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ヨークシャー・ムーアの駒鳥  作者: 五十鈴 りく
4章

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47/50

47◇大人になったら

 そして、唐突にダヴを迎えに来た人がいた。

 妖精の国からではなかったが。


「――身元不明の子供がいると噂を聞きつけて参りました」


 妙に礼儀正しい、けれどそれは紳士ではなくて使用人の折り目正しさだとわかる男性だった。

 髭を蓄えたその顔を見た途端、ダヴは私の後ろに隠れた。その男性はそれでもほっとした様子だった。


「よくぞご無事で……」


 感極まったように言った。その途端に、ダヴは急に私の手を引いて奥の部屋へ逃げ込む。


「あの人、悪い人なのっ?」


 私はびっくりして訊ねた。ダヴは私の方を振り向かず、かぶりを振っていた。


「違う。違うけど、帰りたくない」


 それならば、帰らなければいい。ずっとここに、私と一緒にいたらいい。


 けれど、その願いを貫き通すには私たちは幼すぎた。

 部屋に閉じ籠っても、鍵のない部屋では容易に開いてしまう。


「もう二度とこのようなことが起こらぬよう、皆でお守り致します。旦那様も今回のことにはお心を痛められておいでなのです」


 その言葉を聞いた瞬間に、ダヴは噛みつくように叫んだ。


「嘘だ! 皆、僕が消えればいいと思ってるんだ!」

「そのようなことは……」


 私はダヴの小さな体をギュッと抱き締めて守ろうとした。それをするには私自身も小さすぎて、大切なものが二人の隙間から零れ落ちていくような気がした。


 ダヴの気がひどく昂っていて手がつけられなかったので、その男性はいったん下がった。

 その間に、彼は私をじっと見つめた。


「僕は帰りたくない。僕はここに来て初めて〈人間〉になれたんだ。そう、僕は人間だ。妖精なんかじゃないっ」


 自分に言い聞かせるように言った彼に、私はなんと声をかけてあげればいいのかわからなかった。だからとにかく手を繋いでいた。


「ずっとここにいたらいいよ」


 そう言うのがやっとだった。

 それは紛れもない私の本心だった。




 ダヴは小さくて華奢な体をしていたけれど、どこか大人びた面も持っていた。

 だから、すぐに自分の希望が通らないことを呑み込んでしまった。


「僕が帰らないと、この家に迷惑がかかるんだろうね」


 迎えの男性の前に出て悲しそうに言った。男性は困ったように眉を下げ、返事ができずにいた。


「その代わり、僕が帰ったら、この家にはなんの手出しもしないように」

「ええ、それはもちろん……」


 その男性も悲しそうだった。この人はなんにも悪くないのだと私にも思えた。

 ダヴは手を繋いでいた私の方へ向き直り、もう一方の手も握り締めて正面から私を見た。


「大人になったらまたロビンに会いに来るから、僕のことを忘れないで」


 別れが近いと、私は息が詰まりそうになって顔をくしゃくしゃに歪めてしまった。


「大人になったらって、いつ? いつ会いに来てくれるの?」

「はっきりとは言えないけど、僕はちゃんと大人になるから。嫌いな野菜も食べて、運動をして、健康な体の大人になる。そうしたらロビンのことを迎えにくるから、一緒に満開のヒースの花を見に行こう。僕が知る中で最高に綺麗な景色だから……」

「うん。絶対に来てね。待ってる」

「絶対に。ロビンが困っている時には僕が助けるから。ロビンのために大人になるよ」


 そう言って、彼は私の涙に濡れた頬にキスをした。


 その別れは、私にとってとても寂しいもので、心に穴が空いたようだった。

 もともといなかった子がいなくなっただけなのに、元に戻れない。悲しい。

 またいつか会えると思いたくても、そのいつかが遠くて悲しい。


 両親はダヴの話をしなかった。うっすらと、口にしてはいけないと思ったのだろう。

 うちとは格の違う家の子だったのかもしれないけれど、それならば何故、雪の中に放り出されていたのか。あの火傷は一体――。


 最後まで謎だらけの少年だった。

 それでも、彼は確かに存在したはずだった。私がそれを覚えている限りは。




 ――ダヴがいなくなって、私は寂しくて、よく泣いて両親を困らせていた。


「お父さん、今日も早く帰ってきてね!」


 毎日これを言った。今まで以上に。

 少しでも遅くなると泣いた。

 それでも、両親は私を叱らなかった。


「ああ、もちろんだ。早く帰るよ」


 笑顔で出かけていった父が、馬車の事故で帰らぬ人となった。

 滑りやすい雨の日であるにも関わらず、父は馬車を急かし続けた。挙句――。


 その事実に私は耐えきれなかった。

 私が急かしたから。いい子でいなかったから。

 父は死んでしまったのだ。


「ロビン、あなたのせいじゃないわ」


 熱に浮かされながら自分を責める娘に、母は何度もそう声をかけてくれた。それでも、私は自分を責め続けた。


 私が新しい家族を受け入れられなかったのは意地だけではなかった。覚えていないながらにも、無意識に父への罪悪感が根づいていて、父を死に追いやった私が別の人を父と呼ぶのはあんまりだと、どこかで感じていたのかもしれない。


 そんな悲しい記憶に繋がるすべてを封じ込め、自分を守るしかなかったのだ。

 私は、父の死と一緒にあの子を記憶の小箱に仕舞い込んだ。


 その鍵が、今になって開かれた――。

 

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