end.
★☆★
「はーいご朝食ですよ~」
飄々とした口調の料理人の青年が運ぶ朝食に、アンナは「ありがとう」とお礼を述べると、フォークとナイフを握ってじっと見つめた。
眼鏡が無い生活にもさすがに少しは慣れた。ボヤけては見えるけれど、普通の生活は段々と送れるようになっている。
しかし、不便であることに変わりはない。フォークやナイフも気を抜くと落としてしまいそうになる。
「食べさせてあげましょか?」
料理人がどんな顔をしているのかよくは見えないが……なんとなく分かった。悪戯っ子のように面白がっているのだ。
「必要ありません」
アンナはピシャリと言った。すると、料理人の青年は口笛を吹きながら退室し、その直後に女性の使用人に耳を引っ張られて引きずられて行った。
――アンタねぇ、いつもいつもアンナさまになんて無礼なことすんのよ。
――いや別に無礼ってほどでは……。
――アンタがやったことは、ゲスのやることよ。
――え? ゲス? なんで?
――眼鏡が無くて見えなくて大変で困っているのよアンナさまは。弱み、と言ってもいいわ。そういう部分を面白がるなんてゲスのクズ以外の何だっていうのよ。
――そ、そんな深刻に考えなくても……。確かに面白がっていたのは否定しないが、助けになりたいって気持ちも本物ではあるんだが……。
――シャラップ。
なにやら廊下で騒いでいるが、アンナは気にせず食事を摂りはじめた。ぼやけるせいで震える手で一つ一つ食材を丁寧に口に運んでいく。
――反省しなよ?
――わ、分かったよ。
――なら良いのよ。それにほら見なさい。アンナさまのおてて震えてる。上手に持てないのよ。見えないから。……小動物みたいでかわいくない? ずっと眺めてたいわ。
――えぇ……。
――それと先週のことなんだけど、洗濯終わった毛布丸めて置いてたら、アンナさま猫か何かと勘違いして『……モフ』とか言いながら触ったのよ。でもすぐに気づいて顔真っ赤にしてきょろきょろしてさぁ。かわいい。
――……お前の方がゲスでクズな気がするよ。少なくとも俺は面白がってはいても助けようとしていたもの。
朝食を食べ終わったアンナは口元を拭くと、これから今日をどう過ごすかについて頭を悩ませた。失った眼鏡をどうにかしない限り、出来ることがそう多くはないのは今までと変わらないのだ。
「はぁ……」
焦りばかりが募る。
その時だった。
窓の外から車輪の音が聞こえてきた。どうやら来客のようだ。
アンナの脳裏に真っ先に浮かんだのはフィルナンドである。先月のパーティーで色々ともめ事を起こしてしまった。
正式に婚約破棄をするにしろ改めて関係を修復するにしろ、話は必要だ。
しかし、どうやらフィルナンドでは無いようで、血相を変えた使用人の女の子がいつもはするノックも忘れて勢い良く部屋に入ってきた。
「ア、アンナさま!」
「どうしたの?」
「そ、その、あの――」
「――忘れ物を届けに来たぞ」
使用人の後ろから男が一人現れた。眼鏡が無いので顔が分からない。しかし、フィルナンドではないのだけは確かだった。
というか、どこかで聞いたような声だけれども……。
まぁそれは良いとして。
それにしても、家主の許可なく屋敷に入るとはとんだ無礼者である。アンナは眉間に皺を寄せて男を睨みつけた。
「……入って良いと許可を出した覚えはありません。屋敷は当然のこと、部屋にまで入るとは礼儀が無いのではないですか。私自身が田舎っぺ貴族と世間から思われているのは承知ですが、しかし、れっきとした一人の女性ですよ」
「そう……だな。悪かった」
失礼そうな人物なので反論でもされるかとアンナは身構えていたが、男は意外にも素直に謝罪した。なんだか毒気を抜かれる。
「……す、過ぎたことはもう良いですけれど。それより、どなたですか?」
アンナがそう問うと、男は数秒の間を置いてから吹き出して笑った。
「ははははっ、それを言われるのは二度目だな」
「二度目……?」
「俺は――」
と、男が言いかけたところで、使用人の女の子が割って入って来た。
「――第二王子のセブルスさまですよ! アンナさま! 王子さまですよ!」
第二王子。セブルス。
アンナの顔が一気に青ざめた。そして、声に聞き覚えがあった理由もすぐに理解した。先月のパーティーの時に聞いていたからだ。
「あ、あの、その……」
アンナが挙動不審になると、セブルスは楽しげに鼻で笑った。
「ん? どうした? 俺は無礼者なのだろう。もっと怒っても良いのだぞ。ほうら言ってみろ」
「ど、どうしてうちに……」
「忘れ物を届けに来たと言ったろう。……これでどうだ?」
セブルスがすっとアンナに眼鏡をかけた。景色が一気に鮮やかに、そしてハッキリとアンナの瞳に映った。
「これ……」
眼鏡の縁を触ってみると、随分と慣れ親しんだ感触であった。落としたハズの眼鏡だった。
「拾ったのだ。偶然な。落とし物は落とし主に届けねばな」
セブルスは言ってウィンクをした。狼のような顔には似合わぬその笑顔に、アンナの緊張が和らいでいった。
「ありがとう……ございます」
アンナは素直にお礼を言った。新しいものを買うお金も無いのだから素直に助かったし、それに思い出が詰まった大事な眼鏡でもあったのだ。
「……喜んでくれたようで何よりだ」
「喜びますよ。見ての通りハボット家は貧乏ですから、新しいものを買うお金もありませんし、それに個人的にこの眼鏡は思い出が詰まっています。両親との。……それにしても、セブルスさまが届けに来られなくとも。従者にでも頼めば良いことでしょうに」
アンナがふいに尋ねると、セブルスは途端に困ったような顔になり、
「あー、それなんだが、まぁ理由が幾つかあってな。……話がある。聞いて欲しい。色々と驚くことばかりだと思うが、きちんと聞いて欲しい」
「は、はぁ……」
何か真剣な話があり、そのついでに直接眼鏡を届けに来たようだ。
ただ、話などと言われても、アンナには心当たりがまるで無かった。なので怪訝に首を傾げる。
「まぁ俺もあくまで最初は疑いではあったんだが……証拠が色々と出てきてな」
「……証拠? 何のですか? 話がまったく見えないのですが」
「アンナ、お前の両親は賊に殺されて亡くなったな?」
「な、なんですかいきなり」
「お前の両親が賊に襲われた原因が分かった、と言ったら?」
「……え?」
アンナは思わず眼鏡をかけ直した。突然の話ではあるが、だとしても聞き逃せない話であった。
「どういう……ことですか?」
「ハボット子爵家の領内には鉱山があるな?」
「え、えぇあります。小さいですし、ほとんどお金にならないですけど」
「その鉱山から……このような鉱物が出たことは無かったか?」
セブルスはポケットから一つの鉱物を取り出した。
くすんだ銀色のようなその鉱物は、亡くなる前にアンナの父が謎の鉱物と言ったものと同じ特徴のものだった。
「これ……」
「聞き覚えか見覚えか……あるようだな」
「はい。父がこんな感じのものを鉱山で見つけた、と。ただ、たまたま通りがかった行商人が欲しがったのであげたと言っていました。処分代が浮くと喜んでいました」
「これだ。この鉱物こそが、お前の両親が殺された理由だ」
それから――セブルスの口から紡がれた一連の話は、アンナが想像もしていなかったものであった。
結論から言えば、バーラウス伯爵の抱える闇がアンナの父母を殺したのだ。
たまたま産出してしまったくすんだ鉱物――白金はまだ知られていないが価値があり、伯爵もそれを知っていた。父が偶然にもあげてしまった行商人が伯爵のお抱えの者で、そこから伝わり産出する鉱山があると知られてしまった。
バーラウス伯爵は富に対する野心が強く、白金を逃したくなかった。だから自身の領地内で暴れる賊と話をつけ、多大な報酬と引き換えにアンナの両親の殺害を実行した。
そして、優しさの仮面をつけてアンナの前に現れ、頭が悪く利用のしやすいフィルナンドと婚約させることで利益を全て得ようとした。
(――おぞましい。良い人だと思っていたのに、そんなことを考えていただなんて)
一瞬とはいえ信じてしまっていた自分の浅はかさに、アンナは反吐が出そうだった。冷静になって考えてみると、バーラウス伯爵の態度はセブルスの言った事柄に沿ったものであったのに。
伯爵が本当に優しいのであれば、フィルナンドのような愚息をあてがうワケが無かった。だというのにわざわざそうしたのは、アンナのことがどうでも良かったからだ。狙っていたのは鉱山から出る白金のみなのだから。
「まぁ、バーラウス伯爵にはしかるべき処罰を受けて貰うことになるな」
貴族同士の殺生は大罪だ。処刑は免れないうえに、それだけに留まらず名誉や爵位のはく奪、財産の没収など他にも諸々。平民が同じ罪を犯した以上の処罰となる。
アンナはホッとした。罪が発覚したうえで万が一にも処罰無しとなれば、どこから話が漏れたのかの粗探しを伯爵は始め、当然ながらアンナを一番に怪しく思うだろう。逆恨みされる。
だから、処罰が適正に行われるのは本当に安堵した。それに、真犯人が分かったことで父と母も浮かばれる気がして嬉しかった。
「ハボット家とバーラウス家の隠された秘密については、これで話は終わりだ」
「……色々とありがとうございます」
「礼を言う必要はない。罪を犯した貴族を見つけて適正に処罰するように事を運んだだけだ。俺ではなくとも見つけた者がいれば同じように動いただろう」
「そうだとしてもです」
「……そうか。なら礼の言葉は受け取っておこう。それで、次は別件の話になるが」
「次? 別件?」
アンナが首を捻ると、セブルスは自身の今後の進退について話し始めた。なんでも季節が二度変わるころに王族から籍を離し公爵になると言うのだ。
なぜそんな話を自分にするのか、アンナには分からなかった。すると、セブルスは言った。
「アンナ、俺と婚約しろ。お前を迎え入れたい」
思わず目が点になった。
この男は一体何を言っているのだろうか、とアンナはワケが分からなくなった。
頭の中も目もぐるぐるだ。
あまりに急過ぎて、みるみるうちに顔に熱が籠ってこの場にいるのが苦しくなった。だから、すっと立ち上がるとそおっと部屋から出て、
「お、おいアンナどうした」
「……」
自分でも本当によく分からないけれど、顔を真っ赤に染め上げて屋敷の中を駆けずり回って外へと飛び出し――ずだん、と転んでしまった。
転んだ場所は、たまたま別の使用人が打ち水をしていたところだったようで、お陰で見事に上から下までアンナは泥んこまみれだ。
周囲にいた使用人が集まって、心配そうにアンナを見てくる。
「ぶ、ぶぺ……」
「ありゃりゃアンナさま……泥んこお嬢さまって言われてるからって、そんな率先して泥まみれにならんでも」
現実はいつも厳しい。両親はいきなり亡くなるし、優しそうだったバーラウス伯爵家は金目当てだったし、人生とは泥でも食べ続ける苦行のようなものにしかアンナには思えなかった。
けれども、だ。
「やれやれ……とんだお転婆だな。ほら掴まれ。安心しろ。お前の大事な領民も不自由なく暮らせるよう約束しよう。白金についても、全てこの領地領民の利益とすると約束しよう。……俺が欲しいのは金銀財宝ではない。お前だ」
追いついてやってきたセブルスが差し出すその手を、これは直感なのだけれども、逃げずに繋いでも良いような気がした。
ウソは一つもないような気がした。
だから、アンナはそっぽを向きながらも、無意識のうちに静かに握り返していた。
「……」
「どうした?」
「……いえ」
どこかひんやりとしていて、目で見るよりも大きくて、不思議と安心感のようなものを抱かせてくれる手だ。
アンナはずっと張りつめていた。本当のことを言うと、今の自分は無理をして作っていた。
今の在りようが正しいと両親から教えられてきたし、自分自身もそれを良しとする価値観であるのは間違いないけれど、しかし、常にそうである為には同時に多大な無理が必要だった。
でも、『もう気を張らなくても良いのだよ』と言って貰えた気がする。それを感じてしまったら一気に力が抜けて行った。
(それに……どうせセブルスさまからは逃げられない)
第二王子から求められれば、子爵の自分がどうして逆らえようか。まぁセブルスは本気で嫌だと言えば諦めてくれそうには見えるけれども……。
ただ、そこまでするのも疲れるし、少なくとも悪い人ではないのは確かなのである。見た目や話し方とは違って正しきに重きをおく人柄だ。
下手に抵抗するのはやめようと思った。
もとより田舎っぺとはいえ貴族である以上、アンナは望み通りの結婚など望めないのだ。与えられる道筋も自由も極めて制限される――そういう立場である。
だから、現状を受け入れてこの人に近づいてみようとアンナは思った。結婚してから恋をする。貴族ではよくある話だ。反吐が出るほど嫌いだったフィルナンドとはそれすら無理であったことを考えると、悪くもない。
セブルスと上手く行くかは分からない。でも、この人に恋をする努力をしてみよう――アンナはそう思えていた。
「いきなりなのは悪かったと思ってはいる。戸惑うことも多く、色々と心の整理をつける時間も必要だろう。だが、これだけは言っておくが、俺とて簡単にはお前を諦めるつもりはないのだ。……そんなに嫌か?」
「いえ、そうではなく……」
「そうではなく……? なんだ?」
「……あなたのことを好きになる努力をしようかと」
そう伝えたアンナの表情は笑顔であった。
泥だらけで美しくはないけれど、その場にいる誰もが息を呑むような、まるで太陽のような魅力を放つ笑顔であった。
きっと上手くいく。そう思わなければ前には進めない。だから、この先の未来が明るいことをアンナは信じた。
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アンナの身に降りかかった様々な出来事は、それらは決して特別なものではない。少し調べれば似たような話の一つや二つは歴史の隅に現れる。
謀略で親が殺される。零細貴族なのに王族と結ばれる。状況や事情は違えどちょくちょく意外とあるものだ。
そして、お話好きな詩人という人種がそういう話に目をつける。後の世でアンナの人生は面白おかしくにだが謳われた。
――泥んこまみれで汚いアンナ。貧乏暇なし子爵のアンナ。親を殺され婚約破棄され悲しい悲しいアンナさま。
――ある日落としたガラスの眼鏡。牛乳瓶底ガラスの眼鏡。拾って届けた男はだぁれ。お顔が狼あなたはだぁれ。
――王子さま、王子さま。アンナを気に入る王子さま。アンナは成ったよシンデレラ!
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end.
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