第2話「種のない国」
ここめ国が米農家への保護を怠った結果、農村の高齢化は加速し、生産量はついに国内の消費量を下回った。
米価はじわじわと上昇し始めた。長引いたデフレが終わりを迎える中、インバウンド需要の増加、エネルギー価格の高騰、物流や資材コストの上昇が重なり、もはや価格転嫁は避けられなかった。
数年前、基幹作物安定供給法が撤廃されたときから、その兆しはあった。「国が米の種を守る時代は終わった」――あのとき閣僚が浮かべていた笑顔を、侵太郎は今でも忘れられない。
種の自由化は、市場原理の導入として歓迎された。だがそれは、米が“国を守る糧”ではなく、“市場で競う商品”へと変わる時代の始まりだった。
政府内でも意見は分かれていた。
米農家を“非効率な存在”とし、その淘汰によって農業族の影響力を削ごうとする派閥。
一方で、米をエネルギーと並ぶ戦略物資と捉え、国内で守るべきだと主張する者たち。
米以外の穀物の輸入拡大を目指す通商派の声もあれば、食糧安全保障そのものを軽視する立場さえ存在した。
その中で、侵太郎は“中立的な改革派”を自認していた。だが、それは幻想に過ぎなかったのかもしれない。
若くして農政大臣に抜擢された侵太郎は、政権の“刷新感”を象徴する存在としてメディアに持ち上げられた。選挙も近づいていた。庶民の味方として印象を残すには、どうすべきか――。
「備蓄米の放出、やってみましょう」
そう進言したのは、ある中堅官僚だった。
「米価の急騰を抑え、国民に安心感を与えられます。支持率にもつながります」
侵太郎は一瞬、迷うように黙した。だが、その沈黙はすぐにうなずきへと変わる。
米農家を潰し、備蓄米の保管コストを削減し、農業族の発言力を抑える――その一連の利害に、彼は気づいていなかった。ただ、「米価を抑えるのは国民のため」と信じ、そのままうなずいたのだった。
かつて“流通改革”の名のもと、備蓄米を直接小売に卸す政策がとられたことがある。
だが品質にはばらつきが出やすく、通常の倉庫では保管も不十分だった。虫害やカビを防ぐには、冷温管理が不可欠だった。
実際、ずさんな管理のもと保管された米がカビにまみれ、流通を経て食中毒事件に発展した例もある。それを機に、米の流通にはトレーサビリティ制度が導入され、国家備蓄は“最も厳格な管理対象”となった。
「――その経緯も知らずに、また同じ道を辿ろうというのか」
農政省の老官僚が、誰にともなく吐き捨てるように言った。