第9話 元異世界転生候補者の叫び
「エルデさん!」
「え……だ、ダレ?」
驚嘆の声を発する優和、不可思議な物を目にしたような澪奈、そして、はっきりと分かるほど怒りで眼光を鋭くさせる志保の姿があった。
「せん……エルデッ――!!!」
優和なら震えあがりそうなほどの志保の眼差しをエルデは涼しい顔をして見返した。
「アナザーアビリティの力は、異世界でしか使わないように言ったはずだが」
「その異世界行きのチケットを奪ったのはアンタじゃないか!」
気になる発言をした志保は制服のブレザーを脱ぎ捨てシャツの右袖を強引に肩の付近まで引くと、二の腕の辺りが目立つように右腕を天に伸ばした。
「ワールドパスが……」
驚愕する優和だが、根っこの所は彼女の肘の下に紋様が出現していたからだけではない。――志保のワールドパスは優和のワールドパスに比べて血をそのまま塗ったような濃い朱色をしていた。
開いた口が塞がらない様子の優和の姿に鼻息荒く志保は口を開く。
「異世界を目指した私から、この女はその権利を奪った! 異世界に行く事もできなくなった私には、この紋様だけが無様に残されたのよ! あれから周囲の人間達がどんな目で見てきたか分からないでしょうね!」
(権利を奪った? ……つまり、異世界に行かなくても良い方法があるってこと?)
張り詰めた空気に下手に発言もできない優和はエルデの顔を覗きみると、苦虫を嚙み潰したようような表情をしていた。二日間しか彼女と過ごした時間は無いが、それでもこの表情はエルデにとって珍しい顔をしていると言えた。
「……言いたいことはそれだけ?」
淡々としたエルデの一言に志保は端から見てもすぐに気付くぐらい激高した。そして、優和は確かに目にした――彼女の涙を。
「ああそう! ああそうか! アンタに私は弄ばれたということね! あの時間も全て無駄になった! なら、私のすることは一つしかないじゃない!」
「そこで回れ右をして帰宅してくれると助かるのだが」
プツン、と。優和の澪奈は何故か志保の堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた気がした。
「――アンタの首を回れ右させてやるわよぉ!!!」
腕を持ち上げた志保の声に応じるように止んでいたはずの風が息を吹き返したように流れ込んでくる。まるで、志保の怒りを体現するような風の動きは志保の手の平の上にすっぽりと収まるような風の塊に変化した。
あからさまにまずい、優和はもちろん理解は追いつかないなりに状況を見極めようとしていた澪奈でさえも危険な物体を志保が作り出していることは分かっていた。
「エ、エルデさん……に、逃げようよ……」
「そうだな、万が一にでもここで優和は状況を打開する可能性を持っていればと考えていたが……」
一瞬だけエルデは腰の抜けた優和を見てから、
「――無理そうだ。だが、逃亡なんて言うな。……これは、敗北という名前の授業の一環だ。幸いにもこの世界でそれを勉強できたのだ良かったな」
凛々しい顔立ちのエルデ一瞬だけ見惚れそうになる優和だったが、エルデのたった数メートル先の女子生徒はその手の中に拳程度だった大きさの風の塊をさらに巨大な物に増大させていた。
風の塊が猛スピードで投げられる拳サイズの石だとしたら、あれだけ巨大な風の塊なら土石流を全身に浴びるようなものだろう。そうなってしまえば、三人の目も当てられない惨殺死体の出来上がりである。
「いや、かっこつけている場合じゃ――」
吹きすさぶ風の音に優和の声は途中で掻き消された。
「――馬鹿な生徒ごと潰れてろっ!」
逃げるとか逃げない次元の話ではない、風が音を消し、そして、消しゴムで文字を消すような無機質な速度で優和達の立っていた空間を凶悪な嵐が踏み潰した。
しばらくじっと風が収束するのを眺めていた志保だったが舌打ちをした。
――忽然とエルデを含めた優和達の姿が消えていた。
「逃げられたようね……。やっぱり……簡単に行く相手じゃないってことね……」
標的に逃げられたというのに、志保は含み笑いを浮かべた。