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全四話になりますので、そこまで長くはなりません。ごゆるりと読んで頂ければと思います。
★☆★
「アンナ……ハッキリ言うけど僕は君が大嫌いだ」
「えっ……?」
「化粧もせず、着ているそのドレスも時代遅れで古臭い。髪だってただでさえ毒草みたいな紫色なのに、綺麗に整えることもなく単なる三つ編み。あと……極めつけはその眼鏡だよ」
「眼鏡……ですか?」
アンナは牛乳瓶の底のようなレンズの眼鏡の縁を掴むと、かちゃりとかけ直して、目の前にいる婚約者の男を改めて見やった。
バーラウス伯爵家が三男フィルナンド・バーラウス。
男性のわりに可愛らしい雰囲気に整った顔のこの人物は、いかにも貴族の子女たちに人気が高そうな感じがある。
まぁその――本性というか性格というか、とにかくそういった心の根っこの部分がとても冷たいのをアンナは知っているので、あまり好きでは無いのだけれども。
「……なんなのかなぁ、その牛乳瓶の底のような眼鏡は」
「眼鏡は眼鏡ですが」
「もっとお洒落なものもあるでしょ。今日は貴族が集まるパーティーだっていうのにさ。周りを見てみなよ」
言われて、アンナは周囲を見た。沢山の貴族たちが流行りのファッション等を取り入れた絢爛な衣装を着ている。
眼鏡をかけている者もいるが、アンナのような牛乳瓶の底のような分厚いレンズに、自分で作った木の縁の眼鏡などではない。様々な技巧を凝らしたような薄いレンズを使用して、縁は金で出来ていたり、べっこうなどの珍しい素材を使っているのだ。
「高そうな眼鏡とか服着てますねぇ」
「そう。そういう場なんだよね」
「でも私はお金がありませぬゆえ……」
「そうだね。君は貧乏さ。貴族とは名ばかりのハボット子爵家」
「そ、そんな風に言わなくてもよろしいではありませんか……」
「事実を言って何が悪い?」
フィルナンドはそう吐き捨てると、見下すようにして侮蔑の視線を向けて来た。アンナは下唇を噛んで俯く。
フィルナンドの指摘通りに、ハボット家は貧しい。領地は狭く税収も少ない。税収以外の資金源として鉄鉱山を一つ持ってはいるものの、採掘量が少なく維持管理費などを払うと何も残らなかった。
五年前の十二歳の時に両親を亡くしたアンナは爵位を継いだが、貧乏暇なしとばかりに、自らも鉱山に入ったり税収の計算をするほどである。
ただ、この境遇こそがフィルナンドとの婚約のキッカケでもある。
フィルナンドの父であるバーラウス伯爵が、両親を亡くし継いだ爵位の責任に日々奔走するアンナを哀れんでくれた。『同じ貴族が苦しむ姿は心が痛む』とフィルナンドとの婚約を提案してくれた。そうすれば楽になる、と。
しかし、そうして出逢ったフィルナンドは最初から冷たかった。だから、アンナは個人的な思いで言えばこの婚約が嫌なのだ。
けれども、何も無いみすぼらしい自分を、”我らの泥んこお嬢さま”と言って慕ってくれる使用人や領民のことを考えると、断ることが出来なかった。
バーラウス伯爵家は裕福で領地も広く商売も上手と評判で、長女は公爵家との縁談もあると噂されている。
まぁ上り調子の貴族だ。
つまり、もしも縁談が上手くいけばハボット子爵家にも多大な援助が入る。そうすれば使用人や領民たちの生活もきっと良くなるのだ。
だから……我慢して受け入れた。
「父さまは可哀想だ何だって言うけど、アンナ、君を見ているだけで僕は気分が悪くなるんだよ。何か面白いことでもして、少しは楽しい気分にさせてくれよ。そうだなぁ……それじゃあ豚の真似でもしてよ。『ぶひぶひ』ってさ。全員の見世物になるんだ。僕も笑える」
なんという男だろうか。これほどまでに、人を踏みにじるようなことを平気で言えるなんて……。
「そ、それは……」
こんなところで、人が沢山いる中で豚の真似をするだなんて……。アンナは動揺しながらドレスの裾をぎゅっと握りしめる。
「フィルナンドさま……豚の真似なんて……」
「出来ないの? いいでしょ別に。恥ずかしいの? なら眼鏡を外しなよ。周りが見えなければ恥ずかしさも感じないでしょ。……どうしたの早くしてよ。そうか自分で出来ないんだね。なら僕が手伝ってあげるよ!」
フィルナンドはゲラゲラと笑うと掴みかかって来た。
「や、やめっ……」
「はははははっ――ん?」
力任せに四つん這いにさせられそうになり、びりり、とドレスの裾が破れる。すると、フィルナンドがふいに手を止めた。その視線の先にはドレスの袖裏に施してある刺繍があった。
アンナが着ているドレスは、もともとは母親のものだ。随分と時代遅れなドレスではあるけれど、今回の晩餐会の為にと使用人たちがお金を出し合ってアンナの為に仕立て直してくれていた。
刺繍はその時に内側に入れてくれたものだ。
パーティーなんて慣れてないアンナが緊張しても、自分たちがいることを思い出してくれればきっと大丈夫なハズだから、と。
「……”我らの泥んこお嬢さま、いつもありがとう”? なにこの気持ち悪い刺繍。我らのお嬢さま……あーこれやったのは君の使用人? 頭悪そうな使用人しかいないんだね」
フィルナンドのその言葉に、アンナの頬にカァッと熱が点った。怯えが一転し胸の内に湧いたのは怒りだった。
自分のことはいい。どれだけ馬鹿にされたって、苦笑しながら「そうですか」と言えるのだ。今しがた豚の真似をやらされそうになったのも、恥ずかしくて死にそうにはなるけど、でも我慢はきっと出来た。
けれども、だけれどもだ。
自分のことを慕ってくれる人たちのことを馬鹿にされるのは、それはどうしたって許せなかった。
「な、何さまのつもり、なんですか。私の使用人たちのこと馬鹿にしないで!」
アンナは野犬のごとく唸ると、両手でドンとフィルナンドを押した。すると、虚を突かれたフィルナンドはみっともなく尻もちをついた。
「な、何をす――」
「――だから! 馬鹿に! しないで!」
アンナがそう怒鳴ると、フィルナンドは一瞬怯む様子を見せこそしたが、すぐにこちらを睨んできた。
「なんだよその態度……あぁいいさ、そんな顔して僕の言うこと聞く気が無いなら――婚約破棄だ! お前と一緒になるなんて、そもそも僕は嫌だった! 見栄えもしなければ金も名誉もない! 父さまが言うから仕方なく、何もないお前の為に結婚してやろうとしている僕になんだその態度は!」
「わ、私の方だってあなたみたいな男願い下げよ! もともと、大嫌いだった! 氷よりも冷たく無邪気なまでの悪意を振りまくあなたが大嫌いだった! 一緒になんてなったら、私の大事な使用人や領民がどう扱われるかも分からない! そんなの嫌よ!」
「なんだと……」
フィルナンドはすっくと立ち上がるとじりじりと近寄ってくるが、アンナに引く気は当然なく睨み返した。
と、その時だった。
フィルナンドの肩を誰かが掴んだ。
「おい、フィルナンド、婚約破棄がどうとか穏やかじゃないな」
低く響くその声音の持ち主は、狼にも似た鋭さを持つ顔をした男だった。
見たことがない人だ。
アンナが怪訝に眉を顰めると、その一方でフィルナンドが急に慌てた。
「あの、こ、これはその……」
「周りを見ろ。皆が何事かと注目している」
大声で争ったせいで、二人は周囲の視線を一斉に集めていた。誰もが立ち止まり瞬き混じりにこちらを見ている。
「その……これは……その女が悪いのであって」
「その女? あぁそこの。確かハボット家の現当主だな」
男はアンナに近づくと、頭の先からつま先までをジロジロと観察するように見た。それから、そっとドレスの袖に触れた。
「……破れているな。フィルナンドにやられたのか?」
「えっと……はい」
「まったく始末に負えぬヤツだ」
やれやれ、と盛大なため息を吐く男の顔をアンナはじっと見つめた。フィルナンドの引け腰な態度を見るに、かなり立場が上の人のようだけれど……しかし、誰なのか分からない。
伯爵家の子弟ですら臆する人物を知らないのは貴族としてあるまじきことだが、いちいち他の貴族のことを覚えている余裕も時間も日々忙しいアンナには無かったのだから、仕方がない。
「あ、あの……」
「ん? どうした?」
「つかぬことをお聞きしますが……あなたは……誰ですか?」
アンナがおそるおそるに尋ねると、男は鳩が豆鉄砲を食らったかのように目を丸くして固まった。そのまま妙な雰囲気が流れるが、男はやがて小さな子どものように無邪気に笑った。
「あっははははっ、そうか、俺を知らぬか」
「す、すみません。フィルナンドさまの様子を見る限り、だいぶ良いお家柄の方なのかなとは思うのですがよく分かりません」
この男は狼のような怖い顔をしているが、どこか優しい雰囲気があった。だから、正直に言ってもきっと気分を害さないと直感に近いものをアンナは感じていた。
それは正解だった。男は怒ることもなく笑っている。しかし、正体を教えられて直感に従ってしまったことをアンナは後悔した。
「俺はセブルスだ。そうだな、肩書としては、一応だが第二王子と言うことになっている」
まさかの王族であったことにアンナは慌てた。
騒ぎの仲裁をさせてしまったことも、顔を知らなかったことも、そのどちらもが恥ずかしくてたまらなくて、今度は羞恥の熱を頬に点して頭を下げる。
「も、申し訳ありません陛下」
「陛下? い、いや待て。それは玉座に座る俺の父上に対して使う敬称であって、俺は別にそう呼ばれる立場ではな――」
セブルスが何か言っているがアンナの耳には入って来なかった。頭の中も目もぐるぐるでおかしくなって、気がついたら回れ右して走り去っていた。
「ま、待て!」
「待ちません!」
アンナは半泣きで息を切らしながら夜の明かりに彩る街を駆け抜けると、城門の近くに待機させていた馬車に飛び乗った。欠伸をしていた御者がびっくりしていたが、そんなのもお構いなしに、
「出して!」
「何か……あったのですか?」
「出してってば!」
「わ……分かりました」
御者は領地の者であるからか、そこまで深く詮索はしてこなかった。少なくともアンナに怪我はなかったし、そこからパーティーで何かあったと察してくれたようだ。
アンナが貴族然としていないことは、領地の者も使用人も既知である。馴染めなかったことも容易に想像がつくのであろう。
駆け出した馬車の中で、アンナを息を整えながら窓の外を眺めた。月が出ていたが――なんだかボヤけて見える。
「疲れたのかしら……」
ごしごし、とアンナは瞼を擦って気づいた。
「……め、眼鏡が無い」
どうやら、街中を走っている途中で落としてしまったようだ。眼鏡は高級品であるので、出来れば取りに戻りたかったが、万が一にもセブルスやフィルナンドに鉢合わせたらと考えると動けなかった。
静寂の中に響く車輪の音に混じって、ほう、ほう、と梟が鳴く声がする。ゆっくりと低いその鳴き声は、なんだか、どうにも情けなく間抜けな自分を慰めてくれているようにもアンナには聞こえた。
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