三人の旅人
1
ひたすらに青い草原が広がっていた。
その草原は、「緑」という枠を超えて、寧ろ「青い」と表現するのが適切なように思える。
それ程に、広く涼やかな草原。
そこに、寝転がる青年が一人。
茶色というよりは、少し赤みがかったチョコレート色の髪は、肩くらいの長さで揃えられ、同色の睫毛は静かに伏せられ、閉じた瞼を飾っている。
細い体躯と白い肌も重なり、一見少女のようだ。
だが、その少女にも見える青年が纏っているのは、分厚く、いかにも旅人といった風な暗い緑のロングコートに茶色いズボン、靴は黒いブーツだが、それもデザインというより頑丈さを重視したような物で、さらに眠る青年の傍らには大きな茶色いリュックまで置いてある。
ここまで旅人らしい服装をしていれば、いくら元が少女のように繊細な容姿でも旅人らしく見えるものだ。
彼の名前はアルフォンス・ロイド。
剣に魔法が飛び交い、さらに魔物までもが蔓延るこの世界―この世界全体を指して、「イヴ」と呼ぶ―そんな世界で、錬金術を学ぶ学生だ。
彼は、錬金術を学ぶ学校を卒業する為の研究を終わらせる為、旅をしている途中だ。
何も、錬金術師の卵が全員旅に出て研究を完成させるとは限らないのだが、彼は元から探究心が旺盛な性質らしく、学生にしては珍しく旅に出たという訳だ。
「アルっ! 起きろっ!」
静かに眠るアルフォンスを起こす声。
彼を起こしたのも、また青年だった。
だが、アルフォンスに駆け寄り、眠る彼を起こした方の青年は、アルフォンスのような繊細さは無く、逆に狼や虎等の肉食動物を連想するような雰囲気があった。
殆ど銀髪に近い薄い色の金髪。色だけならばとても美しいが、その髪はそれこそ獣の毛でも切るかのように無造作に切られている。
長さも微妙で、兎に角短くしておけというような印象だ。
瞳の色は透き通るオレンジ色で、多少黄色が混ざったような色をしている。丁度良いくらいに釣り目で、その目もまた獣の物のようだった。
服装は、アルフォンスと同じく旅人らしくはあるが、アルフォンスよりは軽装だ。
暗褐色のコートは短めで、黒いシャツを覗かせている。ズボンの色は黒で、この青年も黒いブーツをはいていたが、アルフォンスの服装よりはデザインにも拘ったような所があり、所々にチェーンなどの装飾がある。
それだけで見れば、野性味がある美青年といった所だろう。
だが、彼は腰に剣を差していた。
彼の左半身に下がる黒い鞘。それに剣が納まっている事は明白だ。
彼の名はジョシュア・クラーク。
修行中の剣士であり、アルフォンスとは旅を共にする親友だ。
学生ながら珍しく旅をしているアルフォンスとは違い、見習いの剣士が旅をするのはこの世界の常識である。
そして、その剣士が旅の途中で相棒を見つけ、修行を共にする、という事も少なくないのだ。
そして、修行中の剣士と旅を共にする錬金術師の卵は、親友にして旅仲間の剣士の声によって目を覚ました。
「…ん? どうしたの、ジョー。何かあった?」
「暢気な事言ってられないぞ、アル。あれ見ろ、あれっ!」
眠そうに目を擦るアルフォンスと対象的に、ジョシュアは焦った様子で空を指差した。
そして、アルフォンスがあくまで眠そうに見上げた先にあった物は。
翼が生えた、巨大な緑色のトカゲ。いや、緑色の竜と言った方が分かりやすいかもしれない。そんな生物が、大空に翼を広げていた。
「げ。このへんってドラゴンなんて出たっけ?」
「さあな…だが、今はそんな事より、今ドラゴンが居るって事実が最優先だろ。幸い、 アイツはまだ俺らに気が付いていないようだ。今のうちに街の方まで逃げようぜ。街まで来れば何とかなるはずだ」
「そうだね。気がつかれてないうちに逃げよう」
そして、二人は草原を駆け抜ける。幸い、街に着くまでドラゴンが彼等に気が付くことは無かった。
*
「草原でドラゴンを見た、ですって?」
彼等が滞在している宿屋にて、まだ若い女が不機嫌そうに言った。
その、見る角度によって青にも緑にも見える、不思議な色をした薄い青緑色の瞳は、どこか猫のようで、不機嫌な表情が似合っていた。
長い黒髪は、赤いリボンで左右に束ねられていてもなお、背中くらいまで長さがある。元は謎めいた印象の女性だが、彼女が纏う黒いロングコートと赤いワンピースは謎めいた印象からはかけ離れており、どちらかといえば気が強く、明るめな印象を与える。
靴は、黒いタイツに白いブーツをはいており、全体的にセンスが良い。だが、彼女が身に付けている物の中で、服装に合っていない物が一つだけあった。
ワンピースに巻かれたベルトに、短い魔法の杖のような物を差しているのだ。
魔法の杖のような物、ではない。本当に魔法の杖なのだ。彼女は、修行中の魔法使いなのだから。
「そうなんだよ。俺もアルも、必死で逃げてさ。なあ、アル?」
「必死って程じゃないけどね。あのへんって、ドラゴンとか出たっけ?」
「年に一度、様々な種類のドラゴンが通過するそうよ。危なかったわね、あなた達。もう少しでそのドラゴン以外のドラゴンがぞろぞろ来てたとこよ」
そう言う彼女の表情は、不敵な笑みさえ浮かんでいた。猫のような瞳は、猫のように気まぐれに表情を変えるらしい。
彼女の名前はヒルダ・リース。
先程も言った通り見習い魔法使いであり、ジョシュアとは昔馴染みだ。
その為、彼女も二人と旅を共にしている。見習い魔法使いが旅をするのも、やはりこの世界の常識なのだ。
先程の言葉に青くなる青年二人を無視して、ヒルダはさらに言葉を続けた。
「それはそうと、アル。あなたが探してた―禁書、だっけ?
私、ちょっと本とかから情報を探ってみたんだけど、結構有力な情報が手に入ったわよ。聞く?」
その言葉を聞いて、先程まで青くなっていたアルフォンスの顔色が明らかに変わる。
「え、本当?」
「本当よ。何でも、この街のはずれにある祠にヒントがあるとか。」
ヒルダはそれがどうした、とでも言いたげな程の無表情で言うが、対するアルフォンスは首を傾げて、少し沈黙してから言った。
「…この街、祠なんてあったっけ?」
「お馬鹿。自分が滞在してる街の事を把握しないから、貴方達はドラゴンなんか見るのよ。
あるわよ、街のはずれに。セラフの祠っていったら、結構有名よ?近くにある教会なんか、あたし見たけど、立派すぎてびっくりしちゃったわ」
「…セラフの、祠?」
その言葉を聞いたアルフォンスは、途端に硬直する。
最早人形のような無表情は、何か思案しているようにも見える。
アルフォンスの反応を見たジョシュアは、必死の形相で口を出した。
「アルっ! セラフの祠なんて名前、お前は聞いた事なんか無い筈だぞ!」
その言葉を境に、アルフォンスは自我を取り戻したようだ。
一瞬目を見開いてから、ジョシュアに一言「ごめん、」と謝り、ヒルダとの会話に戻った。
「ごめん、話の流れ切っちゃって。それで、その祠に禁書を探す為のヒントがあるんだよね?」
「ええ、そうだけど…アル、貴方大丈夫?さっき祠の名前が出た時の驚き方、尋常じゃなかったわよ。何か心当たりがあるなら話してしまった方がいいんじゃないかしら。」
「ああ、うん…心当たり、って程じゃないんだけどね。ちょっとだけ―」
「無いよな」
ジョシュアが、またも二人の会話に口を出した。
きっぱりとアルフォンスに対して言った言葉は、どこか確信にも似ていて。
気の弱いアルフォンスは、すぐに退いてしまう。
「無い、よな」
「え、えっと…うん。無いよ。セラフの祠…だっけ?そんな名前に心当たりは、無い」
「…そーぉ? 貴方が無いって言うんならいいけど…それ、ジョーが無理矢理言わせてない?」
用心深いヒルダは、当然訝しげな顔をする。
「いや、本当だって。心当たりなんか無いよ。本当に」
「ふーん。じゃあ、いいわ。それじゃ、明日には出発しましょ。いつまでも宿に居たって始まらないわ」
その声に青年二人が返事をして、その日の夜は更けていった。