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第13話 焼肉の夜、募るあいらぶゆー?

 展示会が終わってから、一週間。

 社内はもう次の案件の準備に追われていて、私も日々の雑務に追いつくのが精一杯だった。

 ――でも、どこかまだ、あの展示会の日の余韻が胸の奥に残っている。

 あの緊張感、そして隣にいた野宮先輩の声。

 その全部が、少しだけ恋しくて。


「……っと、水越さん。ここの数字、もう一回確認してもらっていい?」


「あ、はい。すぐ見ます」


 先輩のデスクから声が飛んできた。

 午前中から、なんだか落ち着かないような様子だった。

 集中しているようで、時々こっちを見ては何か言いたそうに口を開いて――でも、結局なにも言わずに閉じる。

 その繰り返し。


(なんだろう、仕事の話……かな?)


 心の中で首をかしげながらも、私はエクセルの数字を追う。

 手を止めるたびに聞こえてくるのは、キーボードを叩くリズム。

 けれど、どこかいつもよりゆっくりだった。


 昼休み、先輩は弁当を広げながらも妙にそわそわしていた。

 他愛ない話題を振っても反応がワンテンポ遅い。

 そんな姿を見ていると、逆に私が落ち着かなくなる。


「先輩、今日……なんか、変じゃないですか?」


「え、そう? 普通だよ?」


「いや、なんかこう……言いたいことあるのに言わない顔してるというか」


「う……バレてるなぁ」


 少し照れたように笑って、箸を止めた。

 そして、視線を落としながらぽつりと呟く。


「……いや、今日の夕方さ、ちょっと時間ある?」


「え、あ、はい。特に用事はないですけど」


「じゃあ、もしよかったら――焼肉、行かない?」


「……焼肉?」


「うん。展示会お疲れ、ってことで。前に言ってたろ、“終わったら焼肉行きましょう”って」


 その言葉に、胸の奥がふっと温かくなった。

 そうだ。展示会の帰り道、あの夜風の中で笑いながら言った。

 「終わったら焼肉行きましょう」って。


「……覚えてたんですね」


「忘れるわけないでしょ。けっこう楽しみにしてたんだよ?」


 そう言って笑うその顔が、昼の光を受けて少し眩しかった。



 定時を過ぎ、二人で会社を出る。

 外はまだほんのり蒸し暑くて、街のネオンが滲むように光っていた。

 展示会の慌ただしさが過ぎ去ったせいか、心がふっと軽い。

 けれど、先輩と並んで歩くこの時間だけは、少しだけ緊張する。


「焼肉って、どこ行くんですか?」


「会社の近くに、前から気になってた店があるんだ。評判いいらしい」


「へぇ、先輩がそういう情報持ってるの意外です」


「それ、どういう意味?」


「ふふ、褒めてますよ。意外とグルメなんだなって」


「“意外と”が余計だなぁ」


 軽口を交わしながら、信号を渡る。

 赤から青に変わる瞬間、街の明かりが二人の影を一瞬だけ重ねた。


「……ほんと、やっと終わったね。展示会」


「はい。大変だったけど、なんかあっという間でしたね」


「水越さん、ほんとよく頑張ったよ。正直、助けられっぱなしだった」


「そんなこと……」


「いや、ほんと。資料の件とかも、俺の確認ミスなのに気にしてくれてさ」


「チームでやってることですから」


「うん。でも、ありがとう」


 まっすぐ言われて、うまく返せなかった。

 その言葉だけで、報われた気がした。



 店の暖簾をくぐると、香ばしい煙と甘いタレの匂いが鼻をくすぐる。

 金曜の夜の焼肉屋はにぎやかで、どこか“生きてる”感じがする。

 テーブル席に通されると、鉄板の向こうから肉が焼ける音が聞こえてきた。


「ここ、すごくいい匂いしますね」


「でしょ? 営業部の人が“間違いない”って言ってた」


 メニューを開くと、写真の肉がやたら美味しそうで、どれにするか迷ってしまう。


「タン塩は絶対いきたいですよね」


「うん、それは外せない。あと、ハラミとカルビと……」


「ロースも良くないですか?」


「いいね。じゃあそれで。サンチュとナムル盛りもいこう」


「あと……冷麺も」


「食べる気満々だね、水越さん」


「だって、お腹すきましたもん」


 笑い合う声が、じゅうじゅうという鉄板の音に混ざった。

 いつもの職場とは違う空気。

 それが、妙に心地よかった。



「飲み物どうする? ビールいっとく?」


「私はウーロン茶で……でも乾杯くらいなら一口だけ」


「了解。じゃあ、生とウーロンで」


 店員に注文を伝えると、すぐにグラスが運ばれてくる。

 ビールの泡が静かに立ち上り、氷がグラスの中でカランと鳴る。

 ふたりでそっとグラスを持ち上げた。


「展示会、お疲れさまでした」


「お疲れさまでした、先輩」


 グラスが軽く触れ合う音が、心の奥で静かに響いた。

 ――仕事の打ち上げのはずなのに。

 どうしてだろう、胸の高鳴りが、さっきから止まらない。

 店の中は、夜のにぎわいで少しざわついていた。

 炭の匂いと、肉が焼ける音。

 会社帰りのスーツ姿の人たちが多くて、私と野宮先輩も、その中のひと組にすぎなかった。


「空いててよかったですね」

「うん。駅前なのに、意外と穴場だったな」


 テーブル席に腰を下ろすと、店員さんがメニューを差し出してくれた。

 光沢のある紙の上に並ぶ、見慣れない部位の名前たち。

 私は目を泳がせながら、先輩の顔をちらりと見る。


「先輩、よく来るんですか? こういうお店」

「たまに。同期と。……でも水越さんと行くのは初だね」

「そりゃそうですよ」

 笑いながら言ったのに、胸の奥が少しだけ熱くなった。


 メニューをめくりながら、先輩が言う。

「とりあえず、タンとカルビは外せないな。あと……ホルモンいける?」

「食べますよ。意外と好きです」

「お、いいね。じゃあ頼もうか」


 呼び鈴を押して注文を済ませる。

 水が運ばれてきて、グラス越しに光がゆらいだ。



「……あの、先輩」

「ん?」

「今日、朝から何か言いたそうでしたよね。ずっと」

 そう言うと、野宮先輩は少しだけ目を丸くした。

 それから、肩をすくめて笑った。


「バレてた?」

「バレます。何回か呼びかけようとして、やめてましたよね」

「いやー……その。タイミング見計らってたというか」

「なにそれ、告白でもするんですか」

「違う違う。そんな緊張感あるやつじゃない」


 笑いながらも、ほんの少しだけ頬が赤い。

 炭火の熱のせいか、それとも――。


 そのとき、店員が肉を持ってきた。

 鉄板の上に置かれるタンとカルビ。

 油が跳ねて、香ばしい音がした。


「わ、もういい匂い……!」

「焼くの任せていい?」

「いえ、私も焼きます」

「いや、水越さんは食べてていいよ。こういうの、焼く係やりたくなるタイプだから」


 トングを手にした野宮先輩の横顔は、いつもより穏やかだった。

 肉を丁寧に裏返しながら、少し照れくさそうに言う。


「ほんとはさ。今週終わったら、一回ゆっくりご飯でも行こうって思ってたんだ」

「……どうしてですか?」

「展示会、いろいろ助けてもらったから。お疲れさまっていうか、感謝の気持ち」

「そんな……私こそ先輩に助けられてばかりです」

「いや、ほんとに。俺、多分ひとりじゃ乗り切れなかった」


 目を合わせると、真っ直ぐな声でそう言われた。

 胸の奥で、炭火とは違う熱が灯る。



 肉が焼ける音と、二人の笑い声が混じり合っていく。

 お互いの仕事の失敗談、好きな食べ物の話、休日の過ごし方。

 話題は途切れることなく、気づけば二時間が過ぎていた。


「先輩、食べすぎじゃないですか」

「いや、水越さんの焼き方がうまいからつい」

「私が焼いたやつ、ほとんど先輩が食べてます」

「それは……俺が先輩だから」

「なにその理屈!」


 笑いながら突っ込む。

 その笑い声に、今日一日の疲れがふっと溶けていく。


 そして――会計を済ませて、外に出たころには、夜の風が心地よかった。



「今日、楽しかったねぇ」

 駅へ向かう道すがら、野宮先輩がぽつりとつぶやいた。

 焼肉屋の明かりが、背中のあたりで滲む。

「うん……すごく」

「そろそろ解散でいいよね?」


 その言葉に、胸がきゅっとなる。

 ほんの一瞬、考えて――私は小さく息を吸い込んだ。


「……あの」

「ん?」

「もう少し、なにかしませんか」


 野宮先輩が、驚いたようにこちらを見た。

 瞳に街灯の光が反射して、淡く揺れる。


「もう少しって、例えば?」

「……カラオケとか。どうですか」

「カラオケ?」

「はい。今日、頑張ったご褒美です」


 一拍の沈黙。

 それから――笑いを含んだ声が返ってきた。


「いいね。そういうの、俺も嫌いじゃない」

 軽く頷くと、野宮先輩がポケットからスマホを取り出した。

「この辺、確か一軒あったよ。行こうか」


「はいっ」


 思わず、返事が弾んだ。

 胸の奥に、灯りのような期待がともる。


 夜風が少し冷たくなってきたのに、足取りは不思議と軽い。

 あの夏祭りの夜とは違う――

 けれど、たしかに続いている“何か”を感じながら。


(もう少しだけ、この時間が続けばいいのに)


 そんな願いを胸に、私は野宮先輩の後ろ姿を追いかけた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

お仕事から少し離れた“焼肉の夜”。

焦げつきそうな心の距離に、じんわり火がつきました。


タイトルの「募るあいらぶゆー?」は、

まだ言えないけれど確かに膨らんでいく想いを込めて。

あとある曲に倣って


次回はカラオケ回。

水越の意外な一面と、野宮の“決定的な瞬間”が描かれます。


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