僕史上最大の危機
何があったのか覚えてはいない。記憶に残る一番新しい記憶はバイトを終えて、流月さんにメールを打とうとしたところだ。そこから今、現状までの記憶が無い。気絶、あるいは眠らされていたのかも知れない。
いずれにせよ、僕の周りには餌に群がる鯉のように変な状態の男性達が取り囲んでいる。場所はわからないけど、どこかの廃墟みたいだ。近くには森があるのか鳥の鳴き声が聞こえる。手足は縛られていないのはたぶんその必要が無いからだろう。なぜなら、僕の周りを取り囲んでいるのは間違いなく感染させられた人達。感染者だ。僕にどうこうできる相手じゃないし、仮に普通の人間相手でも武術や護身術なんてかじってもいない僕にはどうしようもないことは代わりない。
「気がついたようだな」
感染者達の間から一人の男性が現れたこのくそ暑い中、涼しい顔で黒いスーツを着ている男性だ。僕にはこの男性に見覚えがある。でも、どこで見たのか思い出せない。
「見覚えがあるって顔だな。でも、思い出せない。思い出せなくて当然さ。私は"黒子"だからな」
男はポケットからタバコを取り出し、ライターを探すが、見当たらないようだ。
「お前、ライター持ってないか?」
「タバコは人の吸えるもんじゃない。持ってませんよ」
「おいおい、人の吸えるもんじゃないってのは酷いだろ?喫煙者は皆人間じゃないってことか?」
「いいえ。それだけタバコが嫌いってことです」
「随分と健全だなぁ。つまらない」
男性は本当につまらなそうにしながら、取り出したタバコを箱に戻して、ポケットにしまった。
この男性が吸血鬼なのかどうかはわからない。でも、僕の誘拐に関与していることは間違いない。
「何者ですか?何が目的ですか?それくらい教えてくれてもらえませんか?」
「…………黒子だ。黒子に飽きた黒子だ。私は鳴神。人狼一族の末裔。狼を失った家系の者さ」
「じ、人狼?」
人狼側の人間が感染者といることに疑問を持ちながら、人狼の名前が出てきたことで思い出したことがある。この姿は先日の襲撃の"事後処理"で現れた大神の部下の人達が着ていた服装と同じだ。
「狼を失った?」
「人狼一族には狼を失った……つまり、変身出来ない家系がいる。私みたいなやつは健人みたいなガキの部下として働かされているんだ。
お前は私が感染者と一緒にいることにも疑問を感じるだろ?
私は人狼を裏切ったのさ。仲間だった奴らを吸血鬼どもに売ったり、お前の情報を吸血鬼に売った。何しろ私の役目はお前の監視だからな。いつどこで何をしているかは把握している」
「なんで?なんでそんなことを?」
「私達は変身は出来ないが、人狼の血を受け継いでいる分、ある程度人間離れしている部分がある。
私達は"特別"なんだ!
なのに、なぜこそこそ隠れなきゃいけない?ガキの時に親に聞いたことがある。昔、"運命の人"の血を吸った吸血鬼を止めるべく、多くの人狼が戦い、多くの一族が絶滅させられた。残った一族はわずかだが、なんとか吸血鬼を討伐できたそうだ。だが、人間達は人狼も敵として認識して、攻撃してきた。だから、人狼は人間から隠れて生活した。吸血鬼は人狼にも有害な存在であることには代わりない。だから、隠れて生活しつつ、吸血鬼の討伐も続けていたんだ。
それを聞いて思った。なぜ人間を守っているのに嫌われなきゃいけない?なぜ攻撃されなきゃいけない?そんな人間に守る価値があるのか?
いや、無い。脆弱で無力。何より、私達を化け物扱いする。お前だって、健人が人狼と知って恐かっただろ?気味悪いと思っただろ?」
「いや、全然」
鳴神さんはきょとんとしながらたっぷり三秒黙ってしまった。
「な、なら、お前の恋人の吸血鬼は恐いだろ?何しろお前の血を……」
鳴神さんが全部言い切る前に僕は鳴神さんのスーツの胸ぐらを掴んで思い切り睨み付けた。
「全然恐いとこなんか無いんだよ。大神は友達思いで良い奴だ。流月さんははにかむと八重歯が顔出してるのが凄く可愛いんだよ。幸せそうに微笑んでるのが一番可愛いんだよ。内気で、恥ずかしがり屋で、小さくて、地味だけど、勇気を振り絞って僕に告白したんだよ。そんな流月さんのことを恐がるわけ無いだろ、バカ」
まあ、怒り任せにいろいろ言ったはいいけど、変に緊張して声が震えていた僕。もっとビシッと決めたかったのにな。
対する鳴神さんは呆れた様子で一言。
「お前の頭ん中、どんだけお花畑だよ?」
「よく言われる」
鳴神さんを突き放して深呼吸して自分を落ち着かせた。
「ふざけるなよ……確かにお前はそうかも知れないが、他の人間は違うだろ!誰もが忌み嫌い、社会から排除しようとするに決まってる!!」
「まあ、否定はしないけど、つまりあなたは自分を特別扱いしてほしいって駄々をこねる子供と同じだと思いますよ?」
僕の言ったことがよっぽど癪に触ったのか、スーツの内側に隠し持っていた拳銃を取り出して、銃口を僕に向けた。これにはさすがの僕も動揺を隠せなかった。
「黙れ!」
鳴神さんは引き金を何の躊躇いもなく引いた。たぶん、銃弾が僕を貫くのに一秒と掛からないだろう。銃声と共に僕は殺される。どんなマヌケな顔をして殺されるだろうか。そんなことを思っていたら、"何か"に押されて、視界が真っ暗になった。僕を貫こうとした銃弾は当たる相手を失って、延長線上にある壁に当たった。何が起きたかわからない様子の鳴神さんは僕を探して、視線を走らせた。
でも、僕には何が起きたかわかる。ボサボサの髪のままで、きっと全力で飛び回っていたんだろう。
「来てくれると思ったよ」
僕に抱きつくようにして流月さんがそこにいた。顔を真っ赤にして泣いている。
「だ、大丈夫?ケガしてない?」
「大丈夫だよ。助けてくれてありがとう」
「よかった……無事で本当によかった」
僕は泣きじゃくる流月さんの頭を撫でた。周囲を取り囲んでいた40人以上の感染者や鳴神さんの恨めしそうな視線が突き刺さるが、恋人が助けに来てくれたことの方が重要だった。
「おい!!二人揃ったぞ!!」
鳴神さんが誰かに向かって叫んだ。
現状を把握するに、逃げるという選択肢が最優先だと思う。感染者40人が取り囲み、拳銃を持った鳴神さんがいる。流月さんが来たところで、戦うという選択肢は無い。
「私が……道を拓くから、君は走って逃げて」
「ダメ。一緒に逃げるんだ」
「でも……」
「どの道、僕一人逃げたってすぐ捕まるよ。だから、二人で逃げよ」
僕達が逃げる算段をしていたら銃声が鳴り、銃弾が僕のすぐそばに当たった。
「逃げようったって、そうはいかないぞ。裏切り者が私だけだと思うのか?」
感染者の間から、黒いスーツを着た男達がさらに20人程度現れた。全員拳銃を所持している。これで約60対2。逃げるのすら難しそうだ。下手に動けば蜂の巣にされるかも知れない。
「逃げようとは思わないことだね、ヘヘヘッ」
不気味な笑みを浮かべる青白い肌の男が突然目の前に現れ、僕に抱きついている流月さんを物凄い力で力任せに引き剥がした。
「流月さん!!」
再び銃声。今度は僕の目の前の床に下手に動かせないようにする威嚇射撃の銃弾が当たった。
「おいおい、殺しちゃダメだよ?ヘヘヘッ」
「安心しろ。威嚇射撃だ」
元人間の感染者達と狼を失った人狼達。そして、流月さんを掴んでいる青白い肌の男。彼が何者で、何が目的なのか、今一体何が起きているか僕にはわからない。一つハッキリしているのは、僕史上最大の危機に直面しているということだ。