たゆたう
たゆたう
その言葉を使いたくて、物語を書く。
そもそもたゆたうとは何か、と思って辞書を引く。
揺蕩う
お風呂に入って溶けていきそうな漢字だ。
漢字もだけど、言葉の感じもいい。
ふわっとしているというか、ぬるっとしているのに、
結構強いTの音、た、という音が強くて、
それに、ゆ、とか、う、が
羊羹をつつくときにプルンとした感触のよう。
即ち、揺れ動いているだけで、
芯はあるということなのだろう。
物語にならねぇな。これじゃエッセイだ。
ただ、た、と、ゆ、と、た、と、う、の
たった四文字が繰り出した文字数はどんどん増えていく。
こんなふうに書き出すだけで、たとゆとたとう
という謎の文字列さえ出てくる。
田と油と立とう
他と湯と断とう
意味をなさないとするか、
面白いとするかで、
面持ちが変わる
たゆたうモノ
それはどういうものだろうか
自然の中の風、風に吹かれる植物、
丁度散っていく桜の花が落ちていく様は
たゆたう感じがする
美しいのだ
けれども、たゆたう人間というのは
どうもあてがなくたよりがなくて
まぁ、働く真面目な人間とは相反する存在のようにも見えるのだが、
意外と、それは目指すような無為のしなやかさをもっているようにもみえる
たゆたうというのは、魂の感じに近い
肉体が見せる表情ではなく、思考や哲学としての高尚なもので、
でも、その姿勢が身体に現れることもある
宮沢賢治はこういうのを望んだかもしれない
まぁ、彼に限らず文学者はたゆたうことにあこがれを持っていることも多々ある
迷い
悩み
失い
傷つき
悲しみ
これらのたゆたう源にある感情たちは、
人間の芯なるところに直接働きかける
それでいいのだ
弱さ、それこそが人であり、人たる所以。
揺蕩う魂
気付けた自分に完敗、乾杯。