第十話 亀裂
それは丸太のような脚を大地に喰い込ませ、飛んだ。
瞬間、空に亀裂が走り、凄まじい衝撃が私達を襲った。
土埃が舞い、私は飛ばされないように踏みこたえた。しかし後ろからは王子の悲鳴と共に落下音が聴こえた。
「うわぁ!」
「殿下!大丈夫ですか!?」
「いてて、大丈夫……って、そんな場合じゃない!何とか結界を回復出来ない!?」
「もうある結界を修復は出来ません。何とか時間は稼いでみますが、あまり期待はしないで下さい。それより皆を起こして避難を!」
私は鞄から素早く発煙筒を取り出し王子に投げ渡す。受け取った王子がもたもたと着火するのにイラつきながらも、私は結界の代わりを思案する。
私の張った結界は、アルフレッド先生の特別製で、岩盤が無い所でも土に星を刻む事で効果を発揮出来るように効率を優先して作られた物だ。その発動源を魔石から私の血液に置き換え、私の魔力に馴染むようにデザインし直し強度を上げてある。その代わり結界を張る為の所要時間は比較的長くなっており再設置には三十分は確実に掛かってしまう。
そんな時間は残されてはいないので、少々賭けではあるが、即興で星を編むしか無い。
結界のように全体を覆う必要は無い。奴は空を飛ぶタイプでは無いので高さも最低限で良い。
強度は最大限必要で、持続時間は短くても良い。透明度は下げてこちらを視認し難くした方が良いだろう。
念の為用意しておいた粘土板に、鑿で星を刻む。触媒は私の血液が一本残っているからそれを。
俄仕立てだが完成した星を、今も尚結界に体当たりを続ける奴の前に埋める。瓶を砕き、触媒を垂らして魔力を込める。
「……ふぅ、何とか上手くいった」
目前には、夜空を下ろしたような壁がせり経つ。それは何とか仕事が上手くいったことの証明だった。
しかし落ち着いている暇は無い。直ちに荷物を纏めてリュシー達を追いかけなくては。
私は再度壁を確認してから、テントへ走った。
「メアリー様!こっちです!」
リュシーが手を振っている。そこには王子とダニスも居た。
「何とか皆脱出出来たようで安心したよ。発煙筒も炊いたし、きっともうすぐ助けが来る」
「全く、こっちは疲れてぐっすり寝てたってのによぉ。勘弁して欲しいぜ」
完全に安心して倒木に腰掛ける王子に、逃げてきた方向に唾を吐き捨て悪態を付くダニス。
リュシーも私との再会を喜ぶばかりで、完全に緩みきってしまっている。
「ちょっと、何安心してるんですか。休憩してる暇はありません。今すぐにでも先へ進みましょう」
王子達はキョトンとした顔をする。それが理解出来ずに困惑する。
「おい、メアリーさんよぉ。怖いもん見て焦んのは分かるけどよ、もう奴の暴れる音すら聴こえねぇ。俺たちは逃げ切ったんだよ。本来寝てる時間なんだ、休憩ぐらいしたって罰は当たんねぇと思うけどな?」
「ああ、僕もダニスの言う通りだと思う。下手に動くより落ち着いて助けを待つべきだ」
何を言っているんだ?私は唖然として言葉を返す事が出来なかった。
「……メアリー様?」
「いや、本気で言ってるんですか……?殿下、ダニスさん。エペ・ヴィペルについて、何もご存知で無いのですか?」
本気で困惑している私に、王子は困惑しながらも返答する。
「エペ・ヴィペル、さっきも言っていたね。彼奴がそういう名前という事は分かるけど、ランクCなのだろう?危険度は大体二個小隊程、確かに危険だけどあのサイズと力だけで基準を満たしてる筈。それ以上の特殊能力は無いだろう?」
「そもそもだがよぉ、そんなに危険な魔獣だっつうなら注意喚起の一つもあるだろ。逃げ切れる程度だから何の情報も無かったんじゃねぇの?」
……呆れた。心底彼らに失望し、舌打ちをかましたくなる。それを何とか抑えて丁寧に説明する。
「……エペ・ヴィペルはランクCの魔獣、それは合っています。が、殿下はランクCの脅威度を見誤っています。そもそも一個小隊というのは熟練した完全装備の騎士二人と弓兵二人、それに魔道兵一人の計五人から成ります。熟練した魔道兵は一人で約二十人分の戦力とされ、それを補助する為の四人を加えて小隊一個で完結した働きが出来ると言われています。それが二個というのは単純に二倍という話では無くなります。それぞれ完成された一つの戦力が連携して動けば、その戦力は三倍どころか四倍にもなります。エペ・ヴィペルはその力だけなら完全装備の騎士四人に、魔術師が二人居れば互角です。が、隊として連携したそれらと張り合うのに力だけでは足りません」
私は丁寧に、感情的にならないように説明する。
「つまり、エペ・ヴィペルにはランクCに見合う能力があります。驚異的な再生能力、視界に頼らぬ空間把握と魔獣にある程度共通する異能に加え、ヴィペル系に共通する麻痺毒が爪と牙から分泌されています。そして一番脅威なのは強力な魔力探知能力です。特徴的な二对の角は感覚器官として機能していて、一度覚えた魔力の持ち主の痕跡は三日前の物でも見分けられると言います。一応辿りにくいように工作しましたが、再発見されるのは時間の問題です」
説明を終え、さあと急かす。しかし王子らの動きは鈍く、ダニスが余計な考えを口にし始める。
「つまりだ。奴は俺たちの、それも魔法を使ってた奴の魔力を覚えたってことだよなぁ?それってメアリーさん、あんただけだよな?つまりあんたが一人で反対に逃げれば俺たちは安全って事だ。違いねぇよな?」
「何を言ってるんですか……?」
「そうなんだろうが!テメェが一人で逃げりゃ俺たちは何の危険も無かったのにノコノコと着いてきやがって!」
「何を……!昼間の森ですら私抜きでは抜けられなかった分際で!私抜きで帰れますか!?」
「だから助けを呼んでるんだってんだろうがよぉ!おめぇ、こっちには未来の国王、継承権第一位のオーリオン殿下がいんだぜ?テメェ、本当に我等が王国に忠誠を誓った貴族の端くれならよぉ、一人危険を背負ってあの蜥蜴に立ち向かうのが筋なんじゃねぇのか!?」
「ダニス!僕の名を生贄作りの口実にするのを辞めろ!」
「いいや、辞めないね!そもそも、魔獣の居ないこの森で、なんであんなバケモンが出てくんだよ!しかもやけにそのバケモンに詳しいようだし、そこの黒女が連れてきたんじゃねぇの!?」
……と。ダニスの作戦なら、上手くやったと褒めて差し上げたい。私はそう思いながらも、急速に冷えきった感情をコントロールすることは出来なかった。
「そうですか。そうですね。賢明なダニスさんの言う通り、私は黒髪ですから?そのような疑いを掛けられてもおかしくありませんでしたね」
「メアリー、そんな挑発に乗らなくていい」
「いいえ、殿下。彼は何か間違った事を言いましたでしょうか?私は素晴らしき大陽教への信仰をお持ちだと感激しているんですよ?黒髪は予言の邪悪を彷彿とさせますものね?それに?未来の国王が居るから私が一人で命を投げ出すべきだ、殿下は助けが来るまで俺が守ってみせる、と。素晴らしい思想、自信です。昼間に猪程度にぴぃぴぃ鳴いていたひよこさんだとは思えない、素晴らしい勇気だと称えたいですね。勲章をあげましょう」
「メアリー、君まで冷静さを失ってどうする!」
「メアリー様……」
「私は至って冷静ですよ。その彼の勇気と信仰を汲んで、囮を引き受けて差し上げましょう。ええ、皆様はどうぞごゆっくり。先生方の助けをお待ち下さい。こんな真夜中に、一体助けが何時になるかは分かりませんけれど」
私はそう言い捨てると、餞別とばかりに結界用魔石をダニスへ投げる。そして二度と振り返らずに来た道を戻った。




