎められるのだろうか、 と二本目を咥え始めていた私は一瞬身体を緊張させたものの、 やってきた彼はズボンのポケットから赤マルを取り出したのだから、 どうやら煙草を吸いたいだけらしい。

 ほっとしながら彼の様子を横目で伺う。 彼は取り出した100円ライターを何度もかちかちやっているのだが、 元々ガスが残り僅かなのだろうか。 一瞬灯った火も陸風に煽られて消えてしまうし、 大きな手で風よけを作ったところでどうやら無意味に終わっているらしかった。

 吸おうと思ったときに火がつかないことへの苛立ちを私は良く理解出来たので、 「火、 ありますよ」と彼に声を掛けたのは、 肩身の狭い喫煙者同士のささやかな憐憫とも言えた。

 彼は少しだけほっとしたような表情を浮かべて、 「すんません」 と――低く掠れた声で、 私が渡したライターを受け取った。

 先程貰って二度使っただけのライターには勿論十分にガスが残っているのだから、 今度は風に消されてしまうこともなく、 無事に彼の煙草に火が灯る。


「それ、 あげますよ。 さっきコンビニで貰ったやつですから」


 家に帰ればまだライターは幾つかあるし、 おまけで貰ったライターなのだから別段惜しくない。 私にライターを返そうとしてきた彼の手をそう言って押しとどめると、 彼は一瞬悩むような素振りをみせて――それから結局 「ありがとう」 と短い礼と共にそれを、 ポケットに仕舞った。

 それきり、 特別に会話を交わす必要性など無いのだから私達の間には沈黙がおりた。

 先程の別れ話に対する好奇心がないわけではなかったけれど、 それを無遠慮にぶつけるのは些か品が無いようにも思えたし、 そもそも不可抗力とはいえ他人の会話を盗み聞きしてしまったわけなのだから、 その事実を張本人にぶつけられるほど私の面の皮は厚くない。

 波の音と海の色にだけに意識を集中させていた私の煙草が半分ほどの長さになったとき、 不意に彼が言った。


「――さっきの話、 聞こえてた?」


 周りには彼の他に私しかいないのだから、 当然その問いかけは私に向けられたものに違いなかった。

 私は一瞬答えに躊躇したものの、 結局は 「まあ」 と曖昧な肯定を煙と共に吐き出した。


「俺を好きだって言ってくれたんだ。 でもあの子、 まだ19歳なんだよね」


 そう言う彼はざっと外見から推察するに恐らく、 20代後半ぐらいだろうか。 そう考えると確かに年は離れている。

 しかし今も昔もその程度の年の差カップルなんて別段珍しくもない。 常々年の差などというものは色恋沙汰における真の障害には成り得ないと思っていた私は、 反射的に彼に問い掛けた。


「それが貴方が彼女を受け入れなかった理由?」

「だとしたら?」

「彼女、 可哀想ですね」


 年齢とか人種とか性別とか――そういう本人がどうしようもない理由での拒絶は私にとって "逃避" だった。

 本質的にはそうではないのでしょう? と私は何時も思うのだ。

 結局、 人が人を好きになれない理由はもっと本能的なのだ。 本能的に彼女を愛することは出来ないと思った。 ただそれだけのこと。 つまるところそんな理由は全て後付なのだから、 正直に 「好きになれない」 とただ一言そう告げればいいだけなのに。

 或いは本当は彼が彼女のことを好いていて、 彼女を受け入れられなかった理由がその年齢一点にあったとしても――矢張りそれは逃げであろう。

 彼女がとうの昔に乗り越えた壁を、 乗り越えられなかった自分の意気地の無さを正当化しただけだろうと思う。 世間の目とか彼女の将来とか、 そんなあり触れた言葉で着飾って。

 ――尤もこれは私個人の考えであるから、 それを眼前の彼に突きつける気はなかった。 ただ彼が問うたから、 抱いた感想を端的に述べただけに過ぎない。

 可哀想、 という言葉の後に彼の煙草を持つ手にほんの少し力が入ったような気がした。


「――俺は彼女を傷つけたんだろうか」

「誰かを傷つけずに拒絶することは不可能でしょう」

「彼女はとても良い子だったけど、 恋とか愛とかそういうものには繋がらなかった」

「それなら正直にそう言ってあげるべきだったと思いますけど」

「そう言ったらより一層彼女を傷つける」


 どうでしょうね、 と私は煙で呼吸を繰り返しながら首を傾げる。

 心のウィークポイントなんて人それぞれなのだから、 どんな風に言われることが彼女にとってより悪なのかは私にも分からなかった。 同じ女というカテゴリーに存在していたところで、 結局は個別の存在なのだから、 共通点はあったとしてもそれが全てというわけでもない。

 故に私は、 「私なら」 とわざわざ前置きをした上でこう言った。


「たった一人の男の言葉で、 自分自身が揺らぐことはありません。 そりゃあ好きな男に、 自分には合わないと言われたらショックで、 一週間ぐらいは曇り空みたいな気分になるんでしょうけれど。 でも結局、 彼は私の良さを理解出来ない人間だったと思って前を向けます。 でもそれが年齢なんていう、 自分にはどうしようもない理由でしか拒絶して貰えなかったら、 多分ずっとずっとショックです。 彼は私をしっかり理解してくれているのに、 結ばれない理由が若すぎるというその一点だけだとするならば――そんな理由で幸せになれなかったのなら――多分、 それは自分自身を嫌う理由になってしまう。」


 まあ真逆に感じる人もいますけどね、 と私はあくまでそれが私自身の思考であるという旨を念押しした。

 彼は長くなった煙草の灰を灰皿に打ち付けながら、 「そうか」 と短く呟いた。

 私の煙草は既にフィルターぎりぎりまで燃え尽きていた。 それを灰皿の中に捨てながら、 私は話のきりの良い辺りを見計らって、 ゆっくりと立ち上がる。

 いざそうしてみると、 彼の身長の高さだとか、 目鼻立ちのはっきりした顔立ちなどか先程よりもずっとクリアに視界に入ってきた。

 私の好みではなかったものの中々見目は良いのだから女の子にモテるだろう、 と思いつつ。 それでも振った女の子一人のために心を痛めているその様子は、 彼の実直な人柄を体現しているようで好感を持てた。


「まあ行きずりの女の話なんて、 耳半分で聞いた方が良いと思いますよ? それに、」

「それに?」

「貴方は彼女から去るのではなくて、 彼女が貴方から去るまで待ってましたから。 それはとても誠実で優しい振る舞いだったと思います」


 大丈夫、 彼女は立ち直りますよ。 と私はそのフレーズにだけやけに確信めいた語調で言った。

 彼女は失ってしまった恋に縋るのではなくて、 きちんと目を背けることが出来たから。 それがどんなに納得がいかない言葉であっても、 彼女はそれを最終的には受け入れたのだから。 きっと暫くの間、 豪雨のような涙を流して、 目を腫らしながら寝て、 そして彼女の全てだったその恋を、 きっと何時かは思い出へと昇華出来る。

 そういう生き様こそが女というカテゴリーでしか共通していない彼女との、 数少ない共通点。

 だからきっと大丈夫だと、 私は彼女の代わりに彼に微笑みかけた。


「――アンタ、 名前は?」


 彼に背を向けた去り際に、 そんな言葉が降ってきた。

 私は一瞬立ち止まり、 それから顔だけを彼の方に向けて「さあ?」と笑った。


「初対面の見知らぬ男にあっさり名乗るほどの不用心ではありませんから――もし、 また何処かで出会ったらその時にお教えしますよ」


 そうか、 と彼はそれ以上更に言い募ることはせず、 私は彼が吐き出した短い台詞に後ろ手で答えながら、 彼に見えない口元で小さく笑った。


そのうち続くかも知れませんが、続かないかも知れません。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんとなく呼ばれた気がしたので読みにきましたよ。 そうだね~、男女の関係って結局は、なんか良いorなんか嫌、という感情に着地しますよね~。別れを告げる理由も本来は単純で、飽きたか怖くなった…
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