吸血
この章には物語の進行上、一部残酷な表現、及び不快に思われる台詞がございます。
あらかじめ、ご了承ください。
「いつだったかの時代、どこだかの国に住む貴族の間で行われたゲームがあるらしい。奴隷を一人連れてきて、全身の骨を一本ずつ折っていき、何本目で『殺してください。』って言うか賭けるゲームだ」
青白い肌の男は静かに流月さんに歩み寄ると流月さんを取り押さえている感染者に指示を出し、流月さんの頭を床に押し付けさせた。
「そのゲームを今ここで再現しようと思うんだ。でも、吸血鬼相手だと骨折程度すぐ治って、何本折ったかなんてわからなくなるよな。だから、"何回折ったら『殺して』と言うか"にルールを変更しようと思う。ヘヘヘッ」
青白い肌の男は流月さんの二の腕を踏みつけて、曲がらない方向にゆっくり曲げていった。僕は何もできずに流月さんが痛みを堪えている顔を見せつけられた。
「だ、大丈夫。骨を折られるくらい平気」
流月さんは強がって見せているけど、声も顔も助けを求めるように震えている。
「や、止めろ!!目的が八つ当たりなら僕を使え!!」
「おいおい、それじゃ意味が無いんだよね。だって、俺はお前やお前らに目の前で愛する人が傷付く様を見せて、絶望させてやりたいんだから!!ヘヘヘヘヘヘッヘヘヘヘヘヘッ!!」
青白い肌の男の腕に力が入った。
「止めろ……」
流月さんの顔が苦痛に歪む。
「ほら、もう少し。ヘヘヘッ」
「止めろ……止めてくれ」
流月さんの腕が本来曲がらない方向に限界まで曲げられている。青白い肌の男は嫌らしい笑みを浮かべた。
「止めろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!」
張り裂けんばかりに叫ぶのも虚しく、青白い肌の男が流月さんの腕をへし折った。木の枝をへし折ったような音と流月さんの叫び声が廃墟に響き渡り、青白い肌の男はその余韻に浸っている。
「この……クズ!!人でなし!!絶対許さねえぞ!!ぶっ殺してやる!!このゲス野郎!!」
余韻に浸っている青白い肌の男に対して、精一杯の罵声と殺意をぶつけたけど、彼にとって僕の叫び声は余韻を妨害する雑音でしかない。
「ギャーギャー喚くな!!骨の一本や二本、すぐ治るだろ!?まあ、もっとも俺みたいに"運命の人"の血を吸血した吸血鬼よりは、治りは遅いだろうけどな。ヘヘヘッ」
流月さんの折られた腕が力無く床に寝そべっている。どす黒いアザもあるけど、アザや骨折自体は瞬く間に治癒されていく。でも、当の本人は未だに苦痛に顔を歪めている。
「治ったかな?」
青白い肌の男は再び流月さんの二の腕を踏みつけて、二度目の準備に移った。
「止めろ!」
「だ、大丈夫……骨折くらい、平気だよ」
流月さんは震えた声で僕に笑いかけた。でも、その声も顔も大丈夫そうには見えない。
「見せつけてんじゃねえよ!!」
青白い肌の男が流月さんの腕をへし折った。
「自分達ばかりシアワセになりやがって!!俺だってシアワセになりたかったのに!!ふざけんな!!どうしてお前らばっかり!!どうしてだ!?何でだ!?何で俺じゃないんだ!?俺が何をしたって言うんだ!?えぇ!?」
青白い肌の男は流月さんの腕が治るのも待たずに狂ったように流月さんの全身のあちこちの骨を折った。骨が折られる度に流月さんは悲鳴を挙げて、僕は精一杯の罵声と殺意を叫んだ。
しばらくして、青白い肌の男は興奮を落ち着かせようと息を荒くしていた。対して、流月さんは全身のあちこちの骨を折られているせいで、わずかに呼吸しているのがわかる程度にしか呼吸していない。でも、その目には怒りや軽蔑、青白い肌の男に対する反抗心が燃えている。
「ハァ……ハァ……ハァ……何だよ?何だよ、その目はぁぁぁぁぁ!?」
青白い肌の男は流月さんの手首を持ち上げ、無防備な脇腹に強烈な蹴りを入れ、数メートル離れた壁に叩きつけた。その蹴りがあまりに強烈で、流月さんの肋骨はもちろん砕け、"胴体から片腕が引き裂かれていた"。
声にならない叫び声と流月さんの肩から噴き出す赤い噴水。
「流月ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
僕は無我夢中で暴れるけど、やっぱり感染者相手では敵わない。いくら動いても、いくら暴れても、びくともしない。
「クソ!!クソクソクソクソクソクソクソ!!退けよ!!放せよ!!このゲス野郎!!」
「だ……大丈……夫」
血の噴出が落ち着いて、でも、血の気が無くなった青白い流月が僕に呼び掛けた。傷自体は既に塞がり始めている。
「私なら……平気。腕も……治るから」
「で、でも……」
腕を引き裂かれるという想像を絶する激痛を感じているんだ。傷が治る治らないの問題ではない。
「どうだ?そろそろ、殺してほしくなったか?」
青白い肌の男が僕達の間に割り込んだ。でも、流月の反抗心が揺らぐことはない。それどころか逆に燃え上がっているようでもあった。
「あなたは……自分が拒絶されないって思ってたんですか?」
「は?」
「あなたはあなたの恋人の声に耳を傾けましたか?」
「何だよ、急に……」
「あなたは!!拒絶される覚悟も無く、真実を告げたんじゃないですか!?」
僕に告白した時によく似ているけど、また違う勇気を振り絞って、流月は彼に語りかけた。
「あなたが抱えていた辛さはわかります。私も同じような気持ちを抱いていましたから、わかっているつもりです。
でも、私にはあなたがあなたの恋人の声に耳を傾けたような姿が思い描けない!!
私は、私には拒絶される覚悟があった……というわけじゃないです。出来ることなら伝えないままでいたかった。でも、彼はこんな私のことを受け入れてくれた。それは彼の頭のネジが緩かったから、救われただけです」
地味に酷いことを言われた。でも、悪意のようなものは感じない。たぶん、オブラートに包まれていない流月の本音なんだろう。
「でも、誰もがそうじゃないのは、あなたがあなたの"運命の人"と出会う前から知っていたはずです!!拒絶されるのが当然です!!なのに、拒絶されただけで、愛した人を殺すなんて!!
…………どうかしてます!!」
静寂が空間を支配した。
言葉という鉄槌で打ちのめされた青白い肌の男は血走った目で流月を眺め、歩み寄るとコンクリートの壁に穴を開けて、壁を支える鉄製の骨組みを引き抜いた。
「うっせーよ……」
青白い肌の男は無造作に流月の手を取り、その掌を壁に押し付けると、引き抜いた鉄製の骨組みを流月の掌に突き刺した。悲鳴をあげる流月を無視して、骨組みを簡単に抜けないように余った部分を曲げた。
「もう骨を折るのも飽きたな。文字通り、骨折り損だな。ヘヘヘッ」
少し上手いことを言ったと誇らしげに僕を嫌らしい眼差しで見つめた。
「地味だけど、結構可愛い顔してるな、お前の彼女。声も可愛い。…………一体どんな声で鳴くのかな?ヘヘヘッ」
嫌な予感がした。
「お前ら…………この女を犯せ」
全身の血が一瞬にして凍り付く感覚に襲われた。さっきまで反抗的な目付きの流月も顔から血の気が引いた。
周囲を取り囲む感染者達が上着やズボンのベルトを外し始めた。
「おい……止めろ。止めろよ!!クソ!!放せよ!」
「君……諦めな」
僕を取り押さえている中年の感染者が口を開いた。
「私達にはあの人の命令に逆らえないんだ。ごめんよ」
そう言うと中年の感染者も僕を放して、服を脱ぎ始めた。
自由になった僕は急いで流月の元に駆け寄ろうとした。
「邪魔させるな」
青白い肌の男の一声で感染者達が僕の行く手を遮り、その間もほぼ全裸の感染者達が流月との距離をつめた。僕がどんなに叫んでも、どんなに暴れても、僕と流月の距離は縮まらず、感染者達の距離だけが縮んだ。
所詮、僕はこの場にいる唯一の純粋な人間で、鳴神さんの言う通り、無力な存在だ。どちらかと言えばインドア派で、体育会系ではないけど、腕力もそれなりにあるつもりだし、体格も悪くないつもりだった。『相手が悪い』ということを言い訳には使いたくない。
ただ、僕には恋人すら助けられないんだなって痛感している。出来ることなら自分の手で、流月を助けたかった。
感染者の手が流月の服を掴んだ。その瞬間、僕の背後のコンクリートの壁を突き破って、灰色がかった体毛の巨大な狼が一匹現れた。いや、一人か。
狼は僕の行く手を遮る感染者を凪ぎ払い、僕の目の前に現れた。急いで来たようで、かなり息が上がっている。
「ハァ……ハァ……悪い……遅くなった」
「本当だよ、大神」
現れた狼、否、大神は振り向いて現状を見渡した。全裸の感染者が40人程度に、人狼を裏切った人達の死体が20体。部屋の反対側で磔にされている流月。そして、招かれざる客に苛立ちを隠せずに、親指の爪を剥いだ青白い肌の男が一人。
「チッ……お前ら、さっさとソイツを片付けろ」
青白い肌の男の一声で感染者の半数以上が大神に襲いかかった。対する大神は襲い来る感染者達を次々凪ぎ払った。その間にも全裸の感染者数人が流月に近づいている。僕は感染者達を大神に任せて、流月の元に走った。でも、また僕の行く手を遮ろうと残っている感染者達も僕の前に現れた。感染者達の隙間から助けを求める流月の姿が見えた。
「退けぇ!!」
アクション映画とかアニメとか大神の見よう見まねで感染者の頬を殴り、力任せに腕を振り回した。ほんの少し開いた隙間をすり抜けて、一気に流月の元に駆け寄ろうとした。感染者が僕を止めようと手を伸ばしたけど、爪が少しかすっただけで、ようやく流月の元にたどり着いた。
「流月!流月!!」
流月は安心してなのか、こんな状況で幸せそうに微笑んで気絶した。僕はとにかく流月を磔にしている骨組みを引き抜こうとした。
「ごめん、流月!」
生々しい感触が骨組みを通して伝わるけど、なんとか抜くことが出来た。
「え?な、何で?何で治らないの?」
引き裂かれた腕の傷口は塞がっているけど、腕が治っていない。あちこち折れた骨も、骨組みが突き刺さっていた掌の傷も治っていない。
「何だよ、もう治癒限界だったのか」
背後から流月の様子を除きこむように、青白い肌の男が言った。
「治癒……限界?」
「ああ、治癒力が怪我に対応出来なくなることをそういうんだ。この場合、吸血鬼は死ぬ。ヘヘヘッ」
再び血の気が引いた。流月が死ぬ。僕の腕の中で幸せそうに微笑んでいる流月が死ぬという事実があまりに漠然としていて、脳が理解と情報処理を拒絶した。信じられない。でも、現に怪我が治る気配が無い。掌から止めどなく血が流れ、ひょっとしたら折れた骨が内臓に突き刺さっているかも知れない。
「もう……充分だろ?」
「ん?」
「とっとと……失せろよ」
「ああ、いいよ。絶望したいい顔してるよ、ヘヘヘッ」
青白い肌の男は笑いながらズボンのポケットからスマートフォンを取り出して、僕の顔をカメラに納めた。
その後、青白い肌の男は満足そうに撮った僕の絶望した顔の画像を見ながら、どこかへ消えようとした。大神と感染者達は引き続き戦闘を継続中で、既に数人が頭部をネジ切られ、絶命している。どうやら僕に構う暇は無いらしい。
僕は幸せそうに微笑んでいる流月の頬を撫でた。まだ温かい。微かに息もある。無いのは助ける手段だけ。不意に手に柔い痛みを感じた。見ると何かで切ったような傷から血が流れている。
「血……」
脳の機能が低下している中で、他の余分なことは一切遮断されてこの数分間の出来事だけが、鮮明に思い出された。そして、僕は1つだけ、流月を救う可能性を見つけた。いや、自分の脳だけど、まるで、脳が、あるいはもう一人の自分が答えを教えてくれたような感覚だった。
僕は切れているところから、血を溢れ出させた。
その様子が戦っている大神の目に入ったのか、大神が何か叫んでいる。
青白い肌の男だけが、満足そうに撮った僕の絶望した顔の画像を見続けている。
「流月…………愛してるよ」
僕は溢れた血を流月の口に注いだ。