6話 捻れ
雪美が会社を休んでいる間、ユイと同じ電車で通う日が続いた。
だからと言ってユイに心変わりしたというわけではないが。
オフィス内ではなぜか俺に対する視線が冷たく感じる気がしている。
俺と雪美の関係を、一部の女子社員は知っている。
雪美からお願いされてオフィス内では公にはされてなかった。
俺にとってもそれは助かっている。
しかし昨日、朝の通勤時にユイと一緒に歩いていると、弓田と遭遇するということがあった。
その時は普通に挨拶しただけだったが、どうも俺がオフィスに入る前に女子社員たちに良からぬニュアンスで話している様子。
まあ、俺にとってはどうでもいいことで、俺と雪美がお互いどう思っているかっていうことが大事だと、あまり気にすることもなかった。
雪美のインフルエンザは思ったよりも長引いて、一週間丸まる欠勤となった。
そして月曜日。
雪美は朝、病院に行ってから出社するとLINEを送ってきた。
久しぶりに会うはずだったが、今日は社長からの命令で、朝から社長のお供をすることになっていた。
「今日から復帰だったのに、すまんな。」
雪美とは会社じゃなくても会うことなんていっぱいできるし、そんな気を使われても逆に困る。
「そんな、全然ですよ。」
社長を乗せて、以前おやっさんも連れて行った料亭へと向かった。
料亭は相変わらずの高級感。着物姿のおかみさんも凛としたたたずまいで俺たちを迎えてくれた。
「こちらです。」
通された部屋には、なんとも見覚えのある顔ぶれが並んでいた。
宮さん、おやっさん、K’sファクトの小山社長。そして。
「おぉ、サラリーマンらしくなっとる!」
いつもはジャージ姿だった、高校の時の担任の小山も今日はスーツ姿でそこにいた。
「先生!?」
思わず飛び出した言葉は、今まで一度も口にしたことない言葉だった。
小山は俺の姿を見て、成長したといった。これと言って実感はないのだが、ちゃんと言葉で聞くと嬉しいものだ。
「本日はお集まりいただいてありがとうございます。」
小山社長の挨拶で始まった。
今日は小山社長の会社が株式会社KFCとして株式上場するという報告の席だった。
俺と10歳も違わない小山社長。俺もいつかはこうなれたらと思う憧れの人。
「おめでとう。これからだな。」
宮さんにビールを注がれて「ありがとうございます。」という言葉も力強さを感じた。
「皆様、まだまだ未熟ものではございますが、今後とも息子のことをよろしくお願いします。」
小山も嬉しそうにみんなにビールを注いで回っていた。
俺も輪の中に少しは入ったんだが、飲めるのはウーロン茶。
いつかは、こうやって一緒にビールを飲めるようになりたい。
宴会は2時間ほどで終焉し、宮さんとおやっさんは小山社長を連れてタクシーに乗って消えていった。たぶん、あそこだろう。
帰りの車には、社長と小山が乗っている。
小山は少し酒が回っているようで饒舌になっている。
「こいつは本当にヤンチャで。」
俺の過去の話なんて社長にすんなよな、、、でも、最後は成長した俺のことが嬉しくて、社長に「ありがとうございます。」と言って泣いていた。
初めて見る小山のこんな姿。感謝するのは俺のほうだよ小山先生。
小山を送り届け、会社に戻った。
時間はすでに18時を回り、オフィスには誰も残っていなかった。
デスクに座り、おもむろに携帯を見た。すると、雪美からLINEが届いていた。
「バカ。」
お疲れ様とかご飯作ってるねとかじゃなくて「バカ」?
俺に何でこう言われているのか分からなかった。
しかし、今日は疲れ果ててこれに返信する気力は残ってなかった。
帰り道、会社近くのコンビニで缶ビールを買おうと立ち寄ろうとした。
コンビニ内に、ユイがレジに並んでいるのを見かけた。
「よっ、お疲れ!」
ユイに声をかけ、俺は缶ビールが並んでる冷蔵庫に向かった。
帰り道用と家で飲むように缶ビールを2本手に取りレジへ。
もうユイは店を出ているみたいだ。会計を済ませてコンビニから出ると同時に一本目に手を伸ばした。プシュッという音が1日お疲れ様とねぎらってくれる。
「かんぱ~い!」
横に目をやると、満面の笑顔のユイが缶チューハイを持って立っていた。
「あれ、バイトは?」
今日は急遽大将に用事ができたらしく休みになったらしい。
本当は1人でのんびり帰りたかったが、せっかくなのでユイと一緒に帰ることにした。
ユイはバイトのことや学校のことを本当に楽しそうに話してくる。
俺も高校の時はこんな感じで話してたんだろうな。。。それにしてもケンタの奴、本当にめちゃくちゃなことをユイに話しているみたいだ。ユイがい聞いている話を一つ一つ改善しながら歩いていると、いつの間にかもう家の近くまで戻っていた。
「あ、俺、こっちだから。」
ユイに別れを告げて家のほうに歩いていこうとした。
「類さん!」
ユイの声に反応して振り向いた瞬間だった。
ユイの唇が俺の唇にしっかりと密着した。
「お疲れさまでした!」
まるで時が止まったように微動だにできないまま、ユイが走り去っていく後姿を見送っていた。
いかんいかん、俺には雪美が、、、と、思い出した。雪美に何も返信してなかった。
ポケットから携帯を出した瞬間、携帯が鳴りがした。
電話先は弓田からだった。時間は20時、なんだか嫌な予感はした。
「あ、お疲れ様です。」
電話越しの弓田の声から少し酔っぱらっているのが分かる。」
「吉崎ぃ~。俺な~、前川と付き合うことになったんだ~。」
何の話か分からない。雪美は俺と付き合っているのに。
「せんぱ~い、酔っ払って幻覚でも見てるんじゃないですか?」
すると、弓田はテレビ電話に切り替えてきた。
画面に映った映像。ベッドに横たわった雪美の姿が。
「お前、何やってんだ?そこどこだよ。」
電話の向こう、弓田は笑っている。
俺は缶ビールを投げ捨てて、ホテル街に向かって走り出した。
ホテルなんていっぱいある。1時間、2時間とにかく走り回った。
だが、雪美を見つけることはできなかった。
何度も雪美に電話をしたが、決してつながることもなく。
とうとう見つけることはできなかった。
帰り道、俺は雪美のマンションに立ち寄った。
いるはずもないと思っていたが、中からかすかにシャワーの音が聞こえた。
「おい、雪美。」ドアをノックしながら何度もインターホンを鳴らした。
ガチャガチャとドアノブを回すと、ドアは開いていた。
中に入り、一目散にシャワーの音がする浴室へ。
「雪美。おい、雪美。」
そこには、スーツ姿のまま頭からシャワーを浴びながら座り込んでいる雪美の姿が。
「おい、何があったんだよ。」
俺はシャワーを止めて、バスタオルで雪美の体を拭いた。
「類くん。ごめんなさい。でもね、あたしね、ちゃんと抵抗したんだよ。」
泣きながら震える声で俺にしがみつきながら。
「分かった。大丈夫だから。もう忘れて。俺が一緒にいるから。」
俺は力強く雪美を抱きしめた。
そして、何もかも忘れさせようと、何度も何度もしっかりと雪美を愛した。
翌日、雪美は気持ちよさそうに眠っていた。
嫌なことは、一時的には忘れることはできるのかもしれない。だが、心についた傷は一生消えない。愛する女にそんな傷をつけた奴を俺は絶対に許さない。
「先に行ってる」
そう書置きをして、俺は1人、会社に向かった。
それから起ったことは正直覚えていない。
誰から声をかけられ、誰から見られていたかも分からない。
「怒り」
ただそれだけが俺を埋め尽くしていた。
会社に着く5分くらい前だったか、雪美から電話があった。
「おはよう。昨日は、、、ありがとう。」
心の傷は消えない。雪美の言葉が詰まった一瞬がそう言っている。
「大丈夫。俺がけりをつけるから。」
そう言って、電話を切った。
会社に着くと、まっすぐ社長室に向かった。
内ポケットには今朝したためておいた物。
「おはようございます。」
社長室を開け、社長の席の前に立った。
「おはよう。どうした険しい顔をして。」
俺は社長の前にそれを出して社長室を出た。
そして、そのままオフィスへと向かった。
オフィス内、左から右へと全体に目を向ける。
右奥の窓際。そこに向かってまっすぐ歩いた。
「よう、吉崎。」
目標は弓田。しらじらしく普段道理の表情。
「雪美が世話になったな。」
弓田の胸ぐらをつかみ、俺の顔の前に引き寄せた。
「なんだよ、熱くなんなよ。俺を殴ったら、お前クビだぞ。」
そんなことどうでもいい。すでに社長には辞表を出してきた。
「関係ねぇよ。」
俺の怒りを拳に込めて、渾身の力で弓田を殴った。
オフィスに響く女子社員の声に、ほかの部署からも社員が集まってきた。
でも、俺はもう止まらなかった。友達、仲間、そして大事な女を傷つける奴は。
社長、宮さん、おやっさん、そして小山先生、ごめん。
雪美が会社に着いた頃には、もう弓田の顔は赤く腫れがって、氷水で冷やされていた頃だった。
俺は、弓田の血を拳につけたまま、会社を後にした。
その後、弓田は社長室に呼ばれ、雪美を酔わせてレイプしたことを吐露した。
俺と雪美の関係を知っていた社長は、俺の気持ちを汲んでくれた。
俺は辞職を受け入れてもらい、弓田は懲戒免職になった。
それ以来雪美とは会っておらず、今はどうしているかも分からない。
それから半年が経ち、今は両親が営んでいる学生寮の管理室にいる。




