第14話「揺れる祈りと、影の気配(理奈編)」
朝の冷たい光が、聖堂のステンドグラスを静かに満たしていた。
理奈は祭壇の前で、膝をついて祈りを捧げていた。
昨夜、北塔で感じた“声”の余韻がまだ胸に残っていた。
(……だれの……悲しみ……?)
理奈は、心臓の奥がじんと痛むのを感じていた。
涙がこみ上げそうになるほど、切ない感情だった。
祈りを終えたとき――
扉の向こうから足音が近づいてきた。
「聖女殿、失礼します」
静かな声。
振り向くと、そこにはディランと、もう一人の青年が立っていた。
青年は深い青の騎士服に身を包み、整った顔立ちに涼しい目をしている。
昨日出会った騎士――ルークだった。
「聖女殿。
本日は王城より、追加の護衛と調査要請が届いております」
ディランの言葉に、理奈は小さく頷いた。
「黒薔薇の動き……昨夜、塔で感じた何かと関係しているの?」
ルークが一歩前に出た。
「はい。
北塔だけではなく、王都の複数の場所で“影の揺らぎ”が観測されています」
理奈は眉を寄せる。
「影……」
(“影を恐れるな”って、ソフィア様が言っていた……
あれも、きっと関係してる……)
胸元のロザリオがそっと揺れる。
その振動が不思議と温かかった。
ディランが記録書を開いた。
「ところで聖女殿。
昨夜、塔で“涙のような痛み”を感じられたと……?」
理奈は少し驚いた顔をした。
「ええ……でも、あれは……私の感情じゃない気がしたの。
誰かが泣いているみたいで……
すごく……懐かしい痛みだったの」
ルークが鋭い視線で理奈を見つめた。
「聖女殿が誰かの感情を受け取るのは、神聖術では珍しいことではありません。
ですが……その“懐かしさ”が気になりますね」
「わたしも……そう思うわ」
理奈は胸の奥を押さえた。
(どうして……知らないはずなのに……
こんなにも“誰か”を思い出しそうになるの……?)
ほんの一瞬、黒髪の少女のシルエットが頭に浮かんだ。
すぐに霧のように消えてしまったが――
胸だけは、強く痛んだ。
ルークが静かに口を開いた。
「聖女殿。本日は王都東区の倉庫街へ向かいます。
黒薔薇の印を持つ者が、昨夜あの辺りに出没したとの報告があります」
理奈は目を見開いた。
「倉庫街……
昨日、わたしが治療した子どもたちの近くじゃない……?」
「ええ。
黒薔薇の動きは、聖女殿の行動圏と不自然なほど重なっている。
……誰かが、あなたを“追っている”可能性もあります」
理奈の喉が震えた。
(追ってる……?
じゃあ、あの涙の痛みは……誰……?)
ルークが前に出て、真っ直ぐに言う。
「聖女殿。
あなたは誰かの悲しみに心を触れた。
なら、その“誰か”も、あなたに触れようとしているのかもしれません」
理奈は息を呑んだ。
(誰か……
私が……知らない“だれか”……
でも……心が、こんなにも揺れるなんて……)
答えはまだ霧の奥にあった。
ルークが軽く礼をする。
「準備が整い次第、出発します。
どうか、無理だけはなさらずに」
ディランとルークが下がると、
理奈はひとり、祭壇の前に残された。
ロザリオを胸に抱きしめ、そっとつぶやく。
「どうか……
あなたが、今日も無事でありますように……」
自分でも、誰に向けた祈りなのか分からない。
ただ――
遠く離れた屋敷で同じ時刻、
沙良がロズベルク邸の窓辺で胸元の黒薔薇を握りしめていたことを、
理奈はまだ知らなかった。




