説法 その壱
まずは説法で。神話の継ぎ接ぎなり。
神。この言葉を聞いて何を思う浮かべるだろう。ある人間はイエスキリストをある人間は釈迦族の仏陀を思う浮かべるだろう。他の物を思い浮かべる人間もいるかもしれない。日本では八百万の神々という宗教観すらあるほどなのだ。まだまだたくさんあるだろう。
だが、私は人が神なのだと思う。
アダムとイヴの神話を知っているだろうか。神の庭を管理していたアダムとイヴが蛇にそそのかされて智慧の実を喰って追い出されるやつだ。その際、追い出した神は何を恐れたのか。それは、アダムとイヴが智慧の実にとどまらず、不老不死の実を食べて自分と同等の神に至ることを恐れたのだ。なので、神へと至る条件は智慧の実と不老不死の実の両方を喰って智慧と不死を手に入れる事なのだ。つまり、アダムとイヴは神と同等の智慧を持っていたということだ。ならば、その子孫たる我々は神同等の智慧を持っているのではないだろうか。そう、つまり我々は不死ではないが中身のみを見れば神と言っても差し支えないのだ。よって、我々は自分は神だと認識すれば神なのだ。
「神は全知全能だ」などと壊れ切ったラジオのように叫ぶ馬鹿どももいるが、そんなわけはない。もし仮にそれが正しいのならば何故、神はアダムとイヴが実を喰う事を予測しなかったのか。そう、しなかったのではない。できなかったのだ。日本神話でも同様にイザナミノミコトはカグツチを産み、大やけどを負って死んでいるし、なんなら始めは子供の作り方さえ分からずに失敗作ばかり作り続けていたのだ。。全知全能ならば回避できたはずの未来だ。故に「神=全知全能」という馬鹿らしい考えは嘘っぱちであると断言できる。
また、「神は何でも出来るのだ」考えも嘘である。少し神話が変わるが、北欧神話のオーディンの神々は自分たちが|最終決戦≪ラグナロク≫で敗北するのが分かっていたのにもかかわらずそれに対して何の対策も講じることが出来ずに敗北している。神々は避けることの出来ない未来だったのだ。よって「神は何でも出来る」は間違った見解なのだ。これらの事より、人が自分のことを神だと認識した瞬間からその人は神であると言える。だが、これは『人』なのであって『人間』に対する話ではない。あくまでも『人』なのだ。なら、『人間』と『人』との違いは何なのか。私は知識の差だと思う。ただの知識ではない、すべての知識だ。今、目の前に座っている人は何を考えているのか、小説家によって生み出される小説の内容、これからどのような人生を送るのか。すべてを理解している『人間』こそが『人』へと至るのではなかろうか。現在において青春の欠片も謳歌せず、その真逆を進むような私にとって延々と薬物使用者のようにゲラゲラと笑い続ける人間、いわゆる陽キャは実に理解しがたい。無論、今述べたことに関しては私の主観が混じっているのかもしれない。だが、他にも存在する。今読んでいる小説の全てを知りたい、今家にいる間どこの誰かは何をしているかが知りたい。人間の知識欲は無限大であり、一瞬一瞬において生み出される史実も無限大である。それら全てを理解した『人間』こそが『人』であり神に至れる存在なのだ。
共感いただけるまた、納得したなどと思った方はこれからもよろしくお願いします。