一 婆様の落涙
古代中国の皇帝は自分の存在と権力を永遠のものとするために不老不死の妙薬を探した。しかし、そんな物はこの世には有りはしなかった。では、現実とかけ離れた高次元の存在があると過程する。流行りの転生アニメーションの冒頭の様に、自分の目の前に姫神が降臨して神の秘薬もしくは、神通力により若返ることが出来たらどうだろう。人生をやり直すのではなく、そこが始まりなのだ。
昔々、越後のとある山里のことだ。生娘の下半身を見る事が大好きな爺様と、そんな爺様に長年我慢して連れ添った婆様が住んでいた。爺様は、今日も腰に愛刀の三条助廣の銘入りの山刀を携え、山に入り山菜、薬草を取り狸、兎を追っかけ、生娘が野良仕事の合間に小用をするところに出会えば、コッソリ隠れてそれを覗いていた。婆様は、当初はその行いを戒めていたが、ある時からそれ自体がバカバカしくなり、ほったらかしていた。
婆様はそんな爺様をしり目に今日も川で洗濯をしていた。すると足元に何やら動くものを感じた。老眼の瞼をこすりゆっくりと足元を覗ってみるとそこには、大きなカラス貝が殻を開いて肉ヒダに鰻が潜り込もうとしていた。その滑稽さに見とれていた婆様であったのだが、その巧みに潜り込もうとする鰻を見て、爺様が若く血気盛んで毎晩昇天させられた頃の事を思い出した。はっと我に返り水面に映った老いた自分を見て現実を知り、涙が流れた。その落涙の一滴がカラス貝の肉ヒダに落ちた時のことだ。一瞬、眩く薄紅色に光り、貝の中から薄紅色の髪、蒼い瞳のうえ、素っ裸の小娘が出現した。当然のことながら、婆様は驚きひっくり返り尻餅を付いた。そして、小娘は婆様を見下ろし言った。
「貴様の若かりし頃を思い出したか。今の落涙が全てを物語っている。そこでだが、この足元にいる貝と鰻を裏山の小さな祠の前の池に持って言ってはくれぬか。早々に頼むぞ」そして、小娘の姿が消えてしまった。婆様は今出くわした事が夢なのか現実なのか途方に暮れたが『早々に』を思い出し、即座に貝と鰻を丁寧に盥に移し水を少しはり、急ぎ言われた池に持って行った。
裏山の池に辿り着き、そうっと盥を沈め中の貝と鰻を池に放った。未だ、鰻は貝の肉ヒダにじゃれていた。周りを見渡すと成程、小さな祠がそこには在った。池の存在は知ってはいたが祠までは何十年とこの地に住んでいたが始めて知った。その日以来、毎日寝起きにお参りに来ることが日課と成り、時々、握り飯や団子をお供えすることもあった。それから丁度百日目、いつものようにお参りを済ませた時のこだ。突然、池の水面が割れ薄紅色の閃光が走ったと思いきや水面の上にあの小娘が立っていた。
「百日参り、ご苦労である。ここは、既に忘れ去られた祠であるが人の子の言うところの御神体が残っているので、それを取って来てくれぬか。ついでに細長い杖があるはずだ」
婆様は言われるがまま荒れた祠を粗探しした。程なく、杖と御神体らしい人型に彫られた木片が見つかった。
「あったか。それではしばし、私の昔語りを聞いておくれ」
そう言い終えると水面に胡坐をかいて話し始めた。