第7話『海辺の悲劇と、深海の性癖』
──ハスロ村・酒場兼集会所。朝。
木製のカウンターに突っ伏しながら、俺はぼんやりとログを見上げていた。
アキト(……この世界にも二日酔いってあるんだな……)
HPやMPとは別に表示されている《スタミナゲージ》が、やけに心もとない。
アキト「ぐあ……頭いてぇ……スタミナ、めっちゃ減ってんじゃねーか……」
昨日、いや正確には“昨夜”の記憶が断片的によみがえる。
──シャンパンタワー。
──黄金チーズ。
──ラグジュアリーミスト(たぶん液体じゃない)。
そして──
《現在の支払い残高:82,324G/支払い期限:残り6日》
アキト「……死ぬ。いやマジで死ぬやつだ、これ」
そのとき、ガラリと店の扉が開いた。
ノア「おっはよぉ〜う! アキト、まだ生きとったんか!?」
ゼクト「目覚めよ、金欠の戦士よ。今宵の月は“無銭の兆し”……」
アキト「……帰れ」
ノア「うちは帰らへんで〜。だって今日もノリノリで行く予定やもん♪」
ゼクト「……まったく。昨日は貴様の無謀な散財で、我らも“笑い死に”するところだった」
アキト「言い方ァッ!」
ノア「にしても、ほんまやばかったで? あれ、バフじゃどうにもならんかったもんな」
アキト「あー……そうだ。忘れてた……」
ノア「ん? なにを?」
アキト「──7日以内に82,324G払わないと、なんか“ランダムペナルティ”が来るんだった……」
ゼクト「それはまさに“混沌の裁き”……」
ノア「うっわ〜、それ絶対ロクなことにならんやつやで!?」
アキト「……っつーわけで」
椅子から立ち上がり、ログメニューを閉じながらつぶやく。
アキト「任務でも受けに行くか……」
ノア「珍しいな? アキトが自発的に動くとか」
ゼクト「……人は、“欲望”か“追い詰められた現実”でしか、真に動かぬものよ」
アキト「うるせぇよ!さっさとどっか行け!!」
──こうして、“借金返済のための任務クエスト”が始まる。
壁際に設置された《クエスト提示版》。
スクロール式の板には、今日も膨大な任務リストが浮かび上がっている。
アキト「──っと。どっかにねぇのか、一発でドカンと稼げるやつ……」
昨晩の地獄を思い出しながら、アキトは舌打ち混じりにクエストを探す。
スクロールを指でシュッと滑らせ、目を皿にして高報酬案件を探す。
アキト「ん……あった!」
《緊急討伐クエスト:水竜の咆哮》
《推奨人数:8名以上/推定難易度:Sクラス》
《ダンジョン:迷いの湖・最深部》
《報酬:150,000G+素材ドロップあり》
アキト「15万……ッ! これだ!!」
その声に反応した隣の席から、モブプレイヤーたちがざわつき始める。
モブA「おい、マジかよ……あれって“あの水竜”だろ?」
モブB「今まで誰もクリアできてねーってウワサの……。攻略組でも全滅したって話だぞ」
アキト「そんなの関係あるかーっ! 俺は金が欲しいんだよッ!!」
拳を掲げて叫ぶアキト。そのテンションに場が一瞬シン……と静まりかえる。
──その背後から、馴染みの声が。
ゼクト「フ……お前の熱情、しかと受け取った……」
ノア「ほなウチらも、行こか〜!」
アキト「……お前らも来る気でいるのか?」
ゼクト「我が刃は、お前の陰となりて……」
ノア「仲間やろ? 当然やん♪」
アキト「……はぁ。しょうがねぇな」
アキト「でもな、邪魔するんじゃねーぞ? 今回の報酬は俺一人でいただくからな」
ノア「ええ〜!? うちらもちゃーんとがんばるのに〜!」
ゼクト「金に囚われた男よ……だがその業、我が理解してみせよう」
アキト「うるせぇよ詩人ども! さっさと準備して、どっか行け!」
三人のやり取りの向こうで、提示版のクエスト文字が静かに煌めいていた。
──次なる戦場は、《迷いの湖》。
神すら退けたと噂される、水竜の巣へ。
──ハスロ村・南門前
アキトが装備の確認をしていると、背後から足音が迫る。
ソフィア「ちょっと、アンタたちだけで行く気?」
アキト「……なんだソフィア。今日はお休みかと思ってたぜ」
ソフィア「私も行くわよ! ヒーラーの私がいなきゃ、全滅間違いなしでしょ?」
アキト「いや、ポンコツヒーラーいてもいなくても変わらねぇし。詠唱途中で噛むし、ヒールすらミスるし」
ソフィア「ひ、ひどっ! そこまで言わなくてもいいでしょ!?」
ノア「うわぁ〜、アキトはん毒舌すぎて草枯れるわ〜」
ゼクト「……だが確かに、前回の“ヒール・ミス”は深刻だった。あれで俺は一時、“魂が旅立ちかけた”」
ソフィア「うるさい! あれは演出の問題よ演出! いちいち真に受けないで!」
アキト「……まあいい。ついて来るのは勝手だが──邪魔すんなよ。今回の報酬は俺が全部もらうからな」
ソフィア「なにそれ!? ひとことくらい『頼りにしてる』とか言いなさいよ!」
アキト「言うかバーカ」
アキトがため息をついて装備を直していると──
ゼクト「……ここから歩くのか? 歩いたら3日はかかるぞ」
アキト「は? じゃあどうすんだよ」
ゼクト「村の転移結晶を使えば、ダンジョンに近い街までひとっ飛びだ。そこからなら徒歩で20分ほどだろう」
アキト「……お前、なんでそんなこと知ってんだよ。てか妙に詳しいし」
ゼクト「ふ……我が《影牙の盟》では、戦略の構築に万全を期すことを──」
アキト「やっぱ根が真面目なんだろ、お前。念入りにゲームのこと調べてからやるタイプだな?」
ゼクト「ち、違う……これは、“漆黒の予言書”に記された知識を読み解いたまでで……」
アキト「はいはい。んじゃ、転移結晶使うか。場所わかるんだろ? 案内よろしく、漆黒の予言書」
ゼクト「……くっ、またその呼び方か……」
ノア「ええやん、予言書! 次からうち、それで呼ぶわ!」
ゼクト「やめろッ!」
しばらく歩くと、村の外れに設置された石造りの装置が視界に入った。
円盤状の土台の中央には、淡く青白い光を灯した結晶が浮かんでいる。
──ピタッ。
ふざけた空気が一瞬止まり、全員の足が止まる。
アキト「……これが、転移結晶かあ」
アキトはしげしげと装置を見つめながら、ぼそりとつぶやく。
アキト「こんなの、村にあったんだな。全然気づかなかった」
ノア「ほんまや〜。うち、ずっとただのオブジェかと思っとったわ〜」
ソフィア「……私は知ってたわよ? 最初から転移装置だって」
アキト「絶対知らなかっただろ」
ゼクト「ふ……それが“常人”と“選ばれし者”の違いだ」
──ピシィィン!
転移結晶が強く脈動し、四人の身体を包み込む光が広がる。
──港町・市街地
転移結晶で到着した先は、まるで別世界だった。
石造りの白い家々に、青い屋根。潮風を受けてはためく洗濯物。
遠くから波の音が聞こえてきて、港町の空気が全身を包み込む。
ノア「うわ〜〜! ええ匂いやなぁ、魚の干物の匂いや! うち、こういうとこめっちゃ好きやで!」
ゼクト「……この地、海の加護に満ちている。異国の風景、まさに“神々の故郷”」
アキト「だからポエムすんなって。けどまあ、たしかに雰囲気はいいな。観光でもしてぇくらいだ」
ソフィア「……ちょっと、あんたがそんなこと言うなんて珍しいじゃない」
アキト「いや、別に旅気分ってわけじゃ──」
ノア「──よし、せっかく来たんやし! 海、見に行こっ! めっちゃ近いみたいやで?」
ゼクト「ふむ。海か……よかろう。地平に響く波音に、我が魂もまた共鳴しよう──」
アキト「勝手に決まってるーーーッ! ……まあ、ちょっとくらいならな」
こうして一行は、港町の海沿いエリアへと向かった。
──
──港町・海沿いの広場
町を抜けて少し歩くと、視界いっぱいに海が広がった。
ノア「おおお〜〜〜!! 海! ほんまに海や〜〜〜っ!!」
ソフィア「すごい……現実の景色みたい……」
ゼクト「……水面に映る太陽の輝き、無限に広がる碧の世界……」
アキト「ってか、いちいち詩的なんだよお前らは」
吹き抜ける潮風。足元には波打ち際が広がり、崖の先には白い灯台がそびえていた。
ノア「ええなぁ〜、こんな綺麗な海……でも、ここってモンスターとかおらへんの?」
アキト「たしか“海辺系モンスター”が時々湧くとか、注意書きに書いてあったような……」
ソフィア「は? なによそれ、言うならもっと早く言いなさいよっ!」
──そのときだった。
ズズズズ……ッ!
ノア「ん? なんやあれ、波打ち際になんか──」
ソフィア「ちょっ……なにこれ!? このぬるぬるしたの、どこから来──ぎゃあああああああああ!?」
──ズルズルズルッ!!!
突如、海辺の岩陰から飛び出したタコ型モンスターの触手が、ソフィアの脚を絡め取っていた。
アキト「な、なんだあれ!? ……うわ、ソフィア、めっちゃ巻きつかれてる!」
ソフィア「ちょ、ちょっと!? やめなさいよコレェッ!! どこ触ってんのよバカァァ!!」
──ぐにゅっ、ぐにゅっ!
触手は容赦なくソフィアの身体を這いまわり、その豊かな胸元に巻きついていく。
アキト(えっ、あれ……)
アキト(……なんか、やたら胸ばっか狙ってね?)
ノア「うわー、えっぐぅ! ……て、アレやな。胸、大きい方が好きなんちゃう?」
アキト「ま、まさか──おい……もしかしてあのタコ……」
アキト「巨乳好き……なのか!?」
ゼクト「……なんと恐ろしい執着……これが、深海の性癖──」
アキト「ってか、おいノア! お前、無事すぎるだろ!? なんで触手お前にはいってないんだよ!」
ノア「いやいや、うちノーダメやわ。なんでやろ?」
アキト(……あっ)
アキト(いや、そうか……つまり、そういうことか……)
アキト(お前は──“ちっぱい”だからか!!!)
ノア「ちょ、アキトはん!? なんか今、心の中で失礼なこと言わんかった!? てか聞こえたで!?」
アキト「聞こえてねぇよ! いや、聞かれたか!? でも事実だしな!? しゃーないだろ!!」
ソフィア「ちょっとぉおおお!? 早く助けなさいよバカぁあああああああ!!!」
アキト「なぁ、ソフィア。ちょっと“それっぽいセリフ”言ってみろよ?」
ソフィア「は?」
アキト「だから、“アキト、助けてください”って!」
ソフィア「なっ……何言ってんのよ、こんな状況で!?」
アキト「じゃー帰るわ」
ソフィア「……ッ!」
ノア「アカンて! 今、タコ足に乳ぐるぐるされとる女おるんやで!?」
アキト「男ってのはな、ヒロインの“お願い”で覚醒する生き物なんだよ」
アキト「“助けてください”の一言が、どれだけの男を立たせてきたと思ってんだ!」
ソフィア「くっ……! ……わかったわよ!! アキト助けてください!!」
アキト「──最初からそう言えばいいんだよおおおおおッ!!」
──ズガァァァァン!!
タコ型モンスターが一撃で吹っ飛んでいった。
ソフィア「はぁ、はぁ……なによもう……最悪……」
アキト「お疲れ。……てか、お前、やっぱ巨乳だったんだな」
ソフィア「──なっ……!? なに言ってんのよ、この変態バカアアアアアアアアア!!!」
(バチィィィィィン!!!)
アキト「ぶっ……鼻……折れた……」
ソフィア「どこの世界に、助けた女に“巨乳だったんだな”とか言うやつがいるのよ!? 死ぬ気!?」
アキト「だって事実じゃ──」
ソフィア「黙れえええええええええッ!!!」
ノア「ってかアキトはん、うちのこと“ちっぱい”言うたよな!? 許さんで!?」
アキト「事実を言ったまでだろ!? どっちも認めてこそ本物のフェミニストだろ!!」
ゼクト「ふ……誇れ、ノア。貧しき胸にこそ、真のロマンが宿るのだ──」
ノア「ぐっ……なんやろ、今のゼクトの言葉、妙に心に染みるんやけど……」
ソフィア「染みてんじゃないわよ!!」
──こうして海辺の一幕は、
アキトの鼻血と共に、静かに幕を閉じた。