第24話「王太子の微笑(理奈編)」
正午の鐘が、王都の空に澄んだ音を響かせた。
聖堂の中庭は、いつになく整えられている。
白い花が並べられ、石畳は丁寧に磨かれ、
どこか“迎えるための場所”という空気が漂っていた。
理奈はその中心に立ち、ロザリオを胸にそっと押さえる。
(……落ち着いて)
理由は分からない。
けれど、胸の奥がわずかに高鳴っていた。
「聖女殿」
声をかけてきたのはディランだった。
いつもより背筋が伸び、表情も引き締まっている。
「まもなく到着されます。
王太子殿下が」
理奈は小さく息を呑んだ。
「……王太子、殿下」
その響きだけで、
遠い存在だと分かる肩書き。
(ちゃんと……挨拶、できるかな)
考えている間に、
中庭の入り口が静かに開いた。
近衛兵が左右に並び、
その中央を、一人の青年が歩いてくる。
淡い金色の髪。
穏やかな微笑。
だが、その足取りには揺るぎがない。
彼は理奈の前で立ち止まり、
ゆっくりと一礼した。
「はじめまして。
王太子セオドア・ルーヴェンです」
声は柔らかく、よく通る。
王族特有の威圧感はない。
けれど――自然と、背筋が伸びてしまう。
「……聖女リディアとお会いできて光栄です」
理奈は慌てて頭を下げた。
「こちらこそ……お越しいただき、ありがとうございます」
その瞬間、
セオドアの視線が、ほんの一瞬だけ揺れた。
(……?)
気のせいかもしれない。
けれど、彼は理奈を“肩書き越し”ではなく、
ひとりの人として見ているようだった。
「堅い挨拶は、これくらいで」
セオドアは微笑み、周囲を見渡す。
「あなたがここで、どんなふうに祈り、
どんなふうに人々と向き合っているのか。
今日は、それをこの目で見たくて来ました」
理奈は驚いた。
「……私を、ですか?」
「ええ」
即答だった。
「国にとっての“聖女”としてではなく、
あなた自身を」
胸が、きゅっと鳴った。
(……そんなふうに言われたのは、初めて)
ディランが控えめに咳払いをする。
「では、殿下。
中庭の奥へご案内を」
歩き出すと、
セオドアは自然と理奈の隣に立った。
近すぎず、遠すぎず。
ちょうど会話がしやすい距離。
「緊張していますか?」
不意に、そう聞かれる。
「……少しだけ」
正直に答えると、
セオドアはくすっと笑った。
「それなら安心しました。
緊張しない聖女なら、少し心配ですから」
理奈も思わず笑ってしまう。
「殿下は……緊張なさらないんですか?」
「しますよ。
ただ、顔に出ないだけです」
その言葉は冗談めいていたが、
どこか本音のようでもあった。
中庭の一角で足を止め、
セオドアは空を見上げた。
「この国は、今、分岐点に立っています。
光だけでも、影だけでも進めない」
理奈はその横顔を見つめる。
(……この人)
穏やかで、優しくて。
けれど、その奥には“王太子”としての覚悟がある。
「だから、あなたの存在は――
希望であり、試練でもある」
理奈は胸に手を当てた。
「……私に、できることがあるなら」
その言葉に、
セオドアは静かに理奈を見た。
「あります。
ただし――急がなくていい」
彼は微笑む。
「あなたが“あなたのままでいること”。
それが、いちばん難しくて、いちばん大切です」
風が吹き、花が揺れた。
その瞬間、
理奈の胸の奥で、黒薔薇とは違う――
静かな光が、そっと灯った気がした。
(……この人も)
関わる運命のひとり。
理奈はまだ知らない。
この穏やかな王太子が、
いつか最も重い選択を迫られる存在になることを。
けれど今は――
ただ、その微笑が、
不思議と心に残っていた。




