第9話「二つの魂の揺らぎ(沙良編)」
朝の光が、ロズベルク邸のカーテン越しに差し込んでいた。
ミレーヌはベッドの上でゆっくりと目を開ける。
胸の奥で、何かがざわりと震えた。
「……また、あの夢」
夜の塔。
光の中で祈る女性の姿。
顔は見えず、声も聞こえない。
けれど――
その人の流す涙だけが、はっきりと胸に突き刺さってくる。
(どうして……あんな見知らぬ人の涙に、こんな気持ちになるの?)
ゲームの知識を持つ自分が、
“聖女リディアは主人公”だと理解しているはずなのに――
それ以上の“懐かしさ”が胸を締めつける。
「リディア……」
名を口にした瞬間、胸の奥がジリ、と熱を帯びた。
――ただのゲームの登場人物のはずなのに。
(……まるで、昔どこかで会ったことがあるみたい)
目を伏せると、遠い記憶の底で、
幼い自分が誰かの手を握っている“光景”が揺らめいた。
だけど、その“誰か”の顔は霧の中。
思い出そうとするほど、胸が痛くなる。
* * *
ノックの音が響き、ルシアンの声がした。
「お嬢様、朝のご支度を」
「ええ、入って」
ルシアンがトレイを置き、淡い紅茶の香りが広がる。
「昨夜、教会の古文書庫から新たな記録が見つかりました。
“黒薔薇の印は、魂を繋ぐ導き”――そう記されています」
「魂……を繋ぐ?」
紅茶のカップを置きながら、ミレーヌは眉を寄せた。
「はい。古代の文献では、黒薔薇は
“二つに割れた魂を再び結ぶために咲く花”だと」
その言葉が胸の奥に刺さった。
(……二つに割れた魂)
心臓が、ひどく静かに――けれど確かに、跳ねた。
何か大事なものを呼び起こそうとしているような感覚。
でも、その“何か”がわからない。
「もしそれが本当なら……この印は呪いじゃないのね」
「むしろ“導き”かもしれません」
ルシアンは穏やかに答える。
ミレーヌは窓の外を見つめた。
朝の風が黒髪をそっと揺らす。
「ねぇ、ルシアン……
わたし、この印が導く“相手”を探してみたいの」
「お嬢様……それは危険です。
聖女派は“黒薔薇の巫女”を追っています」
「分かってる。でも――」
ミレーヌは胸元の黒薔薇のブローチを握った。
「どうしてか分からないけれど、
“誰か”がわたしを呼んでいる気がするの。
会ったことがあるようで……
でも、思い出せない人」
ルシアンの瞳がわずかに揺れた。
「お嬢様は……誰かの涙を放っておけない方ですから」
「そうかしら?」
「ええ。今、あなた自身がそう言っていました」
ミレーヌは小さく笑ったが――
胸の鼓動は、なぜか落ち着かなかった。
(誰……?
どうしてこんなに、胸が熱いの……?)
その瞬間――
教会の鐘が遠くで鳴り響いた。
ビィィィン……と震えるような音。
ミレーヌは思わず胸元を押さえた。
同時に、黒薔薇のブローチが淡く光る。
「……今、何が――」
光は一瞬で消えた。
だが、胸の奥に残った温もりは
“誰かが泣いている”ような、
“誰かが呼んでいる”ような、そんな切なさだった。
「……あなたは、誰なの?」
ミレーヌの呟きは、朝の風に溶けた。
その同じ瞬間、
遠く離れた聖堂で祈る理奈の胸のロザリオも
まったく同じ光を放っていたことを――
ミレーヌはまだ知らない。




