第12話「聖女の光、揺らぐ影(理奈編)」
夕刻の聖堂は、
七色の光が差し込む静かな時間に包まれていた。
理奈は祈りを終えると、
胸元のロザリオをそっと握った。
(……また、光った)
ほんの一瞬。
けれど確かに胸の奥で何かが呼応した。
(“誰か”が……泣いてるみたいだった)
理由は分からない。
名前も、顔も、思い出せない。
だけど、その涙だけは――
どうしようもなく胸を締めつける。
「聖女殿、こちらにいらしたのですね」
振り返ると、ディランが立っていた。
その後ろには、見慣れない青年の姿もある。
「紹介します。王城騎士団・第二隊長、ルーク殿です」
初めて見る青年――ルークは、
黒髪を短く束ね、鋭い灰色の瞳を持っていた。
紳士的に頭を下げる仕草の裏に、
どこか人を寄せつけない孤独さが見える。
「聖女殿。
王城より“黒薔薇の印を持つ者”の警備強化を命じられ、
しばらく聖堂にも詰めさせていただきます」
「……黒薔薇」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥がきゅっと痛んだ。
ルークが、理奈の変化を見逃さなかった。
「胸の痛み……また、ありましたか?」
「え……?」
「先日、南区を調査された時にも、
似たような症状があったと聞きました」
ディランが少し驚いた顔を向ける。
「……王城の情報網は、さすがですね」
「仕事柄、どうしても耳に入りますので」
ルークの声は落ち着いていたが、
その目は理奈の心の奥まで見透かすような鋭さを持っていた。
(この人……ただの騎士じゃない)
理奈は息を整える。
「黒薔薇が原因だとは思いません。
ただ……何か、懐かしい感覚がするだけで」
「懐かしい……ですか」
ルークはわずかに瞳を細めた。
「聖女殿が感じる“痛み”や“懐かしさ”は、
神託に関わる可能性があります。
もし同じ症状が続くなら、すぐに知らせてください」
「ええ……分かったわ」
それだけ言うと、ルークは静かに下がった。
彼の影が廊下に溶けていく。
その姿を見送り、理奈は胸を押さえた。
(心が……落ち着かない)
* * *
聖堂の外へ出ると、
夕暮れの風が石畳を通り抜けていく。
空には淡い金色が広がり、
どこか懐かしい匂いが混じっていた。
(……おね……ちゃ……)
また、あの声。
耳ではなく――
胸の奥、“魂の底”で響いた。
(誰……? 誰なの……?)
涙が出そうになるほど切ない。
どうしてこんなに苦しいのか分からない。
「光が揺らいでいるわね、聖女様」
突然、背後から声がして理奈は振り向いた。
そこに立っていたのは――
聖堂の最長老・ソフィア司祭。
白い髪に金の刺繍の法衣をまとい、
まるで光そのもののような存在感を放っている。
「ソフィア様……?」
「胸の痛み。
それは“光が影を求める時”に起こる現象です」
「光が……影を……?」
ソフィア司祭は優しく微笑んだ。
「あなたはまだ気づいていないのですね。
黒薔薇の影は、聖の光にとって――
決して“敵”ではありませんよ」
理奈は息を呑む。
「どういう……意味ですか……?」
「いずれ、あなた自身が気づくでしょう。
光と影。
それは本来ひとつのもの――
二つに割れた“魂”のようにね」
(魂……?
二つに……割れた……?)
朝、王太子が言った言葉。
黒薔薇の印。
胸の痛み。
あの声。
全部がひとつの線に繋がる気がした。
「……私……何か、大切なものを忘れているのでしょうか」
ソフィア司祭は答えず、
静かに空を見上げた。
「まもなく、“影”の揺らぎが強くなります。
聖女リディア、どうか――」
風が司祭の白髪を揺らした。
「“影を恐れずに”」
その言葉が胸に落ちた瞬間――
理奈のロザリオがふっと光った。
同じ時刻。
遠く離れたロズベルク邸でも、
ミレーヌの黒薔薇ブローチが、まったく同じ光を灯した。
二つの光が交わることは、まだない。
けれど確かに――
互いを探し始めていた。




