3★
今回★がついてますので、セブルス視点の回になります。
★★★
パーティー会場から逃げ出したアンナをセブルスは追いかけた。
しかしながら、慌てて走るアンナは予想外に早かった。
すぐに見失ってしまい、あちらこちら探しているうちにセブルスは城門の出入り口まで来た。
「これはセブルスさま」
夜間の見回りをする衛兵が、こちらに気づいて声をかけてきた。セブルスは肩を竦めながら、
「女を見なかったか? 牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて、袖が破れたドレスを着ている」
「人探しですか?」
「そうだ。見ておらぬか?」
「残念ながらそのような人物を私は見かけておりません。ですが、先ほど馬車が一つ勢い良く出て行くのを見ました。もしかするとそれに乗っていたやも知れません」
今の時間、荷馬車のような民間のものは休んでいる。動くとすれば、何時いかなる時も貴族たちの命で動く馬車だけだ。
アンナの他にパーティーを抜け出した貴族に思い当たる節はない。つまり、衛兵の見たという馬車に乗っていてもう帰ってしまったというわけだ。
「ちっ……うん?」
ふいに脇の小道が一瞬光った。一体なんだろうかとセブルスが近づいてみると、牛乳瓶のように分厚いレンズの眼鏡が落ちていた。
これが外灯の明かりを反射したようだ。
「……落として行ったのか」
アンナの眼鏡だ。貧しそう、という意味で特徴的なこの眼鏡は一度見たらそうは忘れられない。
「お探しになっている女性の眼鏡の特徴と同じ、ですね」
「これだ。……ボロボロな眼鏡だな。新しいのを買う金も無いのか。新品を送り付けてやってもいいが……こんなになるまで使って来たのであれば愛着もありそうだ。これは届けてやった方が良さそうだな」
「女性の落とし物を届けに行かれますか。まるでシンデレラの王子さまですなぁ。ただまぁガラスの靴ではなく眼鏡であるせいか、ロマンは感じませぬが」
「茶化すでない。それより……」
すぐにも壊れそうなこの眼鏡のことはともかく、セブルスが些か気になっていたのは、バーラウス伯爵家が三男フィルナンドとアンナの婚約についてだった。
セブルスは第二王子ではあるので、貴族たちの親戚関係などの情報のほとんどを必ず見聞きする立場でもある。王や兄上が出席するまででもない場合に、セブルスが出向いたり祝福の品を贈るからだ。
例えばそう――伯爵家の三男と子爵家のような、あまり大きな意味を持たないであろう婚姻の時に対してなど特に。
しかし、二人の婚約については全く何も知らなかった。あの様子を見る限りではだいぶ前から縁談があったようだけれども、噂すら聞いたことが無い。
「……バーラウス伯爵は式の直前にでも連絡を出すつもりだったのか? そんなことをする必要がどこにある。これではまるで、気づかせたくないことがあり、直前に報せを出して慌てさせ勢いでハボット家との事実関係を認めさせようとしているかのようだ。……通常このような婚姻に王族が口を挟むことはない。万が一文句をつけたとして、バーラウス家は長女が叔父上の子と……公爵家とも縁を持つ話もある。多少であればうやむやにもできよう。あるいは、多少どころではない何かがハボット家にあるのか?」
もしもそうであれば、恐らく隠したい秘密を知っているのは伯爵だ。フィルナンドは頭が良い男でもないので何も知らされていない可能性が高い。
「……フィルナンドをあてがうのは、馬鹿の方が都合が良いからか」
どれだけ我儘を言おうが、フィルナンドの性格と立ち位置的に伯爵に頭を叩かれて言うことを聞かせられる。それはアンナと夫婦となった後も同じく。
フィルナンドは婚約破棄がどうと息巻いていたが、そうホイホイと一時の感情で無かったことに出来るものではない。
そうさせない為の契約が婚約であり、伯爵は分かったうえで愚息を使っている。頭の切れる男だ。それぐらいはする。
セブルスは空を見上げた。まん丸の月が浮かんでいる。
狼の群れの遠吠えでも聞こえてきそうな、どこか嫌な予感を感じさせる雰囲気の月だった。
★★★
セブルスはすぐに眼鏡を落とし主に届けには行かなかった。アンナが困っているかもしれないとは思ったものの、その前にバーラウス家とハボット家について事細かに調べたかったのだ。
調査はなるべく迅速に進めた。書面上に残された資料は勿論、多くの従者を使い、両家の領内に旅人などを装わせて潜入させ現地調査を行った。
すると、ある鉱物の存在が浮上した。
――白金。
それは、当初は銀の紛い物として忌避されながら、近年になって評価が変わりつつある鉱物であった。
決して腐食することがないという特性が判明し、永遠の輝きを持つ装飾品としてはもちろん、新たな産業として勃興した機械の細工にも使える可能性があると言う。
まだそこまで浸透してはいないが、いずれ時期が来れば金をも凌ぐ価値になるであろう鉱物――それがハボット家の鉱山から出ていた。
ある行商人が、鉱物の新しい価値を知らないハボット子爵からたまたま産出した白金をタダで譲り受けているのだが……この行商人はバーラウス家お抱えであった。
行商人はこの白金についてバーラウス伯爵へ報告書という形で報せており、その記録があった。伯爵家へ出した密偵がそれを見つけてくれた。
「なるほど……」
商売が上手なバーラウス伯爵らしいといえばらしいし、こうしたことにセブルスは当然王族も目くじらを立てることもない。利益を得る為の婚姻はそう珍しくはないからだ。
ここで終わっていれば――セブルスも全ては見なかったことにしていた。問題はこの件の後に起きた事件とバーラウス伯爵の繋がりだ。
ハボット子爵が夫人と共に賊に殺された。貴族が賊に殺された、という字面だけ見れば度々起きることはあるのでおかしくないものの、ハボット子爵家にはめぼしい財産が無いのが引っかかる。賊もそれを知っていたのか、記録を見ると特に略奪をしていなかった。
ただ、命を奪っただけだ。そう……まるで命を奪うことだけが目的のような……。
ハボット家は恨みを買うような貴族では無い。貧しいながらも平和な運営と民からの篤い支持を得ている貴族だ。もともと名前と当主の顔くらいしか知らなかったが、内情というものが調査していく中でよく分かった。
では、なぜ?
ここからが重要である。ハボット子爵夫妻を殺めた賊たちの経歴調書を辿ると、もともとはバーラウス伯爵家の領地内の賊であったのが分かった。
バーラウス伯爵家は商売上手で知られているので、賊たちもそこで略奪をすることが効率的だと判断していたのだろう。
しかし、だとするなら、バーラウスの領地内でずっと活動しているべきなのだ。それが一番しっくりくるのだから。
わざわざハボット子爵を狙う理由は?
賊たちは処刑されており、詳しいことは何も聞くことが出来ない。
ただ、この事件の後バーラウス伯爵は両親を失ったアンナに優しい言葉をかけ、そして親戚になろうと動いている。
もしもバーラウス伯爵家とハボット子爵家が親戚関係となれば、爵位や家柄の力関係からあらゆる実権を伯爵家が握ることになる。
白金の採掘と商売の権利も、だ。
セブルスの嫌な予感は増していった。
もしも仮に、バーラウス伯爵が上手く領地内の賊を手駒にしてハボット子爵夫妻を殺害したのであれば、許されざる大罪だ。
貴族同士が互いに命を殺めて良いのは、しかるべき法に則り正当な理由を述べたうえで行われる決闘のみである。
それ以外での殺傷は、命令しただけでも、民が同じことをするよりも強く重い罪状となる。貴族は特権を持つがゆえに、民よりも代償が厳しくなるのだ。そうでなければ謀反が起きるからである。
セブルスは専門の調査官を編成し直し、改めてバーラウス家へ送り込んだ。嫌な予感は的中していた。送られてくる中間報告で次々と証拠が上がり始めた。
「まさかこんなことになるとはな……」
セブルスは盛大にため息を吐くと、手にした書類を机の上に投げ落とした。すると、ノックも無く部屋に男が一人立ち入ってきた。
父親――王だった。傲岸不遜ではあるものの、人前では決して礼儀を失さない父ではあるが、我が子に対してはルールもへったくれも無い人物である。
子であるセブルスもそれはもちろん分かっていた。しかし、もう少し気を使って欲しいと言うのが本音だ。
「……父上」
「セブルス、聞いたぞ。最近裏でコソコソと何かやっているそうじゃないか」
「少し調べものをしていたら、よもやで大罪人が見つかりそうなだけですよ」
「罪人を見つけるのはお前の仕事ではなく、官憲や政務官の仕事だ」
「たまたまですよ」
「まぁ多少であれば好きにして良いが……。だが、そんなことに、うつつを抜かしている暇がお前にあるのか? 二度季節が変わるころには、お前は領地を持ち、新たな公爵家として分家される手はずになっている。だと言うのに、いまだ婚約者すら探そうとしないのはどういうワケだ? ワシが用意してやっても首を縦に振らぬ。こちらの方が急務であろう」
確かに王の言うことはその通りで、他所のことよりも、セブルスは自分自身のこれからについて考えるべき時期であった。
しかし、気になってしまったものは仕方がないのだ。それに、
「……婚約者の件は、まぁ、一人良さそうな子がいましてね」
「なんだいるのか。早く言えば良かろうに。度々縁談を用意してきたワシの今までの努力が無駄骨ではないか」
「最近見つけたんですよ」
「……ウソではあるまいな? お前の注文はちと多い。やれ領地経営にも拘わる胆力が必要だとか、泥にまみれるような民への親近感も欲しいだとか、そのような貴族などそうそう世にいるものか。我慢と言うものを覚えぬのかお前は」
「父上はいつもキラキラしたような女性ばかり俺にあてがおうとする。俺の価値観には合わないんですよ。そのような者を傍においても、疲れるだけです。そういうのは嫌な性質でしてね」
「まったく面倒に育ったものだ! 誰の影響なのだろうな!」
「あなたですよ」
「フン、口の減らぬ……まぁ良い。とにもかくにも、お前の眼鏡にかなった女がいる、ということでいいのだな?」
「眼鏡にかなった……ふふ、そうですねぇ。こんな感じの眼鏡が似合う素敵な女性ですよ」
「汚い眼鏡だのう」
「そうですか? とっても綺麗だと俺は思いますけどね」
牛乳瓶の底のようなレンズのついた眼鏡を手に取り、セブルスは笑った。
色々と調べて行く中で、アンナ・ハボットという人間がどういった性格なのかについても触れた。
ツルハシを手に鉱山に向かったり、税務の仕事も自分でこなし、領内の橋や道路作りはもちろん、僻地の放牧を営む者の手伝いまでしているそうだ。
多くの貴族はアンナのことを認めはしない。王も。仮令どれだけ貧することがあってもそこまでするなど貴族とは言えない、と。
けれども、常に誰かに寄り添い、泥にまみれることも厭わない優しさはセブルスにとって理想に近い貴族像であった。
「……そろそろこの眼鏡も届けに行かないとな」
アンナが――欲しくなった。それは純粋なまでの、セブルスが産まれて初めて抱いた女性への好意であった
★★★
次が最終話です。最終話はアンナの視点に戻ります。