襲撃の最中での告白
恋人ができたことで僕の生活は変わった。普段友達から連絡が来ることは少ないけど、恋人がいるおかげで毎日連絡を取り合っている。内容は些細なことばかりで特別な内容を話しているわけではない。
でも、こうして恋人がいると彼女のために何かしたいと思えてくる。
「バイト?」
「そう。コンビニの夜間アルバイトをやろうと思うんだ。いつまでも親にお小遣いを出してもらう訳にもいかないしさ」
流月さんは少し落ち込んでいるようだった。
「バイトに行くから連絡も取れなくて寂しい?」
「寂しい」
即答だった。
「流月さんは本当に可愛いな~」
僕は流月さんの頭に手を伸ばして、ボサボサの頭を撫でた。髪はボサボサしているけど、触り心地はモフモフしていて気持ちいい。撫でられている流月さんも気持ち良さそうに微笑んでいる。
「ちゃんと埋め合わせもするよ」
「絶対だよ!」
「もちろん!!」
僕と流月さんは笑いあった。
このバイトの話は単なる小遣い稼ぎの他に、ある計画があった。まあ単純に流月さんの誕生日プレゼントを買うだけなんだけど、その時の流月さんの喜ぶ顔を思い浮かべるだけで胸が高鳴った。
男が暗闇の中で苦しんでいる。喉が渇ききって焼けるような感覚が男を苦しめていた。水を飲もうとも、酒に溺れようともこの"渇き"が潤うことはなかった。男はどうしたらこの"渇き"が潤うか知っている。知っているが、辛うじて残っている理性がそれをさせない。
「いっそ、一思いに殺してくれ!!いるんだろ!?聞こえているんだろ!?頼む……誰か俺を……殺してくれ。でないと、人間じゃなくなる」
男は床にうなだれて、"渇き"に必死に耐えていた。そこへ一枚の写真が舞い降りた。男は希望を拾い上げるように写真を拾い上げ、写っているコンビニで働いている大学生くらいの若い男に釘付けになった。
あとはもう空腹を我慢できない猛獣が首輪から解放されたように暗闇から深夜の世界へと走り出した。最早辛うじて残っていた理性も脆く崩れてしまっている。
深夜のコンビニに来るお客さんはあまり多くない。トラックの運転手とかは眠気覚ましのコーヒーやら夜食なんかを買っていく。それ以外なら雑誌を立ち読みするだけだったり、お菓子やお酒を買っていく人もいる。だけど、全体的な来客は少ない。だから、僕はバイトの先輩と雑談をしながら働いていた。
僕のシフトは20時から0時まで。時計は間もなく0時になろうとしている。
「そろそろ上がっていいぞ。あとは大丈夫だ」
「そうですか?じゃあ、すみません、お先に失礼します」
「はい、お疲れ~」
僕はレジ奥のスタッフルームで制服から私服に着替えて、生ぬるい蒸し蒸しする外に出た。
バイトを始めて、早3ヶ月。大学は長い夏休みに突入し、時間的な余裕が出来た。大神から遊びの誘いが何度かあったけど、流月さんとのデート代やら何やらで実は金欠状態。流月さんの誕生日はまだ先だけど、出来る限り貯めておきたい。
「流月さんのプレゼント、何がいいかな~」
たぶん今の顔は凄くにやけていて気持ち悪いと思う。
夜の道を自転車のライトと街灯を頼りに、実家へと帰る道のりに人がいることは滅多にない。この3ヶ月中に二回見たか見ないかという感じだ。だから、今夜も何事もなく帰宅して、何事もなくバイトを終えたことを流月さんに連絡して、眠りに就くと思って疑わなかった。だけど、今夜は違った。
帰り道の途中で街灯の下にダボダボのスーツとボロボロのワイシャツを着た中年の男が立っていた。それだけなら何事もなく通りすぎてしまえばよかったが、僕は何かおかしいと思って、自転車を止めてしまった。男がじっと僕を見つめるとおもむろにポケットから一枚の写真を取り出し、写真と僕を交互に見た。何かを確認するようだった。男に見覚えは無い。たぶん男も僕と面識はない。面識があれば、写真で僕を確認する必要も無いだろう。
「見つけた……」
男が呟いた。なんだか嫌な予感がする。よく見ると男は犬みたいに口の脇から涎を垂らしている。僕の本能がこの男に対して、危険信号を出した。その瞬間、男が僕に向かって猛烈な速さで走ってきた。僕は自転車を全力でこいで男から逃げようとした。いくら速かろうとさすがに自転車に敵うわけがない。そう思っていたけど、男の速さは尋常じゃない。いくら自転車のペダルをこいでも、男との距離は離れるばかりか徐々に詰まっている。
おかしい。おかしすぎる。あり得ない。僕は家と反対方向に逃げて、とにかく男から逃げることを考えた。いつか疲れて追跡を諦めると思った。でも、男の追跡は終わらなかった。それどころか男より僕のほうが先に疲れてしまい、男との距離は縮んだ。ついに男の射程距離に入るや、男は僕の頭上を飛び越えて僕の行く手を遮った。
「逃がさない……」
男がじりじりと僕との距離を詰めた。もう逃げる体力は残っていない。仮に体力が残っていたとしても、自転車相手に遅れを取らず、人間の頭上を飛び越えた上に、呼吸一つ乱さない中年の男から逃げる術は持っていない。
男は血走った目で僕を見つめている。
「血を……寄越せ!!」
男が僕に飛びかかってきた。一瞬、微かに口の中が見えて、人間とは思えないほど鋭利で長い犬歯が見えた。血と鋭利な犬歯。これで連想するものが一つだけあったけど、それを連想し終える前に僕は物凄い力で後ろのほうへ引っ張られた。一瞬の出来事だったけど、男が僕の自転車に飛び込んだせいで自転車が大破した様子が見えた。そして、その一瞬だけで、男との距離が数百メートルも離れた。
「大丈夫!?怪我は無い!?」
だいぶ混乱してはいたけど、恋人の声を聞き間違えることはない。僕の背後から慌てた様子の流月さんが現れて、僕を見つめていた。
「る、流月さん!?どうして!?」
「それは後で!!今は逃げるよ!!」
流月さんは振り向いて男の様子を確認していた。僕も男の状態は気になる。流月さん越しに男の様子を伺うとそこにはもう中年の男はいなかった。代わりに黒い毛もくじゃら熊みたいな生き物がいて、腕の部分がコウモリによく似た翼になっている。
「やっぱり感染者……禁断症状も出てる……」
感染者。禁断症状。どちらも聞いたことがある単語だけど、僕の知っている状態とはかけ離れている。
中年の男だった生き物は飛ぶつもりなのか、翼を広げて羽ばたき始めた。
「流月さん!逃げよう!!」
僕は立ち上がり、流月さんの手を引いて走りだそうとしたけど、流月さんは動かなかった。怯えて動けないんじゃない。何か考え事をしていて動かないのだ。こんな時に何を考えているのかわからないけど、そうこうしている内に、熊みたいな生き物の巨体が地面から浮いた。でも、上手くバランスを取れずに転んでいた。逃げるなら、今しかない。熊みたいな生き物は転んでは立ち上がり、飛ぼうとしてはまた転び。でも、そうしながら確実に"飛ぶ方法"を学習しているようだった。
そして、何度目かの挑戦で、熊みたいな巨体が完全に地面から離れ、電柱くらいの高さまで飛び、そのまま僕と流月さん目掛けて滑空してきた。
「告白した日に言えなかった言わなきゃいけないこと……今言うね」
熊みたいな生き物は物凄い勢いで僕たちに近づいてくるのはわかっているはず。こんな状況で何を言い出すんだ。
でも、流月さんは穏やかな様子で僕を見つめた。
「私ね……………
吸血鬼なの」
流月さんの背中にコウモリの翼が生えた。