第25話「遠い玉座の影(沙良編)」
王都の午後は、思った以上にざわめいていた。
通りを行き交う人々の声はどこか浮き立ち、
噂という噂が風に乗って流れてくる。
沙良は宿として借りている屋敷の一室で、
窓辺に立ち、その様子を静かに眺めていた。
(……もう、会ったのね)
理由は分からない。
けれど、そう確信してしまった。
胸元の黒薔薇のブローチが、
いつもより重く感じられる。
「お嬢様」
ルシアンが控えめに声をかけた。
「先ほど、教会周辺が騒がしくなっておりました。
王太子殿下が、聖女殿下を訪ねられたそうです」
その言葉に、
沙良の指先が、ほんのわずかに強張った。
「……そう」
短く返事をしながら、
胸の奥に広がる感覚を確かめる。
(王太子セオドア……)
ゲームの中では、
彼は“正統ルート”の象徴だった。
民に愛され、
聖女と並び立ち、
国を導く存在。
そして――
ミレーヌにとっては、
最も遠い場所にいる人。
(……分かってる)
自分が立つ場所は、
あの光の輪の外側だ。
けれど。
沙良はそっとブローチに触れた。
(どうして……胸が、こんなに痛むの)
妬みではない。
怒りでもない。
もっと静かで、
もっと根深い感情。
まるで――
“大切なものが、遠くへ行ってしまう”ような。
「ルシアン」
「はい」
「王太子殿下は……
どんな様子だった?」
ルシアンは一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せた。
「穏やかで、誠実なお方です。
聖女殿下を“象徴”ではなく、
一人の人として見ておられるようでした」
沙良は、ふっと息を吐いた。
「……そう」
それは、
この物語において“正しい”姿だ。
(やっぱり……始まってる)
聖女の周囲に人が集まる。
王太子が現れ、
騎士が守り、
神官が寄り添う。
それは、
沙良が知っている“流れ”。
――でも。
「ルシアン。
もし……物語の中心に立つ人が、
まだ自分の役割を知らなかったら……どうなると思う?」
唐突な問いだった。
ルシアンは少し驚いたように瞬きをし、
やがて静かに答える。
「……それでも、人は選びます。
知らずとも、心が向く方へ」
沙良は小さく微笑んだ。
「……そうよね」
窓の外で、教会の鐘が鳴った。
昼の鐘。
その音は、
理奈が聞いている音と同じはずなのに、
どこか遠く感じられた。
(……あなたは、どんな顔で笑ったの)
会ったこともない。
話したこともない。
それでも――
想像してしまう自分がいる。
「聖女リディア……」
その名を口にした瞬間、
黒薔薇のブローチが、ふっと温かくなった。
同時に、
胸の奥がじんわりと痛む。
(……行かなくちゃ)
理由は分からない。
けれど、このまま“外側”にいるわけにはいかない。
「ルシアン。
近いうちに、教会を訪ねるわ」
「……よろしいのですか?」
「ええ」
沙良はまっすぐ前を見た。
「避けていたら、
何も始まらないもの」
それは、
ゲームの中では選ばなかった選択。
けれど今は――
自分の意思で、踏み出す。
窓辺を離れ、
沙良は静かに背筋を伸ばした。
光の中心にいる“聖女”。
そのすぐ外側で揺れる“黒薔薇”。
二つの存在は、
まだ交わらない。
けれど、
同じ運命の輪の中で、
確実に近づき始めていた。




