第15話「導かれる影(沙良編)」
ロズベルク邸の玄関ホールは、朝の光に満ちていた。
黒い大理石の床に、淡い金色が反射して輝いている。
沙良は外套の留め具を指先で整えながら、胸元の黒薔薇のブローチに触れた。
(まだ……少し、熱い)
昨夜から続く微かな温もりは、誰かの感情の余韻のようだった。
胸の奥の痛みも、消えるどころかむしろ強くなっている。
「お嬢様、荷馬車の準備が整いました」
静かな声で告げたのはルシアンだった。
その瞳にはいつも通りの穏やかさがあり、沙良は少し肩の力を抜いた。
「ありがとう、ルシアン。……行きましょう」
扉の向こうからは、まだ朝の冷たい風が吹き込んでくる。
黒薔薇の花弁が揺れるたび、胸がチクリと痛む。
(こんな痛み……前の世界では、感じたことがなかったはずなのに)
馬車に乗り込むと、邸前に一人の青年が立っているのが見えた。
「……誰?」
濃い赤の騎士服。
整った顔立ちに、陽の光を弾く琥珀色の瞳。
堂々とした立ち姿は、一目で“王宮の騎士”だと分かった。
青年は丁寧に一礼した。
「ミレーヌ様。王太子殿下の近衛副隊長、アレク・ヴァルトシュタインと申します」
沙良はわずかに目を見開いた。
(アレク……!
攻略対象者の一人……リディアのメインルートの騎士……!)
アレクはまっすぐに沙良を見つめた。
「黒薔薇の動きが活発化していると聞き、
殿下より“あなたを保護せよ”との命を受け、馳せ参じました」
沙良は戸惑いを隠せなかった。
「……どうして、私を?」
「あなたが危険の中心にいる“可能性”があるからです」
その言葉に、ぞくりと背筋が震えた。
(ゲームでは……ミレーヌが黒薔薇に“引き寄せられる”設定があった……
でも今の私は……まだ“彼女”にはなっていない)
アレクは真剣な眼差しを向ける。
「危険な場所へ向かわれると聞きました。
この任務、どうか私にお任せを」
ルシアンがわずかに警戒する。
「ミレーヌ様には私が――」
「ルシアン」
沙良は振り返った。
「……同行を許すわ。
黒薔薇が絡むなら……いずれ彼とは、避けられない関係になるもの」
アレクの表情がわずかに和らぐ。
「光栄です、ミレーヌ様」
馬車が動き出す。
沙良は外を見つめながら、胸の奥に灯った不安を押さえた。
(……前の世界なら、この人はリディアの味方。
でも今は……私の隣にいる)
黒薔薇のブローチがかすかに光る。
その光に――
遠くの聖堂で祈る理奈のロザリオが、ふっと揺れて応じたことに、
沙良はまだ気づいていなかった。
(お姉ちゃん……
もし、本当にどこかで生きているなら……
今、なにを祈っているの……?)
胸の奥の痛みは、答えるように強くなった。
馬車は、黒薔薇と神託の真相が眠る“教会の北塔”へ向かって進んでいく――。




