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第5話 その人の一番

 私が部署内で一番仲がいいのは野宮先輩。

 ――けれど、先輩にとっての“一番”は、私じゃない。


 本当に先輩のそばにいるのは、別の人だ。

 その名前を、私はもう知っている。


 岡島さん。二十九歳。

 黒髪で爽やか、仕事は早くて正確、誰にでも穏やかで、後輩からも頼られる万能な先輩。

 いわゆる「完璧な人」ってこういう人のことを言うんだと思う。


 困った顔をした後輩が相談すると、必ず「仕方ないなー」と言って、あっという間に片づけてしまう。

 そんな岡島さんこそが――野宮先輩の一番仲のいい人。


(私だって、部署の中では先輩と一番話してるのに)

(でも、先輩が“頼る”のはいつも岡島さんなんだよなあ……)


 そう思うたびに、胸の奥に小さな棘が刺さる。



 午前の仕事。

 古い書類を整理して段ボールに詰める作業を任されて、私は野宮先輩と並んで机に向かっていた。


「えーっと、これ……保存? いや、古紙?」

「たぶん古紙ですけど……でも、上の人によっては保管しといてって言うかもです」


 私が首をかしげると、野宮先輩も同じようにかしげる。

 そのタイミングまで一緒なのが、なんだか可笑しくて、思わず笑いそうになった――その瞬間。


「岡島さーん!」


 やっぱり。

 困ったときの野宮先輩の口から真っ先に出る名前は、私じゃなくて岡島さんだ。


「ん? どうした」

「これ、廃棄で大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。年度またいでないから古紙で出して」


 即答。しかも私の手元まで見て、丁寧に説明してくれる。


「水越さん、それは回収業者のほうね。段ボールにまとめればいいよ」

「あ、ありがとうございます」


 穏やかに教えてくれる岡島さん。

 その横で「さすがー!」と笑う野宮先輩。


 二人のやり取りは自然で、テンポもいい。

 まるで何年もコンビを組んできたみたいで、口を挟む隙もない。


(……仲良すぎるでしょ、この二人)


 息が合うって、こういうことを言うんだろうなと思った。



 昼休み。

 窓の外に目をやると、喫煙所に並ぶ二人の姿が見えた。


 タバコを吸う岡島さんの隣に、吸わない野宮先輩が当然のように立っている。

 肩を並べて、笑いながら何かを話していた。


(なんでわざわざ一緒に……? 吸わないなら休憩室にいればいいのに)

(ていうか……身長差、カップルみたいだな……)


 そう思った瞬間、ふと頭に浮かんだ。


(……まさか、そういう? いやいやいやいや! ないでしょ!?)


 でも、最近は同性カップルも珍しくないって聞くし――

 二人の距離感、ちょっと近いし――


(……え、まさか……?)


 気づいたら、トレーの上の味噌汁を見つめながら、頭の中で“もしも”を組み立てていた。

 けれど、妄想って怖い。気づくと、もう止まらない。


(いやでも……野宮先輩、なんか岡島さんの話してる時ちょっと声のトーン違うし……)

(あれ、やっぱり……そういう……?)


 煙の向こうで笑い合う二人を見ていたら、顔が熱くなった。

 完全に自分で勝手に想像して、自爆。



 午後の業務。

 書類の束を抱えて廊下を歩いていると、背後から足音が近づいた。


「水越さん、それ重くない? 俺も持つよ」


 声の主は、やっぱり野宮先輩だった。

 少し息を切らせながら、私の手元を覗き込む。


「あ、大丈夫です。これくらいなら」

「いやいや、二人でやった方が早いって」


 そう言うやいなや、ひょいと半分を奪い取ってしまう。

 先輩の指が一瞬、私の指先に触れた。

 その温かさに、思わず息が詰まる。


「……すみません、ありがとうございます」

「ううん、こういうのは分担だよ。俺ひとりで持つとバランス悪いし」


 冗談めかして笑うその横顔は、いつも通り優しくて。

 私が気を遣っても、さりげなく“同じ立場”にしてくれる。


(……ほんと、こういうところずるい)


 軽々と段ボールを抱える姿を見ていると、つい口元が緩む。

 その瞬間だけは――「先輩の一番近くにいるのは私だ」と思える。


 けれど。

 誰かに助けを求めるとき、先輩が最初に呼ぶのは、やっぱり岡島さんで。

 迷ったときに相談するのも、困ったときに頼るのも、いつもあの人。


 そのたびに、胸の奥が少しだけざわつく。


(私のことも、もっと頼ってほしいのに)

(“一緒にやった方が早い”って、もっとたくさん言ってほしい……)


 小さくそんなことを思いながら、先輩と並んで廊下を歩く。

 足音が重なって響くたびに、心の奥が少し温かくなるのを感じた。


 ――その温度が、夕方まで続けばいいのに。



 段ボールをすべてまとめ終えたころ、窓の外の光はすっかり柔らかくなっていた。

 蛍光灯の明かりと夕焼けが混ざるオフィスで、野宮先輩が小さく伸びをする。


「おつかれー、水越さん。今日は頑張ったね」

「……ありがとうございます」


 その一言だけで、不思議と胸のざわめきが溶けていく。

 手の甲についた紙の粉を指で払う仕草さえ、なぜか丁寧に見えて。


「岡島さんも手伝ってくれたから、だいぶ早く終わったね」

「……そうですね」


 名前を聞いただけで、少しだけ胸がちくりとした。

 でも、先輩が笑っている顔を見ると、その痛みもどこか甘くなる。


 きっと、私はこの人の隣が好きだ。

 困ったときに呼ばれなくても、誰かの“一番”じゃなくても。


 ――それでも、少しでも近くにいたい。


 そんな小さな願いが、今日も心の奥にそっと積み重なっていった。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

今回は“嫉妬と温度”の回でした。

野宮先輩の「一番」が誰かを知りつつも、それでも近くにいたい水越さん。

静かで、少し切ない距離感を描きました。

感想や評価など是非いただけますと励みになりますのでよろしくお願いします

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