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第6話 間の色

――同期が、ほとんどいなくなった。


 気づけば、同じ年の顔は一人、また一人と消えていった。

 転職、異動、結婚。理由はいろいろだが、結果として残ったのは自分ひとり。

 最初はただ寂しいくらいだったのに、気づけば嫌な考えが頭をよぎるようになった。


 ――周りの人がもっと助けていれば。

 ――力になれなくても、話だけでも聞いていれば。


 あのとき声をかけていれば、同期の誰かは今も隣にいたかもしれない。

 そんな“もしも”を何度も繰り返して、気づけばもう三年が経っていた。


 だから、自分の後輩には――せめて、そんな思いをさせたくなかった。

 「もうやめたい」と思わせないように、せめて少しでも気持ちが軽くなるように。

 それが、今の俺の中で一番大事なことになっていた。


 そんな時、命じられたのが水越さんの教育係だった。


 真面目で、仕事を覚えるのが早くて、でもちょっと頑張りすぎる。

 そして優秀。

 けれど、誰かに頼るのが苦手で、ミスを引きずりがちで――

 “優秀なところ以外”は、まるで昔の自分を見ているようだった。


 だからつい、放っておけなかった。

 けれど、あまり気にかけすぎると良くない。

 上司と部下でも、男と女でも、距離の取り方を間違えれば関係は壊れる。


 好意だなんて、そんなものは、無意識のうちに膨らんでしまうから。


 俺はただ――後輩を支えたいだけだ。

 水越さんが笑って働けるように。それだけでいい。


 そう、思っていた。

 ……少なくとも、そう“言い聞かせていた”。



 午後の休憩。

 喫煙所のドアを押すと、薄い煙の向こうで岡島さんがライターを鳴らしていた。

 少し年上の先輩で、俺が新人のころからずっと世話になっている人だ。


「おつかれ、野宮。午前、書類整理もやったんだろ? 大変だったんじゃないの」


「いやぁ、まあまあっすね。水越さんが一緒だったんで助かりました」


「へぇ、あの子、頑張ってるな。覚えるの早いだろ」


「そうなんですよ。真面目すぎて、ちょっと頑張りすぎなとこあるんすけどね」


 岡島さんが小さく笑って、煙を吐く。

 喫煙所の外は、秋の光で少し白んでいた。

 曇りでもなく、晴れでもない曖昧な空。どこか仕事帰りの夕方みたいな色をしている。


「真面目な子ほど、見てて心配になるんだよな」


「っすね。……あ、昨日の新曲、聞きました?」


「ああ、あれな。結構刺さったわ。やっぱり高音がいいよな、高音が」


「そうなんすよね。あんな高音出せたら楽しそうなんですけど、無理っすね」


「はは、確かに。あと漫画の更新、今日じゃなかったか?」


「あ、昼に読みました。あの展開は反則ですよね……」


「わかる。あの作者ほんと容赦ない」


 そんな他愛もない話をしていると、仕事の疲れが少し和らいでいく。

 岡島さんは、昔からこういう“空気の抜き方”を知っている人だった。

 煙の香りと笑い声が、ゆっくりと遠くへ溶けていく。


「野宮、お前さ」


「はい?」


「水越のこと、よく見てるよな」


「……まあ、後輩っすから」


 そう答えながら、自分の中の微かな違和感に気づく。

 言葉は本音のはずなのに、どこかに小さな嘘が混ざっていた。


「同期、ほとんど辞めたんだろ。そりゃ気にかけるのも分かるよ」


「そうっすね。……なんか、あの子、見てると放っとけないんすよね」


「お前らしいよ。いいことだと思う」


「ちょっと仲良し過ぎるかもですけどね」


 岡島さんはそう言って、軽く笑った。

 その穏やかさに救われるような気がして、俺もつられて笑った。

 会話が途切れても、気まずくならない――そんな関係。

 煙草の煙が漂っていく音まで、なんとなく心地よかった。



 ふと、喫煙所の窓の外に視線をやる。

 ちょうど廊下を通りかかった水越さんが、こちらに顔を向けた気がした。

 けれど、すぐに目を逸らすように歩いていった。


 ……なんか変な顔してたな。

 疲れてんのかな、それとも――。


「どうかした?」


「いえ、なんでもないです。そろそろ戻ります?」


「ああ、そうだな。午後も頑張るか」


 岡島さんが吸い終わったタバコを灰皿に落とす。

 灰が静かに崩れて、煙が細く途切れる。

 空気が少し澄んで、喫煙所の時間が現実に戻っていく。


 俺たちはほぼ同時にドアを押して、静かな廊下に戻った。

 その背後で、まだ煙のにおいだけがかすかに残っていた。



 デスクに戻る途中、ガラスに映る自分の顔を見て、少しだけ思う。


 ――“気にしてる”って言葉、案外いろんな意味を含んでるな。


 俺が守りたいと思ってるこの距離感。

 でも、水越さんがふと見せる笑顔を見ると、その線が少し曖昧になる。

 ただ、その瞬間に“これは勘違いだ”と警鐘が鳴る。


 そのくせ、心のどこかで、もう少し話したいとも思っている。


(困ったな……)


 机に戻り、パソコンの画面を開く。

 さっきまでの会話が、まだ心のどこかで響いている。

 タスクの一覧を眺めながら、集中しようとしても、どうしてもふとした瞬間に思い出してしまう。


 水越さんの、困った顔。

 あの笑ったときの声。

 そして――さっき、目が合った気がしたあの一瞬。


 それら全部を“ただの上司としての関心”に押し込めようとするたび、胸の奥が静かに熱くなる。


 それでも、俺はキーボードを叩きながら、自分に言い聞かせた。


 ――これはただの「後輩を気にかける」ってこと。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 けれど、窓の外で揺れるオレンジの光が、

 どうしても少しだけ、温かく見えてしまった。


今回は野宮視点の回でした。

普段ふわっとして見える彼の中に、こんな静かな想いがあったらいいな、と思いながら書きました。


1話の冒頭も少し改稿して、物語の「はじまり」をより自然に見せています。

よかったら読み返してもらえると嬉しいです。


次回は水越視点。

すれ違う想いと、“あの午後”の答えが少し見えてきます。


感想・ブクマ・いいねがすごく励みになります。

続きを書く力になるので、もし少しでも心に残ったら、反応もらえると嬉しいです。

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