(16)
「エドワード!」
侯爵がぐったりとしたテッドを、アンナから奪い取るように抱きかかえる。テッドの本名はエドワードであることを、アンナはようやく知った。服に土がつくことも厭わずに、侯爵は地面に膝をつける。
「大丈夫か、しっかりしろ」
「と、うさま」
「……君が毒を盛ったのか!」
食事会で何かが起きれば、侯爵は絶対に自分を責めてくる。そう考えていたアンナの予想は嫌な形で証明された。眉を寄せつつ、アンナはきっぱりと否定した。あまりにも予想通りすぎるせいで怒りはわかない。ただテッドの身体が心配なだけだ。
「私ではありませんし、そもそもこれらの食事に毒は混入していません。テッドの身体が受け付けないものは入っていたようですが。今すぐにお抱えの医師をよんでください。それから本日この料理作りにかかわったすべての人間を集めてください。聞きたいことがあります」
「毒ではないと断言できるなんて、怪しいではないか。そんなことを言いきれるのは、この料理に何かを盛った人間だけだ」
「だから、早く医師を呼べと言っているでしょう! それからテッドを部屋に運び、料理人と使用人を集めて情報収集を行います。すべてが片付いたら、好きなだけ私をお疑いになればよいのです! この状況で一番大事なことは、テッドの容態が悪化しないこと。なぜそんな簡単なことがわからないのです!」
アンナは腹を立てながら、侯爵にテッドを運ぶように指示した。呆然とする使用人たちに、これから嘔吐や下痢、発熱が起きる可能性があることを伝える。部屋に到着次第、身体をしめつけない服に着替えさせるように指示することも忘れない。バケツや綺麗な水なども準備しておく。
「何か、薬は」
「私は医師ではないので勝手な真似はできません。これまでの対応も、今まで見聞きしたことをなぞっているだけです。私の対応がすべて正しいという保証もないのです。文句は後から聞きましょう。まずは、テッドが少しでも楽になるように服を脱がせなくては」
「……わかった」
「何をしても怪しまれるでしょうから、服を脱がせるのはお手伝いいたしません。それから、料理人に話を聞きますから立会をお願いいたします」
「もちろんだ。わたしも確かめたいことがある」
連れてこられた料理人は、おどおどと落ち着かない様子で周囲を見渡していた。
「今回の食事会だが、お前が料理を調理したそうだが」
「……はい」
「材料や調理方法は、レシピ通りに作ったということで間違いないな?」
「……レシピに、不審な点はなかったかと」
「なるほど」
「お待ちください。レシピに不審な点がないのは当然です。私が考えたのですから。食材の組み合わせによっては、身体に害がある場合もありますからその確認も大事でしょうが。私が確認したいのは、レシピに勝手に食材や調味料を足してはいないかということです」
隣国からやってきたという料理人は、口を開け、また閉じ、何かを言いかけるようにして固まっていた。
***
「もう一度聞きます。沈黙は、肯定と見なしますし、故意に自らの行動を隠匿するような発言があれば、警邏へ突き出します」
「何を勝手な」
「偶然異物が混入したということであれば今回の件は事故ですが、故意に異物を混入させたというのであれば事件になります」
侯爵よりも厳しく、アンナが追及する。
「違う、俺はこの料理のレシピではあまりにも料理が可哀想だと思って! あの味付けは料理への侮辱だ!」
「それで、勝手に材料を足したと? 絶対にレシピに手を加えるなと、もしかしたら大事故が起きるかもしれないと家令のジムから再三注意を受けていたはずですが。雇い主の意向よりも譲れないものがあったのですか?」
「……それは」
「卵と牛乳、乳製品を足したのでしょう?」
隣国の料理では、小麦粉と牛乳を混ぜたソースのほかに、卵黄とレモン汁、バターを混ぜたものなどがある。それをぱっと見はわからない形で使用していた料理人は、顔を真っ青にしてアンナを見つめていた。
「あのレシピにはそれなりの理由がありました。ジムがあなたの監視をできなかった場合は、ジムの命を受けた使用人が監視役を担うはずだったのですが。一体、何をしていたのかしら。もしかしたら、私のレシピであることをジムに聞いていてあえて料理人の行動を見逃したのかしらね」
食事会に出席しようとやってきたアンナを、気づかない振りで無視していた使用人が小さな悲鳴を上げた。侯爵が不審そうにアンナに尋ねてくる。
「待て。一体、何の話をしている。まさか君は、卵や牛乳が毒のような働きをすると言いたいのか」
「あくまで私が聞いた限りの話ですが。ひとによって特定の物に対して過敏に反応してしまうことがございます。私の知人は、小麦粉と卵に反応していました」
「……それはどのような症状が出るのだ」
「吐き気、嘔吐、下痢、皮膚のかゆみ、じんましん、頭痛、呼吸困難、発熱などです」
「それはまるで」
「ええ。テッドの症状とよく似ていますね」
アンナの前世である春香は田舎の出身だった。アレルギーを持っていた春香の友人の子どもたちはひどく軽く扱われ、大変な思いをすることも多かったのだ。幸い、成長していくにつれて寛解したが、医師の指導のもとではなく勝手な判断で「食べれば治る」とごり押ししたり、勝手に食べさせようとしてきたりする周囲の人間には、相当に悩まされたと聞いている。
「料理は、食べるひとがおいしく楽しくたべられてこそのもの。今回の料理は、まさに本末転倒です」
「待て。なぜ、君はそんなことを知っている。いや、むしろ知っているならなぜ、その注意事項をわたしに伝えておかなかった。事前にわたしに知らせていたならば、こんなことには」
「それこそ、今さらというものです。私を信用なさっていなかった閣下にどれだけ懇切丁寧に説明をしたところで、きっと信じてはもらえなかったでしょう。因果関係を証明することなど、私にはできませんしね。むしろ変に誤解を招いて、卵と牛乳をたっぷり使ったレシピに変更されていた可能性だってあります。継子に十分な栄養を与えず、健やかな成長を損なうつもりだなんて言いがかりをつけられるのが目に見えるようですわ。ジムの提案も却下されていたようですし」
テッドがあれほど卵や牛乳を嫌っていたのは、言葉にできない身体の違和感を感じ取っていたからかもしれない。無意識のうちに自分を守っていたのだろう。
アンナは、この可能性に気が付いてからテッドの食事に注意を払っていたし、ジムを通じて侯爵家お抱えの医師に連絡を取り、卵や牛乳が入っていない料理を屋敷でも準備できないか侯爵にお願いしていた。その要望は侯爵によって即却下されていたようだが。
真っ青な顔で震えたままの料理人は下がり、残された侯爵は拳を握りしめ小刻みに震えている。重苦しい雰囲気の部屋の中に、ジムが医師を連れて飛び込んできた。