十四 目覚めた桜
村主屋敷に来て二日目の朝、桜はもう一人の客人、助実の出発する音で目が覚めた。【これ程よく寝たのは何十年ぶりだろう。身も心も全て煩わしいものが消え宙に浮いたような感覚だ】
「申し訳ありません。只今、客人が行商に経たれたところです。茶の間で朝茶でも如何ですか」
桜は布団をたたみ、茶の間の下座に座った。
「朝茶で御座います。どうぞ」
子供であるが、人離れした美しい娘が言った。
「ありがとうございます」
初めて見る人物という表情をして答えた。
「娘の弥生です。これ弥生、お客人に朝粥の用意をしなさい」
「かしこまりました。父様」
弥生が、膳に粥と小皿に漬物を添えて運んできた。桜は粥に漬物を乗せゆっくり咀嚼して飲み込んだ。何の変哲もない粥と漬物であるが、塩気が塩梅よく心から美味に感じられた。それは、生の悦びに匹敵するくらいに同等の感覚だった。
「ご馳走様、おいしゅうございました」
「お粗末様でございました」
そう言って、弥生は膳を片付けた。茶碗の茶を飲み干し清兵衛が言った。
「それでは、差し支えなかったら今回の経緯など聞かせて頂けますか」
「畏まりました。私は、桜と申します。ただ、御恥ずかしなら何も覚えておらぬのでございます。自分がどこに生まれどこで生きていたのか。唯一覚えていることといえば、神様の声がしてこちらの屋敷を訪ねよと言われ、杖を持たされ、これからは桜と名乗れと言われたのです。このような答えで申し訳ありません」
桜はあまりにも不甲斐ない答えしか言えぬことで家主を不快にしたであろうと申し訳なく思い顔を上げることが出来なかった。
「成程、よくわかりました。神様が我が屋敷をといわれた以上、何か意味があっての事。この様な処でご座いますが好きなだけいてください。このまま居つかれても良いですよ。私と小さな娘の二人だけです。私は、村の寄り合い相談事を聞く立場故、一手にこなさなければなりません。貴女がいてくだされば私も助かります。弥生、ここにおいで。今日よりこの家に住んでいただくことになった桜様だ。姉様の様に慕うのだぞ」
「桜様、弥生でございます。これよりよろしくお願い申し上げます」
桜は、事が好転した事、身を置く場所が出来た安心感で涙が出てきた。




