第12話 展示会と誤解とチョコモナカ
展示会回です!
水越と野宮先輩が初めて“仕事のペア”としてがっつり動きます。
ミスとフォロー、そして……ちょっとだけ恋の気配。
夏祭りの夜から、まだ数日しか経っていない。
花火の残り香みたいに、胸のどこかであの光がまだ瞬いている――
けれど、現実は容赦なく私を引き戻した。
「来週の展示会、俺と水越さんで資料担当ね」
朝のミーティングで、野宮先輩がそう言われた。
思わず顔を上げる。
展示会。新人の私には、初めて“外の世界”に出る大きな舞台。
「……はい。よろしくお願いします」
「うん。俺も段取りは全部見るから」
柔らかく笑ったその顔は、普段のゆるい先輩とは少し違って見えた。
――このときの私は、ただ素直に“頼もしい”と思っていた。
◇
展示会の準備は、想像よりずっと殺伐としていた。
資料、在庫リスト、配布用デザイン、説明ボード。
一つでもミスすれば、会社全体の信用に関わる。
「ここのフォント、もう少し太めにしますか?」
「たしかに。……助かる。印刷出す前に一回俺がチェック入れるね」
「了解です」
肩を並べてパソコンを覗き込む。
タイピング音が重なって、小さな静けさの中にリズムが生まれる。
その時間が、なんだか心地よかった。
◇
展示会二日前。
最終チェックを終えた私は、修正版のデータを共有フォルダにアップ。
何度も見直したし、完璧だと思っていた。
「これで明日、印刷出せますね」
「おっけー、助かる。ほんと頼りになるな、水越さん」
その言葉に少し胸が熱くなった。
――その時までは、何も疑っていなかった。
◇
翌日の昼過ぎ。
別部署の担当から一本の電話が鳴った。
『このグラフ、前回のデータのままじゃないですか?』
「……え?」
血の気が一気に引いた。
開いたファイルの中、確かに――古いグラフ。
昨日、修正したはずの箇所だった。
喉の奥がひゅっと細くなる。
どうしよう、やばい、やばい――
頭が真っ白になったそのとき、背後から声がした。
「水越さん、どうした?」
「せ、先輩……昨日の資料、修正版が……」
一瞬で察したらしく、野宮先輩の表情が引き締まった。
すぐに私の代わりに電話を取り、頭を下げる。
「すみません、俺の確認ミスです。最新版すぐ差し替えます」
本当は、提出したのは私。
でも先輩は、一切責めずに庇った。
その背中が、いつもよりずっと大きく見えた。
「焦ってた俺も悪かった。昨日もう一回見るつもりだったんだけど、抜けてた」
「いえ、私がちゃんと確認しなくて……」
「ううん、チームでやってることだし、どっちが悪いとかじゃないよ」
静かな声が、不思議とあたたかかった。
“責めない”という優しさが、胸の奥に痛いほど響く。
◇
夜。
展示会前日のオフィスに、私と先輩の二人だけ。
蛍光灯の白がぼんやりと机に落ちて、モニターの光が瞳に映る。
「……これで全部直ったと思う。確認お願い」
「はい。……うん、大丈夫そうです」
「助かった。俺ひとりだったら間に合ってなかった」
「そんな、先輩が早かったですよ」
「いや、テンパってただけ。……でも、水越さんが落ち着いてて救われた」
不意に笑った横顔が、昼より少し大人びて見えた。
頼りないようでいて、本当は誰よりも責任感が強い。
そんな人だから――あのとき庇ってくれたのかもしれない。
「怒らないんですね、先輩。私だったら焦って声上げちゃうかも」
「怒ってもデータ直らないし。……それに」
少し照れたように目を逸らす。
「俺、水越さんに怒れないし」
「……え、なんですかそれ」
「いや、怒ったら泣かれそうで」
「泣きません!」
思わず声が裏返る。
先輩は笑って、缶コーヒーを口に運んだ。
「だよね。水越さん強いもん」
“強い”――その言葉に、なぜか胸が詰まった。
◇
夜十時過ぎ。
仕事を終えて、二人で会社を出る。
外の空気が思ったより涼しくて、夏の終わりを感じた。
「これで明日は早く帰れるな」
「展示会、うまくいくといいですね」
「うん。俺、水越さんとなら大丈夫な気がする」
あまりにも自然に言われて、返事が遅れた。
“信頼”ってこんなに温かい言葉だったんだ。
「……ありがとうございます」
「こちらこそ」
少しだけ笑い合って、並んで歩く。
夜風の中、ふと心が軽くなる。
(――この人と、もっと一緒にいたい)
その気持ちはまだ、言葉にならない。
◇
展示会当日。
朝のビルはいつもよりざわついていた。
段ボールの音、書類の擦れる音。緊張が空気に満ちている。
「展示会って、こんなに準備あるんですね……」
「うん。俺も最初のときは焦りまくったよ」
野宮先輩の笑顔が、ほんの少し柔らかい。
その笑顔だけで、不思議と落ち着けた。
◇
会場入りした瞬間、空気が一変した。
明るい照明、アナウンス、香るコーヒー。
人の波に飲まれて、胸が高鳴る。
「水越さん、こっちはお願い」
「はい。接客サンプルですね」
「うん、俺は営業部と搬入チェックしてくる」
離れていく背中を見送りながら、そっと息を整える。
緊張と期待と、少しの寂しさ。
◇
昼過ぎ。
野宮先輩が戻ってきた。
隣にはスーツの女性――営業の大原さん。
落ち着いた声で的確に話すその人と、先輩の距離がやけに近く感じた。
(……お似合いかも)
そんなことを考えてしまった自分に、驚く。
胸の奥が、少しだけ苦しかった。
◇
午後。
遠くから、少し強い口調の声がした。
「――だからさ、そこはちゃんと確認してよ」
野宮先輩の声。
思わず視線を向けると、大原さんと話している。
表情が硬い。胸がざわつく。
(怒ってる? ……私のせい?)
不安で足が動かない。
けれど数分後、戻ってきた先輩は何事もなかったように笑った。
「さっきのサンプル、完璧だった。大原さんも褒めてたよ」
「え……怒ってたんじゃ?」
「あー、違う違う。機材のデータ俺が勘違いしてた」
「……焦りました」
「ごめん。声でかかったかも。俺、水越さんには怒んないから」
――また、その言葉。
照れくさいのに、嬉しくて、心が少し痛い。
◇
夕方。
展示会が終わるころ、外の風がやけに優しく感じた。
「お疲れ、水越さん。初展示会どうだった?」
「緊張したけど……楽しかったです」
「俺も。頑張ってるの見て、なんか安心した」
「……あの、大原さんとは、仲いいんですか?」
「え? あー、部署でよく一緒になるけど、普通の同僚だよ」
「……そうですか」
「なんか気になった?」
「べ、別に!」
耳が熱い。視線を逸らすと、先輩が笑って袋を掲げた。
「頑張ったご褒美。アイス買ってきた」
「えっ」
「選んでいいよ。俺はスイカバー」
「じゃあ……チョコモナカで」
ふたりで歩きながら、アイスをかじる。
冷たさと甘さが、少しずつ胸を落ち着かせていく。
「なんか今日、夏終わりって感じしますね」
「うん。でも、悪くない終わり方だった」
夕焼けに染まる横顔を見て、そっと思った。
(やっぱり――この人が好きだ)
そう確信した瞬間、世界が少し柔らかく見えた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
夏祭りのあと、仕事のペアとして距離が近づく二人の話でした。
野宮先輩の“怒れない”って言葉、どう感じましたか?
次回は少しだけ空気が変わります。
仕事の後に訪れる、ほんの小さな「休日」の予感をお楽しみに。
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