セイナ・クレヴィス2 西暦2150年 火星自治圏
午前六時。
オルテリア・ドーム第27居住区にて、人工光が“朝”を告げる。
天井に投影された仮想の太陽が淡く輝きを増し、起床タイマーが淡い音楽を奏でる。
セイナ・クレヴィスはベッドから起き上がり、重力補正スリッパを履いた。
火星の0.38Gは生まれ育った彼女にとって自然なものだが、都市内部では人工重力で0.8G前後に調整されているため、慣れるには毎朝数分の補正が必要だ。
鏡に映る顔は、寝癖よりも“疲れ”を強く刻んでいた。
地下遺構観測基地との往復、記録整理、報告会議、そして何よりも、「発見されるべきものが、まだ発見されていない」という焦燥。
簡易な朝食は、合成たんぱく入りオートミールと藻類スープ。
食事中、端末には学術局からの未読ログが15件並ぶ。うち3件が「予算再配分に関する内部通達」だ。地球側からの資金監査の影響だろう。
「また“使い道の正当性”ですって?」
彼女は吐き捨てるように呟いた。
火星自治圏では、研究の自由と自立が尊ばれている。だが、形式上は国連統合機構の一部に過ぎず、予算の一部は今も地球側からの“支援”として与えられている。
科学者という存在は、火星では誇りと孤独の両方を背負う職業だ。
午前八時には職場に到着する。
セイナの勤務先は「火星南半球地殻下構造解析基地」──通称「BPF南部支点」
地下3000mにある未知の遺構
通称「灰色多面体構造体」の観測を続けている。
誰が、何のために作ったのかわからない構造物は発見時にはそれなりのニュースになったが、なんの進展もない灰色の塊に興味を持ち続ける人間は少ない。
発見当初は大勢の科学者がいた基地も、今ではわずか数名が常駐するのみ。
彼女はそこの工学技術官として、構造物の解析を担当している。
午後13時 解析室ブロック。
演算装置が微かな唸りを上げるなか、セイナは振動記録の新しいノイズ成分を確認していた。5.7秒周期の基本波形に、今までになかった微弱な高調波成分が混じっている。
「ねえ,見た?これ」
セイナは椅子を回し、隣の席の男に転送した波形データを投げる。
「また“意思ある振動”かよ。今度は何が“返事”してきたって?」
皮肉交じりの声で答えたのはユーリ・グラムス。
火星に来てから六年の、セイナの相棒とも呼べる地質屋だ。
「笑わないでよ。これは干渉波じゃない。周波が変調されてる。単なる地殻応力じゃ説明がつかないの」
「はいはい。いつか本当に遺構が“喋った”ら、そのときは俺の月行きチケットも頼むよ」
ユーリはそう言いながらも、端末にデータを移して目を通す。
「……ただ、これが本当なら、ただの構造材や結晶じゃないな。物体じゃなくて“装置”だ。周期制御してる何かが動いてるってことだよな」
「つまり?」
「“生きてる”ってこったよ、セイナ」
そう呟いたユーリは、ほんのわずかに苦笑を浮かべた。