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はじまりの日

 ひゅっと息を吸い込んだ。


 同級生の話し声や廊下を歩く音がどんどん遠くなって、立っている足の感覚が抜けていくのと同時に体中の血液が喉に、耳に、頭に集まっていくのを感じた。


 目の前で抱き合っている妹と恋人の姿が見えにくくなった。


 「お姉さま……」オリヴァー皇太子の首に手を回しながらそうつぶやいた妹ミリーの目は、言葉とは裏腹に鋭く光っていた。


 あれまあ。

 エレナは他人事のようにそう思った。



 エレナが侯爵家であるローズべリー家の長女として生まれた一年後にミリーは生まれた。ミリーは難産で生まれ、体も弱かった。お母さまはミリーに付きっきりになって、ミリーはどんなわがままも許された。

 もちろんミリー自身にも、愛されるだけの魅力があった。プラチナに輝くかぐわしい髪に陶器のような白い肌、薄く透き通る濡れた瞳に、厚く膨れた小さな唇。ころころと変わる表情はずっと見ていたくなるし、花が咲き誇るような笑顔を浮かべる子だ。気づけば周りは明るくなり、皆ミリーのそばに居たがったし、喜ばせてやりたいと思わせた。

 

 それに比べて私は勉強畑の頭でっかちに育ってしまった。両親が、仕事や調子を崩したミリーの看病に忙しくしている間ひとりになってしまった私は、勉強にのめりこんでいった。

 学ぶということは面白い。人間と他の動物の違いは知識欲の有無であるという言葉にうなずきたくなる。分かるという体験、分からないという体験すべてに魅了された。

 だから、妹が私のおもちゃを欲しがろうと、お菓子を欲しがろうと、両親を欲しがろうと、そこまで苦しくはなかったし、1人でのんびり毎日暮らしていた。

 悔しがらないのも気に食わなかったようだが。


 だからと言って、姉の婚約者とるのはなあ。



 そんなガリ勉に育った私を流石に心配した両親は、10歳頃から無理やり友人を作らせようとした。


 そう、私でも無下にはできない相手。皇太子殿下だ。

 父は国王付きの役人であるため、そこからのつながりだろう。時々父に妹と2人、王宮に連れていかれると、皇太子ともうひとり男の子と4人で遊ぶように言われた。

 たいていは庭でお茶をしていたが、時々勉強の話にもなった。家庭教師以外と勉強について話すのは初めてだったが、視点の違う意見にとても刺激を受けたのを覚えている。特に皇太子でない男の子とは議論が白熱することもあった。大抵妹の可愛いおねだりによって、お花摘みに移行させられたけれど。


 皇太子との婚約がなされたのは、その少しあとだったと思う。私の社交能力が焦るほどではないと判断されたためか、お茶会は半年くらいで終わったが、招待をうけて時々皇太子のもとにお邪魔していた。

 初めての妹のいない人間関係は楽しかったし、妹を思い浮かべずに私と向き合ってくれる人との時間は心安らいだ。

 そこではじめで自分が、家族も使用人も妹を優先すること、いくら頭が良くたって勉強を頑張ったって認めてもらえないこと、自分ばかりが厳しくしつけられることを悲しんでいるのに気が付いた。

社交界で、女があんなに勉強に必死になって何になるんだと、可愛げが無いと言われていたことも、両親が、エレナが男の子であればとつぶやいていることも知っていた。

 そんな私の話を皇太子は真剣に聞いてくれて、いつも「もっと頼っていいんだよ」と手を握ってくれた。

 

 嬉しかった。

 そんな時に私と皇太子の婚約が内密にではあるが約束された。

 知らせを受けてからはじめてお会いした時、バラの匂いが立ち込め、通る風が心地よいテラスで、目線を庭の方に投げながら、耳を真っ赤にしておっしゃった。


 「ぼくがお父様にお願いしたんだ」

 そのときのはにかんだ笑顔を今でも覚えている。

 嬉しかった。泣きそうになった。黄金に光る瞳が私を見てくれることが。妹ではなく私を選んでくれたことが。初めて自分だけの居場所ができたような気がした。

 彼の隣にふさわしい人間になりたいと思った。元々外国語や海外の知識、国内の情勢、経済、民族、歴史などはすすんで学んでいたけれど、ダンスや社交術、マナーや身だしなみまで、厳しく教えられていた侯爵家付きの家庭教師以外にも、王城推薦の教師を増やして、少女らしい楽しみを知ることも無く努力し続けた。

 貴族の子どもたちは、自宅付きの家庭教師の指導の後に16歳ごろから3年間グレン国立学園の貴族科に通うこととなる。その学園でも私は変わらず学び続けた。成績はだいたい2番目だったけれど、他の人と学ぶのは楽しかったし、まったく新しい見地も得られた。私が仲良くしていた一般科の方々は各分野に特化した方が多く学ぶことが多かった。


 一般科の友人アメリアと古文書の真偽と解読を行っていた際に、貴族科の第三資料庫に同時代の文献があったのを思い出した。ここで比較をしたいと思わなければ良かったのだ。一般科の彼女は貴族科には入りづらいため、1人で第三資料庫に向かった。後々知ったのだが、放課後の資料室は皇太子とミリーの密会場所としては有名であり、妹の友人たちが人払いをしていたようだ。

 放課後とはいえいつもより人が少ないと感じながらも、差し込む西日に目を細めて資料室のドアに手をかけた。チリっと指先に痛みが走る。部屋の中に人の気配を感じたが構わずドアを開けた。


 ミリーとオリヴァーが互いの体に腕を回し、体の隙間を無くして、唇を重ねていた。


 扉に体を向けていたオリヴァーが先に気が付き、動きをとめた。


 妹の体を挟んで恋人と向き合う時間は無限に感じた。


 瞬きが出来なくて目が乾いていく。オリヴァーが目をそらす方が先だった。喉の下のあたりが詰まるようだった。


 「お姉さま……」唇を離して、体をさらにオリヴァーに寄せてつぶやく。


 「ふふっ」

 零れるような笑みをこぼす。

 「なにか御用?」

 唇を少しとがらせ、首を私の恋人にこてんと倒して問いかけてきた。


 「なっ」

 喉が熱くて声がでない。この感情を、妹にぶつければよいのか、オリヴァーにぶつければよいのか分からない。そもそも私は今、本当に怒っているのだろうか。悲しんでいるのだろうか。私は怒って良いのだろうか。その権利が私にあるのだろうか。

 ミリーは可愛い。愛嬌があるし、相手を立てることもできる。私だって男なら私なんかよりもミリーを選ぶだろう。私は陰で「頭詰り嬢」などと揶揄される、勉強馬鹿だ。学園に入ってからますます勉強が楽しくて、恋人との時間を削ってしまうような、恋人よりも優秀な成績を収めてしまうような、ひどい女だ。

 彼は、エレナの頑張っている姿をみるのが好きだと言ってくれていたけれど、最近私の目を見て笑ってくれなくなったのに気が付いていた。それから今日も目が合わなかったらどうしようと怖くなって、彼と一緒にいる時間がどんどん短くなっていった。

 きっと恋人にそんなひどい仕打ちをされたオリヴァーに、ミリーが寄り添ってあげたのだろう。人の感情に敏感な妹のことだから、傷ついたオリヴァーにすぐ気が付いたことだろう。

 そうなると、悪いのは、妹でも、オリヴァーでもなく私なのか。彼を立てず、支えず、超えてしまった私なのか。好きではない、ダンスも、社交も、彼のために頑張ったつもりだった。頑張ったら喜んでくれると思っていた。


 ああまずい。視界がぼやける。どうしたらよいのだろう。とりあえず、今すぐにでも、ふたりの空間から距離をとりたい。

 気管が空気を通しにくくなっていく。息を吸う間隔が短くなっていく。五感を感知しづらくなってきたエレナの耳に、この空間以外の音がようやく入ってきた。誰かが廊下を走っている音だ。


「ドンッ」

 足音は壁と扉に手をついて、エレナに後ろから覆いかぶさるようにして止まった。


お読みいただきありがとうございます。大変嬉しいです。

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