第21話 ハジマリはオワリ
――数か月後、優和の紋章ワールドパスが輝きだした。
それは、異世界への旅立ちを告げる合図だった。
※
その日は休日で、午後から異世界行きが近づいた優和との思い出作りの為に澪奈と志保と遊びに行く約束をしていた。志保とは色々あったものの今では昔からの幼馴染のように仲の良い三人組になっていた。
すっかり慣れ親しんだエルデとのトレーニングメニューを終え当たり前に朝食を取り、外出の為の服を自室で選んでいる時に唐突にワールドパスが熱を帯び輝き始めた。
「う……うぅ……」
少しずつ意識を奪われていく強い感覚と眩暈に優和は思わずうずくまる。
「――優和っ!」
その時、珍しく慌てた顔をしたエルデが自室に飛び込んできた。
苦悶の表情の優和とワールドパスから放たれる輝きを目にしたエルデは困惑した顔で「早すぎる」と呟いた。
「はぁはぁ……体が、熱い……!」
「無理もない、あちらの世界に適応しようとしているんだ。肉体を強化するアナザーアビリティを持った優和ならなおさら肉体に変化を求めるんだろう」
「澪奈ちゃんと志保ちゃんには、お別れ……できないのかな……」
「すまない、もうあまり余裕がなさそうだ」
残念そうに目線を落とす優和の両目は潤んでいた。それは、ちゃんと別れの挨拶をすることができなかった自責の気持ちからだった。
立ち上がったエルデが家族を呼びに行くのかと思えば背後の扉を閉じた。
「エルデ……先生……?」
「本当は今夜にでも話すつもりだったんだ。まさか、またこんな土壇場になるとはな……よく聞いてくれ、優和」
改まった口調で優和を優しく横にしながらエルデが語り掛けた。
「私は二度目に向かった異世界である特殊能力を身に着けた。それは、異世界転移候補者の転移する為の権限を奪う力だ」
「え……」
最初はエルデの言っていることが全く理解できなかった。いや、事態の急転に優和の思考が追い付こうとしていなかった。
少しずつ話をしてくれと言いたい優和を置き去りにしてエルデは口早に話を続けた。
「志保が何故異世界に行けなかったのか、その原因は全て私にある。志保は精神的に不安定なところもあり、内心を隠して異世界に向かう日を怯えて過ごしていた。彼女がこのまま異世界に迎えば無事に帰還することは難しいと考えた私はこの力を使い、彼女が異世界に向かう直前に権限を奪い――志保の代わりに世界を救ったんだ。理由はそれだけじゃない、異世界に一度行ってしまえば、帰還できたとしても前向きに生きようとした志保の人格が壊されてしまうことを恐れていた。……私が教育していた時の志保は今のように初めて会った時とは別人なほど真っすぐな人格をしていた。だからこそ、彼女が異世界で苦しみもがいて精神を摩耗するぐらいなら、この世界で当たり前に生きてほしいと思った」
「だか……ら……志保ちゃんを異世界に行かせなかったの……?」
ようやく話を理解した優和はエルデの服の袖を右手で強く握った。
「そうだ、異世界に行ったら君達は帰ってこれないかもしれない。だから、フィルメのような組織から守護しつつ戦う術を学ばせるんだ。そして、異世界に渡る時に私は君達の代わりに異世界へ向かう。これで候補者を守りつつ異世界も救うことができる」
「そんな……それじゃ、エルデ先生がただ辛いだけじゃ……ないんですか……!」
握りしめたエルデの袖にさらに力を入れ、左手でエルデの胸倉を優和は掴んだ。接近した優和の荒い呼吸が鼻に掛かるほど近い距離でエルデはいくらか逞しくなった優和の顔を見つめた。
優和の非難するような眼差しをエルデは真っ向から受け止めながらアナザーアビリティを奪う為に全身に神経を集中させる。。
「辛くはない、異世界に選ばれる者達はみんな心優しい少女達ばかりだ。そんな少女達を教育し共に成長の時間を過ごせて私は幸せなんだ。故に、そんな少女たちを辛い目に合わせたくはない」
「そうやって……そんな風にしているから、志保ちゃんは……!」
「何とでも言ってくれ、本来なら異世界に渡らせてこそ正しいカーヴァネスの在り方なのだろう。だが、異世界転移をする者を無事に帰還させるのが目的だとするなら、私のやり方も完全に間違いという訳ではないだろう」
「屁理屈です……そんな――の!」
アナザーアビリティがエルデの力により徐々に薄くなりつつある中、優和はエルデの体を突き飛ばした。
完全な不意打ちに尻餅をつくエルデは、立ち上がる優和の姿に言葉を失う。
「できるものなら、力尽くでやってください!」
優和の宿していたアナザーアビリティが発動していた。髪は長髪に変わり、内から外に力を放出していた。
「驚いたな、そこまで自分の力をコントロールできるようになっていたか……」
「はぁはぁ……スイッチを入れられるようになったんです。でも、大切な人達を守りたいて時じゃないとどこにそのスイッチがあるのかも分かんないですけど!」
「呼吸が荒いな、無理をするな。それに今この場で守りたい人間なんていないだろ」
「いるよ」
いつの間にこんなに自分のことを主張できるようになったのだろうとエルデはどこか他人事のように考えながら、あえて引き延ばしていた優和の次の発言を待った。
「――エルデ先生を守りたいんだ!!!」
教え子の成長にある種の感動すら感じつつエルデは真っすぐに指をさす優和を見据えた。優和の全身から光が溢れている、もう異世界へ片足浸かっていると言っても過言ではない。早く救い出さなければいけないとエルデは腰を低くして臨戦態勢を取った。
「志保の反省を活かして残された時間は優和との思い出に使おうと考えていたのだがな」
「志保ちゃんのことが全然活かされてないです! 私もエルデ先生とお喋りしたかったのに残!」
啖呵を切った優和は素早く地面を蹴ると開けっぱなしになっていた窓から飛び出していった――。