第4話「黒薔薇の影(沙良編)」
薔薇の香りが満ちた舞踏会の夜。
ミレーヌ・ド・ロズベルクは、
完璧な微笑を張り付けたままグラスを傾けた。
音楽は優雅。
笑い声は上品。
だが――
向けられる視線は氷のように冷たい。
「ごきげんよう、ミレーヌ様」
「まぁ……今日はお一人で?」
「王太子殿下、聖女リディア様の側にいらっしゃいましたわね」
砂糖に毒を混ぜたようなささやき。
彼女たちの目は、完全に“悪役”を見るそれだった。
「ええ、殿下はとても誠実な方よ。
聖女殿下を深く敬っておられるもの」
沙良は静かに答える。
声も表情も完璧だ。
……けれど、胸の奥では心臓が痛いほど鳴っていた。
――ここは、ゲーム通り。
ミレーヌという存在は、
この『セラフィナ・クロニクル』において
どのルートでも必ず破滅する“確定死キャラ”。
火刑、投獄、断罪、国外追放――
結末の種類こそ違え、
“幸せになるルートはひとつも無い”。
(……全部覚えてる。
お姉ちゃんが、泣きながら何度もやり直してたあのゲーム……)
彼女は知っていた。
ミレーヌは、存在自体が“悲劇の引き金”なのだ。
「聖女リディアの髪を燃やそうとした」
「王太子殿下を誘惑した」
――そんな事件、ゲーム内では“ミレーヌの破滅イベント”として確定していた。
(まだ、何もしてないのに……
もう、フラグが立ってる……)
沙良は小さく息を飲み、グラスを置いた。
そのとき――
背後のカーテンがわずかに揺れた。
「……ルシアン?」
黒髪の青年が姿を見せる。
ロズベルク家に仕える執事。
ミレーヌの数少ない味方であり、
ゲーム内では“悪役令嬢の最後の支え”と呼ばれた人物。
彼は静かに一礼し、
低く、耳に心地よい声で囁いた。
「お嬢様……少々、人払いを」
沙良は頷き、視線を避けるようにバルコニーへ出る。
夜風が頬を撫で、
音楽が遠くに薄れていく。
「また噂ですか?」
「ええ。“聖女殿下と王太子殿下の巡行を
ミレーヌ様が妨害しようとしている”と」
(……これもゲームと同じ)
「そんなことしてないわ」
「分かっております」
ルシアンの声音は柔らかい。
けれど瞳の奥には、はっきりと警戒の色があった。
「黒薔薇の印を持つ者たちが、
王都の地下で動いているとの報せもあります」
「黒薔薇……」
胸が微かにざわめく。
(黒薔薇イベント……
あれは本来、ゲーム中盤の“聖女覚醒フラグ”……
この時期に動くの、早すぎない……?)
――『黒い薔薇は都に根を張る』。
夢で聞いたような声。
それが現実に近づいている。
「……わたしは関わらない方がいいわ。
この世界の破滅フラグなんて、踏みたくないの」
「ですが、お嬢様が標的にされる可能性が――」
「大丈夫。噂なんて、いずれ風に消えるもの」
(……ゲームじゃ“消えなかった”けど)
虚勢でも、言わずにはいられなかった。
満月の光が、薔薇の花弁を銀に染める。
胸の奥に、小さな灯が灯る。
あの日、差し伸べられたあの温もり。
――その光だけは、絶対に失いたくない。
ルシアンが小さく頭を下げる。
「……どうか、お気をつけて」
「ありがとう、ルシアン」
沙良は微笑み、夜風に髪を流した。
その影には、
ゆっくりと“黒薔薇の気配”が滲んでいく。
運命の歯車は、確実に、
ゲームよりも早く動き始めていた。




