【短編小説】おしまい
「すまん、ちょっと休憩しよう」
百物語の五分の一、二十話が終わったところでタイミングよく俺が言うと、車座になっていた男たちは全会一致で緊張を解いた。
背筋を伸ばす者、腰を叩く者、足を揉む者がそれぞれリラックスしている。
俺は煙草だ。
ベランダに出ると、ぬるい夜風が頬を舐めた。
話芸のプロとは程遠い無い連中の、まともに練習していない話は何ともまとまりに欠いた聴きずらいものだった。
それは自分も他人を責められないだろうが、とにかく聞いていて疲れる。
だいたい、こんな時期に納涼も何も無い。
しかし大人になると予定はなかなか合わず、ここのを逃すと次はいつになるか分からない。
結果的に晩夏どころか、延びに延びてもはや初夏言うタイミングになってしまった。
風に煙を遊ばせていると、サトシもベランダに出てきて煙草を吸い始めた。
「花見にしても遅いし、新歓にしちゃオッサンしかいねぇな」
「まぁ今年は新年会やってなかったからな。新年度会ってことで良いんじゃね」
「まぁ今さら俺たちの抱負もあるまいしなぁ。たまにはこう言うのも悪くねぇな」
そんな事を言って始まったこの怪談会も、ようやく二十話を終えたばかりである。
とても百話まで行けるとは思わないが、まぁそれはそれだと続け様に煙草に火を付けた。
「長えな」
サトシは唸るように言った。
「長い。とても百話まで届かんだろ」
「いや、そっちじゃない。マサオの便所だよ」
あぁ、そっちかと俺。
たしかにマサオの便所は長かった。
ションベンをするのにドアを閉めないのは俺たちの会話が聞こえなくて寂しいせいなのか知らないが、下水溝に流れ込む雨水の様な音が延々と続いている。
音と言うのは温度でこうも変わるのか、と言うほどに生暖かく不愉快な音が響いている。
どうせマサオも煙草を吸いに来るだろうと何となく待っていたが、いつまで経ってもマサオのションベンが終わらない。
そろそろ便壺から溢れるのでは無いか、いや、一定の水量で流れていくか……などと考えていたら気持ちが悪くなってきた。
「おい、いつまでションベンしてんだ」
2本目の煙草を携帯灰皿に押し込みながらサトシは苛立たし気に言った。
俺もサトシの携帯灰皿に自分の吸い殻を押し込みながら
「便所の周りで続きをやるか」
と冗談めかして言うと、便所の中でマサオが笑った。
「おい、これが21話目と言うのはどうだ」
部屋の中でくつろいでいた連中もこちらの様子に気づいて集まってきた。
マサトは未だ終わらぬションベンをしたまま
「よし、21話目をやりながら22話目いくぞ」
などと言って、本当に22話目を始めた。
「これは俺が高校生の頃に体験した話なんだけどな、夜中に散歩してたら、公園の前を通りかかった辺りで声が聞こえるんだよ。
怖えじゃん、そんなの。
俺以外の奴がいるだけで怖いのに、なんか喋ってんだよ。
そんでさ、怖いけど聴いちゃうじゃん。
したら、なんか子どもがさ、お母さん早く帰ろうって言ってんだよ。
は?ってなるじゃん。
夜中だよ?2時くらい。
いま位の時間だよ、なんで子どもがいんだよって思ってさ、ちょっと公園の中を見ちゃったんだよ。
したら、なんか公園の真ん中に立ってる木の下でさ、ボロボロの服を着た子どもがさ、立っててさ、そんで、その傍でなんかしゃがんでる女がいてさ、そいつがブツブツ呟きながら、ずっとションベンしてるんだよ」
マサオはそう言って一息吸った。
「それからなんだよ、俺、この時間になるとしばらくションベンが止まらないんだ」
何を言ってるんだ?
そう思ってサトシの方を向いた。
正確にはサトシを見ようと思った。しかしそこにサトシの姿は無く、ベランダには俺ひとりが立っているだけだった。
「おい、サトシが消えたぞ」
ベランダから部屋に戻った気配を感じなかったが、どこに行った?
「マサオ、お前サトシ見たか?」
俺は慌ててマサオに訊いたが、マサオは間伸びした声で
「サトシって誰だよ」
と静かに笑うと、便所から水を流す音が聞こえた。
ようやくマサオの長い便所が終わったと言う思いと、サトシを知らないと言う下らない冗談に腹が立った。
「冗談はよせよ、サトシだよ」
出てきたら何か言ってやる、と思ったがマサオは一向に便所から出てこない。
室内に戻ると、集まっていたはずの男たちがいなくなっていた。
「なんだ?かくれんぼか?」
ガキかよ、いい歳のおっさんが。
俺は便所のドアを押すと、ドアは音も無く開いた。
中には誰もいなかった。
電気もついておらず、トイレットペーパーすら無かった。
慌てて振り向いたが、そこに広がっているのは家財道具も何もない越してきたばかりの様な自分の部屋だった。
俺は自分がどこに行く途中だったかを思い出して、少し寂しくなった後で、ベランダから夜空に飛び立った。




