第4話 温かい手
評価いただきありがとうございます。
今回は古紙整理のお話です。二人のやりとりを楽しんでいただけたら嬉しいです。
月曜の午後。
書類の山を片付けていると、背後から声をかけられた。
「水越さん、ごめん。ちょっと頼んでいいかな」
振り返ると、総務の作ノ内先輩が大きな段ボール箱を抱えて立っていた。
眼鏡の奥でいつも穏やかに笑っている人だが、両腕に詰め込まれた書類の束がかなり重そうで、少し顔が引きつっている。
「これ、古紙回収に出さないといけなくて。二人くらいで持っていけると助かるんだけど……手伝ってもらえる?」
「はい、大丈夫です!」
即答した瞬間――横からひょいと顔を出す人がいた。
「作ノ内さん、それ俺も手伝いますよー」
「野宮くん? あら、助かるわ。じゃあ水越さんと二人でお願いできる?」
にこやかに段ボールを差し出す作ノ内先輩。
私は慌てて姿勢を正し、横に立った野宮先輩に一瞬だけ視線を向ける。
「……じゃあ、水越さん。一緒にいこっか」
気安い口調でそう言われて、思わず胸の奥が熱くなる。
どうしてだろう。こういうちょっとしたときに隣に立たれると、心臓がやけに落ち着かなくなる。
◇
古紙回収の場所は、ビルの地下にあるストックヤード。
私たちは二人で段ボールを抱え、エレベーターに乗り込んだ。
重みで腕にじんと負荷がかかる。思った以上に詰まっていて、肩にまで響くようだ。
「大丈夫? 無理してない?」
すぐ隣で野宮先輩が声をかけてくる。
段ボール越しに、気遣う視線を感じて、私は慌てて首を振った。
「だ、大丈夫です。……思ったより重いですけど」
「だよねー。俺も持ってるけど、けっこうずっしりくるなあ」
そう言いつつ、先輩は少し体をこちらに傾け、段ボールの下部を支えるように手を添えてきた。
ふいに近づく距離。肩が触れそうになって、息が詰まる。
「……っ」
(近い……)
狭いエレベーターの中で、ただでさえ距離がない。
先輩の横顔がこんなにも近いと、どこを見ていいかわからなくなる。
チン、と音がしてドアが開いた。
私は慌てて視線を逸らしながら、先輩と一緒に荷物を運び出した。
◇
地下のストックヤードには、すでに他部署の人が何人かいて、古紙をまとめていた。
ホチキスを外したり、バラけないように紐で縛ったり――単純だけれど意外と手間のかかる作業だ。
「じゃあ、これ俺が縛るから、水越さんはホチキス外してもらえる?」
「はい!」
金属のカチリという音を響かせながら、私は一枚一枚、丁寧にホチキスを外していく。
その横で、野宮先輩は器用に紙束をまとめて紐で縛っていた。
指先の動きは思った以上にしっかりしていて、見ていると不思議と安心する。
「こういうの、慣れてますね」
「え、そう? 俺けっこう不器用だよ?」
「でも、すごくきれいにまとまってます」
「おお……それは初めて言われたかも」
嬉しそうに笑う先輩につられて、私の口元も緩んでしまった。
◇
それからしばらく作業を続け、最後の書類束を運ぼうとしたとき。
私の腕から紙が滑り落ちかけ、反射的に先輩と同時に手を伸ばした。
重なったのは、紙ではなく互いの手。
その瞬間、私は思わず目を見開いた。
「……あったかいですね、先輩の手」
口に出したつもりはなかったのに、声が漏れていた。
触れた掌から、じんわりと伝わる熱。冬でもないのに、不思議なほど温かい。
「っ……バレましたか」
先輩は一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから気恥ずかしそうに笑った。
そして、ちょっとした秘密を打ち明けるように声を落とす。
「実は俺、いつも手だけ熱いんだよね。冬でも手袋いらないくらい。なんでだろうね、代謝がいいのかな」
「そうなんですか……」
「うん。だから手握られると、“カイロみたい”ってよく言われるよ」
照れくさそうに肩をすくめる先輩。
その仕草に、思わず胸の奥がくすぐったくなった。
(カイロみたい、か……)
確かに。
温かさが、ただ体温以上に、安心感まで伝えてくるような気がした。
◇
「よし、終わったね」
作業を片付け、ストックヤードを出るころには、二人とも額にうっすら汗をにじませていた。
それでも不思議と心地よい疲れだ。
「助かったよ、水越さん。俺一人だったら倍かかってたなあ」
「そんなことないですよ。……私も手伝えてよかったです」
「ん、ありがと」
エレベーターに乗り込むと、今度は静かな沈黙が流れた。
隣に立つ先輩の存在がやけに近く感じられて、心臓の鼓動ばかりが大きくなる。
(……さっきの、なんで言っちゃったんだろう)
「温かいですね」なんて。
あれじゃ、まるで――。
「ん?」
先輩が覗き込むようにこちらを見てきて、慌てて顔をそらした。
「い、いえ! なんでもないです!」
耳まで熱くなっている気がして、視線を床に落としたまま。
エレベーターの数字がやけにゆっくり変わっていくのを、じっと見つめていた。
◇
フロアに戻ると、作ノ内先輩がこちらに気づいて声をかけてきた。
「二人ともありがとう。ずいぶん早かったね」
「いえいえ、水越さんがテキパキしてくれたんで助かりました」
「そうそう、野宮くん一人じゃ怪しかったからね」
「ひどいなあ」
軽口を交わす二人を横目に、私は胸の奥を手で押さえた。
鼓動がまだ落ち着かない。
机に戻ると、引き出しを開けて仕事の続きを始めた。
でも、ペンを握る手が少し震えている。
(……温かかったな、先輩の手)
ただそれだけのことなのに。
まるで秘密をひとつ共有したみたいで、胸の中にじんわりと残っていた。
◇
定時を過ぎ、片付けをしていたとき。
ふと隣から、小さく包みを差し出された。
「はい。今日のお疲れさまチョコ」
「えっ……」
受け取ったのは、小さな袋に入った一口チョコレート。
またいつものように、先輩が買っておいてくれたらしい。
「……ありがとうございます」
「うん。あ、溶けてなかった? 俺、手が温かいからポケットに入れてると、たまにチョコがやばいんだよね」
「ふふっ……大丈夫でした」
笑って返しながら、胸の奥がまた熱くなる。
ほんの数時間前に触れた、その温かさを思い出してしまって。
(……どうしよう)
ただ「優しい先輩」だと思っていたはずなのに。
その温かさに触れるたび、私の中の気持ちは少しずつ形を変えていく。
机に置いたチョコを見つめながら、私は小さく呟いた。
「ほんと……しょうがない人だなあ」
誰にも聞こえない声で。
でも、その言葉の奥には、少しずつ膨らみ始めた想いが確かに滲んでいた。
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