第21話「静謐の祈り(理奈編)」
朝の聖堂は、いつもより静かだった。
高い天窓から差し込む光が、白い床に細い線を描いている。
理奈は一人、礼拝堂の奥に座っていた。
ロザリオを指先で転がしながら、胸の内に残る違和感を整えるように、ゆっくりと呼吸をする。
(北塔のあとから……少し、世界の音が近い)
人の足音。
衣擦れの気配。
遠くの祈り声。
それらが、以前よりはっきりと胸に届く。
そのとき――
かすかなページをめくる音がした。
理奈は顔を上げる。
礼拝堂の側廊。
そこに、一人の青年が立っていた。
淡い金色の髪。
僧衣に身を包み、手には古い書物。
静かな佇まいは、まるで最初からそこにいたかのように自然だった。
(……誰?)
青年は理奈の視線に気づくと、驚いたように目を瞬かせ、すぐに柔らかく微笑んだ。
「失礼しました。
祈りの最中でしたか?」
その声は低く、落ち着いていて、
不思議と胸にすっと染み込んだ。
「いえ……大丈夫です。
あなたは……?」
「エリオットと申します。
教会に身を置く者です」
深くは名乗らない。
けれど、距離を詰めすぎることもない。
その在り方に、理奈は少しだけ肩の力が抜けた。
「聖女殿ですよね。
お顔を拝見するのは、初めてですが……」
「……分かるの?」
「はい。
祈りの空気が、少し違いました」
そう言って、エリオットは困ったように微笑んだ。
「変な言い方ですね。
ただ……あなたがここにいると、
この場所が“正しく息をしている”気がする」
理奈は言葉を失った。
(……そんなふうに、言われたのは初めて)
国の希望。
女神に選ばれた存在。
聖女。
そう呼ばれることには慣れ始めていたけれど、
“場所が息をする”と言われたのは、初めてだった。
「……ありがとう」
自然と、そう答えていた。
エリオットは一瞬だけ目を細め、
そして、ゆっくりと理奈の前にひざまずいた。
「もし、祈りが重たくなったら。
ここに来てください。
言葉にしなくても、大丈夫です」
「……どうして、そんなことを?」
理奈が尋ねると、彼は少し考えてから答えた。
「あなたは、誰かを救おうとして傷つく人です。
そういう人は……一人で祈る癖がある」
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
(どうして、分かるの……?)
エリオットはそれ以上踏み込まず、立ち上がった。
「では、失礼します。
聖女殿に、静かな時間が戻りますように」
そう言って立ち去る背中を、
理奈はしばらく見つめていた。
――名を呼ばれなくても。
触れられなくても。
ただ“分かってもらえた”という感覚だけが、
胸の奥に温かく残っていた。
ロザリオを握る手に、ほんの少し力が入る。
(……また、会いたい)
その想いが、はっきりと形を持ったことに、
理奈はまだ気づいていなかった。




