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2.「黙れ。」



 一ヶ月もすれば、私と猫の奇妙な共同生活は日常となっていた。


 私は猫を「猫」とか「お前」としか呼ばないけれど、猫にしたって、私のことを飼い主と認めていないように思う。気がつけば窓から外へ出ているし、買ってきた餌には文句をつけて、高級な奴しか素直に食べない。


 けれど、私は名前とも呼べない呼び名を口にするたび、猫が偉そうに振り返るのも。

 猫がドライフードを食べるのを渋ったら、放置して無理矢理食べさせるのも。


 気がつけば、それが習慣になっていた。



「ただいま」


 そう言った私の声は、はっきり言って、かなり不機嫌で、あまり聞きたくない声だったと思う。女性が出すにしては、好ましくない類の。


 もっとも、私は気にしないが。だって、私の声を聞くのは私自身と猫だけで、しかも不機嫌なときに不機嫌でいるというのは、凄く楽なことなのだ。


 うな、と猫がうなった。


「黙れ」


 私はそう言いながら鞄をソファに放り投げ、缶詰を開けた。その臭いはお世辞にも、食欲をそそるとは言いがたい。猫はいったいどうして、こんなものが好きなんだか。

 夢中になって皿から餌を食べる猫を、私は横目でみた。

 ソファに座っているものの、テレビを見る気にも、シャワーを浴びる気にも、食事をする気にもなれない。私はごろりと、ソファに横になった。


「ねえ、猫」


 返事はない。食事中に返事が来ることはない。


「聞いてよ、あの馬鹿がね、私は精一杯やってるのよ?でもひとつやふたつ、ミスするのは人間として当然だと思わない?じゃあ、あなたはミスしたことがないの?完璧人間なの?って話よ。ふざけんなっての」


 ぐだぐだと話す。猫が人間の話をわかるはずがないし、文法的にも何を言っているのかわからないはずだ。だけど私は猫にこの苛立ちを話していく。


 人間、社会に出て仕事をしていたら、当然のごとく抱く不満だ。私だけが特別ではない。それは知っている。知っているからこそ、どうしようもない苛立ちが溜まっていく。


 猫は返事をしない。私に合わせて怒ったりも、私に非難の目を向けたりもしない。だから安心できる。


「そうそう、昨日ね、隣の亜美ちゃんが――」


 ふっと、ソファから垂れた私の手に、猫の舌がふれた。気がつけば、猫の食事は終わっている。私の話も、愚痴からただの報告へと変わっていた。


「お前、こういう時だけペット面するのね」


 ぺろぺろと私の指を、猫がなめる。私はくすぐったくて、くすくす笑った。


「そうね」


 とりあえず、私は夕食を食べることにした。

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