第7話 日常の終わり
放課後のチャイムの音色から刺激を受けるように優和の両手足がびりびりと筋肉痛の痛みに小さな悲鳴を発していた。
「びりびりだよぉ……びりびりするよぉ……」
机に突っ伏しながら両手両足をぴんと伸ばす。追いかけるように第二、第三のびりびりが華奢な体に流れていくのだった。
「――さあ、放課後になったわ。筋肉痛の原因を教えてもらおうかしら?」
「えへへ……えーと、別の日じゃ……だめ?」
「ぐぐぐ……そんな上目遣いされてもダメなものはダメなの! 休み時間や昼休みは、優和の甘えた顔が見たくて先延ばしにされてきたけど、もう屈したりしないわ!」
手の甲を指でつねりながら必死に自分を律してる澪奈は、優和が考えている以上の葛藤があるようだった。
痛みに堪えてでも優和のことを知りたがる澪奈を前に、根負けしたように優和は頷いた。
「……帰りながらでいいなら……澪奈ちゃんには全部お話するよ」
「そうよ、ちゃんと教えなさいっ」
自分が異世界転移してしまうことを澪奈が聞いたらどんな顔をするのだろうかと優和は想像する。きっと、嬉しい顔はしてくれない気がした。でも、悲しませるのはこれっきりにしようとまだまだやる気の衰えない優和は心の中で拳を握った。
鼻息荒く教室を出て行こうとする澪奈の後ろに続いて出て行く優和は、妙な視線を感じて振り返る。
「……気のせい?」
教室の中には部活までの時間談笑する一部の生徒達とつまらなさそうに窓の外を眺める志保の姿があるだけだった。
志保は朝のHRから誰とも話しをしていない。勇気を出して話しかけた子も居たみたいだが、もう一歩のところで声を掛けることはできなかったようだ。
(志保ちゃん、あのままなら寂しいし……後で澪奈ちゃんに相談してみようかな……)
「優和っ! 早くっ!」
「あ、うん! すぐ行くね!」
※
「……あれ?」
校門を優和と共に出たばかりの澪奈が怪訝そうに声を漏らした。
「どうしたの、澪奈ちゃん? 筆箱にペンを入れたかと思ったら弁当箱にペンを入れちゃった?」
「それは優和のことでしょ。そうじゃないわよ、鞄に入れたはずの筆箱が見つからないのよ……」
「ええ!? しっかり者の澪奈ちゃんが!」
「何で少し嬉しそうな顔してんのよ」
もう一度学生鞄を漁る澪奈だが、一向に見つかるような気配はない。こういうドジで慌てる澪奈はかなりレアなシチュエーションだった。
普段から優和を支えるお姉さん的な立場で居る澪奈だからこそ、こういう小さなミスは不本意になるのだろう。
二回、三回と手を突っ込んだり、ノートや教科書を二、三冊取り出して眺めてはいるがそれらしい物は影も形も見当たらない様子だ。
はあ、と深く溜め息を吐いた澪奈は鞄を握ったままで踵を返す。
「……釈然としないけど、教室に忘れていると思うから取りに行ってくるわ」
「一緒に行こうか?」
「いいわよいいわよ、取ったらすぐに戻るからちょっと待っててね」
優和からの返事も待たずに足早に学校へと消えていった。
教室から校門まで五分かそこらだろうし運動部でもないのに足の速い澪奈ならもっと速いかもしれない。
待つと言われるほど待つこともないだろう、そう考えていた。
――十分が経過した。
明らかに澪奈の帰りが遅いことを優和は不安に思っていた。
教室の窓の方を見ても彼女らしい影は見当たらない。学校に入って中央の廊下から左右に教室が分かれ、二階、三階と学年ごとに左右の廊下に連なる。漫画に出て来るようなマンモス校でもないどこにでもある学校で、こんなに時間が掛かるものだろうか。
途中でこけて怪我をしている可能性があるし、プリントの束を運んでいる先生に見つかって運ぶのを手伝わされたり、忘れ物を取りに戻っても机の中には見つからず慌てていると別の生徒の机だったり……全部、優和の体験したことだ。
「きっと、澪奈ちゃんが困っているに違いない! 澪奈ちゃん、今から助けに行くよ! めっちゃ微力になるかもしんないけど!」
一人身勝手な気合いを入れて学校に戻ろうとする優和の前に一人の人物が立ち塞がった。
「――アンタが、ユワ」
「あれれ、大鐘さん?」
まるで風のように大鐘志保が優和の前に立つ。
じっとこちらを見据える姿は、とても友好的なものではないが、とことん鈍い優和はそんな志保にも笑顔で声を掛けた。
「今から帰るところ? 私も澪奈ちゃんと帰るところなんだ!」
「そう」
「そうなんだよ! そういえば、澪奈ちゃん見てない? さっき教室に向かったはずなんだけど……」
そこで初めて志保は薄く笑った。
「知っているよ、案内するからついてきて」
「そうなの!? ラッキー! 大鐘さんとも友達になれたし澪奈ちゃんの場所も分かるし一石二鳥てやつだね!」
「友達……ええ、そうね。友達の言うことは、ちゃんと聞くのよ」
「はーい!」
能天気な優和の声とは反対に背中を向けて校舎の裏へと歩き出す志保の両目には鋭い輝きが宿っていた。