第6話 間の色
――同期が、ほとんどいなくなった。
気づけば、同じ年の顔は一人、また一人と消えていった。
転職、異動、結婚。理由はいろいろだが、結果として残ったのは自分ひとり。
最初はただ寂しいくらいだったのに、気づけば嫌な考えが頭をよぎるようになった。
――周りの人がもっと助けていれば。
――力になれなくても、話だけでも聞いていれば。
あのとき声をかけていれば、同期の誰かは今も隣にいたかもしれない。
そんな“もしも”を何度も繰り返して、気づけばもう三年が経っていた。
だから、自分の後輩には――せめて、そんな思いをさせたくなかった。
「もうやめたい」と思わせないように、せめて少しでも気持ちが軽くなるように。
それが、今の俺の中で一番大事なことになっていた。
そんな時、命じられたのが水越さんの教育係だった。
真面目で、仕事を覚えるのが早くて、でもちょっと頑張りすぎる。
そして優秀。
けれど、誰かに頼るのが苦手で、ミスを引きずりがちで――
“優秀なところ以外”は、まるで昔の自分を見ているようだった。
だからつい、放っておけなかった。
けれど、あまり気にかけすぎると良くない。
上司と部下でも、男と女でも、距離の取り方を間違えれば関係は壊れる。
好意だなんて、そんなものは、無意識のうちに膨らんでしまうから。
俺はただ――後輩を支えたいだけだ。
水越さんが笑って働けるように。それだけでいい。
そう、思っていた。
……少なくとも、そう“言い聞かせていた”。
◇
午後の休憩。
喫煙所のドアを押すと、薄い煙の向こうで岡島さんがライターを鳴らしていた。
少し年上の先輩で、俺が新人のころからずっと世話になっている人だ。
「おつかれ、野宮。午前、書類整理もやったんだろ? 大変だったんじゃないの」
「いやぁ、まあまあっすね。水越さんが一緒だったんで助かりました」
「へぇ、あの子、頑張ってるな。覚えるの早いだろ」
「そうなんですよ。真面目すぎて、ちょっと頑張りすぎなとこあるんすけどね」
岡島さんが小さく笑って、煙を吐く。
喫煙所の外は、秋の光で少し白んでいた。
曇りでもなく、晴れでもない曖昧な空。どこか仕事帰りの夕方みたいな色をしている。
「真面目な子ほど、見てて心配になるんだよな」
「っすね。……あ、昨日の新曲、聞きました?」
「ああ、あれな。結構刺さったわ。やっぱり高音がいいよな、高音が」
「そうなんすよね。あんな高音出せたら楽しそうなんですけど、無理っすね」
「はは、確かに。あと漫画の更新、今日じゃなかったか?」
「あ、昼に読みました。あの展開は反則ですよね……」
「わかる。あの作者ほんと容赦ない」
そんな他愛もない話をしていると、仕事の疲れが少し和らいでいく。
岡島さんは、昔からこういう“空気の抜き方”を知っている人だった。
煙の香りと笑い声が、ゆっくりと遠くへ溶けていく。
「野宮、お前さ」
「はい?」
「水越のこと、よく見てるよな」
「……まあ、後輩っすから」
そう答えながら、自分の中の微かな違和感に気づく。
言葉は本音のはずなのに、どこかに小さな嘘が混ざっていた。
「同期、ほとんど辞めたんだろ。そりゃ気にかけるのも分かるよ」
「そうっすね。……なんか、あの子、見てると放っとけないんすよね」
「お前らしいよ。いいことだと思う」
「ちょっと仲良し過ぎるかもですけどね」
岡島さんはそう言って、軽く笑った。
その穏やかさに救われるような気がして、俺もつられて笑った。
会話が途切れても、気まずくならない――そんな関係。
煙草の煙が漂っていく音まで、なんとなく心地よかった。
◇
ふと、喫煙所の窓の外に視線をやる。
ちょうど廊下を通りかかった水越さんが、こちらに顔を向けた気がした。
けれど、すぐに目を逸らすように歩いていった。
……なんか変な顔してたな。
疲れてんのかな、それとも――。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです。そろそろ戻ります?」
「ああ、そうだな。午後も頑張るか」
岡島さんが吸い終わったタバコを灰皿に落とす。
灰が静かに崩れて、煙が細く途切れる。
空気が少し澄んで、喫煙所の時間が現実に戻っていく。
俺たちはほぼ同時にドアを押して、静かな廊下に戻った。
その背後で、まだ煙のにおいだけがかすかに残っていた。
◇
デスクに戻る途中、ガラスに映る自分の顔を見て、少しだけ思う。
――“気にしてる”って言葉、案外いろんな意味を含んでるな。
俺が守りたいと思ってるこの距離感。
でも、水越さんがふと見せる笑顔を見ると、その線が少し曖昧になる。
ただ、その瞬間に“これは勘違いだ”と警鐘が鳴る。
そのくせ、心のどこかで、もう少し話したいとも思っている。
(困ったな……)
机に戻り、パソコンの画面を開く。
さっきまでの会話が、まだ心のどこかで響いている。
タスクの一覧を眺めながら、集中しようとしても、どうしてもふとした瞬間に思い出してしまう。
水越さんの、困った顔。
あの笑ったときの声。
そして――さっき、目が合った気がしたあの一瞬。
それら全部を“ただの上司としての関心”に押し込めようとするたび、胸の奥が静かに熱くなる。
それでも、俺はキーボードを叩きながら、自分に言い聞かせた。
――これはただの「後輩を気にかける」ってこと。
それ以上でも、それ以下でもない。
けれど、窓の外で揺れるオレンジの光が、
どうしても少しだけ、温かく見えてしまった。
今回は野宮視点の回でした。
普段ふわっとして見える彼の中に、こんな静かな想いがあったらいいな、と思いながら書きました。
1話の冒頭も少し改稿して、物語の「はじまり」をより自然に見せています。
よかったら読み返してもらえると嬉しいです。
次回は水越視点。
すれ違う想いと、“あの午後”の答えが少し見えてきます。
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